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Gray Scale StoriesⅡ  作者: ほむいき
8/9

白銀の翼8


「もう少し上だ!」


「ちょっと待て、これ以上持ち上げたらひっくり返る」


飛行機の翼の上。カーボンナノフラーレン製の外板を持ち上げていた。

部品を支えているのはヒュペリオンではなく補助機である。

既に後部の接地面が若干浮いているせいで、不安定な機体の操作にかなりの神経を使っていた。


「一旦置くか」


「いや、何とかする」


馬力をあげて、外板をさらに持ち上げる。傾きそうになる機体の上体を少し後ろに倒す。

やりすぎれば外板を抱えたままひっくり返ってしまう体勢だ。


「よし、接合するぞ」


慣れた手つきで翼を支えるストリンガーに固定していく。

高所での作業なのに、ジジイは安全帯一つ付けずにすいすいと歩く。

見てるこちらが不安になる動きだ。


「落ちるなよ」


「素人じゃねぇんだ。こんな簡単な作業でミスるわけがないだろ。

ほら、固定終わったぞ。さっさと次の持って来い」


外板の大きさは横二メートルと縦一メートルほど。上部に四枚。下部に同数。

両翼合わせて計十六枚分。発注通りの加工がされて届けられている。

接合にかかる時間は一枚につき三十分ほど。

最初に仮接続をして、外板の確認をした後に本接続。

一日中作業して、今日の分が何とか終わるペースだ。


既に届いているジジイ製作のエンジンの試運転を行う余裕はない。

明らかに二人では人手不足。だが、手助けを願える相手はいない。

ニゥやフィロードは日中働いているし、事情を知らない人間の手を借りることは出来ない。


「明日届くのは車輪と風防だったっか」


「そうだ。明後日にはコクピット内装が届く。その次の日には本体胴部の外板。

流石に詰め過ぎたかもしれないな」


「一週間で組み立てるってのが土台無理な話だったのかもな。

少しくらい遅れても仕方がないだろう」


出来るだけ早く組み立てたいが、焦って出来損ないを作ったのでは意味がない。

チャンスは一度きり。必ず青空に届いてみせる。


「それよりも飛び立つのはここからでいいのか」


「第百十八格納庫の直線は百メートル程度。とてもじゃないが加速が足りない。

滑走路は横につなぐつもりだ」


百番台格納庫区は縦長の構造が連なっている。

隣接する格納庫とは一部が隔壁で繋がっており、建造中の飛行機ならぎりぎり通れる広さ。

百十八番から百番までを横に抜けたとして得られるのは、およそ九百六十メートル強。

離陸するのには十分な長さがあるが、問題点はもう一つある。


隔壁の高さは約十メートル。

ぎりぎりまで浮上を抑えて、最後の隔壁を抜けた瞬間に上昇。

そんな曲芸じみた芸当は熟練のパイロットでも難しいだろう。


こと操縦に関しては素人の俺が取れる手段は二つ。

一つはタイタン内で低空飛行し、外界に出た瞬間に上昇する行動をプログラムを組む方法。

もう一つは、外界の荒れ地すらも走ることのできるタイヤを装備させる方法。

リスクはあるが、難易度は後者の方がはるかに低い。


ジジイに発注を頼んだ航空機用のタイヤは、砂漠だろうと岩場だろうと走ることができるよう設計した。

ヒュペリオンの移動用ローラー技術を基に、幾つか改造を加えたものだ。

理論上は、外界の大地を百メートル程度なら難なく移動できる。


「成程、考えていることはわかった。実現可能性も高いだろう」


「俺だって考えなしで計画を進めていたわけじゃないさ。

簡単な問題ならすべてクリアしている」


「となれば、本当に後は組み立てるだけか」


ジジイは話しながらも次々と手を進めていく。

初めての作業とは思えない程手際がいい。


「次の一枚を持って行くぞ」


梱包を乱雑にほどき、取り出した外板を補助機で持ち上げる。

翼の下部に当たる外板は、エンジンを接続するスペースが開けている。

胴体側の一枚を慎重に運び、骨組みに押さえつけた。


「エンジンを固定する前に止めていいのか」


「接続部だけは後で取り外しができる構造になってる。気にせず繋いでくれ」


「次が最後の一枚だな」


「そうだ。この接続が終わった後はエンジンの稼働確認をする。

ジジイは少し休んでいてくれ」


作業開始から五時間以上経っていた。

昼飯もとらず、休憩すらほとんどとらずに作業を続けてきたが、疲労は思っていたよりも少ない。

補助機での支持作業と、飛行機上で外板の固定作業を交互に行ってきたが、

流石にジジイの方は疲れが見えてきた。

どんな技術者も寄る年波には勝てないという事だ。


「まだまだ動ける。年寄り扱いするんじゃない」


「今日で作業が終わりなら無理してもらうんだけどな、明日も明後日も続くんだ。

体調でも崩されたら困る。病人だってことを忘れないでくれ」


「身体が動くせいだろうな。全く自覚は無いんだが、坊の言う通りか。

こいつが終わったら少し休憩させてもらう。弁当は確か向こうの机に置いていたな」


長丁場になるのはわかりきっていたことだ。

