表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Gray Scale StoriesⅡ  作者: ほむいき
6/9

白銀の翼6


今まではめったと来ることが無かったのに、最近は頻繁に来ている。

白を基調とした清潔感溢れるデザインの部屋で、いつもとは違う静かな鼻息を響かせていた。

ベッドの上に眠っているジジイは、普段とそう違うようには見えない。

病院特有の丸椅子に座って、ジジイの寝顔をのぞき込む。


考えてみれば、ジジイの正確な歳は知らなかった。

誕生日なども祝われたことはあっても、祝ったことは無い。

そもそも、日にちを教えてもらったことがあっただろうか。


公的書類や身分証明書には書いてあるだろうが、

わざわざ確認するようなことは今までなかった。

だからこそ、医者に言われて随分と驚いた。


「おじいさんは今年で六十二になるのですが、肉体年齢は五十代前半位でしょうか。

多くの検査を行いましたが、驚くことばかりでしたよ」


「ジジイは何処が悪かったんですか」


「臓器の一部が機能不良を起こしています。仕事中に倒れたのはそれが原因でしょう」


「……黒灰が原因ですか」


なんとなく、医者の歯切れの悪さに引っかかるものがあった。

遠慮したような、躊躇うかのような物言い。

喉の奥に引っかかったものを隠すような説明に、思わず口に出してしまった。

ついこの前、俺が入院し説明を受けていたからこそ気づいた違和感。

当てずっぽうではあったが、確信めいたものがあった。


「……ご明察の通りです。長年の外部活動が祟ったのかもしれません」


「あとどれくらいの時間が残されているんですか」


「あまり明確なことは言えませんが、内臓に蓄積された毒が多すぎます。もって一年。

まだなんとか健康に見える様な状態を維持できるのは、半年がやっとでしょう」


命のリミット。覚悟していたにもかかわらず、その一撃は重く全身にのしかかってきた。

自分の余命を聞かされた時よりも、ずっと胸が苦しくなる。


「ジジイ……」


規則正しい寝息は、こちらの葛藤などどこ吹く風。

既に説明は聞いていただろうに、平気な顔で寝ていられるとはどれだけ肝が太いのやら。


「とにかく、外部活動は一切禁止です。仕事も、出来ればしないほうが良いでしょう」


「そう話していただいたんですよね」


「ええ、ですが……」


素直に聞いたとは思えない。医者の困り顔を見ればだいたい予想がつく。

どうせ、仕事は生きがいだから働かないくらいなら死ぬ、とでも言ったのだろう。

人生の大半をタイタンでの整備課として過ごしてきた人だ。

そう簡単に捨てられる生活ではない。


「俺が話してみますよ」


だが、せめて外殻活動くらいは抑えてもらわなければ。

ただでさえ短い寿命をさらに削る必要なんてない。


「よろしくお願いします。何かあれば呼んでください」


「御迷惑をおかけしました」


去っていく医者の背に頭を下げ、眠ったままのジジイの横に椅子を置いて座った。

ベッドの中で寝ている姿は、年相応に見える。


「起きろよ、ジジイ」


寝息がピタリとやんだ。

いつもと変わらない様子で起き上がりながら、笑いかけてくる。


「気づいとったか」


「俺は最初から気づいてたからな。毎日悩まされている鼾が無い時点でおかしいってな」


ジジイの寝息が静かだったことなんてここ数年で一回も無い。

仕事で疲れて帰ってきてるのに、うるさい鼾のせいで全然寝付けなかった。

慣れるまでは相当苦しめられたからな。


「可愛げがない奴だな。少しは心配して涙でも流してくれるかと思っとったが」


「馬鹿言え。こっちは誰かさんのせいで仕事場から無理やり連れて帰られてるんだよ」


「そうは言うが、なんだその湿布まみれの腕は。とちったか?」


ジジイの面会に来る前に簡単な診察だけ受けてきた。

その時に貼ってもらったものが服の隙間から見えたのだろう。相変わらず目敏い。

腕だけではなく全身湿布と包帯まみれなのだが、いちいち言うのも癪に障る。


「ミスじゃねぇ。が、もっとうまくやれたとも思ってる」


