117 なんとしても勝って欲しいんです
「うふふ、勝負アリね」
「くっ…」
訓練場の地面に伏したサクヤは向けられた双剣の切っ先を悔しそうに睨みつけた。
事の発端は武闘会で敗北して以来自粛していたキスをいい加減解禁して欲しいという旭からの訴えから始まった。
反故にしてもいいのかもしれないが、サクヤのプライドがそれを許さなかった。しかし結婚式間近で神殿内は武闘会を開催する余裕は無く、リベンジ出来ない。
仕方ないので旭が提案したサクヤが武闘会で対戦して負けた相手に再戦を申し込んで勝つという事でお茶を濁す事になった。
幸い対戦相手はヒナタの母親の祈だったので約束が取り付けやすく、快く引き受けて貰えた。
しかし勝てなければ意味がないのだ。朝から手合わせに付き合って貰っているが、一度も彼女の膝が地につく事はなかった。サクヤは歯噛みながら立ち上がり、黙って剣を構えて再戦を望んだ。
「サクちゃん頑張ってー!」
許嫁からの声援にサクヤは勇気づけられる。自分の意地に付き合わせている彼女の為にもこの戦いに勝たなくてはならない。
「妹の義妹は妹同然…可愛い妹の幸せの為ならここはわざと負けてあげる方がいいんだろうけど…それじゃダメよね?」
確認のような挑発をする祈にサクヤは剣を握る力を強める。
「無論だ。我は勝って風の神子との約束を果たす!」
祈との再戦が決まる前からサクヤはトキワやヒナタに頼み込み対策をしてきていた。しかしまるで隙がなく、打つ手が無かった。まさか2人が嘘を教えたのだろうか?否、それはないと頭で打ち消してからサクヤは地面を蹴った。
「いやー風の神子、うちの母がすみませんねえ」
苦笑混じりに謝罪するヒナタに旭は首を振った。むしろこちらのわがままに付き合って貰っているのだから、恨むのはお門違いである。
「サクちゃんって弱いのかな…」
「そんな事ありません。うちのカイリと同じ位強いですよ。今はまだ体が出来上がっていないから不安定な所もありますが、あと2、3年したら目まぐるしく成長すると思います」
「カイリ君てどの位強いの?」
「クラスのトーナメントマッチで断トツ優勝する位です。あの時のカイリはカッコ良かったなあ…俺わざわざ仕事休んで応援に行ったんですよ!」
ブラコンヒナタの太鼓判に励まされた旭は引き続き声援を送る。それにしても戦民族とはいえ、自分の身の回りにこんなにも実力者が揃っているとは思いもしなかった。
「祈さんはヒナタさんが知る中で何番目に強いの?」
「うーん…3番目位かな。俺自身母に勝った事は数える程しかありません」
「まさかそこまでの猛者だったなんて…こんな事ならお義姉ちゃんに祈さんの代理をお願いすれば良かった」
姉妹なら似たようなものだと誤魔化す手段になったと旭は己の選択を悔やむが、ヒナタはケラケラと笑い声を立てた。
「確かにちーちゃんになら勝てそうですね。ただ怪我でもさせたら、トキちゃんに復讐されちゃうデメリットがあります」
「大人気ないなあ…」
「まあ俺は本気出したトキちゃんと戦うの割と好きなんで、ちーちゃんとは偶に相手して貰ってます。勿論極力怪我はさせないようにしてますけど」
「お兄ちゃんよりレイトさんの方が強い印象だけどな」
「剣だけなら父の方が少し上ですが、魔術込みだとトキちゃんが圧倒的に強いんですよ。あの強風による妨害をいかに乗り切るかが今後の課題です」
「はあ…」
目を輝かせて語るヒナタ…どうやらかなりの戦闘狂のようだ。だが本気の兄がどれ程の強さなのか旭は見るだけなら少しだけ興味があった。
