逃避行
馬車を御しながら見る街の様子は酷いものだった。
ここ数年、特に昨年の大地震の後からは治安維持の目的で王都中央にある貴族や王族の居住エリアの警備巡回ばかりしていた。
豪華で堅牢な石造りの屋敷と違い、今いる王都の端の方は移民が多く住み、急ごしらえの木造の脆い建物が多かった事もありそこかしこで地震の傷跡が見られる。
「こんな街の姿も見れていなかったんだな……」
王都から一度でも出ていれば気が付くはずのその様子を1年も経って初めて見た元冒険者がいるらしい。冒険者が聞いて呆れる。
俯いたまま街外れの関所まで馬車を走らせた。
それから20分程走らせてようやく北の関所を抜けて、王都から出る事ができた。
今更後ろを振り返る気もせず、そのまま道沿いに馬車を進めていく。
地震で往来が少なくなった影響か、街道の所々に雑草が生えていた。
王都を出て行く当てがあるわけではなかった。
反対されて半ば家出の様な形で出た故郷に戻れるはずもない。北に出たのは単純に南にある故郷と逆に行きたかったからだ。
北であれば今いるメリディ王国を出てリオネス王国にも行く事ができる。
その旅路の中でいい雰囲気の街があればそこに根を下ろそうと考えていた。
まだ知らない場所へと向かう、これは冒険か?
違う、これはただの逃避行だ。
のどかな景色を楽しむ気にもなれず、馬車全体に《加速》の魔法を使った。
みるみるうちに加速し、景色が流れていく。
得意魔法の1つであり、『英雄の再来』なんて言われる様になるキッカケの1つにもなった強化魔法を久しぶりに使用した。
その称号を嫌い半ば無意識的に避けていたその魔法を、景色を飛ばすためという言ってしまえば下らない理由で躊躇なく使えた事に少し驚いた。
いや、無意識的に避けていたその理由の方がくだらないか。
物語の英雄と同じ、実用性に欠けると言われた片刃の長剣を選んだのは自分なのに。
※ ※ ※
王都を出発してから2日が経った。
両脇の人の手が入ったのどかな風景はいつの間にか手つかずの自然へと姿を変えている。
昨日までは人に踏み固められた街道と呼べる道を走っていたのだが、今日走っている荒れ放題でもはや道と呼べるかどうかすら怪しい程だ。
今もこうして轍を頼りに探り探り進んでいる。
「目的地が無いとはいえ流石に道を間違えたかもしれないな……」
眼前に広がる山道を見ながらため息交じりに呟いた。
先ほどから急では無いものの昇り道が続いている。
そこまで高い山ではないが、山越えが大変な事に代わりはない。
日暮れまではまだ大分時間がある。
魔物が多く出る場所特有の瘴気があまり感じられないとは言え、天気の変わりやすい山中で夜を過ごす事は避けたい。
「少し無茶させるが行けるか?」
ここまでずっと荷台を引かせてきた馬の消耗具合が気になりはしたが、このまま今日中に山越えをする事を決断し再び《加速》の魔法を使用した。
スピードに比例して荷台の振動も大きくなっている。
普段はあまり馬車など使わなかったため既に臀部は悲鳴を上げ始めていた。
ひょっとすると皮がめくれているかもしれない。
別にそういう趣味があるわけではないが、その痛みのおかげで余計な事を考えずに済むのは少しありがたかった。
そんな痛みと格闘してる間に、いつの間にか山の中腹辺りまでたどり着いた。
陽は少し傾き始めた程度、この分なら日暮れまでに山を越せるか……?
等と山越えにかかる時間を計算し直していると不意に前方の茂みが揺れているのが目に入った。
その事に気が付くのと同時にその茂みの中から人影が飛び出してきた。
咄嗟に減速すべく手綱を引いた。
このままでは危ないと自分で判断した利口な馬の機転も相まって、何とか飛び出した人影の手前で停車する事ができた。
飛び出してきた人物の表情に驚きの色はない。
当然だ。それこそがその人物の目的だったのだから。
「運が無かったなお前さん。おい馬車は止めたぞ!」
鶏のトサカの様な髪形で右手に刃の欠けた剣を持つその男は、その剣を頭上に掲げ振り回した。
それが合図だったのか、その男の後ろから同じような服装を身に纏った一団が現れた。
どうやら盗賊に目をつけられたらしい。
「荷物全部置いてきな。大丈夫だ、こっから飲まず食わずでもソルティコにはたどり着けるだろうからなぁ!」
「そ、そうだ。別にお前の命まで奪おうってわけじゃねえんだ」
……何と言うかどうにも根っからの悪という感じはしない。
非情になり切れない今の言葉もそうだし、よく見ればちゃんとした装備を持っているのは前の2人だけで残りの数人が持っているのは鍬や鋤なんかの農具だ。
もしかしたらつい最近までは農民だったのかもしれない。
だからと言って今の行いが許されないものである事には変わらないが……
「なあ、他のやつにも同じ事してきたのか?」
「ああそうだな。ここに来た奴は漏れなく俺たちの餌食だ」
「それは困ったな……」
本当に困った。
これが初犯であるならば、説得して辞めさせる事もできたのかもしれないが既に事に及んでいるとなるとさすがに見逃す事はできない。
「ほら、お前に選択肢はねえんだよ! 早くその荷台を俺達に……」
「ちょーっと待ったぁぁああああ!!!」
盗賊たちの更にそのまた後ろから甲高い声が響いた。
その声がした斜面の上の方を見ると、青みがかった銀髪が特徴的な1人の少女が自分の背の丈程ある大きな杖を構えながら仁王立ちをしていた。
遠くの物は小さく見える事を差し引いても、さすがに少し小さすぎる様な……
「誰だこのチビは?」
「チビ言うな! やいやい善良な民を襲う不埒な盗賊どもめ! この大魔導士アンジェが相手になってやる!」
「……ガキの相手してる暇はねえんだよ! こいつの身ぐるみ剥いだら相手してやるからそこで大人しく待っとけ! おいお前らこの根暗そうなヒョロいのは俺達に任せてあのドチビを……」
「だからドチビ言うな! 舐めてると痛い目見るからね!《風刃》」
アンジェと名乗ったその少女が持っていたその杖はどうやら飾りではない様で、その言葉と共に振られた杖の軌道上から数舜の後、トサカ頭の男に向かって魔法が放たれた。
その風の刃は見事にその男を仕留め……る事はなく、頭のトサカだけを綺麗に刈り取った。
「あああああ俺の髪がぁぁぁああああ!!!!!」
「髪だけで済んだ事を感謝しやがれです! 他の奴らもこうなりたくなかったらさっさと投降しなさい!」
「調子乗るなよ……おいこの根暗そうなやつは後回しだ! まずはこのガキからやるぞ!」
なんかこいつらさっきから地味に俺の事を根暗だとか何だとかバカにしてないか?
自覚があるとは言えさすがに傷つく……