表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Gray Scale StoriesⅡ  作者: ほむいき
7/9

白銀の翼7


「やってんなぁ、坊!」


開いたままの格納庫の扉から歩いて入って来たのは、一人の年寄り。

後ろに流した白髪を一つに纏め、年齢に似合わない逞しい腕と、鋭い眼光。

驚いて椅子から数センチ浮き上がったフィロードと、

眠りから叩き起こされて不機嫌そうなニゥを横目に、大仰な動作で自己主張するジジイを睨む。


「意味も無いのに、でかい声で何の用だ」


「びっくりしました。お知り合いだったんですね」


「ジジイ、こいつはフィロード。整備課第四班に所属している」


知らない顔などいないだろうが、一応紹介しておく。

おずおずと頭を下げる様は、小柄さも相まって少女のようにも見える。

こんなのでも中身は凄腕の情報屋だというのだから、驚くほかない。


「知ってるさ。俺は第三班所属、ニダラ・ドート。宜しくな」


「えっ、あ、はい。宜しくお願いします。六腕のヒュペリオン、アラクネの乗り手ですよね!

昔からファンでした!後でサインをもらってもいいですか」


「ん、おう。へっ、他所の班にいるこんな若い子にまで知られてるんだから、

まだまだ俺も捨てたもんじゃねぇな」


「頼むからもうちょっと、らしくしてくれ。身内が偏屈な変わり者ジジイだと思われるのは御免だ」


飛行機のコックピット内部を弄っていた手を止めて、顔を出した。

ニゥはもう興味を失ったのか、手元の端末でプレイしているゲームに目を落としている。

ここ最近はただの鍵開け係になっているが、特に不満は無いのだろうか。

癇癪を起される前に、聞いてみておいたほうが良いな。


足元を見ると、車輪の周りを興味深そうにジジイが歩いている。

ブツブツとこちらにまで聞こえてくるのは、専門的な独り言だ。

強度がどうの、回転数がどうの、重量がどうの、

いくらジジイでも見ただけでそこまでわかるとは思えない。


「いつ退院したんだ」


「一時間くらい前だな。どうせ百番台にいるんだろうと思ってきてみたら案の定。

鍵はそっちで寝てるニゥが班長から拝借して来たってところか。

カードキーは親父さんに帰しておきな。疑いの目がこっちに向く前によ」


「俺がカードキーを持ってこなけりゃ、誰もここには入れないはずなんだが」


「そう思うだろうが、俺のIDでもロック解除できるんだな、これが。

昔ちょっとした悪戯を仕込んでおいてな、百番台倉庫程度のロックなら解除できる」


「成程、じゃあ俺はもうお邪魔虫ってことか」


「そんなこと言うつもりはねぇよ」


飛行機を見つけることができたのも、今日まで自由に出入りできたのも、ニゥのおかげだ。

俺一人だったらこれ程のチャンスを得ることができなかった。

感謝することこそあれ、邪険に扱うつもりは無い。


「ニゥ!」


不貞腐れてゲームに没頭しているニゥに呼び掛ける。


「うるせぇな。どうせ役に立たない俺の事なんか気にせずに改修でもしとけ」


「おいジジイ……」


面倒なことをしてくれた。へそを曲げるとすぐには戻らない男だ。

少し時間を空けてから、ご機嫌取りをする必要がある。

フォローを入れておかなければ、長くなるのだから。


「班長とこのドラ息子だ。少しは厳しく言ってやらんとわからんだろう。

坊の手伝いもせずに、だらだらと時間を潰しているんだからな」


「俺は充分手伝ってもらってるさ」


「どうだかな。それよりも、こいつはどこまで改造するんだ」


ジジイはニゥが拗ねていることなど全く気にしていない。

それよりも、目の前にある機体に意識が割かれているようだ。


「電気配線は殆ど有線で繋ぎ込んだ。必要な計器もアナログ製品を組み込んでる。

方位計はまともに動かないかもしれないけどな。後は骨組みの補強、外板、エンジンとプロペラ。

どれも簡単には手に入らない」


「考えていることは大体わかった。で、坊の思う通り飛ぶのか計算は」


「それも、テストしてる。フィロード、今そっちいいか」


コックピットから足場に出て、地面に降りる。

ジジイに手招きして、簡易ボードで区切った区画に向かう。

電気配線が足元を乱雑に這う小部屋の中、フィロードは目に見えない速度でキーボードをタップしていた。


「もう少し待ってください」


長方形のホログラムウィンドウには、飛行機の図面がいくつも表示されている。

仮想の空を飛んでいるものが一つ、地上に落下した。

その横に表示された数値は、フィロードの説明がなければさっぱり理解できない。

ジジイも黙って画面を眺めていた。


「できました、これですね」


上方からと側面からの構造が表示された。

基本的なサイズは現在と変わらないまま、あらゆる面での性能が強化されている。

放置されていた状態の機体と比較されたデータ上の数値は五倍近い。


「ふむ、悪くないな。軽量合金の補強材。両翼にそれぞれプロペラエンジンとジェットエンジンか。

このサイズの翼にしては多すぎるんじゃねぇか」


「加速用兼、予備エンジンだな。黒灰以外の固形物との衝突によってエンジンが故障した時の為に。

まぁ、気持ちが少し楽になる以外の意味はあまりないさ」


「燃料効率が悪いだろ。一時間も飛べないんじゃ流石に難しいぞ」


「超大型ヒュペリオンと同じ、液体燃料とバッテリーのハイブリッドエンジンを使用する。

負荷のかかる外界でも三時間程度の飛行が可能だ」


「二基のエンジンは通常時に低速稼働しかしないので、燃費自体はそこまで悪くないです。

一番不安なのは、飛来物による事故ですね。強化機体でも、直撃すれば耐えられません」


ディスプレイに表示された3Dモデルの飛行機が飛び立つ。

飛行中の翼に数十キロ程度と思われる金属の塊が直撃した。

根元から折れて砕け散り、炎に包まれながら機体は地面に落下していく。


「こりゃ随分と優れたシミュレーターだな。自分で組んだのか」


「ヒュペリオンのものを流用しています。

元となるシミュレーション設定は、この部屋の古いパソコンに入っていましたので」


「それにしても凄いな。噂は聞いていたが、ここまでとは」


「ニダラさんにそういってもらえるなんて嬉しいです!