「ふん、口だけはいっちょ前だな。……まぁ、しかし驚いたな。いきなりフラっときたもんだ。

同期はみなきし黒灰で仕事を辞めてきたが、俺は耐性でもあるんかと思っていた」


「黒灰に耐性なんてあるわけないだろうが」


もし本当に耐性があるのなら、とっくに人類はタイタンから外に出て暮らしているはずだ。

一度摂取した黒灰は体内から排出されない。特効薬はなく、対処療法が精一杯だ。


「お前が三年の余命だと聞いた時、若い命が俺よりも早く失われるなんてと思ったもんだが。

三段飛ばしで追い抜いちまったな。神様を呪ったバチでも当たったか」


笑うジジイ。強がりではない、心の底からの笑顔。

失われることを目の前にしてどうしてそんなに笑っていられるのか、俺には理解が出来なかった。


「少し、話をしようか。奥から背もたれのある高い椅子を持って来い」


「これでいい。別にしんどくはないさ」


「お前がいいなら、そうすればいいさ。あれは今から十九年前のことになる。

当時俺は……第三班の班長として整備課に所属していた」







「今日の外殻作業は中止だ!全員、さっさとタイタン内部に退避!」


真っ黒な空に突如として輝いた紅炎、その後に爆音が世界を揺らし突風が吹き抜けた。

被害が出なかったのは運が良かったからにすぎない。

数百キロもの質量をもつ塊が幾つも飛んできているのを、目視ですら確認していた。


指示を聞いたものは自分の近くにいる班員に告げ、次々格納庫の中に入っていく。

班長として、全員の無事を確認するまではタイタンに帰らないと決めていた。

格納庫側から空に向けて飛ばされたライトによる合図。

十八人全員が避難し終わったようだ。

念の為に通信回線を開いたまま、外殻から飛び降りた。


「なんだ……?」


着地の衝撃にしては違和感のある音が、通信回線から流れ込んできた。

タイタン内部からの漏洩電波を拾ったのだろうと、さして気にせずに格納庫の中に向かっていた。

先程、空を焼いた茜色は明らかに異常事態である。

うかうかしていればタイタンに被害が及びかねない。


格納庫の扉をくぐろうとした瞬間に、もう一度回線が唸った。

周波数のタブを回転させて調整すると、聞こえてくるのは明らかに人語である砂嵐でつぶれた音声。

タイタンでは使用していないはずの帯域にも、同様の声が何かを叫んでいる。


「班長!早く戻ってきてください!」


足元に巨大な鉄の塊が落下した。後一メートル横にズレていれば直撃だっただろう。

いかに危険な場所にいるのかは、よく理解していた。

これから何が起こるのかも、ある程度想像は出来る。

今すぐタイタン内部に避難して、嵐が過ぎ去るのを待つのが最善だとわかっていた。


それなのに身体は動かない。降りしきる黒灰によって、ヒュペリオンは足から埋もれていく。

そのままタイタンの外殻を背にして、黒々とした空を見上げる。

渦巻く黒雲の中に、一帯を照らすほど巨大な紅炎が浮かび上がった。


「何かが来る……」


通信回線の向こうから呼びかけて来る声は、雑音となった。

空の遥か向こう。黒雲の海を真っ二つに割くようにして、銀色の光が煌めく。


「こっちだ!こっちにこい!」


思わず力の入った言葉が漏れた。黒灰に阻害されて、電波通信は届くはずがない。

だから、肩に積んでいたトーチライトの光量を最大にした。

この暗い世界の中で、希望の目印となる様に。


何処から来たのか。一体何者なのか。どうやって空を飛んでいるのか。

わかっていることは何一つない。ただ、自分の心が叫んでいた。

たとえわが身を危険に曝そうとも、彼らに手を貸すべきだと。

得られるものが何一つなくとも、今の自分ができることをしようと。


外殻から数百メートル離れた地点に、飛行機は落下した。

着地点へ向かって、ヒュペリオンのブーストを起動。

砂の足場を滑るように、急いで距離を詰める。

降りしきる黒灰は人間に長時間耐えられるものではない。

すぐに手助けをしなければ、間に合わなくなる。


「おい、大丈夫か」


外部スピーカーをオンにして、殆ど墜落したような状態の飛行機に話しかけた。

コックピットが開き、中から二人の姿が出てくる。

フードを目深に被っているせいか、表情は見えない。

