27 練習の成果を見せる時です
遂にこの時が来てしまった…
風属性の会合当日、リハーサルでは大きなミスは無かったが、それが本番でミスをしない理由にはならないので旭は震える指先を必死に息を吐いて温めていた。
同室では兄は真顔で奨学基金の報告文書に目を通していた。今日の予定は最初に来場者と一緒に精霊礼拝の儀式を行い、次に今年の奨学基金の実績や利用者の進路の報告、最後に旭のピアノ演奏の披露となる。
わずか1時間程度の会合ではあるが、毎年多くの風属性使いの村人達が集うのだ。しかし、こんなにも風属性使いが村にいるのにも関わらず、神官や神子に志願するのは1人もいないというのが目下の悩みだった。
開始1時間前になった所でドアがノックされて、旭は思わずビクついてしまった。
「旭ちゃん、大丈夫?」
「お義姉ちゃん…」
緊張しているであろう旭を心配して義姉が様子を見に来てくれたようだ。堪らず旭は義姉に抱きついて胸に顔を埋めるとホッとして、ずっとこのまま時間が止まればいいのにと願ってしまう。
「差し入れ持ってきたよ。後で食べて」
「ありがとう。わあ、パウンドケーキだ!」
義姉得意のパウンドケーキの差し入れに旭は緊張で固くなっていた頬を緩めて紫に頼んでお茶の準備をしてもらう。
「ピアノ演奏楽しみにしてるからね」
「うう、何かお義姉ちゃんにまで期待されると責任重大…」
「大丈夫、義妹のピアノ演奏なんて上手でも下手でも最高に決まってるじゃない!」
義姉バカ丸出しの発言に旭は苦笑しながらも、勇気づけられた気がした。少なくとも義姉と、多分父も確実に絶賛してくれる。そう思うと気が楽になった。
「あなたは素敵な愛人が見つかるといいね。カトリーヌさんにはフラれちゃったんだし」
突如兄に向けた義姉の言葉に旭はサァと血の気が引いた。まさか彼女の口から愛人とカトリーヌという単語が出ると思わなかったからだ。その背後から紫が笑いで吹き出す声が聞こえてきた。
「なんてね、冗談だよ。じゃあ2人とも頑張ってね、皆で応援してるよ!」
明るい声で自分の言いたい事だけ言うと、命はそそくさと控え室から出て行った。部屋には紫の笑い声だけが響いた。
「わ、私何も喋ってないからね?」
真っ先に疑われそうな気がした旭は慌てて弁明した。もし兄夫婦が離婚したら大戦犯にされそうな気がしたからだ。
「分かっているから、自分の事に集中しろ」
厳しい言葉を向けられると思っていたが、突き離される程度に済んだ旭は安堵しながらもピアノ演奏よりも義姉の事が心配になって来てパウンドケーキの味も分からなかった。
そして遂に会合の時間となった。表向き仲良し兄妹な旭とトキワは腕を組み参加者に手を振りながらステージに姿を現した。毎度の事ながら自分を偽るのは後ろめたいと思いつつも笑顔で拍手に応えた。
「…本日はお集まり頂き真にありがとうございます。今年も皆さんにこうしてお会い出来て兄妹共々嬉しく思っています」
一応代表なので旭が参加者に挨拶を述べる。その横で兄は妹思いを演じて旭を優しい表情で見つめていたので背中が痒くなって来る。
まずは精霊礼拝の儀を行う。ステージに特別に組まれた祭壇で旭は指を組んで風の精霊に日頃感謝と尊敬の意を古代語で伝える。兄や参加者も同様に指を組み祈を捧げる。
すると風の精霊達が集まって来た。ケラケラと笑いながら劇場を縦横無尽に舞っているので屋内にも関わらず柔らかい風が吹いて来た。
普通の水鏡族なら風を感じる程度だが、神子と同レベルの魔力を持つ者なら声が聞こえたり、銀髪持ちだと視認する事が出来るはずだ。
当然旭も風の精霊は見えているし、会話も出来る。今日は年に一度の会合だからか大いにはしゃいでいる。
彼らは人懐っこく、噂話が大好きなのだ。誰が誰と付き合っているとか、へそくりを隠している場所など村人達の私生活を面白おかしく暴露するので旭は退屈凌ぎになるが、それは人としてどうかという葛藤も多少あった。
兄を横目に見ると、精霊達から浮気者と大合唱されていたが、何食わぬ顔で奨学基金運用報告の準備をしていた。
準備が整ったのでトキワが今年の奨学基金の運用状況について報告した。正直な所退屈で眠くなってしまう様な内容で、小さい子供達は欠伸をしているが、少しでも頭に残ってくれたら将来彼らの役に立つかもしれないと思いながらも、淡々とした兄の声に旭も眠気に誘われて必死に舌を噛みながらその場をやり過ごしす。
そんな堅苦しい報告でも兄の信者達は真剣に耳を傾けている。容姿端麗だから好んでるのもあるだろうが、きっと奨学基金に対して真剣に取り組んでいる姿に心打たれる物があるのだろう。
