108 勇者様に嫉妬してしまいます
なんとか今年も風属性の会合が終わった。魔物の襲撃が頻発しているし、中止になる可能性もあったが、勇者一行の滞在が大きな後ろ盾となり、無事開催となった。
最近は戦闘訓練に重きを置いている為、ピアノの練習があまり出来なかったが、なんとか形となり、来てくれた村人達に喜んで貰えて良かったと、旭は達成感に頬を緩めた。
「素晴らしい演奏だった」
「サクちゃん!」
勇者と共に花束を持って控え室に現れたサクヤに旭は明るい声で駆け寄る。彼の優しい言葉は他の誰よりも元気にさせてくれる。
「いやー本当、旭たんは多才なんだね」
「お褒めいただき光栄です」
今後は勇者様のお墨付きと宣伝してもいいかもしれないと旭がおどければ、周囲に笑い声が溢れる。
「もう少し共に過ごしたい所だが、我は勇者殿との修行がある故、これにて失礼する」
「えーっ!またぁ?」
先月からずっとサクヤは修行と名してエアハルトとばかり行動を共にしている。お陰で2人の時間が無くなった旭は不満を口にする。
「すまない、この埋め合わせはいずれする」
「うぅ…今回はギュッとしてくれたら許してあげる」
両手を広げて要求したら、サクヤは迷わず抱き締める。思いの外強いサクヤの腕の力に旭は驚きながらも、圧迫された胸の苦しさに例えようも無い甘さを感じた。
名残惜しげに離れていくサクヤに、旭は寂しさで涙が出そうになるが、唇を噛み締めて手を振り見送った。
「サクちゃん…」
毎日一度、僅かな時間を見つけて会いに来てくれているが、全然足りなかった。こんなに近くにいるはずなのに、旭はサクヤを遠くに感じていた。
「もう、サクちゃんったら勇者様勇者様ばっかり!もっと構って欲しいよー!」
「ウダウダうるさい。暇なら自主トレでもしろ」
ソファで両隣に息子を座らせて、妻お手製のプリンを膝に乗せた娘に食べさせながら、トキワは妹を冷たく突き落とす。
イチャイチャしやがってと腹の中で毒づきながら、義姉が旭の分も用意してくれたので、プリンを食べる事にした。プリンの甘さが緊張から解放された心身に沁み渡り、しばし恍惚状態になる。
「勇者様が来てから、サクちゃんずっと一緒にいるんだよね。前来た時も懐いてたし…ハッ!」
カラメルソースのほろ苦さを舌で感じたと同時に、旭は1つの結論に辿り着き、指を鳴らした。
「もしかしてサクちゃんのパパって…勇者様⁉︎」
名推理だと言いたげにしたり顔をする旭に対して、兄夫婦は困惑していたが、気づくこともなく捲し立てる。
「絶対そうだよ!勇者様くらい魔力が多かったら、闇の神子が生まれる可能性も高そうだし、打倒魔王を目指す立場だから家庭を持てなくて、サクちゃんの事を陰ながら見守ってたんだよ!そして魔王を討伐した暁には自分が父親だって名乗るつもりなんだよ!」
興奮気味な妹にトキワは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるも、真偽が気になっている様子の息子達の視線に気づき、面倒くさそうに口を開いた。
「勇者はサクヤの父親じゃない。サクヤの名誉の為にこれだけはハッキリ言っておく」
「そんなぁ…」
確信のある兄の口調に旭は不満だったが、理由に耳を傾ける。
「俺が勇者と初めて出会ったのは15か16歳の時で、その時点でサクヤは既に神殿いた」
「お兄ちゃんと出会う前に拾われただけじゃ、理由にならないよ!」
膨れっ面で批判する妹にトキワはまあ聞けと手のひらを見せて話を続ける。
「勇者は若い女に耐性が全く無くて、目が合うだけで腑抜けて、触っただけで倒れるような奴だったんだよ。今でこそ克服して女の多いパーティーだけど、当時は男だけだった」
流石に触れずに子を成すのは難しい話だ。旭は勇者の過去に意外性を感じずにはいられなかった。
「だったら、何であんなに仲良しなんだろう?サクちゃん私といる時よりも楽しそう…」
誰よりもサクヤを見てきたから、自分といる時よりもサクヤの表情が明るい事に旭は気付いていた。勇者に恋愛感情を持っている訳ではないと思うが、こちらが入り込む隙が無かった。
「うーん、サクヤ様にとって勇者様はたまに顔を出す親戚のお兄さん的なポジションなんじゃないかな?神殿の外の世界についてたくさん話を聞いたり、珍しい魔道具を見せてもらったり、興味が尽きないんだよ。うちの子達も勇者様に構ってもらうの好きみたいだし」
「むぅ…」