改造予定案はもう何種類かありますが、全部チェックされますか」


「そうだな、お前らが考えていたヤツは見せて欲しい」


五種類ほど用意していたモデリングを順番に飛ばしていく。

その様子を後ろで見ながら、今後の予定を考えていた。


ここで問題無しの判断が出たなら、ジジイの伝手を利用して必要な素材や加工品を揃えていく。

その際には、プロペラの件で統括区が首を突っ込んできたことに注意を払わなければならない。

可能な限り少人数で、なおかつ内密にことを進めていく。

俺やニゥだけの人間関係では、難しかった案件だ。

だからこそジジイの協力の申し出は本当に力強い。


三つ目の飛行機が空に飛び立った。分厚い雲に躊躇いなく突っ込んでいく。

これらのモデリングを生み出すのにかかった期間はニ週間以上。

フィロードがシステムを組み終わった後、プロペラのデータを取り込んで一から研究を始めた。

航続距離や飛行速度などを不要な要素を削ぎ落とし、

この澱み切った空を飛ぶことのできる機体を作り出すために。


最重要視していたのは飛行機の強度。重量との兼ね合いがあるため、

とにかく堅い素材を使えばいいというわけにはいかない。

タイタンの鋼材カタログから、条件に合った合金を探し出し何度もテストを繰り返した。

試験飛行は不可能。本番一回勝負で失敗は無意味な死に直結している。

中途半端な結果で満足するわけにはいかない。


想定し得る計算式を幾つも試し、環境条件を数段厳しめに設定もした。

飛行機を飛ばすことは簡単だったが、やはり大きな問題に直面した。

通常の機体では何度トライしても泥のように厚い雲が越えられないのだ。


そもそも、黒雲の組成・状態等の情報は一般に公開されていなかった。

簡単に調べてもらった結果わかったのは、市民のアクセス可能領域には碌なデータがないということ。

結局、フィロードが違法に研究棟のデータ保管庫から引っ張り出してきた数値を参照にした。

高度七千メートルから一万メートルまでの空域を埋め尽くしている高密度の黒雲。

壁というよりも天井と評した方がいくら近い。


機体を組み立ててはデータ上の黒雲に突っ込ませるトライアンドエラーを繰り返した。

最初の数機は黒雲の底面にぶつかった衝撃で粉々に散った。

素材を変え、改造を重ねてようやく生き残った五機だ。

どの機体にもそれなりに自信はある。


だが、見終わった後のジジイは渋い顔のままウィンドウを見つめていた。


「ふむ……悪くねぇ。が、足りないな」


「何故だ。どの機体も、シミュレート上では無事切り抜けている」


「この条件ならな。だが、現実はもっと厳しいことも想定しておかなきゃならねぇ。

命を懸けるんだ、最善の選択をしておきたいだろ」


「そうかもしれませんが、素材は残さず試してしまいましたし、

この百十八番格納庫に残されてた航空機の資料は殆ど参照にしましたよ。

機体の構造を根本から弄るのには、時間も技術も足りません」


「飛行機に関する技術や知識は俺だって持ってないさ。だが、幾つか提案できることはある。

例えば、構造材についてだ。タイタンの鋼材カタログに載っていない素材がある。

他にも強度の問題を解決するのに必要なのは、各部にかかる負荷の大きさを知ることだ

俺の見立てでは、先程の五機よりもっと良い形状がある」


飛行機については、俺やフィロードの方がずっと詳しいだろう。

格納庫内に会った資料で学んだ知識もあるし、数十日分の試行錯誤の経験がある。

だが、ヒュペリオン乗りとしてのセンスと積み重ねてきた歴史は、決して軽いものではない。

俺とフィロードの答えに何か引っかかるものがあったからこその提案だ。


「取り敢えず、ジジイが知っている鋼材データを叩き込んでくれ。

飛行機の形状はもう少し考えてみる」


「それは少し待て。すぐにできる。それよりも、飛行機の構造を見るのが先だ。

見た感じ、二番目の機体が一番気持ち悪くなかった。モデル各部の空気抵抗は表示できるか」


「ちょっと待ってください……出ました」


胴体の中心部から左右に伸びた翼は、一枚が約六メートル。

全長は五メートル強でコックピットは二人乗り。

左右に二機ずつ、計四機のエンジンを積んでいる。


3Dモデル機体の周りを青い矢印が通り抜けていく。

太さは空気抵抗の大きさを表している。


「翼を半分ほど後ろに。それからもう少し下にしてくれ。厚みを五パーセントほど減らせ。

プロペラの間隔はもう少し開けろ。もう少し……そのくらいでいい」


ジジイの指示通りフィロードがモデルを変更していく。

先程まで機体の周りを自由に奔っていた青い矢印は、綺麗に纏められて半分ほどの太さになった。


「信じられないな……ジジイは飛行機を作ったことがあるのか」


「今更嘘をついても仕方がねぇか。簡単なモデリングだがな。

お前を引き取るまでは自宅のパソコンでわりと遊んでたのさ。実行には移さなかったがな」


「じゃあ、鋼材も……」


「それはお前も気づいていいんじゃないか。ったくよ、何年整備課でやって来たんだ。ん?

