120 ドキドキしています
「旭…」
名前を呼ばれた旭は顔を顰めてからうっすらと目を開けたが、視界は真っ暗闇に包まれていて、自身の姿さえ確認する事が出来なかった。
「誰なの?」
若い男性の声だと思われるが、全く聞き覚えがなかったので、首を傾げる。
「そもそもここはどこ?私結婚式の途中だったんだけど…まさか幸せ過ぎて死んじゃったの⁉︎」
ここが死後の世界だといわれたら信じてしまう位真っ暗闇で旭が恐怖に体を震わせたら、場違いに複数の笑い声が響いた。
「君は生きている。怖がらせて悪かった。だが少しだけ話を聞いて欲しい」
酷く優しい声色とともに闇から浮かび上がった人物に旭は目を見張った。髪の色が以前見た写真と違い黒いが、彼は母の弟…つまり旭の叔父にあたる先代の闇の神子イザナだった。
「なにも結婚式の途中でなくても…誓いのキスもまだだったのに!」
「すまない、融合分裂を終えたこの瞬間しかチャンスがなかったんだ」
「もう、手短にお願いします」
申し訳なさげな叔父の姿に祖父の顔が重なって、旭は無碍に断る事ができなかったので、渋々要求を受け入れることにした。
「すまない」
そしてイザナに続く様に次々と青年達が姿を現した。彼らについては見覚えがなかったが、イザナ以外全員左耳に黒い水晶のピアスが着けていたので、もしかしたら歴代の闇の神子なのかもしれないと推定した。
「旭、サクヤを愛してくれてありがとう。これで闇の神子の悲願が達成された」
「悲願?」
「僕達闇の神子はいつも最愛の人と結ばれず、短い生涯を繰り返して来た。だけどそれも僕で最後になった」
叔父は母に恋焦がれて恋敗れたし、先々代も幼馴染の祖母に秘めたる恋心を持ったまま死んでいったことは知っていた。しかし全ての闇の神子がそうだったなんて旭は思いもしなかった。
「あなた達に頼まれたわけじゃなく、自分の意思でサクちゃんと結婚したので、勝手に感謝されても困ります」
「それはそう勿論だが…だとしても伝えられずにはいられなかった。僕達にとってサクヤは同じ魂を受け継いできた存在というより、子供に近いんだ。だからこそ幸せを深く願っている」
「私の世界で一番大切な人の幸せを願い、喜んでくれてありがとうございます。これからも私に任せてください!」
愛の無い出生だったサクヤを憐れみ涙した日もあったが、どうやらとんでもない思い違いだったようだ。彼は生まれた時からずっとこんなにも沢山の人に愛されていたのだ。旭はそれが嬉しくて胸が熱くなった。
「さて、そろそろ解放してくれます?じゃなきゃサクちゃんが泣いているかも!」
恐らく自分は今結婚式の途中で昏睡状態に陥っているはずだ。きっと向こうは大騒動になっているだろう。旭の指摘に闇の神子達は気不味そうに笑って頷いた。
「君の言う通りだ。申し訳ない。ありがとう、そしてさようなら旭。サクヤと幸せに…」
***
叔父の言葉を最後に視界が再び暗闇に包まれ、旭が瞼を閉じて開いた瞬間、眼前に焦燥の表情を浮かべたサクヤの顔が視界いっぱいに映った。
「あさちゃん…よかった…」
「へへへ、心配させてごめんね」
安心させる様に笑ってみせると、サクヤに力強く抱き締められて旭は不謹慎だけど嬉しくなる。
「私どの位気を失ってたの?」
「5分は経過してないはずだ。すまなかった。闇属性がどれだけ相手の負担になるかしっかり考慮すれば、融合分裂などさせなかったのに…完全に浮かれていた己が憎い」
先程の叔父の言葉から察するに、闇属性の水晶を持つものが融合分裂を行った前例は無い。サクヤはそれを悔いているようだ。
「全然大丈夫だよ!今日はちょっと貧血気味だったから倒れただけ!皆さんもお騒がせしました!」
真実を語るのは後日でいいだろうと判断した旭は結婚式の再開を促して、サクヤに支えてもらいながら立ち上がり、誓いのキスの準備として大きく息を吸った。
***
その後結婚式はつつがなく行われた。参列者に見守られ2人は微笑ましい誓いのキスを交わして夫婦として認められた。投げたブーケは菫がゲットした。これでアラタとの結婚も確実なものとなっただろう。