そのため注文弁当を昼と夜の二食分持ってきていた。

隅の方に並べてある机の上に、暖かい飲み物と一緒に二人分並べて置いてある。

格納庫内は少し寒い位冷えており、包まる様の毛布ももってきておいた。

動いていればさほど気になる温度ではないが、休憩時には少々堪える。


黒灰による病が寒さにどれほどの影響を受けるのかはわからないが、

暖かくしておく方がいくらかマシだろう。


「ボルトを渡してくれ」


「少し待ってくれ」


補助機の各部を固定し、万が一にも倒れないようにして操縦席から飛び降りた。

手近な箱の中にあったごついボルトをニ十程もって飛行機の翼の上を歩く。

外板がしっかりと固定してあるお陰で、随分と歩き易い。

ジジイが作業している上あたりに来ると、ロープを結んだ工具袋をゆっくりと降ろした。


「もう少し下だ!」


姿が見えなくても、どうすればいいかはわかる。

ロープを緩めていくと、急に強く引っ張られた。

数秒後には腕にかかっていた重りが無くなる。


「持ち上げるぞ」


「全部取った、もう十分だ」


空っぽの工具袋を回収して、補助機の操縦席に戻った。

ジジイが最後の一カ所を固定し終わったのを確認し、アームを離して数歩下がる。

胴部にかけられた梯子から降りたジジイは、散らばっていた椅子の一つに倒れ込むように座った。


「大丈夫か」


「なに、少し疲れただけだ。食欲もあまりなくてな、坊がいるんなら食べればいいぞ」


「いや、俺は一人分あれば十分だ。エンジンの稼働準備をしてくる」


ジジイが想定していたのは、奇しくもプロペラ機のエンジンだった。

それ故に、仮に取り付けようとするならば下手な改造は必要ない。

見た目は密閉型の寸胴部からシャフトが飛び出した単純な形。

プロペラがないため、一目にはエンジンとはわかりにくい。


燃料をエンジン内のタンクに注ぎ、強固な架台に固定した。

スターター用のバッテリーとデータ採取用のケーブルを接続し、十分に距離を取る。


「動かすぞ」


念の為離れた所にいるジジイに声をかけたが、椅子に座ったまま片手をあげるのみ。

どうやら思っていたよりも外板固定作業に疲れていたようだ。

少しばかり緊張しながら、手元のスイッチを入れた。


毎秒十回転からスタートし、端末上のデータを確認しながら次第に速度を上げていく。

シャフトのみのため負荷が少なく、順調に回転数を上げる。

限界値の秒速五十回転を越えると、格納庫全体が唸るような轟音が響く。

エンジンの振動が、タイタンそのものを揺らしているのではないかと錯覚するほど。


再度データを確認して、回転数を落とした。

あまり派手な実験をして目を付けられるわけにはいかない。

端末に送信されてきたエンジンのデータを一つずつ確認していく。


「凄いな」


高回転状態でも殆どブレない水平対向エンジン。

馬力は申し分なし。何年も眠っていたとは思えない程安定した稼働。

これがジジイの設計製作とは信じられない。


「ああ、そいつは俺が設計したわけじゃないからな」


心を読まれたのかと思うほど完璧なタイミングで、ジジイはエンジンについて教えてくれた。


「設計は長老だよ。信じられないかもしれないがな。あの人は統括区出身なんだよ。

現場で仕事がしたいからと、地位を捨ててわざわざ整備課に来た変わり者さ」


「あの人がこれを」


「開発データを見た時は驚いたね。正直、応えられる自身は無かった。

俺ができる範囲で組み上げたのがその二機だ。結局、お蔵入りになってたわけだが」


「ジジイはプロペラを作ろうとしなかったのか」


これだけ立派なエンジンがあれば、適当なプロペラであっても黒雲に挑むことは出来ただろう。

機体なんてものは飾りでしかないし、強度だけ得ればいいならそう難しいことじゃない。


「エンジンを遊びで作ったはいいものの、本気で空に挑む理由がなかったのさ。

ただなんとなく憧れていただけ。現実という重苦しい枷を引き千切るほどの強い意思は無かった。

お前と違ってな」


「別に俺だってそんな信念を持ってやってるとは言えねぇよ。

ただ、ガキの時からずっと考えてただけだ。

この息苦しくて汚れた灰色の世界でも美しいと思えるものが、もしもあるのなら。

あるのなら、この世界に生まれ育ったことを誇りに思えるってな」


「は、生意気言いやがる。で、どうするんだ」


ジジイはにやりと笑う。まるで俺の返答が分かっているかのように。

口に出すまでも無い。だけど、敢えて言葉にしなければならないと思った。

敬意と称賛込めて。


「こいつを取り付ける」


「だと思ったぜ。取り込んだプロペラデータの軸受けの径をこいつに合わせて変更する。

頼むのは二枚。納期は今週末。今から発注を出せばまだギリギリ間に合う」


「そうと分かればこいつを取り付けておこう」


補助機に乗り込んだ瞬間、格納庫の扉が開かれた。

そこに立っていたのは小柄な少年。随分焦っているのか、肩が揺らしながら息を切らしている。

フィロードは、こちらにむけて信じられない程大きな声を届かせた。


「二人とも!! 急いで移動車に乗り込んでください!!」