タイタンの外殻に使われている軽量且つ高硬度のカーボンナノフラーレン。

金属製の材料じゃないから抜け落ちてただろ?」


「あっ……!」


堅い素材イコール金属。そんな単純な図式が頭の中に出来上がっていた。

言われてしまえば、どうして気づかなかったのだろうと思えるほど明確な答え。

黒灰と飛来物の影響を受け続けてなお、人間の集落が存在しているのは一体何のおかげか。

カーボンナノフラーレンによる超軽量・超硬度の半球状のドーム。

ただ一点を除いて、黒灰の中を飛ぶにはもってこいの素材だ。


タイタン外殻の素材は、一市民が簡単に手に入れることができるものではない。

補修仕様の資材ですら使用量の報告が求まられている。

一機分の量ともなれば、確実に統括区のうるさい人間に補足されてしまうだろう。


「ま、そこは考えがある。取り敢えず飛行機の骨組みを弄ってしまおうじゃないか。

フィロード君、今のモデリングデータを俺と坊の端末に送ってくれ。

補助機で翼の位置から変えていくぞ」


「了解!」


二機の補助機で翼の骨組みを解体。

レーザーでモデリングと同等の位置を墨出しして仮溶接をする。

両翼の位置を調整した後にに再度スキャンしてデータとの誤差をチェック。

微調整を何度か繰り返して、ズレをコンマ数パーセント以内に収める。


仮付け部に本溶接を行い、補強材を入れてより密接に胴部へと繋ぐ。

強度計算は機体各部のデータをパソコンに取り込んでシステム上で行う。

警告が出た脆弱箇所に端材を組み込んで強度を上げる。


「後二つほど大きな問題点がある」


「一つは搬入のことだろう」


部品は大型のものが多くなる。必然的に場所を取るし目立つ。

下手な場所に送ろうものなら、即座に通報されて回収されてしまう。

それだけで済めばいいが、犯人探しになった時に足がつかないはずもない。

新法の違反者は全て禁固刑。最低でも五年、罪の重さによっては天命を迎えるまでの場合もある。


「整備課倉庫を避けて百番台倉庫に直接搬入するのもリスクだ。

ここは避けるにしても、調査になれば全格納庫が確認される。

どうあがいても巨大な機体は隠しきれない」


「対策は」


「全ての部材を同期間に届くようにして、可能な限り少ない日数で組み立てること。

発注から製造までにかかる時間を予測して依頼すれば可能だ。理論上はな」


「随分と難しいように聞こえるが」


初めて製造を依頼する製品が出来上がるまでの期間なんてわかるはずが無い。

複数の部品を同時に入庫するなんて不可能な芸当だ。


「ある程度のズレはあるだろうが、一週間以内に抑えられると思う。

その間に統括区の人間が面倒をかけてこなければいいが、そう簡単ではないだろう。

少なくとも、プロペラデータを提出したら血眼になって探し出すはずだ」


「統括区ってのはなんでそんな躍起になってんだ」


「それに関しては俺も解らん。

新法に違反した人間を捕まえようとしているだけにも思えるし、それ以外の意図も感じてはいる」


「覗いてみますか」


すました顔で事も無げにいうフィロード。

それがどれだけの法を破る行為か理解できていないわけではない。


「お前……やったことあるな」


「少しだけですよ! 少しだけ! ちょっと統括区が何しているのか気になったので……」


「普通の人間は気になった程度で調べたりはしない」


当たり前のことだがハッキングは犯罪だ。

バレれば即実刑。好奇心で試すにしては代償が大きすぎる。


「で、その時はなんかわかったのか」


「うーん、やり取りのデータとかは見つけたんですけど、あんまり深く潜ってないので。

こちらでは実用化されていないはずの商品のデータなんかは転がってましたけどね」


「……人体に機械を移植する技術なんかはあったか」


「ええと……あったとは思います。実験データのようなものを見ましたから。

詳しくは覚えていないですけど」


「あのお嬢ちゃんが、理由はどうあれ機械化手術を受けたのは間違いない。

あれほど完成された技術だ。統括区の他の人間に適用されているはずだ」


生身の肉体に近しい姿で、その数十倍の身体能力を得ることができる機械化手術。

それが統括区で一般的になっているのだとすれば、尚更面倒事を起こすわけにはいかなくなる。

こちらはたった二人の人間。飛行機が飛び立つ前に捕まってしまえば抵抗のしようがない。


「穏便に、っていうのが必須条件なのはわかった。

統括区の人間に勘付かれないように動くことは難しいが、不可能ではないと思う」


旧法や新法に逆らう人間はいつの時代もいた。

アウトローを自称して法律を冒していた人間の多くは痛い目を見ていたが、

それは必ずしも全員ではない。バレないまま、あるいは見逃された違反者も確かにいた。


法律の範囲からほんの一歩踏み出したところで、即座に治安部隊が派遣されてくるようなことは無い。

うまくすれば、違法行為が判明する前にタイタンから離れることができる。

外界に出てしまえばこちらのものだ。


「もう一つは何だ」


「きわめて単純だ。費用だよ」


単純故に見逃していた大きな落とし穴。

モノを買うにはお金がかかる。当たり前の事実だ。

それがタイタンの外殻で使われているような特殊な製造物で、

尚且つ寸分の狂いもなく定められた形状に加工されているのなら、

ゼロの桁が変わってくることなど火を見るよりも明らか。


「概算だが、整備課の四半期予算ぐらいはするんじゃないか」


「個人で払える額じゃないな」


「下手に用意すれば、それだけで足がつきかねないです」


タイタンでの金銭管理は全てオンライン上で行われている。

フィロードほどの実力があれば、一時的に自身の貯金額を変更することは可能だろう。

