102 ※残酷な描写あり 悲しい出来事です
精霊王達からの預言以来、上位の魔物が神殿を襲撃する頻度が激増した。旭も最近になってようやく許可がおりて戦闘に参加する機会があったが、前線には出してもらえず、遠方から敵の動きを鈍らせる魔術でフォローをした。獰猛な魔物に神官達は苦戦したり、負傷者も出ていた。
そんな日々が続く中で、ついに死者が出てしまった。炎の神子に使える若い男性の神官で、旭も図書館で見かけた事があった。
旭が一報を受けたのは、暦にピアノのレッスンを受けていた時だ。直属の神官を亡くした暦は動揺で顔を青くさせて、その場に蹲ってしまった。そんな叔母を旭は寄り添って背中を撫でてあげる事しか出来なかった。
しばらくして血相を変えたミナトがやって来て、暦を抱き上げて自室のベッドまで運んでくれた。普段淡白な夫婦仲を自虐していたが、ちゃんと愛で繋がっているようだと、旭はどこかホッとしていた。
当然ピアノのレッスンは中止となり、旭は迎えに来てくれた雫と共に風の神子の間に戻った。
「魔物は倒されたの?」
「はい、運良く…というのは大変不謹慎ですが、本日ヒナタくんのお祖父様の葬儀が行われてまして、彼と彼のお父様が居合わせてましたので、助太刀して下さり、オーガキングは無事討伐されました」
「流石だな…でも、大変な時に苦労させちゃったね」
故人を悼み、思い出に浸りたかったであろうヒナタ達に同情し、旭は雫が用意してくれた紅茶を啜った。
「風の神子、無事か?」
明日の葬儀に向けて民族衣装を選んでいると、サクヤが様子を見に来てくれた。
「私は大丈夫だよ。戦闘に参加してないし」
「それは既知ではあるが…その…神官が亡くなって気落ちしていると思っていた」
「ああ…ありがとうサクちゃん。そうだね、特別親しかった訳じゃないけど、顔見知りだし、暦ちゃんの大切な人だからショックなんだけど…なんか実感が湧かないんだ」
旭は神官が亡くなった情報と、動揺した暦でしか彼の死に関わっておらず、この目で亡骸を見たわけでもないので、現実味を感じる事が出来なかった。
「風の神子の意見も尤もだが、辛くなったらいつでも我を呼んでくれ」
「うん、サクちゃんもだからね」
サクヤだって身近な人との死別の経験は少ないはずだ。だからこそお互いに支えて乗り越えるべきである。
葬儀の衣装を決めた後、旭はサクヤと中庭のバラ園に向かい、庭師に相談して供花を用意して貰ってから、現場である門前広場に足を運んだ。
「あ、闇の神子と風の神子。お疲れ様です」
広場ではヒナタが警備をしていた。オーガキングとの戦闘後からずっといるのか、一張羅の民族衣装は一部が破れたり、返り血を浴びている。
「此度のオーガキングの撃退、誠に感謝している。御父上にもよろしく伝えてくれ」
「ありがとうございます。まあ、俺としてはあいつの敵討ちみたいな気持ちもあったんですけどね」
「ヒナタさんは亡くなった神官と親しかったの?」
「はい、警備当番が一緒だった時に歳が近かったのもあって、意気投合しました」
いつも太陽の様に明るいヒナタも、流石に陰りのある表情を浮かべていたので、旭は胸が苦しくなる。
「神官ヒナタよ、我の方から代理の神官を手配するが故、もう休め。昨夜はまともに寝ていないのだろう?」
本来ヒナタは祖父の葬儀で忌引きを取っていたので、サクヤが指摘すると、大丈夫だと無理矢理笑った。
「いえ、今回亡くなったのは父方の祖父なんですけど…父は9人兄弟の末っ子で、従兄弟だけで50人近くいて、控え室に入りきれないので、一旦家に帰ってガッツリ寝ましたよ」
「どひゃー!50人って…名前覚えられないよ!ヒナタさんの従兄弟と言えば、くーちゃん達しか思いつかなかったけど、そうだよね、パパの方の従兄弟もいるよね。私、従兄弟いないから気付かなかったや」
