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違和感

 山を越えると、草木の匂いに混じって潮の香りがした。

 木々の間隔は次第にまばらになり、その隙間からは夕陽が漏れ出ている。

 どうやら日暮れまでには開けた場所にたどり着けそうだ。


 御者台の隣ではアンジェが大口を開けてなんとも気持ちよさそうに眠っている。

 俺がアンジェに弟子入りする事が決まってすぐ、後は任せたと言ってそのまま目を閉じた。

 食べて満腹になったから寝る。

 その行動原理はあまりにも欲望に忠実で、あまりにも野性的すぎるものだった。

 目の前でペースを緩める事なく荷台を引き続けている馬の方がいくらか理性的かもしれない。


「母上……私は……」


 アンジェのどうにも芝居がかった口調が気になっていたのだが、時折寝言で聞こえてくるこの丁寧な口調の方が素の様だ。

 やはりそれなりに身分のある家の生まれなのだろう。

 だからこそこの思考原理に違和感を覚えた。


 あれだけ腹が減っている状況でもパンを丁寧にちぎって口にしていた。

 その無意識的に染みついた動作からテーブルマナーを学んだことがあるのだと感じた。

 それだけにこの奔放な性格が矯正されていない事が不思議だ。

 普通なら真っ先に淑女らしくあれ、と正されるはずなのに。

 少なくとも俺が見てきた貴族は皆、子息子女のお転婆の矯正に手を焼いていた。


 この表面的な所作と内面の乖離。

 まるで最低限家の恥にならない程度の教育を受けさせて後は放置されていたかの様に思えるのは邪推が過ぎるだろうか?


 考えても仕方のない事を考え、思考にモヤがかかり始めたその時。

 急に視界が開けた。

 それと同時に主張を激しくする潮の香り。


 微かに波の音がする。

 音のする方向に目を向ける。

 水平線に沈む陽光に目を細めた。


 海を見るのはいつぶりだろう?

 眩しいのに目が離せない。


 この雄大な景色を前にしたら、さっきまで自分が考えていた事なんてとても些細な事だと思えた。


※ ※ ※ ※


 結局街道から少し逸れた草原に馬車を止めて、そこで休む事にした。


 さすがにそろそろアンジェには起きてもらう事にしよう。


 呼びかけるだけでは起きる気配がしなかったので、ぐでんと伸びきった上半身をゆすってみる事にした。

 ブカブカのローブを着ているせいで気が付かなかったが、ただ小さいだけではなくどこもかしこもが小枝の様に細い。

──ちょっとでも力の加減を間違えたら折れてしまいそうだな……


「ほらアンジェ、その姿勢のままだと体痛めるぞ」


「……えと? ボクは何してたんだっけ?」


「食ってそのまま寝てたな」


「君だれだっけ?」


「さっきアンジェに弟子入りしたタオだよ、寝ぼけてないでさっさと起きろ」


「あ~、そう言われればそうだったかもしれない?」


 ダメだ、まだ寝ぼけている。

 目はほとんど閉じたままだし、立ち上がって歩くその足元はおぼついていない。

──しばらくは使い物にならなさそうだな……


 アンジェのその大きな蒼い瞳が元の大きさを取り戻すまでの間、火を起こし、食事の準備を整え、簡素な寝床を拵える。

 

 チラチラと視界に入るアンジェを見てると、駆け出し冒険者だった頃を思い出す。

 あの頃は堅い干し肉を食べても、薄くて汚れ防止程度の役割しか果たさない寝具に横たわっても何故か心躍った。

 あの時みたいに全てが特別なものに感じられたら、冒険は楽しい事だって思えるのかもしれない。


 なんて物思いに沈んでも手は止まっていない。

 何度も繰り返した作業だ。多少暗くて辺りが見えなくても動きは体が覚えている。


「お腹減った……タオくん、これ食べてもいいの?」


「昼間に引くほど食べてなかったか?」


「それはそれ、これはこれ! だよ」


「まあちょっと多めに作ったから別にいいけどさ」


 作業の合間に火をかけた鍋がグツグツと煮立っている。そろそろ煮えた頃だろうか?

 王都を出る時に大きめの鉄鍋を衝動買いしたのが役に立つとは思わなかった。


「さすが! いや~弟子っていいもんだね!」


「今の所どっちかって言うと執事か召使いだと思うんだけどな……」


「……執事ではないかな。アイツらはもっと口うるさいからね」


「そんなもんか」


「まあそんな事いいじゃないか! ほら掛けたまえ、食事にしよう!」


「作ったの俺だけどな」


 苦笑いでアンジェの向かいに腰を下ろす。

 ほんの一瞬、アンジェの顔が歪んだ事については何も言わない事にした。

 触れたってどうしようもない事に無邪気を首を突っ込むほど素直な性格ではない。

 ああ……貴族との会食中に些細なことに無邪気に首を突っ込んだ時のあの空気の固まり方ときたら……


「ほら、師匠。かなり熱いから気を付けろよ」


「ん~、分かってないねタオくん。こんな少し肌寒い日にはこの熱いスープを熱いまま飲むのが一番美味しいんだか……あっっっつい!」


「そりゃそうなるだろうよ……」


 案の定火傷したのか手で顔を抑えて少し涙目になっている。

 呆れつつも水を手渡した。

 確かにこれは執事というより親か何かの役割な気がする。

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