すぐに二人をヒュペリオンの両腕で包み込むように拾い上げ、タイタンへ全速力で走らせた。


防毒マスクをしている様子はない。

辛うじて息があるようには見えるが、生存を確かにするためには一刻一秒を争う。

この環境で生身の状態の人間が生き残る術はない。


全開にしたスラスターが爆ぜて、ヒュペリオンが大きく傾いた。

後部メインカメラが同時に壊れ、様子を確認することができない。

左半分が作動していないことだけは、緊急性の高いエラーとして制御盤に表示された


「ぐっ、くそっ……!」


飛来した金属片が三番、二番右腕を第二関節から突き破った。

もし通常のヒュペリオンであったなら、時速数百キロの金属物質が直接コクピットに飛び込んできていただろう。

そうなれば、搭乗者の命など塵芥に等しい。


バランスが悪い。背部スラスターは右側のみ生き残っていて、機体の重量は左側が極端に重い。

既に自動バランサーで補正される許容量を大幅に超えていた。


「まだだ……っまだ……走れる……」


操縦者としての腕は誰にもけていないという自負がある。

この程度のことで諦めるなんてことは出来ない。


残り百メートルのスプリント。

半壊状態の機体で、両手は不自由。可能な限り最短ルートを一直線に。

なおかつ死角から迫る致命的な威力を持つ飛来物を避けなければならない。


「上等ォ!」


血が滾る。命がけの操縦ならば外殻整備の時にいつも行っている。

ただその状況が少し異なるだけに過ぎない。

目的は単純明快。手段はありとあらゆるものが許容されている。


正面映像を分割し、上部、下部、後部予備、左右五四画面とした。

同時に把握するには集中力を要するが、今周囲から目を話すことは即ち死につながる。


スラスターを一秒停止。目の前に落ちてきた鉄くずを回避して、即座に右に切り返す。

手の中の二人には相当な重力負荷がかかっているだろうが、あまり贅沢を言ってもらっては困る。

残り八十メートルの直線。スラスターを稼働限界まで解放した。

三十秒もてばいい。


普段では考えられない量の飛来物。

先程、空を赤く染めた何かと関係があるのかもしれないが、そんなことを考えている余裕はない。

一秒にも満たない判断の連続と、僅かなミスも許されない精密な動作。

ヒュペリオンの乗り手として生きていた数十年の経験と勘を総動員した。


「この……糞ったれ!」


認識した瞬間にはもう遅い。ヒュペリオンの軌道上に落ちてきた数百キロはくだらない鉄板。

残った二本の左腕を斜めに構えて、突っ込んだ。

鉄板の側面に打ち込めば、僅かにコースを修正できる。

数十センチでもズラすことが出来れば、残りの距離を飛び込むだけだ・


飛来する鉄板に合わせて腕を動かす。言葉にするほど簡単なことじゃない。

だが、出来ないとは思わなかった。刹那が無限に間延びした時間。

自分と障害物、それ以外のありとあらゆる存在が消えた無音の世界の中で、

後部カメラから左カメラに鉄板が移動する瞬間を捉えた。


「だぁっ……らっ!」


衝撃で左腕二本と左側面の装甲が吹き飛んだ。

黒灰がコックピット内に舞い込んでくることすら気にせずに、ただ前だけを目指した。

衝撃で側転したようにひっくり返ったヒュペリオンは、そのままスラスターの力だけでタイタンの扉の中に飛び込んだ。


俺が意識を取り戻したのは、その事件から三日後。連れて帰って来た二人は一週間後だった。

タイタンの常識を揺るがしかねない事件故に箝口令が敷かれ、当時現場で外殻作業をしていたメンバーや治療に当たった医師等のごく一握りしかこのことは知らない。


統括区から派遣されてきた人間が同席することで、俺はその二人と話すことが許された。


「本当にありがとうございました」


いたって普通の青年だった。黒灰に侵されていたせいで片目の視力を失っていたようだが、

それ以外はタイタンに住んでいる人間と全く変わりない。


「私からもお礼を言わせてください。助けていただいて本当にうれしかったです」


もう一人は、連れて帰ってきている時には気づかなかったのだが、小柄な女性だった。

こちらは逆にタイタンでは珍しい真っ黒な髪の毛に、黒い瞳。


「どうしてあんなところに」


「それは……」