だが一ヶ月も偽装工作が持つとは思えないし、なによりフィロードに迷惑がかかる。

外に出ていく俺たちはいいが、フィロードは今後もこのせまっ苦しい檻の中で暮らしていかなければならないのだから。


「抜け道は無いでもないが……」


言い出しにくそうにしているのは、その方法に何らかのデメリットがあるからだろう。

そしてジジイにとってのそれは、誰かほかの人間に影響があることに違いない。


「どこに迷惑がかかるんだ」


「整備課だ」


「ああ、そういうことか」


簡単なことだ。整備課の四半期分の予算が必要なら、そのまま計上してしまえばいい。

課として発注すれば統括区の目には触れにくいし、百番台の倉庫に搬入させる言い訳もたつ。


「班長は管理不行き届きで罰則があるでしょうね。班員の給与削減にもなるかもしれないです」


「そういうこった。どうせ坊は反対だろ」


「自分自身が代価を払うのは構わないが、俺の夢が他人に面倒を強いることになるのは、出来るだけ避けたい。

そもそも飛行機で飛ぶこと自体が大迷惑になるのは、分かっちゃいるけどな」


「そう言うと思ったさ。となると、答えは一つしかない。

整備課の予算に計上して全てを後払いにする。

実際に支払いが起こらなければ、班長が目にしていなかったとの言い訳が立つだろう。

バレたころには、もう既に外に飛び立った後だ」


未払いは個人の責任であり、製造側に罰則が与えられるようなことは無いだろう。

治安部隊は俺たちを探すだろうが、その頃にはタイタンの外側。

誰の手も届かないところを優雅に飛行中だ。

戻ってきた後の事なんか知ったことか、ということだろう。


「かなりのリスクを背負うことになるが、この方法しかない。

坊がいいんなら、明日から発注をかけていくぞ」


「……頼む。それからフィロード、パソコン関係を自分の部屋に持って行っておいたほうが良い。

もし俺たちが捕まったら、証拠品として押収されるだろうからな。

それは今までの働きへの対価なんだから、受け取ってもらわないと困る」


「わかりました……。でも、最初の部品が届くまでまだかかりますよね。

乗り掛かった舟ですし、ぎりぎりまで手伝いますよ。それに、やっぱり飛ぶところは見てみたいですから」


「有難いんだけど、もし何かあっても知らないフリしろよ」


「大丈夫です、任せてください」


「坊、今後の予定は大体できた。今日はここまでにしよう」


時間を確認したら、もう十二時を回っていた。

この前の修理時に起きた事故によってヒュペリオンを失った俺は、未だに自宅待機をしている。

それ故に明日の予定があるわけでも無いし、病み上がりのジジイも同じだろう。

だが二人は違う。片方は寝ているが、もう一人は今もキーボードを叩いている。


「僕はまだいけますよ」


「若いから無理はきくだろうが、今日はこの辺にしておけ。

飛行機の外板やエンジンを発注してから届くまでにどうせ時間がかかる。

他にも頼みたいことが幾つかあるんだ」


「フィロード、ジジイの言う通りだ。明日も仕事があるだろ」


「お二人がそう言うのであれば、そうしますね」


寝ぼけた顔のニゥを叩き起こして、そのまま解散とした。

身体がまだ痛むらしいジジイはゆっくりと移動車に乗り込む。

その横に俺が、前の座席にはフィロードと寝ぼけ眼のニゥ。


静かに走る移動車の中で、揺れと座席の温もりによって引き起こされる睡魔に抵抗する。

ぼぅっと窓の外を眺めていたら、いつも通り十数分で無事に準備室まで帰って来れた。

まだ続けると言っていたフィロードもそれなりに疲れていたのだろう。

揺れが止まった時、唇から零れかけた涎を咄嗟に拭って目を覚ます。

底冷えする廊下で短い挨拶を済ませて別れ、俺たちはそれぞれの自室に向かった。







「坊、買い出しに行くぞ」


「買い出し? 何を。晩飯なら弁当が届くだろ」


不器用な男の二人暮らしである。手作り料理などと言うものは滅多に食卓に出たことは無い。

たまに並ぶとすれば、隣人から頂いたお裾分けの小鉢くらいだろう。


「一部の部品だ。全部が全部発注する訳にもいかないだろう。

知り合いのやっているガラクタ屋がニッチな商品を取り扱っている。

事前に連絡をして幾つか取り置きをしてもらっているが、実物を検分しておきたい」


「ガラクタ屋ってなんだそれ。まともな商品を取り扱ってるのか」


タイタン内部で行われている商売はサービス業がメイン。

一次産業や二次産業による生産物は、タイタンのインフラとして供給されている。

わざわざ人間が販売を行う必要はない。

工業製品においてもそれは同様で、規格を設定して発注をかければ家に届く。

必要な製品が新品でリーズナブルに手に入るため、中古製品を購入するメリットがほとんどない。

故にわざわざガラクタ屋を経営するなんていうのは、変わり者に決まっている。


「まともな人間とは言い難いが、信頼は置ける。

別について来なくてもいいぞ。荷物は送ってもらうつもりだしな」


「いや、俺も行く。どうせ暇していたところだ」


「ならさっさと支度をしろ」


出かけるつもりがなかったせいで、部屋着のだらしない恰好のままだ。

散らかっていた適当な服に着替えて、外出の準備をする。

ジジイは手ぶらのまま商業区に向かって歩いていく。


途中で移動車に乗って三十分ほど。

商業区の入り口から狭まった路地を奥へ奥へと進んでいく。

人間一人が通れるだけの狭い通路を通った先に、古びた扉の建物があった。


表側に窓は無く、のっぺりとした平面で二階建てくらいの高さがある。

道に迷っていたとしても入ろうとは思えないほど不気味な建物。

ジジイが扉を開けて入っていかなければ、引き返していたはずだ。


「らっしゃい」


建物の外観からは想像もできない程こじんまりとした部屋。