旭がヒナタと雑談に花を咲かせている内に、またもサクヤは敗れてしまった。悔しそうに地面を叩くサクヤに旭は胸が締め付けられる。
「ふう、ちょっと休憩にしましょう」
祈の提案にサクヤは大人しく頷いたので、旭はいそいそとサクヤに駆け寄ってタオルを渡した。
「サクちゃんお疲れ様」
「……」
無言でタオルを受け取ったサクヤは大きく溜息を吐いた。
「許嫁に醜態ばかり晒して…情けないな…」
「醜態じゃないし情けなくもない!だって私の為に戦ってくれているんだもん。サクちゃんは自慢の許嫁なんだから!」
「ありがとう、風の神子」
絶対的な味方がいるだけで、これ程までに己の承認欲求を満たすとはサクヤは思いせず、感動すら覚えたが、その優しさに甘えてばかりはいけない。休憩中も祈に質問攻めして対策を練った。
休憩中にカイリとマリーローズが大きなランチバスケットを持ってやって来たので、そのままお昼ご飯となった。
「あ、カイリ君、調理学校合格おめでとう!」
「ありがとうございます!いやあ、嬉しいけど来週からいなくなっちゃうかと思うと寂しくてしょうがないんです!」
いつものように代わりにお礼を言ってヒナタは弟が可愛くてしょうがないといった表情でお辞儀したカイリの頭を撫で回す。
「奨学金を利用しなかったみたいだけど、在学中でも申請出来るから、学費に困ったら利用してね」
「それには及びませんよ。家族みんなで冒険者ギルドの依頼をバンバン受けて稼いできましたから!こないだも家族でガーゴイルの大群を討伐して来ました!」
「久々の家族で遠出だったから、パパ張り切っていたわよねー」
「つまり家族旅行が魔物退治という事か…末恐ろしい一家だな」
立場上旅行には行った事がないが、少なくとも魔物退治をする行事ではない事くらいサクヤは分かっていたので、彼らの異質さに慄いた。
「美味しい!このお弁当カイリ君が作ったの?」
気を取り直して旭は用意して貰ったスモークチキンとチーズのサンドイッチを絶賛したら、カイリはコクリと頷いた。
「…今日はマリー先生にも手伝ってもらいました」
いつもなら頷くだけなのに、補足したカイリに旭は彼と少し仲良くなれた気がして嬉しくなった。
「手伝うといってもレタスをちぎったり、バスケットに詰めたり簡単な事だけですけどね」
気まずそうに事実を述べるマリーローズにヒナタは屈託なく笑った。
「どれどれ、マリーがちぎったレタスはこれかな?うん、美味い!」
「もうヒナタったら、からかわないでください!」
まるでカップルのようなやり取りにマリーローズに想いを寄せているカイリの心境は穏やかではないだろうと、旭がこっそり表情を盗み見ると、どこか諦めた様な顔をしていて胸が痛んだ。
「ああ、マリーちゃん可愛い…うちのお嫁さんに欲しいわ」
家族が男ばかりなので、マリーローズの存在は祈にとって癒しだった。なので常日頃彼女が家族になればいいのにと夢見ていた。
「またその話かよ。口を開けば嫁はまだか、孫の顔が見たい…そんなにばあちゃんになりたいのかよ?」
「ママはヒナとカイの将来が心配なの!ヒナは誰に似たんだか彼女と長続きしないし、カイは人付き合いが苦手だし!」
「余計なお世話だよ」
母の軽率な発言にヒナタはうんざりとした様子でため息を吐いた。どうやら彼らの間で定番の話題らしい。
「祈さんのお気持ちは嬉しいですが、私は村の子供達の教育に生涯を捧げたいと思っています」
志が高いのは素晴らしいが、彼女の人生それでいいのだろうか?旭はモヤモヤするも問い掛ける事が出来ずにいた。