青年が視線を逸らす。その先には統括区から来ている監督官。

黒スーツにサングラスのフォーマルなスタイルで、壁にもたれて腕を組んでいる。


「その内容は許可しない」


「のようで、基本的には外のことは話せないんです」


「そんな些細なことはよ、どうでもいいさ。こんな天気の中で二人で新婚旅行か」


二人が空から降りてきた理由も、あの日空が焼けた原因も、

例えタイタン以外の場所に人間が住んでいようとも興味はない。


「まぁ、そんなものですね」


「あんた……ええっと……」


「イアンです。こちらが妻のナーベ」


「イアンさんか。これから二人で暮らしていくのか」


「いくつかの条件はありますが、タイタンで生活する予定です。

あなたにお会いできるのもたぶんこれが最後だと思いますので、お礼だけでも直接伝えたくて」


わざわざ律儀なことだ。俺は、ただ自分の思うように行動しただけのこと。

あの日、二人を助けたことで俺は班長の役を降ろされた。

責任を取らされるのは当然だろう。

独断で危険な外界に残り、結果として二人の命を助けたものの、ヒュペリオンを一機失った。

十分な戦果だと思うが、誇るのは筋違いだ。


先程から何度も頭を下げて礼を言う二人に、つまらない俺の話を二人に言うつもりは無い。

軽く手を振って、そこまでの謝意は無用だと示す。


「もうお会いできないかもしれませんが、私たちは二人ともずっとあなたに感謝しています」


「そんなに頭を下げなくていい。あんたたちは運が良かった。それだけのことだ」


「そろそろ時間だ」


しきりに腕時計を見ていた監督官は、会話が区切れたところで話に割り込んできた。


「わざわざ呼んでくれたのに、気の利いた話が出来なくて悪かったな」


「とんでもないです。こちらこそお時間を取ってしまってすいませんでした」


二人はそのまま連れていかれて、二度会うことは無かった。







「それから数年後のことだ。仕事の一環で孤児院に行った時、お前を見つけて確信した。

父親譲りの柔らかい金の瞳と、母親譲りの真っ直ぐな黒髪。間違いなくイアンとナーベの子だとな。

それから何とか手続きをしてお前を引き取ったってわけだ」


「……俺の両親が、タイタンの外の人間」


トンデモ情報の奔流にあてられて、脳が停止しかけていた。

タイタンの外から来た人間。それがどんな意味を持つのかはわからない。

そもそもタイタンの外に人間が住める環境があるのだろうか。

今も誰かしらが住んでいて、俺に関係のある人間がいるのだろうか。


疑問はいくらでも沸いて出て来るが、どうしても一つだけ確認したいことがあった。


「俺の……両親はどうなったんだ」


両親と言っても、記憶には残っていない。

特別な思い入れは無いが、気になったことがないと言えば嘘になる。

今まで聞く機会がなかったから聞かなかっただけだ。


「それは……お前を引き取る際にいろいろ調べてみたが、なにも出てこなかった。

名前の情報すら、だ。明らかに人の手が入った痕跡があったことだけはわかったんだが。すまない」


「いや、謝ることじゃない。それほど気にしているわけじゃないさ」


「イアンとナーベ。二人の行方は、どれだけ調べても解らなかった。

その筋で有名な人間の力も借りてみたんだが、全く形跡が追えない。

タイタンに住んでいる人間で、データベースに情報が残っていないなんてことはありえないはずなのに」


「ジジイの勘違いってこともあるんじゃねぇのか。

俺が……その……ただの孤児で、その二人と全く関係ないってことも」


「俺の目に間違いはないさ。記憶は衰えてきてはいるがな。

だからというわけじゃないか、お前が青空を目指したいと聞いた時にはそんなに驚かなかった。

どうやって空に行くつもりなのかは知らないが、こそこそ出歩いているのと関係してるんだろ」


正直に明かすべきか否か。

信用は出来る。軽々に物事を話すタイプではないし、味方になればこれほど力強い人間はいない。

様々な部署の人間にコネを持っているし、必要な部材を加工する技術もある。


少し考えて、秘密の一端を明かすことにした。

反対されるのであれば、そこまで。

