110 最悪の事態です
まさかサクヤの体は魔王に乗っ取られたというのだろうか?そんなの認めたくない。旭は震えながらサクヤの次の言葉を待った。
「お前ケイオスか?」
勇者からの問い掛けに普段絶対に見せない下品な笑い声と共にサクヤは肯定した。これにより旭の不安は的中してしまった。
「そもそも何故俺が人間の女の子達と仲良くしていたと思う?」
巷で有名な魔王の悪行であるうら若き乙女の貞操を奪う行為に意味があったらしい。勇者エアハルトは忌々しげに魔王ケイオスを睨みつけた。
「女の子とイチャイチャするのは勿論だけど、俺の子供を産んで貰って、最高の魔力を持つ器を手に入れる為でもあったのさ」
「なんて悪趣味な…!」
これまで幾度となく下賤な野望の為に犠牲になった女性達を見てきたエアハルトは強い憤りを覚えた。
「つまりこれまでの器は僕の子供達だった。勿論この器もだ」
胸に手を当てて口角を上げる魔王の姿に旭は目の前が真っ黒になってしまいそうだった。彼の言う事が真実ならば、サクヤの生みの父親は魔王という事になる。
「今から20年位前かな?僕は人間にも関わらず無限の魔力と、闇属性の魔術を操れる闇の神子という存在を知った。当時は死去により不在だったけれど、闇の神子は必ず水鏡族として生まれてくると聞いて、闇の神子を器にする作戦を思いついた」
そんな昔から魔王が闇の神子を狙っていたなんて旭は想像出来なかった。
「以来、水鏡族の女の子に狙いを定めていたんだけど、流石戦民族というべきか…ガードが硬くってね、中々仲良くなれなかった。そんな中唯一ヤれたのがこの器の母親だ」
あの時見たサクヤの母親から想像も出来ない過去に旭は頭の中が沸騰してしまいそうだった。そして本当に愛のない出生だったのが悔しかった。
「でも1人目で闇の神子が生まれてくれて良かったよ!あの後目を付けた水鏡族のメイドが全然靡いてくれなかったからね」
そんな事で、その姿でサクヤが生まれた事に感謝してもらいたくなかった。旭は魔王に対して強い憎しみを覚えた。
「予想通りこの器は今までで一番良い。体はまだ出来上がってないけど、こっちで仕上げればいい話だし。あまり女の子にモテそうな顔じゃないのが欠点だけど、長年培ったテクがあるから大丈夫か」
世界で一番大好きな許嫁の容姿を貶されて我慢の限界だった。このままサクヤがいなくなるなんて考えられない。旭は大きく息を吸った。
「サクちゃん!こんな奴に負けないで!目を覚まして!」
声を張り上げて許嫁を呼ぶが反応がない。焦燥感を募らせながら旭は諦めず声を掛ける。
「来年私と結婚するんだよ!ずっと、ずっと一緒にいたいの!だから早く帰って来て!サクちゃん!」
悲痛な叫びは門前広場に響くだけで、サクヤは戻ってこない。代わりに魔王がケタケタと声を立てる。
「無駄だよ。僕に乗っ取られた人間で帰って来れたのは1人もいない。それでも一緒にいたいならお嫁さんにしてあげてもいいよ?まあ浮気は沢山するけどね」
もうサクヤに会えない。絶望に打ちひしがれた旭は全身の力が抜けて頽れた。しっかりしろと活を入れる兄の声も耳に入らず、我を失った旭の感情に同調した風の精霊達が周囲を舞い、次第に強力な旋風を生み出した。
「落ち着け、旭!」
トキワは風を操り相殺させようと試みたが、打ち消すまでに至らない。
「サクちゃん…サクちゃん…」
ポロポロと涙を溢しながら、旭は止めどなくサクヤを呼ぶ。このまま会えなくなるなんて絶対嫌だ。例え声が枯れようとも叫び続けた。
「返して、サクちゃんを返してっ!」
「無駄だって…うっ…」
慟哭する旭を魔王は嘲っていたが、急に胸を押さえて蹲った。サクヤの体が魔王の力に耐えられなかったのか、旭は不安で半狂乱になる。
「まさか…この俺に抵抗する力が残っているというのか…⁉︎」
サクヤはまだ生きている。旭は一筋の希望を見出して気を持ち直した。そして引き続き、サクヤに届くように呼び続けた。
「嘘だ…っ…そんな…うぐっ…」
苦悶の表情で魔王は黒い物体を吐き出すと、地面に倒れてしまった。
「サクちゃん!」
居ても立っても居られず、旭はサクヤに駆け寄った。ディアボロスも後を追った。
「しっかりしてサクちゃん!目を覚まして!」
必死に肩を揺すり呼び起こす。ディアボロスもキャンキャンと鳴いて加勢する。
「風の神子…ディアボロス…」
この声は絶対サクヤだと、旭は歓喜しておもむろに起き上がるサクヤを支える。
「どうしてこんな事に…」
サクヤが吐き出したのは魔王だったらしい。ドロドロと地面を這い、想定外の出来事に嘆いている。
「僕達が何も考えずにお前に挑むと思ったか?兼ねてから僕はサクヤ君がお前の遺伝子を引き継いでいる事に気付いていた。本人に事実を話したのはつい最近だけど、既に光の神子と対策も考えていた」
自分が知らない所でそんな作戦が練られていたなんて、旭は驚愕しつつも、最近のサクヤの多忙だった理由だったのかと納得した。
「サクヤ君には僕と光の神子、そしてジル…3人の光属性の加護を宿した腕輪を着けてお前の力を弱めさせた」
言われてみれば、サクヤの両腕には見覚えの無い大きな宝石が埋め込まれた腕輪が光っていた。宝石に少しヒビが入っているのは役目を果たした後だからだろう。
「だとしてもこの俺がこんな子供に負けるわけなんてない…」
「確かに我1人の力では其方を退ける事は不可能だっただろう。しかし我には多くの仲間と家族がいる!」
魔物を撃退した神子と神官、勇者一行…そしてサクヤの中にいる歴代の闇の神子の記憶の存在が魔王に反撃出来た。旭もそう確信している。
「まあいいや…俺の子供は闇の神子以外にもいるわけだし。じゃ、またね」
分が悪いと判断した魔王が撤退しようと、ドロ状の体から紫色のガスを発した。しかし、光に包まれた結界が魔王を包み込んで阻止された。
「に、逃しませんよ!」
勇者達が時間稼ぎをしている間に聖女が魔王を閉じ込める為の結界の準備をしていたようだ。
「残念だったな、14年前と違って今回はジルがいる。そして僕達も力を付けている!」
いつの間にか勇者は眩しいくらいに光り輝いた聖剣を振り上げていた。
「さらばだ魔王ケイオス!」
「そんなっ…バカな…」
完全に動きを奪われた魔王は勇者が振り下ろした聖剣により、魔核が破壊されてあっけなく灰と化した。そして聖女により魔王の灰は浄化されて、光を纏い消えて行った。
「終わった…」
長い沈黙の後、エアハルトが放った一言は魔王が死滅した事を意味した。長きにわたる宿命から解き放たれたエアハルトは力無く地面に座り込んだ。ジュリエットもへたり込んでいる。
「やったな!ハル!」
そんなエアハルトを一番に祝福したのは共に旅を続けていたテリーだった。彼の言葉でエアハルトもようやく旅の終わりを実感出来て、堰を切ったように涙を流した。
「もしかして私達、歴史的瞬間を目撃しちゃったのかな?」
旭がボソリと呟けば、隣でディアボロスを抱っこしているサクヤが小さく頷いた。