想像していた機械類のような商品は並べられておらず、カウンターの奥に男が一人座っていた。

俺たちの方をちらりと見ると、再び手元の端末に目を落とす。


まともな店員の態度ではない。

若干の苛立ちを感じながらジジイを見ると、何も言わずに奥へと入っていく。

沸点が低いジジイが怒らないという事は、この対応が店のスタンダードという事か。


細長いカウンターには椅子が十脚。俺たちのほかに客はいない。

ジジイがカウンターの席に座った。少し遅れて俺も隣に腰を下ろす。


そうしてようやく店員は立ち上がり、メニュー表を机の上に出してきた。

お品書きはアルコール類から、簡単な料理が事細かく書き込まれている。

若い男の後ろの棚には様々な酒瓶が並べられており、

カウンターの向こうには調理道具一式が揃えられていた。


「アイスロック一つ。それとボトルウォーター」


「どうぞ」


ジジイが頼んだのは空のグラスに氷が入ったもの。

差し出されたグラスにボトルの水を注ぎ、飲まずにグラスの底でテーブルを打つ。

聞き慣れないリズムで五回。


「奥へどうぞ」


店員が部屋の一番奥にある扉のカギを開ける。

ジジイの後に続いて、足元に小さな明かりがあるだけの暗い廊下を歩く。

人間一人がやっと通れるだけの幅と天井高しかなく、前かがみになりながら。


「ジジイ、一体どこに機械製品が売ってるんだ」


「黙ってついてくれば分かる」


思っていたよりも長く続いた廊下を抜けると、眩しい位明るい部屋にたどり着いた。

壁一面に展開されたホログラムディスプレイには、見たことも聞いたことも無い様な製品が展示されている。

小遣い程度で買える様なものから、課の予算級の価格のものまで。


「なんだここは……」


「いらっしゃい、久しぶりに来たなニダラのおっさん。お連れさんは例の引き取った子か。

あんまりに来ないものだからよ、もう諦めたんじゃねぇかと思ってたわ」


ジジイに親しげに話しかけているのは店長だろうか。

五十代に見えるが服装は若々しい。

両耳からぶら下がっているのは腕も入りそうなほど大きなリング。

タイタンでは珍しい派手なタイプの人間だ。


鼻の頭に三本線の墨を入れている男は、こちらに気のいい笑顔をよこす。

適当に愛想笑いを返し、壁際の商品展示に目を移した。


「いろいろあってよ。頼んでおいたものは用意できたか」


「うん、殆どね。しかしどうして急にあんなものが必要になったんだ」


「坊! ちょっとこっちにこい」


ジジイに呼ばれてテーブルに着く。

店主らしき男が奥から持って来たコーヒーを机の上に並べていた。

苦みのある香りが狭い室内に時間に満たされていく。


「初めまして。俺はこの店の二代目オーナー、デ・クロック。ジャンク屋のようなものを経営している。

中古品、オーダー品、修理から改造まで何でもやるよ。

取り扱っている商品の一部は非合法だけどね」


「ジジイにこんな知り合いがいたことが驚きだな」


「ここは俺みたいな人間には重宝するんだ。

アラクネに必要な部品も幾つか見繕ってもらったからな」


「客の依頼に応じた商品を探したり設計することもできるからな」


「若いが、仕事はよくできる」


「それで、わざわざ来たのはなんで」


「こいつだ」


指先ほどのデータチップを放って投げる。

クロックは訝し気な顔で受取り、自身の端末にセットした。


「ジジイ、それはまさか……!」


「焦るな。いきなり言われても納得できないだろうが、こいつは信頼できる」


端末を見ていた店主の顔が、玩具を貰った子供のように輝く。

あふれ出てくる純粋な好奇心の中に、悪意は欠片も見えなかった。


「驚いたな……こんなもの何処で見つけたんだ」


「場所は言えん。だが、こいつは確実に飛ぶ」


「俺ちも機械屋の端くれ。その程度のことは見ればわかるさ、ニダラのおっさん。

成程ね、それであの部品ってことか」


「ジジイ、そいつは俺の機体だ。俺にわかるように話をしろ」


勝手に二人で盛り上がられるのは気にくわない。

機体を見つけたのはニゥのおかげだったが、飛ばすと決めたのは俺だ。

そのために残り少ない命の時間を削って来た。

ジャンク屋の店主がどれほど有能であろうと、利用するかどうかを決める権利は俺にある。


「そうだな、悪かった。坊には話しただろ、二人の人間がタイタンの外界で見つけた話を。

あの話は、箝口令こそ敷かれたもののごく一部の人間の耳には入っていた。

流石の統括区であっても、噂まで規制するわけにはいかない。

当時アングラな世界に身をやつしていた人間で知らない奴はいなかった」


「俺んちの親父もその一人でね。五年前に病気で死ぬまで、空を飛ぶ方法を探し続けたのさ。

とはいえ、噂が消えるのは早かった。

大空を夢見る者は一人消え、二人消え、三年間でほぼいなくなった。

最後まで真剣に探してたのは、整備課の爺さんと、うちの親父。

それにニダラのおっさんくらいだったかな」


「長老もここに来てたんだな」


「昔の話だ。ここで俺たちは何年も調べたが、飛行機に関する情報はほとんど手に入らなかった。

最後の方は諦めて談笑をしに来ていたな。

そのうち長老はボケ始めて来なくなり、俺はお前の世話で来るのをやめた。

初代店主のソロックが死んでからは、連絡こそ何度かしたが一度も来ていない」


「それがついこの前、久しぶりにメールが来たのよ。内容は、燃料とエンジンの調達依頼。

いきなりの注文だったから、かなり驚いたね。一体何に使うんだろうなって。

まさかとは思ったけど、本当に手に入るなんてね。親父も向こうで羨ましがってるだろうさ」


「何、もうじき挨拶に行くんだ。良い土産話ができただろ」


「おっさん、身体でも悪いのか」


俺とジジイの身体を冒している病。

黒灰による寿命の話を、ジジイは軽く話した。