飛行機の隠し場所は絶対に見つからないし、今のジジイには探し回るだけの体力も無い。


「実は、手段を手に入れたんだ。今は来たるべき時の為に調整と改良を行っている」


「……坊一人でか」


「そうだ」


ニゥやフィロードのことは話す必要がない。

彼らは俺ほど口が堅くは無いだろうし、秘密を守る義理も無い。

それ故に、あの件に対しての他者との繋がりは極力知られないようにするつもりだった。


「だったら俺が手伝ってやるよ」


ジジイの一言はあまりに予想外過ぎて、開いた口が塞がらなかった。


「何だ、不服なのか?」


「いや、そんなことは無いが……」


ジジイが加われば百人力だ。だからこそ、話がうまく行き過ぎて不安になる。

人を騙すような性格ではないが、唐突な申し出には違和感しかなかった。


「なに、俺ももって後一年の命。最後にでっけぇ花火をあげたっていいだろうよ。

ただし、一つだけ条件がある」


「なんだ」


やはり、と内心で頷いた。

ジジイの事だ。取引条件にはそれなりの無茶を言うのだろう。


「生きて帰ってくること」


「はぁ?」


「簡単だろ」


簡単なわけがない。そもそも片道切符のつもりで考えていた旅だ。

タイタンから一歩外に出れば、人の生きることができない死の灰渦巻く大気。

強風により飛ばされてくる重量物が飛行機に当たれば、ひとたまりもない。


全てがうまくいって分厚い雲を抜けたところで、通信回線は使用できないため帰路は不明。

空を飛んだ距離感覚だけを頼りに、再び黒雲の海に潜らなければならない。

だけど。


「いいぜ、その条件のんだ」


挑むべき壁は高い方が盛り上がる。

険しい道こそ通りがいがある。

生きて帰ってこれたなら、青空はあったんだと皆に誇って言える。


両親がなぜタイタンに来たのかは知らない。関係もない。

俺は、俺の意思で青空を目指す。


「ふん、だったら協力を……」


「入るぞ」


ノックも無しに入って来たのは、統括区からわざわざ来ていた監督官。

いつの間にか二人のお付きを連れていた。


「なんだい、お嬢ちゃん」


服装や仕草からでも、整備課の人間ではないとわかるはずだったが、

ジジイは強気な姿勢で問いかけた。


「あー……てめぇには用は無い」


纏っていた雰囲気が変わり、苛立ったのが嫌というほど伝わって来た。

あの立ち居振る舞いで、お嬢ちゃん扱いを受けたことなどなかっただろう。

さらに悪いことに、その扱いはどうやら彼女の癪に障ったようだ。


「だったら俺に用ってことですか。いいんですか、作業現場を放っておいて」


「てめぇの心配することじゃねぇ。手間取らせやがって、ついてこい」


「俺は今見舞いに来てるんだ、後にして欲しい」


「二度は言わねぇぞ」


連れ合いの大柄の男二人が、合図も無しに前に出る。

拒否しようと連れていくという事だろう。


「病人がいる部屋で、怪我人と荒事でもするつもりかよ……」


おとなしく従う以外の道は無かった。

万全の状態でも、付き人の男一人すら倒せないだろう。体格が違いすぎる。

自分のペースで歩いていくレモン監督官の後ろを、小走りで追いかけた。

早足のせいであちこちが痛むが、気にしてくれる様子はない。


「入れ」


病院の一階、ロビーから離れた所にある小部屋に通された。

他の通院者からは死角になって見えない部屋だ。

俺が入った後、出入り口の脇に二人の男が立つ。逃げ道を塞いでいるのだと言われなくても伝わった。

席に座ってすぐにタバコの火をつける監督官。

余裕を持って話をするために、こちらから切り出した。


「わざわざ別の部屋に呼び出した理由は何ですか」


「今回、私は予備発電区画の工事と一緒に、ある事実の調査をしに来た。なんだかわかるか」


「いえ、見当も尽きませんが」


予想はつくが、こちらから答える様な間抜けな真似はしない。


「とぼけんなよ、こっちはわざわざ来てるんだ。証拠があるに決まってるだろうが」


「申し訳ありませんが、何のことだかさっぱり」


「おい……ガキだからってこっちが手を緩めるとでも思ってんのか」


胸ぐらを掴まれて煙草の火を近づけられたが、平然を装う。

病院内で馬鹿なことはしないだろうとの予想は、たった数秒後には裏切られた


