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25 プロの舞台を観劇します 後編

 昼食後、旭はサクヤと菫と共に光の神子の間を訪れた。夫婦仲良く食後のデザートにリンゴを食べていた祖父母は孫達の訪問に顔を綻ばせた。


「ねえねえ、おばあちゃん!週末の『光と闇の絆』のチケットって余ってない?」


「それがどうしたの?」


 まずは単刀直入に用件を口にした旭に祖母は首を傾げる。旭達は神子だから関係者席で観るからチケットは必要無いと思っているからだ。


「お義姉ちゃんが欲しがってるからってお兄ちゃんが探してるの。2枚ね」


「まあ、そういう事だったのね。トキワと命さんなら関係者席で観てもいいのに…まああの子達は嫌がるか」


「だよね…お兄ちゃんてやたらお義姉ちゃん達を神殿行事に関わらせたがらないものね」


 しかしこのままだと兄はカトリーヌと再会する事が出来ない。旭が次の手を考えていると、サクヤが口を開いた。


「母よ、じつは風の神子代行は歌劇スターのカトリーヌとは幼馴染みで、所謂初恋同士なのだ!お互い泣く泣く別れる形となったが、長い時を経て再び燃え上がっている恋の炎を我々が消してどうする⁉︎」


 ストレート過ぎるサクヤの説明に祖父母は面食らった様子だったが、祖母は次第に楽しい事を見つけたと言いたげに目を輝かせた。


「まあ、そういう事だったのね!じゃあトキワにカトリーヌさんへの花束贈呈をお願いしましょう!」


 どうやら祖母は作戦に乗ったようだ。自身の権力を存分に使い孫の初恋を実らせるようだ。


「ちょうど彼女の同級生に依頼しようと考えていた所だったのよ。これがきっかけで2人が関係を持てば跡継ぎが狙えるわね!」


 光の神子は近くにいた側近を手招きして早速予定に組み込んでいた。これで2人は確実に再会出来ると思うと旭はワクワクしつつも胸が痛んだ。


「トキワは妻子がいる身だ。他の女性との関係を勧めるのは如何なものかな」


 祖母の暴走を止めようと祖父が苦言を呈した。普段あまり口出ししないのに珍しいと感じながらも旭はどこかホッとした。


「神子の後継者不足を打破する為に、あの子は愛人を作るべきなのよ」


「やれやれ…君は本当に神殿至上主義だな…」


 早くも匙を投げた祖父に旭は肩透かしを喰らった。しかし止まっていた初恋の時計の針はこれで動き出してしまった。もはや野となれ山となれだ。


 チケットは1枚だけ残っているらしいので、祖母はそれを餌に兄を誘き寄せるらしい。ちなみに一応雀にも確認したが、チケットは無かった。


「色々考えたけど、きっとカトリーヌさんは女優の道を捨てられないし、トキワさんは奥さんと子供を捨てられないと思うから、お互い選んだ道はこれで良かったんだと爽やかに終わるんじゃないかしら?」


 光の神子の間を後にしてから、だんだんクールダウンして来た菫の考察に旭とサクヤも静かに頷いた。冷静になれば修羅場新聞のような事態を誰も望んでいなかった。


「初恋というのは脆く切ない位がちょうど良いというわけだな」


「え、そんなの嫌だ!私の初恋はサクちゃんなんだよ?」


 もしサクヤとの婚約が破棄されたら旭は生きていける気がしなかったので必死に反対した。


「うーむ、初恋とは複雑な物なのだな。ますます理解出来ない…」


 絶賛恋愛感情を探求中のサクヤは低く唸り声を上げて腕を組んだ。彼に恋心が芽生えるのはまだ遠そうだと旭はため息を吐けば、菫が肩を叩いて励ましてくれた。


 そして夕方、再び現れた兄に旭はチケットの件を説明すると、やむなしと条件を受け入れて、祖母からチケットを受け取って帰って行った。



 ***



 舞台当日、旭は超絶不機嫌な兄を横目に身支度を整えて貰っていた。一体何故こんなに機嫌が悪いのか怖くて直接きけなかったので、代わりに紫に尋ねて貰った。


「代行、どうされたのですか?」


「どうしたもこうしたも無いよ!折角身を削ってチケットを用意したのに、友達からペアチケットを譲って貰ったんだとさ!全く、俺は何でこんな所にいるんだ?」


 兄の怒りの原因は義姉にあったようだ。このまま怒りが続いてカトリーヌに気持ちが揺れ動いてしまったらどうしようと不安になりながら、縋るように紫に視線を向けると、愉快そうに笑っていた。