そのあまりに尋常じゃない様子に、俺とジジイは即座に行動に移した。

入り口の扉まで走り、外に止めてあった移動車に乗り込んだ。

すぐにフィロードも飛び乗ってきて扉を閉めた。


「いきなりどうしたんだ」


通常では考えられない速度で走り出す移動車に驚きつつも、

状況を訪ねるだけの余裕はあった。


「今日の夕方、既定の時間に整備課は全員集まるように案内があったんです。

全くいきなりの事で訳が分かりません。しかもなぜか個々人の連絡先にではなく、班長にだけ。

恐らくお二人はこちらにいると思ったので、何とか仕事を抜け出してきました」


見たことも無い速度で移動する移動車。

フィロードがいじくっている手元の端末に速度計のようなものがちらと見えた。

詳しくはわからなかったが、この速度異常は明らかにクラッキングによる強制加速。

既定の時間に間に合わせるため、フィロードが無理をしてくれているのだろう。


「それにしてもいきなりだな」


「強制招集なんて何年ぶりだろうか」


正確には覚えていないが、最後に集められたのはもう一年以上前だ。

班員の一人が整備課の備品を幾つも勝手に売り払って、私腹を肥やしていたことが原因だった。

統括区の治安維持課による強制調査が行われて、

結果さらに加えて何人かが減給と解雇の憂き目にあったはずだ。

痛い腹がなければ何も面倒な話ではないのだが、今はあまりにもタイミングが悪い。


「ジジイ、請求はどうなってるかわかるか」


「まだ上がってはいないはずだ。

緊急修理により今年度の補正予算に計上すると連絡してあるから、まだ請求は止まっている。

俺たちの計画がバレた可能性は限りなく低い」


「……まさか、整備課の経費で飛行機の必要部材を揃えたんですか」


批難するような口調が若干含まれていたのは気のせいではないだろう。

俺たちがどれだけ邪道なことを行っているのかはわかっている。

敢えて気づかないふりをして、淡々と答えた。


「有り金全部はたいたところで、外板の十パーセントも買えないさ」


「……それはそうですけど。随分と大胆な手段を取りましたね」


「すぐにはバレやしないさ。そうなる様に小細工をしているからな。

もし何かあった時は、俺が責任をとる。巻き込む様な間抜けなことはしないから安心してくれ」


「そんな心配はしていませんよ。僕としては、十分すぎる報酬を受け取っていますしね。

十分ほどでこの移動車は居住区に着くと思います。

僕は先に降りて第四班の方に行きますので、お二人はうまいこと言い訳をしてくださいね」


「面倒をかけたな」


フィロードがいなければ、強制招集に参加できずなかったはずだ。

最悪の場合は飛行機が見つかって、計画そのものがとん挫していただろう。


「後、もう一つだけ伝えておかないといけないことがあります。

レモン統括官は偽名です。統括区のデータベースで調べたのですが、見つかりませんでした」


「偽名を使う意味なんてあるのか」


「分かりません。が、彼女が受けた機械化手術。

統括区ではマキナリーと呼称しているみたいですが、彼女はその五人目の被験者で間違いないです」


「なぜ断言できる」


「三十人の被験者のうち、適合者は八人。その中で女性はたったの二人。十八歳と十六歳。

二人の一番大きな違いは身長です。登録上のデータだとニ十センチも違います。

僕はついさっき初めて彼女を見ましたが、十八歳の方で間違いないでしょう」


十八には見えなかったが、データとして残っているのであれば間違いないだろう。

口調や服装のせいか、もっと年上だと思っていた。


「彼女の本当の名前はレイノ・サルヴァ。

マキナリーを受けた後に与えられたコードは、レイノ・グリングラス。

グリングラスというのは、手術を受けた全員に共通してるみたいです。

その理由はわからなかったのですが……」


「グリングラス……聞いたことがない名前だ。少なくとも、タイタン工業エリアではな」


数十年間も工業エリアで暮らしているジジイが知らなければ、存在しない可能性は高い。

全人名を把握しているわけではないだろうが、そんな珍しい名前を見たことがあれば忘れはしない。


「身体機械化手術、つまりマキナリーを受けた後に別の名前で登録されているにもかかわらず、

僕らの前ではさらに偽名を名乗ったってわけだ。なんでそんな面倒なことを」


「それに関してはわかりません。統括区の研究データには何も載っていませんでした」


「なんにせよ、俺たちはそんな面倒な人間に目をつけられてるってことだ。

坊、手持ちの端末にあるデータは消しておこう。慎重すぎて困ることはない」


「そうだな。元データはどうせ格納庫の方にある」


「物が見つからない限りは、少々疑いをかけられても乗り切れると思います。

とにかく、お二人とも気を付けてください。それでは、僕はここで」


急停止した移動車から飛び降りたフィロードは、第四班の準備倉庫に向かって走っていった。

その背を見送る余裕もなく、普段通りの速度で動き出す車体。

ちょうど十分経って、整備課生活区の入り口にたどり着いた。