「熱ッ……何を……!」


手の甲にはっきりと残った火傷の痕。

じんじんと伝わる痛みが、遊びや冗談ではないと告げていた。


「まぁいい。プロペラだよ……どこにやった」


「プロペラ?」


「てめぇが命からがら拾ってきたヤツだ」


「……あんなものが、いるんですか」


拍子抜けだった。思わず緩みそうになった頬を締め直す。

しかめっ面のまま短く返答する。決して言葉の裏を気取られない様に。


「めんどくせーことにな、タイタンの決まりだ。お前だって知ってるだろ。

外界の遺物を持ち込んではならないってな」


「そう言えばそうでしたね、すいません。お手数をおかけしました。

プロペラなら、百三番格納庫に置いてあります。俺が戻ってきた格納庫です」


「百番台か、あそこはゴミ溜めになってるはずだが。分かりやすい場所にあんのか」


「ええっと、はい。恐らく。俺のヒュペリオンを修理した時にはその辺に転がってましたから」


材質、外形寸法その他のデータはすべて取り込み済みだ。

今更原型を失ったところで痛くも痒くもない。

むしろその程度で疑いの目から逃れられるのなら、安い買い物だ。


「手間をかけたな。帰っていいぞ」


後ろを振り返ると、扉を塞いでいた男二人が道を開けてくれていた。

素直に在処を言わなかったなら、どんな目に合っていたかはあまり考えたくはない。

椅子から立ち上がって、出口に向かう。

扉を開けて退路を確保した後に、振り返って話しかけた。


「……一つだけ聞きたいんですけど」


「答えねーぞ」


「……タイタンのルールの中で、外に出てはいけない。

外のものを持ち帰ってはいけないってのだけ、異質じゃないですか。

まるで外に人間が出るのを嫌っているみたいだ」


返答は、やはりなかった。期待してなどいなかったが、こうもあからさまに扱われるとは。

暫く手元の端末に何か打ち込んでいた監督官は、無言のまま端末をポケットにしまう。

連れの二人に手で合図をすると、立ち尽くしていた俺の横を通って出ていった。


「別に答える気がないならそれでいいさ」


タイタンには幾つかのルールがある。

孤児院育ちの俺でも覚えさせられたのだから、知らない人間はいないだろう。

外界が滅びる前の世界、旧世界での法律をほとんどそのまま利用しているものは旧法。

それと区別するために、タイタンでの生活の為に新しく生み出された新法と呼ばれている。


殺人・暴力・収奪・などを禁じている旧法は、かつての社会の名残。

新法はタイタンで暮らすうえで必要不可欠な法律。


そのうちで一番有名な一つが、勤労法。

読んで字のごとく、タイタンに生存しているあらゆる個人は勤労の義務を負うといった内容のものだ。

例外条件を除いて、勤労をしない者はタイタンでの生存を許されていない。

十五歳までの子供、六十歳以上の老人もしくは妊娠中の女性、

または十五歳までの子供を有する家庭の夫婦どちらか。

病人、障碍者など働くことが難しい者。


内容を頭の中で復唱しながら、降りてきた階段を上っていく。

ジジイの病室は確か三階の一番奥だったはずだ。

あまりの勢いで連れ出されたせいで、きちんと部屋番号を覚えていなかった。

入る前に個室のネームプレートを見れば間違えることも無い。


初めて新法を聞いた時に、違和感を持ったのは俺だけなのだろうか。

第七条である居住法にはこうある。


理由なく外界に出ることを禁ずる、外界を観測することを禁ずる。

また、職務上外界に出ることがあっても、外界のものを持ち帰ることを禁ずる。


なぜ露骨なほど外界への接触を嫌っているのか。

その理由は、整備課の一員として外に出たからこそわからない。

外界には見るべき景色も、得るべき知識も何一つとして存在していないのに。


どこまでも続く澱んだ黒雲に埋め尽くされた空と、数十歩先も見えない程降りしきる黒灰。

この世界の全ては、太陽と切り離された冷たく暗い地獄の底である。

灯りがなければ歩くことすらままならず、ヒュペリオンがなければ生きることすらできない。

生命の活動のない死の空間。比喩でも何でもない、見たままの姿だ。


タイタンが建設された頃には、まだ人間が外に住んでいたらしい。