「どこかで見たことがあると思っていたが、英雄って持ち上げられてた顔だ。

成程ね、それで急ぎの仕入れってことか」


「俺宛にして整備課の倉庫に届けてくれ」


「待て待て、燃料は何だ。エンジンはプロペラに利用できるのか」


「燃料はタイタンの発電の一部を担っている高付加精製油。

発熱量は大きいが、引火点が高く安定している。

仮に空中で燃料タンクを破損しても爆発する危険性は低い。

エンジンは俺と長老、ソロックで開発してたやつがある。

これはまぁ試してみるだけだ。機体に合わなければ使うつもりは無い」


「それならまぁいいが……」


エンジンは最も重要で、最も高価な部品の一つ。

それが安く済むのなら助かるが、素人の製作したものが実用に耐えうるかどうかは不明だ。

アーカイブに飛行機の知識は無く、ほぼ独学で得た知識を利用して組み立てたものであろう。

エンジンやコイル、回転シャフトなどの構造は整備課としての経験を流用できたかもしれないが。


「テストをする時間はあるのか」


「既存のエンジンをプロペラ機用に改造する手はずはもう立てている。

今ある二基と同等の性能を持つエンジンを製造するためにかかる期間はおよそ二週間。

今日ないしは明日中に運び込まれるのだから、充分だ」


「もう手配しているから、明日には届いていると思うよ。

要らなかったら返してくれ、費用はまけておくからさ」


「何に使うんだ」


「んー使うというよりは、思い出かな。親父が頑張って組み立ててたからね。

出来れば手放したくないんだよ。店舗のカタログにも載せてない」


「そんな大事なものを送ってくれなくてもよかったのに」


ほんの少しの試運転で、故障ないしは崩壊してしまうことはあり得る。

父親の思い出だと知っても、なお容赦なく稼働させることは躊躇われた。


「いや、一番はあれが空を飛ぶことだ。親父の夢でもあったわけだしな。

気にせずに使ってくれよ」


「動かしてゴミになっちまったところで、ソロックはあの世で笑うだけだろうよ。

やっぱり俺たちの設計じゃ駄目だったか、ってな」


「確かに、それが親父らしいな。

それでニダラのおっさん、他にも欲しいものがあったからわざわざ来たんだろ」


クロックは先程までの穏やかな笑顔をしまい、商売人の顔になった。

ジジイがわざわざ発注の確認に来たわけではないのだと気付いていたのだろう。

店主の雰囲気に合わせるようにして、ジジイは一段と低い声で告げた。


「……ありったけの情報が欲しい。

統括区に所属している人間、行っている事業、どんな小さなことでも構わない」


「それはまた難易度の高い依頼だね。報酬はそれなりに高くつくよ。

専門家にも依頼しないといけないしね」


「今現時点でそちらが持っている情報だけを買おう。

専門家に依頼する必要はない。俺たちにはその手筈が整っているからな」


「その場しのぎの嘘じゃなさそうだな。いいよ、データは送る。

支払いは、この飛行機のデータでどうだい」


「断る。その情報は俺の命よりも重い」


データとして渡したところで、利用できることはない。

機体の製造は勿論、保管する場所を用意することも個人では不可能。

情報を持つ人間が増えるリスクも避けておきたいが、

なによりも飛行機の事を知っているのは自分だけでありたい。


「そういうこった。すまないが諦めてくれ。他のもので支払おう」


「そういう事なら残念……ちゃっかりデータを抜こうとしたけどプロテクトかかってるしね。

結構欲しいんだよね、これ。後払いってどうかな」


「俺が空の飛び立った後にデータを渡すってことなら、了承できる」


「よし、それで手を打とう。統括区に関しての情報だったね。少し待っていてくれ」


奥の部屋に入っていて数分後、

デクロックは暖かいコーヒーを持って戻ってきた。

カップに注がれた二杯目のコーヒーに口をつけて、話し始めるのを待つ。


デクロックがテーブルを人差し指で二回タップすると、入って来た扉にロックがかかる音がした。


「本日は閉店ってことで。これで一応邪魔は入らないからね」


「そんなに不味い話なのか」


「この店のセキュリティは万全だが、念の為な。統括区に深入りするのは面倒事になりかねない。

俺たちがタイタンで生活するうえでのルールを握っているのは奴らだからな」


その程度の話なら誰しも聞いたことがある。

統括区はその名の通りタイタンの運営をすべて任されている部門。

行政区であり立法区であり、実働部隊として治安維持課も兼ね備えている。

システムとしては古典に存在する絶対王政に近い。

無理難題を押し付けられることは無いから、幾分かはマシだが。


俺たち一般市民は彼らの事を知る由もなく、ただ毎日下りて来る指示に従っている。

整備課である俺は、出勤日にタイタンの補修や改善を行う。

ある程度の裁量が許されているものの、働くことは守らねばならない法律だ。

破れば当然罰則を受ける。


過去にも何人かの人間が罰則を受けていたが、基本的には通達が届くだけである。

治安維持課が出張ってくるのは、暴れて手に負えない危険人物を取り押さえる時くらいだ。


「統括区は大きく分けて三つの部門からできている。

大元の統括管理課、実働部隊の治安維持課、研究棟の開発技術を導入する試験運用課。

大体の活動は名前の通りだな。一番ヤバいのは試験運用課だ」


「この前、全身に機械を移植している女がいた。あれが関係してるのか」


「最新の義体技術だな。運用課が昨年から手術を始めたはずだ。

既に十人弱の成功事例がある。次世代の人間のプロトタイプになるらしい。

だが、その手術自体にも未だ問題点が幾つかある」


「適合率なんかの話か」


「いや、拒否反応なんかが起こったわけじゃない。