整備者から降りると、普段は人気のない公園に第三班の全員が集合している。

こうして改めてみると、結構な大所帯だということを再認識した。


「おせぇ、連絡もつながらねぇし何処にいたんだ、ああ?」


「すいません、今まで仕事してたのが手すきになって落ち着かなかったんでタイタンを回ってたんです。端末はバッテリーが切れてまして」


「二人とも連絡取れないってたんだが、そこのアホ面もか」


年下だとわかっているせいで強気に出たくなったのをぐっとこらえて、頭を下げた。

そんな些細なことで揉めれば、デメリットしかない。

短絡的な思考によって引き起こされたたったの一言や一動作は、持ちうる全てを失わせてしまう。


「すいません、僕も不注意で切らしてました」


「ふぅん……ま、別にいいけどな。これで第三班は全員揃ったな。

班長!確認しろ!」


「ええ、整備課第三班。総勢八十五名です」


班長の指示に従って、チームごとに並ぶ。

二人から七人までの最小単位とする整備課の基本グループ。

整備課第三班の全員がそろうのは何年ぶりだろうか。

見回していると、前方のチームの最後尾に挙動不審な姿が見えた。


後ろ姿でもはっきりとわかる。くたびれた作業着に、少し猫背な背中。

襟足は何度注意されても長いまま。

緊張しているのか、両手を握ったり開いたりしている。

どんな表情をしているのかはわからないが、あの後ろ姿は間違いなくニゥだ。


「私は統括区のレモン・アーティだ。

本日の強制徴収したのは、てめぇらの中につまらない疑惑が生まれているからだ。

簡潔に言う。タイタンの外に出ようと計画している奴がいる情報を掴んでいる。

その作業員の特定はもう時間の問題だ。言いたくはないが、罪が軽くなる。さっさと自首しろ」


静まり返っていた公園内がにわかに騒がしくなる。

関係がないと笑っている者、できるわけがないと馬鹿にしている者。

自身が無関係であると安堵した整備班員たちは、雑談に興じ始めた。


あの傍若無人の統括官がそれを快く思うわけがなく、横っ面をひっぱたくような破裂音が公園内を支配した。

全員が何が起こったのかを確認しようと会話をやめる。

整備班員たちの驚きは空気を介して伝わってきた。

俺の立ち位置からは何も見えないが、何が起きたのは想像に難くない。


一番前にいた班長の頬が張られたのだ。

ニゥのみっともない背中が、さらに大きく震えている。


「私はしばらくの間、隣の生活ブロックにいることになった。

この後、地図データは全員に送られる。情報を持っている奴がいたらいつでも来い。話は以上だ」


「全員、今日は解散だ」


班長の一言で、班員たちはそれぞれの方向に歩き出した。

仁王立ちをして腕を組みながら、品定めするかのように解散の様子を眺めている統括官。

その視界にできるだけ入らないように、かつ自然に部屋に向かった。

前を歩くジジイは、何事もなかったかのような平然な顔をしている。

肝の太さは整備課一だろう。

強張ってしまいそうな顔を無理やりほぐしながら、隣に並んだ。


「坊、帰ったら話がある」


「了解」


短い会話だけを交わして、部屋に向かう。

統括官に呼び止められることもなく、無事に戻ってこれた。

大きなため息をついて、リビングの椅子に全体重をかけてもたれる。

重圧から解放されて、背中に汗が浮かび上がっていた。


「だらしないな、あの程度の脅しで」


「つめられるのは慣れてないんだよ。ジジイと一緒にするな」


冷たい水が喉に染み入る。

コップ一杯分を一息で飲み込んで、お代わりを注いだ。


「油断するなよ、何らかの確信があるからあのお嬢ちゃんは居座るんだ。

小さな綻びから計画そのものが露呈すれば、二度とチャンスはない」


「わかってるよ。心配なのはニゥだ。あいつ、随分と震えてたぞ」


今この瞬間に統括官が部屋に入り込んできてない以上、下手なことをは言ってないのだろう。


「明日の組み立てをイメージしておけよ。作業時間を可能な限り短縮していく」


「完成まであと一週間弱。スリルが出てきやがったな。

さて、汗をかいたから俺は風呂に入ってくる。明日も早く出るだろ、さっさと寝ておきたい」


「そうだな。出てきたら声をかけてくれ。それまで俺は部屋でゆっくりしている」







搬入されてきたのは直径一メートル弱のタイヤが二つ一組。それよりも一回り小さいものが二組。

どれも輸送用に簡易梱包材が巻いてあるだけだ。

首脚と主脚に接続する六つ分。小型でありながら重量があり、人の手では転がすのがやっと。

電子決済にサインをすると、小型ドローンは入り口から出て行った。


人と人の受け渡しではないので、気楽で面倒がなくていい。

俺らみたいに後ろめたいものを運んでもらっているのなら尚更だ。


「梱包を外して持って来い」


「ちょっと待て、今準備しているところだ」


補助機を利用して持ち上げると、飛行機の下まで運ぶ。

ジジイが首脚に取り付けされている既存のタイヤを取り外し、

フロアジャッキを差し込んで固定する。


機体の前半部、コックピットの真下に位置する首脚に大型のタイヤを二つ取り付けた。

