12 久しぶりの外出です 前編
「それじゃ、よろしくねー!」
笑顔で手を振る旭の左手には精霊との契約の証である紋章が消えていた。
「せいぜい楽しんできな」
自身の胸板に紋章が浮かび上がったのを確認してからはだけさせたシャツのボタンを留めながら顰め面を浮かべるのは風の神子代行のトキワだ。
「お兄ちゃんて何で契約の証を胸に付けるの?てか何で毎回服を脱ぐの?筋肉自慢?」
顔も良いのに長身で筋肉質で引き締まった美しい肉体まで持ち合わせているなんて、兄はどこまでズルいのかと旭は世の中の不公平を恨んだが、性格がねじ曲がっている事で均等が取れているのかもしれないと結論づけた。
「先々代が胸に付けたから仕方ないだろう。位置がズレると収まりが悪いんだよ。いいから早く歩け」
通常営業の兄の不機嫌顔も、兄妹で神殿関係者の出入り口に向かい待っていた息子達の顔を見ると、少しだけ表情が和らいでいた。
「クオン、セツナ、お母さんの言う事をよく聞けよ」
しゃがんで息子達の頭を優しく撫でるトキワの父親ぶりに、旭はもしや兄は二重人格なのではないかと疑った。
「じゃあ行ってくるね」
「ん」
一方で自分の妻に対しては素っ気ない兄にもどかしさを感じつつも、自分は甘えようと旭は義姉に抱き付いて胸に顔を埋めて頬擦りした。
「はあ、お義姉ちゃんのマシュマロおっぱい最高…」
「さっさと乗れ!」
「ぎゃん!」
しかし旭は兄に引き剥がされて乱暴に馬車に放り込まれてしまった。
馬車の中には既に両親が待機していた。今日は両親と義姉、そして甥っ子達とお出掛けなのだ。
クオンとセツナも父親に抱き上げられて馬車に乗り込んで来た。そして最後に命が乗り込んでいざ出発となった。
「風の神子!」
「サクちゃん?」
馬車が動き出す直前に許嫁の声が聞こえたので、旭は馬車の窓から顔を出して姿を確認した。どうやらお見送りに来てくれたらしい。サクヤは馬車の窓に手を掛けて飛び付いてきた。
「必ず無事に帰って来るのだぞ」
「うん、お土産いっぱい買って来るからね」
叶う事ならばサクヤと一緒に行きたかったが、闇の神子はサクヤしか存在しないので証を一時的に預かる神子がいないので不可能だった。
旭は胸元の翼の形をしたシルバーペンダントを手にしてサクヤにそっと近づけた。許嫁の意図に気付いたサクヤもペアのペンダントを近づけ2つの翼を繋げてハートの形にした。
「離れていても心はひとつだよ?」
「ああ…」
「黙れバカップル!早く行け!」
2人だけの世界をぶち壊す様にトキワはサクヤを馬車から引き剥がしてから、馭者に目配せをして出発を促した。
「サクちゃーん!」
「風の神子!」
馬車の窓から身を乗り出し最後に見た許嫁の姿は、兄に引き摺られながら神殿へと入っていく姿だった。恐らくは兄のストレスの捌け口として厳しい特訓を受けるだろうと想像すると気の毒に思えて、旭はペンダントの翼のトップをギュッと抱きしめて許嫁の身を案じた。
「サクちゃん…」
「旭姉ちゃん、元気出して」
許嫁を心配して項垂れる旭をクオンは背中を撫でて慰めてあげた。心優しい甥っ子に旭は次第に元気を取り戻して行った。
「素敵なペンダントだね」
「ありがとうお義姉ちゃん、サクちゃんから誕生日プレゼントに貰ったんだ」
褒めてくれた義姉に旭は嬉しそうに宝物のペンダントを見せびらかした。
「お義姉ちゃんはお兄ちゃんに誕生日プレゼントとか貰わないの?」
「今年はお鍋を貰ったよ。前のが焦げ付いて使い物にならなくなってたからね」
まさかの日用品という現状に兄夫婦は完全に愛が冷めてしまっているのではないかと危惧して旭は顔を引き攣らせた。
「夫自慢なら負けないぞ。私は誕生日にトキオさんから靴を買ってもらった。今日は場所が場所だから履いてきていないがな」
「今度デートする時に履いてくれると嬉しいな」
「勿論だとも」
どこをどう聞いたら夫自慢になるのか理解できなかったが、母は父から靴を買ってもらったと嬉しそうに報告した。そしてこっちの夫婦は相変わらずラブラブの様で、娘として旭は安心した。
「それにしても楽しみだなー!牧場って初めて行く!」
今日の旭達の目的地は北の集落にある酪農牧場だ。義姉の妹の嫁ぎ先で、数年前に土の神子の援助を得て事業拡大して今では乳製品の製造販売と、ちょっとした酪農体験が出来るようになっているそうだ。