「どうせ昨日の夜にサプライズでプレゼントしようとして黙ってたら、先に報告されちゃったんでしょー?」


 紫の指摘にトキワは舌打ちをする。どうやら図星らしい。兄は意外と駆け引きが下手なようだ。


 旭の身支度が済んだので兄妹は屋内劇場の関係者席へと向かった。兄もここまで来ると割り切って不機嫌を隠して神子として精悍な顔立ちで仕事に臨む。


「お兄ちゃん、カトリーヌさんてどんな人だったの?」


 この位なら聞いても良いだろうと旭がカトリーヌの事を尋ねると、兄は目を伏せて少年時代を思い出した後に口を開いた。


「声がデカくてうるさかった」


 真顔で話す兄のカトリーヌに対する思い出はまるで好きな女の子に意地悪を言う男の子のような口ぶりだったので、旭は思わず吹き出してしまった。


 開場の時間になり続々と観客が集まって来た。旭はその中からいつもより少しおめかしした義姉を見つけた。今日はクオンとセツナはお留守番の様で2人の中年女性と一緒だった。確か彼女達は義姉の母と叔母で、何度か会った事があった。


 義姉の叔母は医者で診療所を運営していて、義姉はそこでナースとして働いているのだ。兄も義姉に気付いたのか視線を向けていた。


「お兄ちゃんはお義姉ちゃんとカトリーヌさん、どっちが美人だと思う?」


 段々楽しくなり調子に乗った旭の問い掛けにトキワは呆れた様子で口を開いた。


「言うまでもないだろう?」


 それは生涯の伴侶として選んだ妻なのか、初恋の相手で今や世界的スターのカトリーヌなのか…その言葉だけでは旭には分かりかねたが、深く追及するのは止める事にした。


 劇場の客席は満席となり、辺りが暗くなり舞台に照明が当たりいよいよ歌劇の始まりとなった。


 語り部の声が劇場内に響き渡ったが後に音楽が流れ始めて舞台に水鏡族の白い民族衣装を身に纏ったカトリーヌ演じる光の精霊が歌と舞を披露した。その美しい姿に観客達からはため息が溢れていた。


 劇団員で水鏡族はカトリーヌだけのようで、闇の精霊の役の男性は黒髪だった。カトリーヌ同様見目麗しく、甘い歌声は女性達を虜にした。


 ここまでの美男美女が集まり演技力と歌唱力、そしてダンスの素晴らしさを観ていると、来年同じ演目を演じるであろう東の集落の子供達が少し気の毒だと誰もが思った。


 そしてクライマックスは災害から人々を守り力を使い果たした光の精霊と闇の精霊がそれぞれ消えてしまった。しかし、人間に生まれ変わり光の神子と闇の神子として2人は感動の再会を果たし結ばれて大円団となり、劇場は割れんばかりの拍手が沸き上がった。


 旭が感動で涙を流していると、サクヤが隣からすかさず黒いハンカチを差し出してくれた。彼はいつだって絶妙なタイミングでハンカチを差し出してくれる。


「ありがとうサクちゃん」


 優しい許嫁に感謝して旭は黒いハンカチの柄に注目すると黒い糸で蜘蛛の巣の刺繍が施されていて、ワンポイントに刺された蜘蛛と目が合い声を上げてしまいそうになった。日に日に持ち物の趣味が骸骨や虫に爬虫類のモチーフが増えて行くのは旭の悩みの一つだ。


「行くぞ旭、サクヤ」


「え、どこに?」


 兄に肩を叩かれて旭は戸惑いの表情を浮かべた。予定では自分は花束贈呈に指名されていなかった筈だからだ。


「お前が風の精霊役でサクヤが闇の精霊役に花束を渡す役になった。時間が無い。行くぞ」


 突然決まった大役に旭は驚きながらも、サクヤと兄の背中を追いながら舞台袖へと移動した。他の属性の神子達も花束を手に集結していたので、直前まで知らなかったのは旭だけだったのかもしれないと感じた。


 舞台ではカーテンコールが行われていて劇場内のボルテージは最絶頂だった。こんな中で舞台に上がるなんて恐ろしくてしょうがなくて旭の足は次第にガクガクと震えてきた。


「案ずるな風の神子よ、皆がいる」


 サクヤの心強い一言に勇気づけられると、足の震えは止んだ。旭は背筋を伸ばして花束を手に司会進行の指示で仲間達と共に舞台に躍り出た。


 風の精霊役の男性はとても背が高く、旭が背伸びをして花束を渡したその時、観客からどよめきが起きた。


 何事かとキョロキョロすると、カトリーヌが兄に熱い抱擁をして頬にキスをしていたので、旭はあんぐりと口を開けて仰天してしまった。よく見たら彼女の目から一筋の光る物があった。