荒れ地すらも滑走できるような強靭なゴム製で、飛翔時には格納される。


両翼の胴部付け根付近から降りている主脚は二つ。

後輪を片方ずつ同じ手順で交換したのちに、両翼をジャッキで支えて機体を持ち上げる。

コックピットに乗り移り、タイヤを格納する動作を繰り返す。

以前に付けていたものよりも厚みはあったが、問題なく胴部に収納された。


「風防も交換するぞ」


「おう」


防弾防塵かつレベルスリーの耐久性能を誇るハードガラス。

タイタン外部を観測するために幾つか設けられている窓。

その全てに利用されている最高硬度のガラス。


半端な飛来物では傷一つつかない。

危険な外界を飛ぶためには必須な装備だ。


「既存の風貌は取り外した」


コックピット外部からガラス部分を取り外し、交換した。

固定していた桟を分解して新規ガラスを差し、挟み込んで止める。

補助機で持ち上げてきた風防を軽く固定していく。


「風防の固定はまだするな」


「なんで……ああ、そうか。電気配線系か」


人が乗り込むのに開閉が必要な風防は、

完全に固定してしまってから動かしてしまうと破損の可能性がある。

少しずつ開け閉めして動作を確認し、問題が見つからなかったので固定をした。


本日予定していた作業は、半日ですべて終わらせてしまった。

だが、それで終わりではない。余った時間で飛行機の稼働をより正確にテストすることができる

新しい部品を取り付けたのだから、その度に調整が必要になるのは当たり前だ。


「ジジイ、今日はどうするよ」


「その前に少し、やらなきゃいかんことがある」


「飛行機の調整以外にってことか」


「統括区のお嬢ちゃんが嗅ぎまわっているだろう。

少しでもリスクを下げておきたい。具体的には、百十八番格納庫から飛行機を移動させる」


「何処にだ。ここを知っているのは俺とジジイ、あとはニゥとフィロードだけだろ」


「二人を疑うわけじゃないが、統括区の人間はときにえげつない手段も使う。念の為にってことだ」


小型の機械ではない。通ることのできる道が、タイタン内部にどれだけあるだろうか。

隠す場所など早々見つかるはずもないし、移動させるのも簡単じゃない。

試験の度に響くエンジン音が人の耳に聞こえないような場所で、

外界まで飛び立つことのできる滑走路を有するエリア。


「隣だよ。百十七番格納庫。条件はこことほとんど同じで、運搬も簡単だ。

飛行機だけじゃなく、関連書籍もすべて移動させる」


「一日じゃ無理だろう。どれだけの量があると思ってるんだ」


「ある程度は棚ごと持っていくんだ。補助機があればそんなに時間は必要ない。

全くの空っぽにするんじゃなく、奴らがここに来た時に勘違いするようにしておく。

飛行機関係の模型と、使う予定のない部品はそのままだ」


「そんなもので騙されるものか」


「餌があれば飛びつくのが習性だ。時間稼ぎくらいにはなるだろうよ」


「わかった、その通りにしよう。格納庫間のハッチを開けてくれるか」


コックピットに乗り込んで、スタートスイッチを押し込む。

エンジン音とともにプロペラがゆっくりと低速回転をし始め、機体が細かく揺れる。

足元のペダルを踏みながら、機体をゆっくりと回転させる。


操縦自体は初めてのことだが、思っていたよりも分かりやすかった。

念の為にマニュアルを読んでいたおかげだろう。

ジジイが開いた格納庫間のハッチを通って、隣の百十七番格納庫に期待を移動させる。

ちょうど中心ぐらいのところまで進んで、エンジンを切った。


歩いて隣の格納庫まで戻り、補助機に乗り込んで機材の運搬を行う。

ジジイと二人で何回往復したかは数えていないが、必要なものはすべて搬入を終えた。

乱雑に散らばっていた道具や必要のない部品を一カ所に並べると、

以前からそうであったかのように見える。

偽装工作に残りの半日を費やして、ジジイと俺はその日の作業を終えた。


端末の時間を確認すると、ちょうど交代勤務の時間。

人がタイタン内を一番移動している時間帯だ。

急いでいるわけでもないなら避けた方がいいだろう。


適当に資料をあさっている間、端末に連絡が届いた。

宛先はニゥから、ジジイも一緒に話をしたいと短い一文だけ。

了承の意を返し、二時間後に訪問する旨を変身した。


「ジジイ、なんかニゥが来てくれって。班長の家で待ってると」


「わざわざ部屋に呼び出しだと。何の用かわかるか」


「いや、用件は何も書いてない。とりあえず八時くらいに行くとは言っておいた」


変な胸騒ぎがする。

もともとはっきりものを言うような性格ではない。

自分が嫌なことは出来るだけ遠回しに伝えるような人間だ。

簡潔な内容のメッセージには何らかの意図が隠されている。

それも、こちらにとって都合の悪い何かが。


「考えても仕方がないだろ。わざわざ部屋に呼ばれたってことはそれなりの理由があるってことだ」


「あいつは百十八番格納庫の事を知ってるからな、嫌な予感しかしない」


ちょうど二時間後、二十時を回った頃に扉を叩いた。

中から班長が出てきて、部屋の中に通される。

ジジイと俺が住む部屋とは異なり、客間が用意されていた。


