26 許嫁の頭髪指導をします
腰まで伸びた漣の様なウェーブが掛かった旭の自慢の銀髪は見た目通り手入れがとても大変である。
日々の洗髪は丁寧にブラッシングをして汚れを落とし、お湯で髪の毛をしっかり濡らして頭皮を念入りにマッサージをしてから流す。
シャンプーは水の神子三席の環が旭の髪質に合わせて調合してくれた物をしっかり泡立てて念入りに洗ってからしっかり濯ぐ。
そして同じく環に調合して貰っているトリートメントを念入りに髪の毛に揉み込んで馴染ませてから丁寧に洗い流す。
最後は上質な杏のヘアオイルで保湿して艶を保ってから魔術で髪の毛を乾かして完了となる。
これを毎日続けるのはかなりの労力を使う。運動後のシャワーでは少し雑になってしまっているのも否定できなかった。それでもこのヘアスタイルを保つのは旭自身が気に入っているからだった。
今日は週に一度のスペシャルケアを行う日で、神殿の美容師にヘアケアを施して貰うのだ。時間が掛かるので退屈ではあるが、最近は菫とスケジュールを合わせて仲良くお喋りをしながら過ごすので、有意義な時間になっている。
「もうすぐ風属性は会合があるのよね?準備はどう?」
「うーん、万全とは言えないけど何とかする」
風属性を扱う水鏡族達を招待する会合にて旭はピアノ演奏を披露する事になっていて、現在暇を見つけては練習して仕上げ段階に移っていた。
ピアノは半年位前に始めたばかりなので、果たして喜んでもらえるのか不安だが、集まるのは信者だけだからきっと旭が演奏したというだけで温かい拍手をくれるはずだと少し驕る気持ちもあった。
「先生は暦さんなんだよね?すごいよねあの人、炎の神子代表として神子の仕事や冠婚葬祭も執り仕切ったり、図書館の館長も務めて、小説家も書いて、おまけにピアノまで弾けるなんて!」
暦はピアノは趣味として嗜んでいる程度だと言っていたが、プロが演奏しているレコードに遜色ない腕前だった。姉である旭の母は不器用なのにどうしてこうも多彩なのか、不思議だった。
「菫は暦ちゃんがコーネリア・ファイア先生だって知っていたんだ?」
「常識でしょ?寧ろ今まであなたが知らなかったとは思わなかったわ」
「だって、誰も教えてくれなかったし、暦ちゃんも面白がって隠してたんだもん」
「あー分かる。旭の反応が面白いからつい揶揄ったり敢えて黙ったりしちゃうもん」
「酷い!私の何処が面白いのよ!」
確かに大人達は物を知らない旭に対して正解を濁す事が多かった。それは自分で考える余地を与える為だと皆口を揃えて言うが、回答を提出したら正誤くらい教えて欲しかった。
「でもまあ、流石にヤバい方向に進みそうだったら止めてあげるから」
「何それ?まあ、一応ありがとう」
ヤバい方向とは一体何か分からないが菫にとりあえず感謝して、旭は透明な鍵盤を叩きながらピアノの練習を始めた。
ヘアケアを終えた旭と菫はそれぞれ美容師にお揃いの髪型にしてもらった。ウェーブヘアとストレートヘアと対照的な髪をしている為、言い出さなければお揃いとは気付いて貰えなさそうだが、少女達は満足していた。
今週も極上の働きをしてくれた美容師に感謝してから旭と菫は足取り軽やかに神殿内を闊歩していると、サクヤと遭遇した。図書館帰りなのか、本を数冊抱えている。
「サクちゃん見てー!髪型可愛いでしょ?菫とお揃いなんだよ!」
満面の笑みで旭は手入れされたキラキラ輝く銀髪を許嫁に披露した。
「うむ、まるで太陽に照らされた白銀の雪の様な毛並みだな」
まるで馬を褒めるようなサクヤの口ぶりに苦笑いをしつつも、好感触だったので旭は良しとした。
「あなたも髪の毛綺麗にしたら?頭がボサボサでみっともないわ」
自称闇の力に目覚めてから早8ヶ月、何故か髪の毛を切らなくなったサクヤは横に流している前髪は鼻先に届きかけていて、今は一つに束ねているが解けば横髪は肩に付くほど伸びていた。
散髪どころか手入れもおざなりなのか、貴重な銀髪は艶を無くしていた。おそらくは杜撰な手入れと栄養不足と睡眠不足が原因だろう。
「もしかしてサクちゃん、髪を伸ばしてるの?」
「ああ、髪の毛には魔力が宿るからな。いつか儀式の材料として髪の毛を差し出す際に必要かもしれないだろう?」
闇を統べる者として当然だと言わんばかりにサクヤは顔に掛かる前髪を指でサラリと流す。その様子は鬱陶しくてもどかしかった。
「それにしてもその髪は神子として良くないわ。ロングにしたいならミナトさんを見習いなさい」
水の神子代表であるミナトは女性顔負けの長い銀髪を持っている。40代後半の中年男性があそこまで美しい髪を保つのは並々ならぬ努力が必要だろう。菫はそれをサクヤに強要した。
「髪の毛は伸ばすだけではいけないのか?」
「え?そこからなの⁉︎そうだよ、ロングヘアは伸ばしっぱなしじゃなくまめに整えたりケアしないと綺麗にならないんだよ?」
美容に無関心なサクヤだから知らないのも無理はないだろう。個人的にはサクヤは前のミディアムショートが似合うと思っているので旭はロングヘアは賛成ではなかった。
「確かに美しい髪の方が魔力の含有量が多そうだな。ならば風の神子と氷の神子三席よ、我に知恵を貸してくれ」
「よろしい、私と旭に任せなさい!」
弟子を得た菫は生き生きとした表情で慎ましい胸を拳で叩き早速サクヤを旭と力を合わせてイメージチェンジする事にした。