 この状況で兄は一体どんな対応をするのか旭が息を呑んで見守っていると、カトリーヌの背中に手を回してトントンと叩いてからサッと離れて握手をするという大人の対応をした。忘れがちだが兄は先代の風の神子代表だったので、スマートな立ち振る舞いを叩き込まれているのだ。


 こうしてカトリーヌの里帰り舞台は大成功を収め、その夜、劇場関係者との慰労会が行われた。旭はサクヤと菫と共にカトリーヌを探したが、姿は無かった。


「もしや風の神子代行といるのではないか?」


「まさか、花束贈呈でのキスで焼け木杭に火がついた感じ?」


「それはどうか分からぬが、カトリーヌが代行に抱き着いた時に『大事な話があるから控え室で待っている』と耳打ちしていた」


 大事な話とは一体何なのか、3人は真相を探るべくカトリーヌの控え室へと向かい、団子状になってこっそりドアを開けて部屋を覗き込むと、トキワの背中が見えた。


「…もう時効だよ。あのチケット贈ったの香だろ?ありがとな」


 意味深な言葉を残してトキワが部屋を出ようとしたので慌てて旭達は立ち去ろうとしたが、バランスを崩してその場で雪崩れ込んでしまい見つかってしまった。


「覗き見とは良い度胸だな」


「ち、違う!声がしたからちょうどドアを開けようとしてたの!ね?」


 苦しい旭の言い訳に菫とサクヤも頷く。しかしトキワは疑いの眼差しを向けたまましゃがみ込んで妹達と視線を合わせた。


「何処まで聞いたか知らないけれど、ここで見聞きした事を誰かに漏らしたら全員頭を丸刈りにするからな?」


 まるで冗談のような脅し文句を本気の目で告げると、兄はその場から離れて行った。体勢を立て直した旭は部屋に残っていたカトリーヌと目が合ったので愛想笑いを浮かべてお辞儀をした。


「もしかしてトキワの子供?」


「い、いえ!妹です!」


 元々歳が離れている上に、旭が小柄で幼いのでごく稀に親子と間違えられるのだが、不本意だった旭は首を何度も振った。


「そうなんだ。そっくりね」


「よく言われます…」


 極上の美人に声を掛けられて旭がもじもじしていると、菫が真相を探れと言いたげに肘で突くので手で払いつつ実行する事にした。


「あの…兄とは一体どういう関係なんですか⁉︎もしかして、初恋の相手だったりして…」


 核心に迫った旭の発言に菫とサクヤもじっとカトリーヌの反応を待った。


「あはは!あいつが初恋とか有り得ない!あいつは…そうね、永遠のライバルかな?」


「ライバル…?」


 予想外の返答に旭は素っ頓狂な声で繰り返し、言葉の意味を考えるが、よく分からなかった。


「昔から私の方が可愛いのに、あいつばかりチヤホヤされてたから敵対視してたの」


「じゃあ何で花束贈呈の時にキスしたの?しかも泣いてましたよね?」


 菫の疑問に旭も何度も頷く。好きじゃない相手と、ましてや敵対視してる相手とキスするなんて少女達には考えられなかったのだ。


「そんなの場を盛り上げる為と、あいつを困らせてやりたかったからよ。それなのに冷静に対応しやがって…口にすれば良かったかしら」


 美しい見た目に反してカトリーヌは中々の曲者のようだ。もし兄の唇が奪われていたらどんな事態が起きていたのか、旭の頭の中は修羅場新聞案件でいっぱいだった。


「とにかくお互い恋愛感情は一切無いから。じゃあ私パーティーに戻るね」


 そう言い残してカトリーヌは颯爽と慰労会の会場へと消えていった。旭は2人の恋は自分達が勝手に憶測して盛り上がっていただけだったのかと思いつつも、それが彼らの真意なのかは図りかねて、しばらくの間、菫とのティータイムの話題として盛り上がるのだった。

 


 


登場人物メモ

カトリーヌ

29歳 髪色 灰 目の色 赤 風属性

 劇団エトワールのトップ女優。トキワの同級生。恵まれた容姿と高い演技力と歌唱力で大人気。本名は香。

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