班長にもなれば、訪問してくる客もそれなりにいるのだろう。

六畳一間に来客用のテーブルとイス、簡素な調度品が並べられている。

席の向こうにはすでに班長とニゥが座って待っていた。


俺とジジイが向かいの席に着いてすぐ、女性が人数分のお茶を持って来た。

あまり見たことはないが、班長の奥さんだろう。

丁寧な所作で机の上に四つを置き終わると、一礼をして部屋を出て行った。


「わざわざ来てもらってすいません」


時計の響く音だけが聞こえる、痛々しいほどの沈黙を破ったのは班長だった。

丁寧な口調とは裏腹に、言葉からにじみ出てくるのは強い意志。


「いや、別に気にしていない。早速で悪いんだが、話は何のことだ」


「先日から、うちのバカ息子が百番台格納庫のキー持ち出していたみたいです。

それを問いただすと、ニダラさんの息子さんと出かけていたと」


「ああ、そういうことか」


「バカ息子がこれ以上嘘をついていなけばいいんですが」


視線がこちらに向けられる。

細身の体躯に似合わず、芯の通った力強い目。


「いえ、ニゥが言っているのはほんとです。二人で百番台の格納庫を探検していました」


「やはりそうでしたか。ご迷惑をおかけしました」


「謝ることじゃない。うちの坊も立ち入り禁止区域と知っていたはずだ。

歴代の班長にしかロック解除できない場所に遊びに行っていいわけがないだろ」


ジジイの立場ゆえの言葉。

本音でないのはわかっているが、隣で聞いていると叱られている気分になる。


「すいませんでした」


「いや、別に責めているつもりはないんですよ。

ただ、昨日の強制招集の後に問いただしたところ、気になることを口走りまして」


「……気になることか」


「飛行機があった、と」


指先から思考までが全て固まった。

どのような反応を返していいかもわからず、ジジイの方を振り返るわけにもいかない。

反応を返すことすらできずにただ黙りこくっていた。


「確かめてみるか」


ジジイの一言で横っ面をはたかれたような衝撃を受けた。

今は何もないとはいえ、あの格納庫に案内するのはさすがにまずい。


「確かめるって……」


「飛行機の状態などについてニゥは何も言わなかったので、確認はしておきたいところです。

もし飛行可能な状態で保存されているのなら大問題です。

統括官の調査に協力できるかもしれませんね」


「統括官に……声をかけられたのですか」


「いえ、まだです。あまり適当なことをお伝えするわけにはいかないですから」


ひとまずの安堵を得る。

顔に出さないようにしながら、静かに息を吸い込んだ。

最悪の状況は避けられたが、依然として分が悪いのは変わりない。

班長を百十八番倉庫に招き入れても大丈夫なのか。


「明日は仕事か。それなら今週末くらいにするか」


「いえ、別件で休みを取っていました。ですが、こちらの用件に充てましょう。

早めに確認しておきたいので」


「わかった、では朝迎えに来る。遅くに邪魔したな」


「いえ、こちらこそ呼び出したりしてすいませんでした。ではお願いします」


「失礼します」


終始申し訳のなさそうな顔をして黙っていたニゥは、最後まで一言も発しなかった。

班長にばれないように、座っているままの男を可能な限りの恨みを込めて睨んでおく。

こちらの視線に気づいたのか、さらにうつむく角度が増した。


翌日の時間を確認して出た廊下は、もう静まり返っている。

冷たい廊下を歩きながら怒りと動揺が入り混じった感情を対処しかねていると、

横を歩いていたジジイがぼそりと呟いた。


「なに、心配するな。何とかなるさ」


肩に置かれた暖かい掌と、短い一言がやけに力になったように感じる。

重苦しくのしかかってきていた明日の不安を、なんとか奥底に仕舞い込んだ。







「百十八番格納庫ですか」


「昨日、坊に問いただした。ニゥと二人で飛行機を見つけたのがそこらしい」


班長とジジイ、それに俺を加えたメンバーで移動車に乗り込んでいた。

仕事を共にすることはあれど、三人で移動したのは初めてになる。

気まずさに耐え兼ねて、昨晩から気になっていた疑問を口にした。


「班長……飛行機の事を隠していたことは謝ります。

ただ、一つ気になっていたことがあるのですが聞いてもいいですか」


「どうぞ、どうせうちのバカが唆したんだろうからね」


きっかけはニゥに間違いないし、彼が盗み出したカードキーがなければ入れなかったのも事実。

だが飛行機により強い興味を持ったのは俺だ。

リスクを冒してまで付き合ってもらっていたのだから、班長の言葉にそのまま頷くのはためらわれた。


「まぁ……」


口をついて出てきたのは、曖昧な相槌。

居心地の悪さを感じながらも、言葉を続けた。


「百番台格納庫が班長しか許可されていないのはなぜですか。

侵入しておいてなんですが、特にめぼしいものは無かったので」


「理由は私も知らない。ただ、歴代の班長のみがカードキーを受け継いできた。

私の前はニダラさん、っとこれは言ってよかったのだろうか。