若い時に手術を行うと成長が阻害される点や、メンテナンス費用が膨大になる点がそうだ。

そのせいで統括区から民間に許可が下りてこない。義体や機体などの技術の独占は他にも多くある。

飛行機もそうだ」


「飛行機の技術があるのか」


確かにおかしいと気付くべきだった。

これだけの技術力を持つタイタンが、何一つ飛行技術を活用していないことに。

屋内空間だとはいえ、ドローン一機すら利用されていないのは何故か。

知識を配りたくなかったのだ。


「この黒灰で汚された空になる前、人類は大空を自由に舞っていた。

このタイタンは前哨基地だったらしい。敵が何だったのかはわからなかったけど。

だからその技術や知識が統括区にはある」


「人間から翼を奪って、この穴倉の中に閉じ込めたってわけか」


「どちらが先かはわからない。黒灰が舞っているから外に出すわけにはいかないからなのか。

外に出したくなかったから技術と法律の両面で規制したのか。

どちらにしろ、俺たちは自由を奪われていたのさ」


「俺も、外界であの二人に合うことがなければ、わざわざ外を目指そうとは思わなかっただろうな」


「結果として、両親が道を繋げてくれたってことか。

感謝はしようと思うけど、なんか不思議な気分だ」


「統括区は情報を規制するのにかなりの荒事を行うらしい。

実際に目撃をしたことは無いが、割と信ぴょう性の高い噂を聞いたことがある」


「動くのは治安維持課になるのか」


「そうだね。しかも、その場合は対象者が怪我をしようがどうしようが関係ない。

だから二人とも気を付けてくれよ。もしこの情報が見つかったら、何をされるかわからないから」


返してもらったデータチップを受け取って、ケースに入れてしまう。

ポケットの中に落とすと、ずいぶんと重たくなった気がした。


「いろいろ調べてもらってすまないな」


「常連さんだからね。もし青空が見れて、なおかつ戻って来れるようなことがあったら、

どんな風景だったか教えて欲しい」


「考えておくさ」


店主に別れを告げ、ジジイと俺はバーに戻ってきた。

相変わらず客の姿は無い。

店として機能をしているのかどうかも怪しいが、むしろこの方が好都合なのだろう。


「坊。もう一軒連れていきたい店があるが、どうする」


身体はまだ痛むが、ジジイに気遣ってもらうほど重傷ではない。

むしろジジイの方が大人しくしていないといけない身体のはずなのだ。

普段よりも生き生きとしているように見えるのは気のせいではない。

俺との買い物が理由ではないことは間違いないだろうが。


「昔馴染みに合うのはやっぱり楽しいのか」


「坊にはまだ二十年はわからねぇかもな。久しぶりに会って昔の話が出来る喜びは格別だ。

俺から言えるのは、人の繋がりってのはそうそう簡単に切れやしないってこった。

出来るだけ交友関係は広く持っておけ」


「有難い忠告は受け取っておくよ。それで、誰に会いに行くんだ」


「商業区、表通りの珈琲店。表向きはな」


「今度は何の店だ」


バーのフリをした非合法なジャンク屋だってそうそうお目に書かれるものじゃない。

珈琲店の中に武器や弾薬が並んでいたって驚かないだろう。

近場の停留所から無人移動車に乗り込み、ジジイが行き先を設定している。

ニ十分ほど揺られて着いたのは、商業区のメインストリート。

食料品店、生活用品店、家電店、工業製品店などが所狭しと並んでいる。


商業区に来るのは久しぶりだ。

オンラインで注文すれば大体のものは家まで届くのだから、

わざわざ買い物に出るなんて面倒なことはしない。

月にニ、三回くらいの頻度で娯楽区に向かう時に通り抜けるぐらいだろう。

ヒュペリオンと同様の操作で機体を動かせる訓練ゲームくらいしかやらないが。


「あれだ」


ジジイが指差したのは、湯気の立つコーヒーの看板が目立つお洒落な店。

タイタンではほとんど見ない瓦の屋根に、人工木材を利用した建築様式。

建築時にはかなりの金がかかっているはずだ。

珈琲店では到底回収できるとは思えない。

わざわざジジイが連れて来るだけの理由があるということか。


「いらっしゃいませ、何名様ですか」


給仕の女性に案内された席は、店の最奥にあった二人掛けのテーブル。

席に座る前に、見知った顔を見かけて思わず立ち止まってしまった。

隣の席に座っていた目つきの鋭い女性。

服こそ違うものの、一目見てすぐに気づいた。

向こうも同時にこちらを認識したらしい。容赦なく刺々しい言葉をかけてきた。


「なんだ、てめぇか」


「……こんにちは」


無視するわけにもいかず、言葉だけの挨拶を投げかけた。

ジジイも少し遅れて気が付いたようで、足を止めて軽く頭を下げている。


「しけたツラしやがって。せっかくの珈琲が不味くなるだろうが」


「どうもすいませんね」


「今日の私はオフだ。面倒事の持ち込みはするなよ。問題児くんよぉ」


「そんなつもりはありませんよ。俺らだって休日にリラックスしに来ただけですから」


「だといいんだがな。両親を早くに亡くして孤児院育ち。

その後、当時の整備課班長に引き取られてそのまま整備課に所属。

お前……随分と変わった経歴を持っているみたいだな」


「あなたには関係がないでしょう」


孤児になったのは俺の意思ではないし、

整備課のジジイに育てられたのだから整備課に所属しているだけだ。

別に何もおかしいことじゃない。


「今はまぁそうだな。お前の環境も、態度も、ギリギリ模範的なタイタンの市民だ。

だが、一歩でも道を踏み外してみろ。必ず後悔することになるぞ」


意志の込められた鋭い瞳に、逃げずに向き合った。

決して心の中を見透かされないように、平静を装いながら。

数分にも思えた睨み合いは唐突に終わり、レモン統括官は最後の一口を飲み干して伝票を持った。