まずは美容師にサクヤの髪の毛を整えてもらえるか交渉した所、現在アラタの髪を切っているからその後なら空いているという事だったので、3人で美容室で待たせて貰う事にした。
「私はやっぱりアラタさんみたいなベリーショートの刈り上げが好きですー!」
「ありがとうすうちゃん、それにしてもこんなに観客がいる中で髪の毛を切って貰うのは初めてだよ」
バリカンで襟足を刈り上げられているアラタは旭達を邪険にせず話し相手になってくれていた。
「アラタさんは何でこの髪型なんですか?」
「やっぱ清潔感があって男らしい髪型の方がお見合いで好印象かなーっていうのと、農作業の時邪魔にならないていうのがあるかな」
見た目と実用性を重視した髪型をアラタは選んでいる様だ。
「だけど密かに長めのミディアムショートにも憧れてたりするんだよね」
「うちのお兄ちゃんみたいな感じ?」
「そうそう!あの顔の良い人しか許されない髪型って勇気いるよねー!どこで髪切ってるんだろ?」
「確かお兄ちゃんの髪はお義姉ちゃんに切って貰ってるよ。くーちゃんとせっちゃんの髪を切るついでにいつの間にか切るようになったってお義姉ちゃんが言ってた」
「家族で青空散髪とかいいわー、マジ俺の理想の家族じゃん!しかし奥さん器用だなあ…あーちゃん、今度俺の髪も切って貰えないか聞いといて」
報酬は弾むからと付け加えるアラタに旭は覚えていたらと返事をして、自分もいつかサクヤの髪の毛を切ってあげれるように練習でもしようかと考えた。菫も同様の事を考えているのか、アラタの髪を切る美容師の技術を吸収しようと真剣に見つめていた。
アラタの髪の毛が終わったのでサクヤの番になった。眼帯を没収して回転椅子に座りケープを着けていざヘアカットとなった。
「お久しぶりですサクヤ様、本日はどの様な髪型にされますか?」
美容師の問い掛けにサクヤはどうすればいいのか考えていると、先に旭が挙手した。
「バッサリスッキリいつもの髪型にしてあげてください!」
「謀ったな!風の神子よ!我は髪を伸ばすと言っただろう?」
「嫌だ!ハッキリ言ってサクちゃんロングヘア似合ってないよ!何か陰気な感じがする」
「陰気…正に我が望む髪型だ!女将!今の髪型を生かしてくれ!」
「えー、あーちゃんとすうちゃんみたいに俺と仲良くお揃いの髪型にしようよ!」
「否!我は土の神子と揃いの髪型にする程親密な仲では無い」
「そんなあ、俺は親友だと思っていたのにー!」
サクヤにとって一番歳が近い同性の神子は自分なので、アラタは勝手に親近感を抱いていたが、片思いだったようだ。
美容師は周囲の意見に迷いながらも、とりあえずサクヤの注文を受け付ける事にした。これなら変更があっても、また切れば良いだけの問題だったからだ。
「髪を切り終わったら次は環さんの所に行ってサクちゃんの髪質に合ったシャンプーやトリートメント、あとヘアオイルを調合して貰わなきゃね」
「シャンプートリートメントヘアオイル…まるで呪文のようだ」
「え、サクちゃんシャンプーとか分からないの?普段何で髪の毛洗ってるの?」
「我は全身石鹸で清めているが、何か問題でもあるのか?」
「全身を石鹸で⁉︎いやー、流石の俺でもシャンプーは使っているよ?」
美にこだわりが無いサクヤは旭とアラタに指摘されるまでシャンプーの存在を知らなかった。何故だろうかと顧みた所、子供の頃に入浴の世話をしてくれた男性の神官が石鹸しか使っていなかったからだと思い出した。彼はあの時点で高齢だった為、既に退役しているが、元気にしているだろうかとサクヤは思いを馳せる。
そして毛先を整えてからトリートメントを施して貰ったサクヤの銀髪は見違えるほど光り輝いていた。
「サクちゃん素敵!凄く綺麗だよ!」
「さっくん男前ー!」
「野良犬から飼い犬になったわね」
「フッ、魔力が髪に漲っている様な気がするぞ!」
アラタと菫と共に絶賛すれば、本人も満更でも無い様子だし、これなら陰気な雰囲気も無く好印象なので、旭は許嫁の髪型を受け入れる気になった。その後環の元でシャンプーやトリートメント、ヘアオイルを調合してもらったサクヤはその夜は共同浴場でアラタに使い方の指導を受け、イメージチェンジの準備を万全な物とした。
***
しかし1週間後、朝のトレーニングに現れたサクヤはバッサリと髪を切り、以前の様なミディアムショートヘアに戻っていた。
「あれ、何で切ったの?」
新しい髪型を気に入っていた筈の許嫁に旭が問い掛けると、サクヤは目を伏せて自嘲気味に息を吐いた。
「どうやらあの髪型は我にとって禁断の髪型だった様だ…」
一体どういう意味か旭はしばらく考えたが、1つの答えしか浮かばずそれを口にする事にした。
「めんどくさくなったんだね?」
これまでは石鹸で適当に洗って、自然乾燥で乾かしていたのに、指導を受けてから丁寧にシャンプーで洗ってトリートメントをして念入りにお湯で流し、更にヘアオイルを馴染ませ風魔石を用いて完全に乾かすという手間がサクヤには煩わしいのだろうと旭は予想した。それがセミロングヘアなら尚更だ。
旭の結論にサクヤは目を伏せたままコクリと素直に頷いたので、思わず吹き出してしまったが、今の髪型が一番好きなので旭にとっては結果オーライだった。