その前は長老。その前ともなるとさすがに知らないけれど、ずっと昔からそうだったと聞いている」


「俺が班長だったことは坊も知っているから気にしなくて大丈夫だ。

お前も知らないんだな。第四班の班長くらいなら知っているかもな」


几帳面そうな顔を思い出す。

あの迫力ある雰囲気を常にまとっている人に、仕事以外で話しかけるのは躊躇われる。


「あーシャミさんですね。彼なら確かに知っているかもしれません。

第四班はうちと違って格式を重んじますからね」


まるで第三班が適当な人間の集まりみたいな物言いだ。

仮にこの会話をほかの班員が聞いていたら、きっと大きく頷いて返したことだろう。

請け負った仕事は正確で丁寧に、綻びなくきちんとこなす。

その一点においては間違いはないが、割かし適当な人間が多いのも事実だ。


仕事以外の場では、ダメ人間と評される班員も少なからずいる。

少数精鋭の第四班とは異なり、第三班は仕事も私事も大事にする手合がほとんどだ。


「興味がある程度の事で、べつに本気で考えているわけじゃないですけど」


「百番台については、ほんと何も知らない。何も情報が残ってないからね」


「こうして話していますと、かなりの違和感がありますね。

まるで誰も調べに行かないことが分かっているかのような、なんといえばいいのかわかりませんが」


「鍵がなければ、開錠に挑戦をしようとしたかもしれない。

無理やり扉をこじ開けて、中を見てみたいと思ったかもしれない。

ただ手元に鍵があることで、いつでも入ることができるという安心みたいなものがあったってことかな。

そんな方法より、そもそも存在を知らせないというほうが遥かにマシに思えるけどね」


「無意味な考察なんぞしなくていい。お前たち二人は禁を破った、それが事実だ」


「ほんと、うちの馬鹿が何処で百番台倉庫について知ったのか……。

昨日話を聞いた限りでは割と最近の事のようでしたが。

っと、着いたみたいですね」


班長が話している途中に移動車が止まった。

窓から見えるのは重厚な扉。118と書かれた格納庫の入り口。


「ここが俺たちが出入りしていた百十八番格納庫です」


「では、開錠しますね」


ニゥがそうしていたように、カードキーを端末に通すだけで扉がゆっくりと開いていく。

改めてみれば、あまりにもセキュリティ性能が低い。

タイタン居住区の各部屋のロックの方が、まだいくらかマシなくらいだ。


「ここがそうですか」


「俺とニゥが見つけたのはあれです」


指さした先に転がっているのは、取り外した後の部品の山。

飛行機本体は昨日移動させており、旧型の不必要なガラクタが残されているだけだ。

ただっ広い空間に、残された機械。一見して、その用途が判別できない班長ではない。


「これが、ニゥが話していた飛行機か」


「はい、その一部だとおもいます。俺らが来た時にはもうこの状況で……」


「気づかないと思ったのか。地面に積もったままの埃の厚みや、足跡の種類。

うまく隠してはいるが、何か大きなものが転がった痕跡。

私も技術者の端くれ。この程度の偽装であれば、見抜くことができる。

今一度問う。ここに何があったのか」


「それは……」


甘かった。何もない部屋さえ見せれば見逃してくれるだろうと、今の今まで考えていた。

穏やかだと有名だった班長は、今までに見たことがないほど厳しい顔をしている。

黙り込んでしまった俺の代わりに、ジジイが口を開いた。


「その先は俺が話そう。班長」


「ニダラさん?」


「お前の言う通り、ここには飛行機そのものがあった。今は別の場所に移しているがな」


班長の動揺が手に取るように分かった。

それもそうだろう。今まで仲間だと思っていた人間に背中を刺されたようなものだ。

ジジイが飛行機の件に噛んでいるとは思いもしなかっただろう。


「とりあえず、席に座ろうや。立ち話はしんどいからな」


その辺に転がっていたパイプ椅子の一つにジジイが腰かけた。

俺が隣に並んで座り、向かいに班長が椅子を持って来た。


「ニダラさん、全部知っていたんですか」


「知っていた、というよりは俺も主犯の一人だといった方がいいだろう。

ここにあった飛行機を飛べるように改造していた」


「なぜですか、タイタンの法律で禁止されていることを知らないはずはない。

違反すれば、相応の罰が課せられることも」


「俺の診断結果だ、見てみろ」


ジジイが端末を操作し、班長に向けてホログラム映像となったデータを飛ばした。

受け取った班長は、手元に表示された立体映像の文を読んでいる。

少しして、驚きと悲しみの混じった微妙な表情を浮かべて押し黙った。


読まなくてもわかる。ジジイの病状と余命の書かれた宣告書。

俺以外の人間でこのことを知るのは、おそらく班長がはじめてなはずだ。


「これは……嘘……ではないですね」


「残念だがな。脅しみたいになって悪いんだがな、俺にはもう時間が残されていなんだ。

ついでに言うと、こいつもな」


「……ジジイほどじゃないけど、もって三年と言われました」


「この前の事故が原因か」


黒灰を少量でも体内に摂取すれば致命傷だ。