父は一人っ子だし、母の方も叔母の暦には子供がいないので、旭に従兄弟は存在しなかった。
「…祖父は83歳と老衰ですし、葬儀自体は賑やかでしたし、俺は大丈夫です。心配してくれてありがとうございます。交代が来たら、ちゃんと休みます」
「うむ、しっかり休養してから励んでくれたまえ」
休む事を受け入れたヒナタに旭とサクヤは安心する。そして簡易的に設置された献花台に百合の花を備えて、神官の冥福を祈った。
「しからば我は神官ヒナタの代理を依頼してくる」
「お手数おかけします」
「私はここで待ってるね」
サクヤが警備部に向かう後ろ姿を見送ってから、旭は改めて戦場となった門前広場を一望した。一部の塀は破壊され、補修の見積もりだろうか、神官と大工が打ち合わせをしていた。
「オーガキングて、どの位強かったんですか?」
また襲撃された場合、今度は被害者を出したくない。旭は情報を得る為にヒナタに問いかける。
「世間一般的にオーガキングの強さは普通のオーガの5体分の強さと言われています。まあ、とにかく力が強くて、それでいて動きは素早い。悔しいけど、オーガキングの討伐経験があった父がいなければ、勝てなかったと思います」
神殿内で指折りの実力を持つヒナタでさえそう言うのだから、オーガキングは相当手強いようだ。そしてレイトはその上を行くらしい。
「次は俺1人でも勝ってみせますよ!まあ次が無いのが一番ですけど」
「だよね、でもオーガか…確か人型の魔物なんだよね?あんな感じ?」
ちょうど前方から体格のいい鎧姿の3人組がやって来たので旭は指差す。見た所水鏡族の特徴から大きく逸脱しているので、観光客の様だ。
「そうそう!あんな感じ…て、あれオーガですよ!」
「うぇええ⁉︎」
噂をすればなんとやら、ヒナタの指摘に旭は声を裏返した。よく見れば本で見たオーガの姿絵と一致している気もする。周囲にいた一部の村人達もオーガに気付いて、直ちに距離を取って戦闘態勢に入った。
「風の神子は下がって、余裕があれば結界を張ってください。俺は増援が来るまでアイツらを引き付けておきます」
「り…了解です!気をつけて下さいね!」
指示に従う事にした旭は神殿の入り口まで後退りして、戦闘に参加しない村人達の避難を確認してから、こちらに被害が及ばない様に結界を張った。
そして余裕があったので、オーガ達に動きを鈍くさせる魔術を仕掛けた。
ヒナタは左耳のピアスを片手剣と盾の形に象ってオーガ達へと挑む。もう1人の警備担当の神官も果敢に双剣を構えていた。
旭も弓を構えて臨戦態勢を取る。オーガの魔核はヘソにあると以前学んでいたので、そこを狙おうとするも、鎧を纏っているので一撃での破壊は不可能だろう。
「ヒナちゃんが競り勝った瞬間にオーガの目を射て」
「ふぇ、え?お兄ちゃん⁉︎」
突然降りかかった兄の声に旭は取り乱すも、アドバイスの通り、ヒナタに力負けしてよろめいたオーガの一瞬の隙を突いて、旭は風の矢を放った。
矢は見事目に命中して、怯むオーガの頸部をヒナタは剣で叩き切った。そして鎧を解いてヘソの魔核を潰せば、オーガは鎧を残して灰となり消えていった。
「ナイス風の神子!」
旭の援護を称えた後、ヒナタは残りのオーガの討伐へ向かう。旭は弓を下ろして、兄の声がした方に視線を移すと、先程壊れた塀の修繕の打ち合わせをしていた大工の服装と一致していた。
「あの大工さん、お兄ちゃんだったんだ」
「普通気付くだろ?」
「頭にタオル巻いてるから気付かなかった」
一番の特徴である銀髪が隠れている上に遠目からだったので旭は兄を認識する事が出来なかった。
「緊急招集が掛かって神殿に来たら、塀が壊れていたから、簡単に見積もって仕事貰おうと思ってたんだよ」