確かに勇者の話は新鮮で、持ち物も珍しくて楽しい。義姉の考察に旭は腑に落ちたが、不満が消えない。
「じゃあ旭ちゃんも聖女様と仲良くしてみるのはどう?」
「聖女様はおばあちゃんがつきっきりで光魔術教えてるから忙しいの」
「テリーさんに弓を教えてもらうのは?」
「1回見てもらったけど、アザミさんとロベリアさんの殺気が凄くて、集中出来なかった。ていうか、結局サクちゃんで空いた穴はサクちゃんで埋めるしかないんだよね…」
色々提案してくれた義姉には悪いが、サクヤに構って貰えないから寂しいのだ。
「そっか、サクヤ様じゃなきゃダメなんだね」
これ以上解決策が見つからなかった命は、義妹の気持ちに寄り添うように抱き締めようとしたが、先程のサクヤとの抱擁が上書きになってしまうのではないかと危惧して、小さく華奢な手を両手で包み込むだけにした。
義姉の気遣いに旭は冷えた心が少しだけ温まったが、それでも満たされる事はなかった。
夕暮れも近付き、兄家族が帰るというので、暇を持て余している旭は門前広場まで見送る事にした。
「待って、何かおかしい」
兄に制止されて歩みを止めて、旭は前方の広場を埋め尽くす魔犬達に目を見開いた。これまでも度々魔物の襲撃があったが、これ程大量の魔物と遭遇するのは初めてだった。
「子供達と神殿に戻って、ばあちゃん達に伝えてきて」
門番達が奮闘しているが、数が多過ぎる。救援を呼ぶ余裕も無さそうだったので、兄の判断は正しいと言える。旭は一つの頷き義姉と共に下がろうとしたが、兄に襟首を掴まれ阻止された。
「旭は残れ」
「そんなあ…」
戦力にしてもらえるのは認めている証拠だろうけど、この量を相手にする自信がなかった旭は悲鳴に似た声を上げる。
「僕も残って父さん達と戦う!」
「クオンとセツナはお母さんと螢を守ってくれ」
襲い掛かってくる魔犬達を魔術で弾きながら、トキワは長男を説得する。クオンは不本意な様子だったが、引き下がり弟と顔を見合わせると、母と妹を守りながら神殿内へと避難した。家族の避難を確認したトキワは瞬時に魔物除けの結界を張った。
「数だけの雑魚ばかりだ。怯まず戦え」
「うう…分かった…」
「まずは神官達の救出だ。彼らがこちらに移動出来る様に道を作る」
「はーい…」
「あくまでも俺達は勇者達が来るまでの繋ぎだ。ヤバくなったら直ぐ下がるぞ」
兄妹で真空波を放ち魔犬達を切り裂き吹き飛ばし、神官達の退路を作る。無事神官達と合流出来たので、真空波の威力を上げて残りの魔犬達を始末した。
魔犬の群れを片付けた途端に次は格上のゴブリンの群れが門や塀から押し寄せてきた。まるでこちらの力を試すみたいで、旭は不快で眉間に皺を寄せて真空波で散らした。
しばらくして増援の神官と神子、そしてテリーとアザミ、ロベリアが到着した頃には襲撃してくる魔物は上位種で固められていた。
「旭大丈夫?」
増援に来た菫に声をかけられて、旭は頷き汗を拭う。銀髪持ちなので魔力は減らないが、戦闘による緊張感から体力は消耗していた。
「広場がぐちゃぐちゃだ…」
幾多にも及ぶ襲撃で門や塀は破壊されていて、もはや神殿と外の境界が分からなくなっていた。精霊と契約している神子が戦えば、見えない壁に阻まれて窮地に陥る可能性があるので、旭は攻撃から補助に専念する事にした。
魔物は止めどなく湧いて出る。旭達は長期戦に疲弊していた。
「勇者と聖女はまだなのか⁉︎」
「現在勇者と聖女は光の神子と闇の神子と共に最終調整を行なっている。申し訳ないが、あと少し耐えてくれ!」
満身創痍の神官の嘆きにテリーは申し訳なさそうに事情を説明する。サクヤがそんな大役を背負っていたなんて知らなかった旭は自分の器量の無さに嫌悪した。
「風の神子、顔色が悪いですよ。ここは皆に任せて下がってください」
疲れが溜まっていた旭に声を掛けたのは見慣れない男性神官だった。新入りだろうか。
「そうね、そうした方がいいわ」
菫の進言で旭は考える事を止めて、伸ばされた神官の手を取った。
しかしその瞬間、旭は神官の胸に引き寄せられて拘束されてしまった。
「旭っ!何?何なのあなた⁉︎」
突然の狼藉に声が出ない旭の代わりに菫が非難した。神官はクツクツと喉を震わせた後に金髪碧眼に姿を変えた。
「ハハハ!俺は世間から魔王と呼ばれている存在だよ!初めまして、可愛いお姫様」
自らの素性を明かした魔王は、旭を拘束したまま宙へと浮かび、口を弧にして因縁の水鏡族達を見下ろした。