時間経過で確実に身体は侵されていき、いずれ動けなくなってこと切れる。

長期間外界で活動してきた少量の黒灰を吸い続けてきたジジイと、

短期間外界に放り出されて多量の黒灰を吸い込んでしまった俺。

余命に差はあれど、もう終わりは見えてしまっている。


「坊の夢は話を聞いたときに、昔の気持ちを思い出した。

この狭苦しい穴倉を出て、何処かに行きたかったことを」


「タイタンでは許されていないことです」


「法律、ルール。

そんなものは、このコミュニティが長く続いていくためだけに並べられた言葉にすぎない。

俺はもう、俺のためだけに残りの命を使うと決めた」


「ニダラさん、あなたにはよくお世話になりました。出来れば、裏切るようなことはしたくありません。

飛行機を統括官に提出してください」


「断る」


鋭く短い一言で、説得の可能性を払う。

立場は、いつの間にか逆転していた。

責め立てていたはずの班長は無言で俯き、ジジイはその姿をじっと見つめている。


「班長、すいません。俺らはもう決めたんです。

残った命をすべて燃料にしてでも、あの黒雲の向こうを目指すと。

どんな手段を使ってでも邪魔はさせませんよ」


「どう言っても、駄目みたいですね。……わかりました、引き下がります」


「……意外に素直だな」


「言い出したら聞かないのは昔からよく知っていますよ。

ただし、一つだけ条件があります。

計画が成功してタイタンから飛び立つまで、誰にも危害を加えず、誰にも知られないでください」


班長の立場では考えられないほどの譲歩。

もし俺たちの計画を知っていることが誰かにバレた時、班長降格程度の罰則では済まないはずだ。

そのリスクを背負って立つには、あまりにも甘すぎる条件だった。


「すまねぇな」


「いえ……お二人とも、こんな事を言うのは変ですが……どうかお気を付けて。

私はこのまま帰ることにします。カードキーは……必要ありませんよね」


班長は扉を開けると、ニゥに軽く支えられながらふらふらと頼りない動きで出て行った。

その背に声をかけようと迷っていたのは、俺だけじゃないはずだ。

隣で少し悩まし気な表情を浮かべていたが、小さく深呼吸をした後はいつものジジイだった。


「移動するぞ」


「班長は放っておいて大丈夫か」


「あいつは言ったことを守る。不器用でまっすぐな奴だからな。

さ、だいぶ時間を使っちまった。もうだいぶ前に届いてるだろう。今日中に組み立てなきゃならん」


百十七番格納庫には、すでに大きな荷物がいくつも届いていた。

明後日以降に予定していた外板や、各種精密計器類等、ほぼすべての部品が揃っている。

一つ一つ梱包を開いて中身を確認していくジジイ。

発注をかけた本人なのだから、確認するのも一瞬だ。


「ふむ、残すはプロペラだけか」


「プロペラは遅らせて発注する予定だったよな」


形状のせいで、依頼をかけることすら多大なリスクを伴う。

ギリギリまで作成しないといったのはジジイだったが、飛行機の完成は目前に迫っている。


「今日の内装取り付けが終わった後、プロペラを発注するつもりだ。

取り込んだデータにある通りのサイズで金属加工をしてもらう。

加工前の合金は用意させてあるから、おそらく三日後には手元に届くはずだ」


「つまり、その三日間が一番リスクの高いってわけか」


「おそらく問題はないがな。発注経路もかなり追跡しにくくしてある。

完成品が届いたらすぐに飛行機に装着して、その日のうちに発つ。

不安があるなら、聞いてやるが」


にやりと笑うジジイに、同じ笑みを返した。

不安なんて、あるわけがない。

目指しているのは、誰も見たことがない真の大空。

息が詰まるような曇天をぶち破って抜けた先にあるはずの、真っ青な世界。


「ワクワクしてきたな」


「ふん、坊の青い夢だと諫めてきたが……。なかなかどうして、この老体にも響く」


「さて、二人乗りの内装だ。手短に仕上げちまおう」


どうせ返す当てのない大借金だと、内装にもかなりの力を入れた。

人生最初で最後の空の旅が、狭苦しい席に押し込められているのではなんとも風情がない。

大枚をはたいて用意したのは最高級のソファーシート。


耐荷重に耐えるためハードな座席ではあるが、コクピットの容量限界いっぱいの大きさだ。

地上で試しに座ってみるが、そう悪くない座り心地だ。

実際にセッティングしてみると、想像通りの光景になった。

操縦桿とのバランスはいまいちで、見た目はどちらかと言えば調和がとれておらずダサい。


だけど、これでいい。

このあべこべさこそが、俺とジジイらしい。

前人未踏の空間に踏み出すのに、少しの遊び心くらいあったっていいだろう。


制御関係の回路を念入りに確認した後、ボルトをねじ込めばシートの固定は終わりだ。

油の臭いがするコックピットの中で体を沈めて、タイタンの暗い天井を見上げた。

その先にある空を夢想して、こぶしを突き上げる。


「待っていやがれ、必ずたどり着いてやる……!」



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