「商魂逞しいなあ…」
緊迫した場面でもマイペースな兄に旭は脱力してしまいながら、ヒナタ達の戦況を確認する。オーガは水鏡族の戦士達相手に押されている様子だったので、この調子なら勝てそうだ。
「なんでお兄ちゃん手伝わないの?」
「ヒナちゃん達なら勝てるから問題ない。大人数だと却って邪魔しちゃうし。それよりも増援が来た場合に備えた方がいいだろう」
これまでも魔物を倒した後に増援が来て、油断した旭はピンチに陥ったので、兄の言葉には説得力があった。
「なんと…これは一体…」
広場に戻ってきたサクヤは目の前のオーガ達に驚きを隠せない様子だったが、援護をすべくオーガ達に睡眠の魔術を掛けた。これにより動きが一層鈍くなり、ヒナタ達は隙を突いて戦闘不能へと持ち込んだ。
オーガ達の魔核を破壊して、ようやく落ち着いた所でヒナタは他の神官と交代して休憩となった。旭は彼を労う為に風の神子の間でお茶をご馳走する事にした。
「今回襲撃してきたオーガキングとさっきのオーガは俺が普段見かけるのと様子が違った」
勧められた紅茶を一口飲んでから飛び出したヒナタの不穏な言葉に旭は戸惑いを覚える。
「普通のオーガ達は動物の皮を着ていて、あんな頑丈な鎧を装備してない。あれは人間が作った物だ」
「自らが倒した人間の鎧を着ていたのでは?」
「闇の神子の考えはごもっともですが、オーガと同じ体格の人間なんて滅多にいません。それに鎧はオーガの体にぴったりだったので、アイツらの為に作られた鎧だと思います」
サクヤの問いに、ヒナタは自身の推測を披露する。果たして、魔物からの依頼で武具職人は鎧を作るのか?旭が腕を組んで悩んでいると、隣から舌打ちが聞こえてきた。
「なるほど復讐か。小さいヤツめ…恐らく鎧を作らせたのは、上位種の魔物の中でも、完全に人に扮して人の言葉が話せる…魔王だ」
「ま、魔王…⁉︎」
兄の結論に旭は驚愕に顔を強張らせた。魔物の長で世界に恐怖と不安をもたらす存在である魔王…復讐というと昔神子達が勇者と力を合わせて撃退された恨みといった所だろうか。
「つまり精霊王達の預言の戦いの時というのは、魔王との戦いという事か…難儀だな」
魔王の魔核を破壊できるのは勇者と聖女しかいないと云われている。つまり今の状況で魔王が攻めてきても、精々追い払う事しか出来ないのだ。
「しかも魔王が新しい体を手に入れていれてから、姿を特定出来ていない」
「つまり我々は見えない敵と戦っているというわけか…」
兄とサクヤの会話に旭は不安に顔を曇らせる。自分達がこんなにも大きな敵と戦う事になるなんて思いもせず、これ以上犠牲者が出ない事を願うしかなかった。
***
そして翌日、精霊の間では神子と神官が集まって亡くなった神官への葬いが行われた。現在、通常の葬儀を地下の斎場で遺族のみで行われており、暦が執り仕切っている。大切な神官を亡くして弱っているはずなのに、斎場へ向かう法衣姿の横顔は清く美しくて、旭は釘付けになってしまった。
沈痛な表情を浮かべる参列者達と共に旭は指を組み、犠牲となった神官の冥福を祈る。
葬儀が終わると、亡骸は神殿の最深部にある地底湖へと沈められる…所謂水葬である。故人に所縁のある者達は地底湖へ移動して最後の別れを行う。
「行こう」
顔見知り程度の自分が行っていいのか悩んでいると、兄が背中を押してくれた。意思を固めた旭は隣にいたサクヤの手を取り、地底湖へと向かった。
対面した亡骸はやはり見覚えのある顔だった。以前図書館で高い位置にある本を取ってくれたり、炎の神子の間ではお茶やお菓子の用意をしてくれたりと、旭の世界に確かに存在していたのだ。
それなのに彼はもういない。旭は胸を強く締め付けられ、込み上げてきた涙を袖で拭い、優しくて勇敢だった水鏡族の戦士に別れを告げた。