最後にトキワは声量を上げて進学の夢をお金の都合で諦めようとしている大事な人がいたら、是非この制度を勧めてほしいと締め括ってから報告は終了となった。
内容は頭に入っていない者もきっとこの言葉だけは届いたに違いないと、旭は少しだけ兄を見直してからいよいよとなったピアノ演奏の時間となると緊張が戻ってきた。
「頑張れ」
頭を撫でながら兄が激励してくれて旭は勇気づけられた。これは風の神子代行としての演技かもしれないけれど、それでも充分だった。旭は平な胸を張ってピアノの前に立った。
「今日の為にピアノを練習しました。どうか聞いてください」
深くお辞儀をすると参加者から温かい拍手を貰い奮い立った旭はピアノの前に座り、スっと息を吸って吐いてから鍵盤に手を添えて演奏を始めた。
前日には暦から合格を貰ったから大丈夫だと自分に言い聞かせて、旭はピアノを奏でて行く。
プロの腕前には程遠いが、旭のぎこちなくて不器用な音色は参加者達の心を温かくさせた。自分達の為に風の神子が未経験からここまで頑張ってくれたと思うと尚のことだった。
時々詰まる所や間違えた所もあったが、何とか演奏が終了して劇場内は大きな拍手に包まれて、大役を終えた旭は緊張から解放されて泣き出しそうになったが、下唇を噛んで頭を下げて拍手に応えた。
「お疲れ様」
しかし労いの言葉を掛けてくれた兄に旭は耐えきれず抱き着いて涙を流した。トキワは慈愛の表情を浮かべて妹の背中をぽんぽんと叩いて宥めて落ち着かせると、兄妹で参加者に向けてお辞儀をして会合を終了とさせた。
美しき兄妹愛に参加者は満足した様子で劇場を出て行く。旭は兄と共に出入り口でお見送りをする事となった。握手を求められたら応じるので中々骨が折れるが、旭は満たされた気持ちでいっぱいだった。
一応嫁入り前で許嫁がいる身分という理由で旭は握手以上の要求は神官が断っていたが、トキワは赤子や子供を抱っこしたり、老若男女のハグに応じたりとサービス満点だった。今もうら若き乙女の要望に応え先程旭にした様に頭を撫でてあげていた。
兄が言うにはこの中から1人でも風の神子になりたい人物が出るなら安いものだとこなしているが、こんな行動をするから愛人を探してるとか噂されているのではないかと旭は危惧していたし、義姉を不安にしてるのではないかと感じていた。
見送りを済ませてようやく兄妹は解放されて風の神子の間に辿り着いた。
「父さん」
「おとうさん!」
風の神子の間に着くなり待っていたクオンとセツナが真っ先に父親のトキワに抱き着いた。この様子はもはや毎年恒例で、2人の子供達は父親を村人達に取られて構って貰えないのを指を咥えて見ているしかなくて、やっと自分達の元へ帰って来た父親に反動でベッタリになるのだ。
トキワは疲れを顔に出さずにセツナを抱っこして抱き着くクオンの頭を優しく撫でて笑みを浮かべながら受け入れていた。
「旭お疲れ様、ピアノ凄く良かったよ!」
「ありがとうパパ!」
ピアノ演奏を父に絶賛されて旭は肩の力が抜けて、ようやく今年の会合が終わったと実感した。ソファに座って義姉が用意してくれたハーブティーを飲めばこのまま眠ってしまいたくなった。
「本当ピアノの演奏素敵だったよ。サクヤ様も聴き惚れていたよ」
「えっ!サクちゃんも見に来てくれたの⁉︎」
おねだりはしていなかったけれど、許嫁が見守ってくれたという事実は旭の疲れた身体にじんわりと沁み渡った。
「父と母も、暦とミナト、あとお前の友人の菫と土の神子のアラタも来てたぞ」
「何それ、まるで休日参観日じゃないのー!なんか恥ずかしくなってきた!」
母からの暴露に旭は顔から火が出そうになった。祖父母や叔母夫婦どころか、菫とアラタにまで見られるのは嫌だった。こうなったら氷属性と土属性の会合の見学もしようと旭は逆襲に燃えた。
いよいよ眠くなってきたので旭は義姉に膝枕をして貰いウトウトしていると、ドアが開いて色とりどりのバラの花束を持ったサクヤが姿を現した。
「風の神子よ、素晴らしいピアノ演奏だったぞ!」
ピアノ演奏を褒めてから、ソファで横になっている旭にサクヤは跪いて花束を差し出した。思わぬサプライズに旭は目を丸くさせると視界一杯に広がるバラの香りにウットリした。
「ありがとうサクちゃん!嬉しい!」
義姉の膝枕の心地よさから抜け出せず、旭は寝たままバラの花束を受け取って抱き締めた。
「今度サクちゃんの為にピアノを弾いてあげるね」
「フッ、楽しみにしているぞ」
跪いたままサクヤは横になった旭と見つめ合い微笑ましく今日の会合について話をした。それだけで旭は疲れが吹き飛んで、恋の力を実感するのだった。