この店では雰囲気を出す為か、テーブルでの決済を行っていないらしい。


「お先に失礼する。もう少し長居しようと思ったが、隣がお前らじゃ落ち着かねぇ」


捨て台詞は完全にこちらの言葉だったが、立ち去った後ろ姿に若干安堵しながら席に着いた。

向かいに座ったジジイがメニュー表をこちらに向けて開く。


「もう昼時だ。好きなものを注文したらいい」


「腹が立って飯どころの気分じゃないんだが」


「その感情エネルギーは無駄だ。簡単なランチから手の込んだものまである。

珈琲店には思えない程味はうまいぞ。好きなものを頼め」


「そうかよ、ならこのパスタとドリアのセットにしてくれ」


メニュー表の中から適当に選んだ。

腹が減っていないわけではないので、それなりに値が張るセット品を。

ジジイが俺の料理と自分のサンドイッチをウェイトレスに頼んだ。


アンティーク調の椅子や机がやや広めに並べられている。

店内の収容人数は同規模の喫茶店よりもやや少なめ。

壁際にはお洒落な調度品やおとなしめの生花が並べられいる。


ストレスを感じない程度の話し声と、穏やかな音楽で賑わっている店内。

ただ注文した料理を手持無沙汰で待っているだけだったが、

つい先ほどまでささくれ立っていた心は少しばかり落ち着いていた。


「まさか、こんなところで顔を合わせることになるとは思わなかったな」


「割と有名な喫茶店だからというのもあるだろうが、何かを疑っているのかもしれない」


「ここもまた変なことやってんのかよ」


思わず声が小さくなる。

周りの会話に耳を傾けているような物好きはいないだろうが、警戒するに越したことはない。


統括官がいたのだから、その部下である治安維持課の人間もいると考えるべきだろう。

最悪、俺たちの監視をしている恐れもある。

席を立ったふりをして尾行相手に油断をさせるなんて初歩中の初歩。

あの性格の悪さなら十重二十重に罠を仕掛けているかもしれない。

こちらの声に引っ張られたのか、神経を集中しないと聞き取れないほどの小さな声だった。


「主には各種計測計器類を取り扱っている」


「だったら別に普通の店だろうに、喫茶店に偽装する意味なんて」


「主に、だ。外界から手に入れたものを秘密裏に販売しているんだ」


「嘘だろ」


どうやって手に入れているのかはわからないが、完全な法律違反だ。

タイタン外のものを内部に持ち込むだけには飽き足らず、販売まで行ってしまうなんて。

もしバレたら数年の禁固刑では済まない。


「大体どうやって外の物品を……まさか……」


タイタンから外界に出ることを許されているのはごく少数の人間だけだ。

そしてその中で、外界の遺物を内部に輸送して利益を得る者は明らか。


「そうだ。ここの主要取引先は、俺たち整備課の人間だ」


「誰がそんなことをやってるんだ」


個人レベルの問題じゃない。課としての信頼すらも失う行為だ。

ジジイがそれを知っていて見逃していたことも信じられない。


「俺たちも似たようなことをやっているのだから、どうのこうのは言えないだろう」


「それは……そうだが」


冷静な言葉が胸に突き刺さった。

気づいてはいたが、見ないふりをしていた事実。

格納庫から外界に飛び出せば、間違いなく整備課は責任を追及される。

特に、俺とジジイが所属している第三班は追及の矛先を逃れられない。


「わかってるよ。恐らくこれが過去最大の犯罪だってことも、多くの人に影響を与えることも。

それでも俺は、後三年。腐ったように生きるよりは、希望目掛けて走り抜けたい」


「ふん、別に坊を責めてはいないだろうが。勝手に傷心しやがって。

俺が言いたかったことはこうだ。このタイタンでは外界に興味を持つ人間が一定数いるという事。

それは、ここの品が富裕層に売れていることからも明らかだ。

真偽は定かじゃないが、統括区からも黙認されているという噂も聞いたことがある」


「なんで……」


外界に出ることを規制する一方で、外界の遺物持ち込みを許可しているのでは意味がない。


「さてな。奴らのうちにも外界に出るべきと主張する一派がいるんじゃないか。

細かい事情は分からなかったが、ここはそう言う店だ」


出てきた料理を食べ終わった頃に、店員がアフターティーを持って来た。

柔らかい香りのするカップをゆっくりと飲む。

ジジイは角砂糖を一つと化してから口に付けていた。


「さて、腹もいっぱいになったし出るか」


「ここに用があったんじゃないのか」


「それはそうだが、あのお嬢ちゃんと会った直後はよくない気がする。

取り立てて欲しいものがあったわけじゃない。

せっかくだからあの部屋を坊にも見せてやりたかったんだがな。

帰って明日の段取りをするぞ」


「最初の部品が届くんだったか」


ジジイが発注した飛行機の部品は、およそ一週間で全て届くようになっている。

過密スケジュールだが、整備課を引退したジジイと怪我で療養中の俺は時間ならいくらでもある。


ここ一ヶ月の外界の天気は常に観測して来た。

整備課の天候予測システムを利用すれば、大雨や大風の予兆はある程度できる。

出立の予定日は、現段階で三日ほどに絞っていた。


どれ程考えていようと、突発的な強風やゲリラ豪雨は避けられない。

組み立てが終わりさえすれば、すぐにでも発つべきだろう。


「ここに来るのも最後かもしれないな」


「何言ってんだジジイ。生きて帰って来るって話だったろ。忘れてんじゃねぇよ」


「ふん、坊が偉そうに言うんじゃねぇよ」


会計を済ませて店を出る。

昼過ぎの一番人が多く騒がしい商業区を抜けて、居住区往きの移動車に乗り込んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