「でもお兄ちゃんには悪い事したかな?くーちゃんとせっちゃんと牧場行きたかったよね…」
自分の代わりに神殿で留守番をする兄に対して旭は罪悪感を覚えたが、義姉は笑顔で首を振った。
「大丈夫、2週間前に家族で行ったから」
「え?じゃあ今月はもう2回目なの⁉︎」
「うん、本当は私達も神殿で留守番しようと思ってたけど、クオンもセツナも凄く気に入っちゃってまた行きたいって言うからついて来ちゃった」
まさか義姉と甥っ子達がリピーターとは思わなかった旭は目を丸くさせた。しかしこれなら兄に気兼ねなく牧場を楽しめるかもしれない。
「クオンとセツナは我々に任せて夫婦で休んでおけばよかったのに」
「ありがとうございます、でもクオンはまだ大人しい方だけど、セツナがとにかく走り回るので…お義父さんとお義母さんに任せるのは気の毒です」
義母の気遣いに命は感謝して、膝に乗っている当の問題児であるセツナを後ろから抱きしめた。
「ぼく、おうまさんにのりたいなー」
「じゃあ今日はおじいちゃんと一緒に乗ろうな」
「やったー!」
天真爛漫なセツナに一同は癒されつつ牧場を目指していると、馬車が急停車した。何かトラブルが起きた様だ。
「魔物が出て来ました。急ぎ対処します」
馭者が魔物との遭遇を報告した。村の各集落では自警団が魔物や野生動物達を倒し牽制して近寄らせない様にしているので、魔物除けの結界を施していないのだが、偶にこうして事情を知らない魔物や野生動物達が村に侵入するのだ。
「私も手伝います」
馭者に助太刀しようと命がセツナを膝から下ろして腰を上げたが、楓が制止した。
「ここは私達に任せろ。命ちゃんは子供達を守ってくれ。トキオさん、旭、行くぞ」
「え!私も⁉︎」
まさか母から指名が来ると思わなかった旭は思わず声を上げた。神子の自分はかけがえの無い守られるべき存在だと思っていたから尚の事だ。
「旭は戦わなくていいから馬車に結界を張ってくれ」
父なら庇ってくれると思ったのに、仕事を割り当てられたので、旭は仕方なく馬車を降りた。
「大丈夫旭ちゃん?私が結界を張ろうか?」
「うん、ありがとうお義姉ちゃん!」
唯一心配してくれた義姉に旭は感激して何度か頷くと、お言葉に甘えて義姉と交代した。そして子供達と
馭者席側の窓から外の様子を見守った。
魔物は成人男性程の大きさの魔狼の群れで旭が視認しただけで5匹はいた。
まずは命が馬車全体に結界を張った。そしてトキオと楓は馭者を下がらせてから夫婦2人で炎を操り、襲いかかって来た魔狼達を一瞬で焼き払って灰にした。
旭は両親の圧倒的な強さに目を見張った。忘れがちだが、母は先代の炎の神子で炎属性最強の魔術の使い手だと現炎の神子の叔母から聞いた事があった。そして元々魔力が高かったらしい同じく炎属性の父は母と融合分裂により魔力が上乗せされた結果、神子と同レベルの魔力である事も忘れていた。
「じいちゃんとばあちゃんカッコいいー!」
「すごーい!」
祖父母の活躍にクオンとセツナは目を輝かせていたので、旭は両親が誇らしくて胸を張った。
移動を再開した馬車の中ではクオンとセツナが祖父母を褒めちぎっていた。やはり炎属性は派手さがあると思いながら旭は地味な風属性を恨んだ。
「でも何で父さんと旭姉ちゃんは炎属性じゃないの?普通親の属性を受け継ぐ物だよね?」
クオンの素朴な疑問は旭も昔幼稚園で同じ事を言われて泣きながら両親に問い詰めた事があった。それまでは兄も風属性なので気にした事が無かったのだ。
「私の父が風属性だったからトキワと旭は風属性なんだ。世の中にはおじいちゃんやおばあちゃんから属性を受け継ぐ子供もいるんだよ」
「そうなんだ」
「ああ、だから親と属性が違う子がいても捨て子や貰われっ子とか言って揶揄ったらダメだよ」
「はーい」
「まあ、不義の子の可能性もあるがな」
ボソリと小さな声で呟く母の性格の悪さに心底この夫婦は何故結婚してしかもラブラブなのかと旭は疑問が溢れたが、考えても無駄なので窓から久々の外の風景を楽しみながら牧場を目指した。
登場人物メモ
楓 かえで
45歳 髪色 銀 目の色 赤 炎属性
旭の母。先代の炎の神子。家事全般が出来ず、働いたら負けだと思っているが、一応内職として魔石を精製している。