「その心意気や良し。と思うが、マリーローズ先生自身が幸せでないと子供達を幸せに導く事が出来ないと我は思う。無論独り身でいる事が不幸と決めつけるつもりはないが、自分の心に嘘をつく様な真似だけはしないでくれ。もし困った時は我々がついている。それだけは忘れないで欲しい」
自分の野望の為に村に来て貰ったマリーローズには幸せになって欲しい。そんな思いを口にしたサクヤにマリーローズは目を丸くさせたが、次第に表情が和らいでいった。
「塾長…そうですよね、子供達に未来の可能性を広げようとしながら、自分自身は狭めるのは矛盾してますよね。ありがとうございます」
「じゃあマリーちゃん、その気になったらいつでもお嫁に来てね!養子でも歓迎よ!」
祈はいたくマリーローズが気に入っているらしい。彼女の人柄を考えたらそうなるのは自然かもしれないし、旭も同じ気持ちではあった。
「あ!そうだ。今日サクヤ様が私に勝てなかったら、旭ちゃんにもお嫁に来てもらおうかなー?」
「ええ!?」
突拍子の無い祈の提案に旭は驚嘆した。もし嫁ぐとしたら、カイリと結婚する事になるのだろうか?一瞬想像してしまったが、首をブンブンと振って拒絶する。
「いやいやお断りします!私はサクちゃんと結婚する為に生まれて来たんですから!サクちゃんも嫌だよね?」
「無論嫌に決まっている。だからこそ我らこの戦いに勝たなくてはならない!」
婚約破棄を賭けた戦いを阻止すべく、旭がサクヤに縋り付くが、彼の赤い瞳は闘志に燃えていた。
「そうじゃないのに…」
キスどころか婚約破棄になるなんて…泣きっ面に蜂の旭は助けを求める様に周囲を見渡すが、同情の眼差しを向けられるだけだった。
「まあまあ風の神子。闇の神子が勝てば良い話ですから」
言うのは簡単だが、頑固なサクヤの事だ。もし勝てなかったら本当に婚約破棄をするかもしれない。こうなったらサクヤに絶対勝ってもらうしかない。引き続き旭は応援に力を入れるしかなかった。
婚約破棄の条件が加わってから、サクヤの動きに鋭さが増した。鬼気迫る攻撃に祈は舌舐めずりをして嬉々として迎え撃った。
「うおおおおっ!」
そして日が傾きタイムリミットが近付いて来たサクヤが獣の様に吠え、全てを懸けた一撃を浴びせると、ついに祈が力負けして膝を突いた。
「やった…サクちゃんが勝った!」
歓声を上げて旭はサクヤの元へ一目散に駆け寄って抱きついた。汗に塗れ熱を持った体から満身創痍を感じ取り、労る様に彼の背中を撫でた。
「…参りました。ふう、素晴らしい一撃だったわ。愛の力は偉大ね!」
カイリに支えてもらいながら立ち上がり、祈は負けを認めサクヤを称える。負けたと言いながらもまだ余裕がありそうだ。
「これで大手を振ってイチャつけますね!早速チューしちゃったらどうですか?」
「うひひ、そうしちゃおう!」
囃立てるヒナタに旭は満更でもない様子でサクヤに視線を合わせたが、違和感に気づいた。
「あれ…サクちゃん?嘘!目を開けたまま気絶してる⁉︎」
心臓の鼓動は動いているので死んではいないはずだが、完全に意識を手放してしまっているサクヤに旭は青ざめた。
慌ててヒナタにサクヤを担いでもらい、光の神子に診て貰ったが、疲れて眠っているだけと判断された。
「そんなぁ…折角キスが解禁になったのに…」
神官達によって身なりを整えられた状態でベッドで寝息をたてているサクヤを恨めしげに見て旭は悲嘆の息を吐く。
「でもまあ…私の為にありがとうね。大好きだよ」
今日一日頑張ってくれたサクヤに旭は最大の感謝を告げると、早速彼の血の気のない唇にそっと口付けた。