優しさではなく
盗賊たちとひと悶着あったせいで失った時間を取り戻すべく、再び馬を走らせている。
さっきまでと違うのは隣に1人の少女が乗っている事。
アンジェと名乗ったその少女は先ほどからずっと口を動かし続けている。
この小さな体のどこにこの食料は消えて行っているのだろうか?
少なくとも既に二食分は平らげているはずなのだがそのペースは一向に落ちる気配がない。
それだけ急いで食べているはずなのだが、その姿からは何処か気品が感じられた。
ひょっとしたらそれなりに身分のある家の生まれなのかもしれない。
「そんなにガッつく程腹が減ってたのか?」
「……しょうがないだろ! ここ2日くらいロクな物食べてなかったんだから」
「家には帰らないのか?」
「ッツ……! ボクその事まだ言ってないはずなんだけど……もしや家からの刺客⁉」
「そんなんじゃないさ。英雄譚に憧れて親に反対されながらも家を飛び出した、アンジェと似たやつを知ってるからだよ」
そいつは数年後にこんな濁りきったやつになってしまったけど。
「それにしてもアンジェはまだ12とかそれくらいだろ? さすがに家出するにはまだ早くないか?」
「ボクは14歳だ! それに成人だってもうすぐなんだぞ!」
「……マジか。すまんどう見ても14歳には見えなかった」
「謝ってる様で更にバカにしてるよねそれ!」
思わず本音が漏れてしまったが、改めて見てもやはり14歳には見えなかった。
背も低いうえに、丸みがかった頬に大きな蒼い瞳が印象的な童顔な事も相まって余計に幼く見える。
「メリディ王国の王都に行くんだろ? そこまで歩きで行くつもりだったのか?」
「王都……? どうして?」
「え? どうしてって……アンジェみたいに英雄願望があるなら王都の冒険者ギルドに所属して冒険者として名を上げるんじゃないのか?」
「名を上げる……? それが英雄になる事なの?」
どうも話が噛み合わない。
俺とアンジェではどうやら英雄に対する価値観が大きく異なっている様な気がした。
「英雄になるにはやっぱり色んな人から慕われてないといけないと思うんだ」
「あ~、分かったよ。ボクと君との考えの違い。ボクは英雄って称号にあまり興味はないんだ。ボクはそう……物語の英雄みたいに冒険がしたい! まだ誰も知らない所、誰も見た事ない物が見たいんだよ!」
そう言い切るアンジェの目は真剣なものだった。
夢見がちな憧れだけに突き動かされていた何処かの誰かとはあまりにかけ離れていた。
「つまり、英雄になりたいって言うよりかは英雄の様な冒険がしたいって事なのか?」
「そうさ! 君だって一度くらい憧れた事はあるだろ?」
「まあ……そうだな」
ひたすらに幼いと思っていたアンジェはかなり芯の通った考えを持っているんだと気が付いた。
アンジェが憧れたのは英雄が冒険しているその姿であり、俺が憧れたのは英雄がする様な冒険だった。
アンジェは誰よりも純粋に冒険という行為そのものに魅力を感じているのだ。
その純度100%の憧れを強く魅力的だと思うと共に、ある種の危うさ、脆さを感じた。
俺が冒険者ギルドに所属したのは単純に冒険しながら金を稼いで生きていくためだ。
アンジェからはそう言った現実的な事柄に関する感心が一切見えてこない。
本当に憧れだけで動いているのか……
「冒険者にはならないのか? ほら、お金とか……必要だろ?」
「いざとなったら何とかなるさ! 今だって君のおかげで……ほら、お腹いっぱいさ」
いつの間にか食事を終えていた様で、アンジェはお腹をぽんぽんと叩きながら満足げな表情を浮かべた。
どうやら一日分の食料を全て平らげたらしい。
こちらの心配も知らずに何とまあ呑気な事だろうか。
「ソルティコの街まで言ったらその後はどうするんだ?」
「ん~、考えてないや! 気の向くままに冒険するだけさ」
「楽しそうだな……」
「当たり前さ!」
相変わらず屈託なくニカっと笑う。羨ましい程に。
どうかこのままでいて欲しいと強く思った。
思うだけじゃない。今の自分にはアンジェを助けになれるだけの力がある。
ただ……それがアンジェにとって本当に良い事なのか割り切れずにいた。
「う……あ……」
痺れが取れて意識が戻ってきたのか、荷台から盗賊のうめき声が聞こえてきた。
このまま意識が戻れば後ろでギャーギャー喚きだすだろう。
今はそんな騒音に構っている暇はない。
悪いがもうちょっと眠っててもらおう。
アンジェに気が付かれない様に手を後ろに回し、《麻痺》を再発動させた。
再びくぐもったうめき声が漏れると、そのまま静かになった。
彼らはきっと、背中を押してくれたんだろう。
この世の中には物語に出てくる様な分かりやすい善人と分かりやすい悪人はあまりいない。
もっと狡猾で、もっと卑劣な悪人だって多くいる。
昨年の大地震の影響もあって今は更に世界中が悪意で溢れている。
そんな彼らの手によってアンジェの純真さが汚されるのは嫌だった。
これが優しさではないのは自覚している。
単純に自分の様になって欲しくないという我儘、あるいは理想の押し付けだ。
アンジェを利用して自分が目指して挫折した道の先にあるのは素晴らしいものだったんだという確証が欲しいだけなのかもしれない。
だから俺はアンジェの目指す先を見守りたい。
取り返しのつく失敗ならまだいい。
取り返しのつかない事件に巻き込まれない様にひっそりと見守っていきたい。
「なあ、ソルティコの街でこいつらを引き渡したら俺もアンジェの冒険についていってもいいか?」
「え……なんで?」
「俺もアンジェと同じで行く当てのない冒険……みたいな事をしていてさ。アンジェについていけばアンジェみたいに冒険を楽しめるんじゃないかって思ってたからかな」
「つまりはボクに弟子入りして冒険のイロハを教わりたいと! そういう事かい!?」
「弟子……か。まあ間違ってはいないのか……?」
「君が弟子って事はボクが師匠……? アンジェ師匠……師匠……うんいいじゃないか!」
師匠、という言葉が琴線に触れたのかアンジェがその言葉を反芻する度に頬が緩んでいっている。
それに釣られたのか自分の口角も少し上がっている事に気が付いた。
自然なアンジェの表情とは違って、とてもぎこちないものだったが……
「よし、決めた! タオくん、ボクの弟子になる事を許可しよう! 改めてよろしく頼むよ!」
「ああ、こちらこそよろしく頼むよ。師匠!」
こうして俺は見習い魔法使いに弟子入りした。
願わくばアンジェの目指す先が、彼女の英雄譚が、ハッピーエンドで終わらんことを。