村人へのお披露目も大盛り上がりで、大勢からの祝福に旭はサクヤと笑顔で応えた。遠目からではあるが、彼の生みの母親と異父弟妹も祝福に駆けつけてくれていたのを発見して、サクヤは彼女達に存在を肯定してもらえた様な気がして胸が温かくなった。
精霊の間で行われたパーティーでは好物は勿論、2人でよく作っていた思い出のハンバーグが巨大サイズで用意された。ケーキは料理長の力作だった。
気の置ける家族と仲間達と過ごす時間はあっという間に過ぎて日も暮れて解散となった。旭とサクヤは夫婦関係の書類を神殿内の役場に提出してから、一旦それぞれの部屋へと戻って行った。
「遂にこの時が来たわね…」
紫に手伝って貰いながら風呂場で体を磨き、髪の毛の手入れを済ませて、ひと段落した旭は真新しいベッドの上で一人正座していた。
これから起きるであろう事を想像して顔を熱くさせていると、ドアがノックされて飛び上がってしまう。
「我だ」
「は、はい!」
サクヤの声に旭はいそいそとドアを開けた。夜着姿のサクヤは先日の義姉のアドバイス通り掛け布団を持参して現れた。
「今宵から世話になる」
「こ、こちらこそ…」
お互いぎこちなくなってしまい部屋に沈黙が走る。未だ新しい関係性に照れが残っているのだ。
「寝台に上がってもいいか?」
「どうぞどうぞ!」
肩を並べてベッドに腰掛けたら、胸の鼓動が聞こえてしまっているのではないかと旭は気が気でなかった。そんな気持ちを知ってか知らないでか、サクヤは持ってきた掛け布団を脇に置いてから、旭の肩を抱いた。
「閨を共にする前に…じつは今まで黙っていた事がある」
“閨”という単語に旭は身を固くさせながらも、旭は彼が何を黙っていたのか、そちらの方が気になってしまった。悪い事ではないように祈りながら耳を傾ける。
「今まで我々は口付けの際に息を止めていたが、そんな事しなくとも鼻で息をすれば問題ないのだ」
「えっ…そうなの⁉︎」
それは旭にとって青天の霹靂だった。しかし考えたらその通りだ。口で息できないのならば、鼻で息をすればいい。単純な話だ。
「なんで教えてくれなかったのよー!」
「すまない。自分勝手な言い訳だが、息を止めて口付けに挑む其方が愛おしくて…つい教えるのが惜しくなっていた」
愛おしいなんて言われたら、怒る気も失せてしまう。だがこのまま許すのもなんだか悔しいので、旭は指を組んでサクヤを上目遣いで見つめてから、そっと目を閉じた。
「だったら本当のキスを教えて」
「っ…臨むところだ」
勝気な言葉とは裏腹に緊張で声を上擦らせたサクヤは恐る恐る唇で旭の柔らかい唇に優しく触れた後に、抱き寄せて食らいつく様に口付けた。
初めての強引で情熱的なキスに旭はうっとりと目を細め、唇が離れた瞬間に甘い吐息をついて催促する様にサクヤの首に抱き着き、これからの長い夜を予感した。
『サクヤ!旭!』
突然名前を呼ばれて旭は心臓が飛び上がりそうになった。この部屋にはサクヤと二人っきりのはずだ。一体どういう事だ。
不安げにサクヤを見ると、苦笑を浮かべて視線を床に移したので旭も見遣れば、ハッハッとパッティングさせてつぶらな瞳をキラキラと輝かせた闇の精霊ディアボロスの姿があった。
『今日からみんなでおやすみだね!』
ご機嫌にサクヤと旭の間に割って入る様にベッドに飛び上がるディアボロスは可愛いが、旭の頭の中は一つの疑問が占領していた。
「私、ディアちゃんの言葉が分かるんだけど⁉︎」
耳から伝わるのはいつもの犬の鳴き声なのに、頭に響くのは人間の言葉だった。混乱する旭にサクヤは口元に手を当てて考察する。
「恐らくは融合分裂の影響だろう」
「なるほど」
「明日にでも水の神子と炎の神子に確認しよう」
『えへへ!これからたくさんお話ししようね!』
嬉しそうにこちらの頬をペロペロと舐めてくるディアボロスに先程までの緊張感が薄れていき、旭とサクヤは顔を見合わせて声を出して笑ってから、その夜はディアボロスと川の字で眠りに就いた。