知識としては習ったが、信じている者の方が少ないのではないだろうか。


暦の上では五百四十三年。

事実かどうかは知らないが、タイタンの隔壁が封鎖されて地上と切り離されてから経った年数だ。

構造物は人間の身体のように更新し続けられ、当時と同じ部品を使っているところなどないだろう。


人類最後の砦を維持するための補修資材、生活の為に使用されたエネルギーは半端な量ではない。

外界以外に、それ程の資源が手に入る場所などないように思える。

リスクを冒してでも、もっと外界を開拓すべきだろう。

そのためにはタイタンのルールは百害あって一利なし。


では、一体何のために。

ジジイの病室までの短い距離の間では、たいして考えつくことも無かった。

軽くノックだけして引き戸を開けると、ジジイが暇そうに端末を弄っている。


「戻ったぞ」


「統括区のお偉方が何の話だったんだ。どうせ碌なことじゃないんだろう」


こちらを見向きもしないが、横顔がわずかに眉を歪めていた。

ジジイの性格を考えたら、以前煮え湯を飲まされたであろうことは想像に難くない。


「持って帰って来たプロペラの話だ。統括区で回収するってよ」


「いいのか。父親の形見だろう」


「正直、父親の話をされてもピンとこねぇしな。プロペラのデータは取得済み。

発注さえできれば、いつでもより優れたものが作れる」


「手癖の悪い奴だな。誰の教えなんだか。ところで、気づいてたか。

あのお嬢ちゃんの身体、未公開技術での改造まみれだろ」


流石ジジイだ。老いたとはいえ、衰えたわけじゃないということか。

立って歩いているのを見るだけで、レモン統括官の身体に詰められた技術に気付ける人間は、

整備課の中でも数えるくらいだろう。

投げられてからようやく気付いた俺とは、経験も知識も違う。

悔しいようで、嬉しかった。まだ俺は、ジジイを目標にしていけるのだと。


「両手両足の機械化。恐らくは市販の数倍は馬力があるだろう」


「力だけじゃない。立って歩く時のバランスが驚くほど整っている。

脚であのレベルなら、指先には人間以上の精密さがあるだろうな」


「市場で許可されていないものを統括区の人間が利用しているのはおかしいだろう。

向こうに住んでいようと、こちらに住んでいようと、あくまで対等なはずだ」


「なんらかの恩恵を受けてるってこったろ。統括区に関しちゃわからないことが多い。

長老は向こうに行ったことがあるらしいが、もう覚えてはいないだろうな」


会えば青空の話ばかりの長老から、別の話を聞きだすのは物凄く手間と時間がかかる。

数分もすれば脱線し、すぐに覚えていないと言い、黙ったかと思ったら寝ていたりもする。

別に統括区がどうあろうと関係ないのだが、プロペラの件がどう伝わったのかも気になっていた。


今度、フィロードに出来うる範囲で調べてもらおう。

もし俺らの邪魔が入るとすれば、あいつら以外には考えられない。

敵の手の内を知っておけば、何処かで役に立つこともある。


「折角の入院生活だ。一週間くらい楽しんだ後、お前の手伝いをするとしよう」


「こっちはこっちでやっておく。気にせずゆっくり休んでくれ」


「心配しちゃいねぇが、お前も怪我人だろう。あまり無理をするんじゃないぞ」


打ち身の箇所はまだ痛む。

動けない程ではないが、作業をするのは少し手間取りそうだ。


「また来る。体調が良くなるまでは養生しろよ」


「はっ、体調ぐらいすぐに戻る。先の楽しみがあればな。

坊、整備だろうが、改修だろうが、気長にやってな。

俺が手を貸してやるんだ。大船に乗ったつもりでいればいいさ」


「ああ、そうさせてもらう」


病床から力強い言葉を投げかけてくるジジイに頷き、病室から出た。

看護師が忙しなく動いている廊下をゆっくりと抜け、乗り合い所に向かう。

居住区に向かう大型移動車に乗り込み、静かな揺れを感じながら眺めていたのは見慣れない風景

周りからは遠慮しがちな会話が幾つも聞こえてくる。

二人掛けの座席に独りいた俺は、長いこと忘れていた寂寥感をじんわりと味わっていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