白銀の翼4
ニゥに聞いたアンダーという名前のバーは、娯楽施設の中でもかなり奥まったところにあった。
ナビを使っていなければ、見つけられなかったかもしれない。
古びた扉を開けると、およそイメージしていたものとは真逆の光景が飛び込んできた。
キラキラと光るネオンライト、壁一面に貼りつけられた女の子のキャラクターのポスター、
頭が痛くなるようなキンキン声が歌う音楽。
明らかに収容人数を越えている上に、全体的にでかいか細いシルエットの人間しかいない。
咽かえる様な臭いがしていったん外に避難しようとした時、
俺のすぐ後に入って来たらしい小柄な少年と出くわした。
視線があった瞬間、少年は青ざめる様な顔でそのまま出ていこうと扉を開く。
咄嗟にその腕を掴んでしまったせいで、振りほどこうと暴れた少年は扉にしこたま顔面を打ち付けた。
あまりに大きな音がしたせいで、店内にいた人間の目が一斉にこっちに向けられる。
居たたまれなくなった俺は少年を小脇に抱え、一礼をして外に出るとすぐに扉を閉めた。
整備課の所属とは思えないほど軽い少年を半ば引きずるようにして、すぐ近くのベンチに寝かせる。
自動販売機でジュースを二本買うと、少年が目を覚ますまで同じベンチに座って待つことにした。
何で俺を見てそんなに驚いたのかがわからないが、頭を打ったのは俺のせいでもある。
先ずは謝るべきだろうか。それとも、先に問うてみるべきだろうか。
そんなことを考えているうちに、横に寝っ転がっていた正面が呻きながら起き上った。
「大丈夫だったか」
出来るだけ優しく声をかけたつもりだったが、焦って起き上がった少年は派手にひっくり返った。
「なななな、なんでここに」
「ん、俺の事を知ってるのか」
「当たり前です!ご自分を何だと思ってるのですか!
もはやあなたはただの整備課員じゃないんです!奇跡の生還者なんですよ!」
そこまで驚かれることでもないだろう。俺が生きて帰ってこれたのは偶然以外の何でもない。
奇跡の生還者なんて代名詞がつくようなことは何一つしちゃいないのに。
「さっささささいん貰っても!? っていうか、ゆるオトのファンだったんですか?」
「あーサインとかする立場じゃねぇから。というか、ゆるオトってなんだ。
さっきのバーに関係してるのか」
「ゆるオトっていうのは夢見る乙女っていう、タイタンの若者の間で大ブームのゲームです。
プレイヤーは十代の五十パーセント、二十台の三十パーセントもいると言われています!
知らないんですか!?」
「ん、そう言えばタイトルくらいは見たことあったかもな」
ニュースサイトをチェックしている時に広告をちらりと見た気もする。
基本的にゲームなんかしない俺にとっては、目の前の少年が異界の生物に思えてきた。
「取り敢えず、中に入りましょう! 今日は月一のイベントなので」
「あーそういう事ね……」
ニゥの嫌味な笑いが頭の中に浮かんだ。
全く情報をよこさずに俺をここに向かわせたのも、俺の反応を楽しむためだろう。
ということは、奴もここにいるってことか。
一発お見舞いしてやりたいところだが、フィロードに会えたのだからチャラにしてやろう。
フィロードに案内されるがまま、イベント会場であるバーの中に連れ込まれる。
息が詰まるような熱気はさっきと変わらないが、知り合いがいるという強みがあるせいだろうか。
いくらか冷静でいられる。
「っくっく……っく! よぉ、坊、元気だったか」
人込みを縫って出てきたニゥは、笑いが堪えられないようだった。
一度深呼吸をして冷静さを保つように意識して、出来るだけ冷たい視線をくれてやる。
「お前フィロードと知り合いだったな」
「知り合いじゃないとは言ってないぜ。なぁ、フィロ」
全く気にもせずに、小柄な少年の横に立って肩を組む。
「ニゥさんにはゆるオトのサポしてもらっています。サービス開始時からのフレですよ。
このゲームはタッグで戦うとスコアが一番稼げるので、
廃課金プレイヤーであるニゥさんはゲームでは人気者なんです。
フレの僕も鼻が高いです」
「あー……ちょっとよくわからないワードを連発するのはやめてくれ」
もはや異国の言語を喋っているのではなかろうかというほど理解ができない。
フィロードのテンションが想像していたよりも十倍以上高いことだけはわかった。
「フィロ、こいつはゲームに関しちゃズブの素人だ。そう一気に説明したってわかりはしないさ。
もうイベント限定キャラは貰ったんだろ。さっさと人がいない場所に移動しようぜ」
「了解です!」
あれだけ人望がない筈のニゥになついている人間がいるというのは、驚きでしかなかった。
正直金の力によるものが大きいのではないかと疑っているが、
少なくともゲームではそれなりに常識的な対応をしているらしい。
「お前が失礼なことを考えているのはわかっている。追求しないでおいてやるよ。
これは貸しだからな」
人の事ばかりは言えないな。意外と俺も顔に出ているらしい。
ニゥの後ろをついていくと、小奇麗なカフェに着いた。
男三人で飯を食うには若干こっぱずかしいが、二人はさして気にしていないようだ。
そこでテーブル席に座ると、すぐにウェイトレスがメニュー表を持ってくる。
俺がコーヒーを頼むと、ニゥは甘ったるそうなイチゴのパフェを、
フィロードは炭酸のジュースを頼んでいた。
「さて、まずは初イベントお疲れさん、坊」
「ああ、誰かさんのおかげてサプライズとして十分楽しめたね」
嫌味に皮肉で返しておく。
喧嘩が始まるのかとおろおろしているフィロードには悪いが、ここまでのやり取りはいつも通りだ。
「で、だ。実はなフィロ、こいつがお前に用があるっていうから今日呼び出したんだ」
「ええと、僕に用って何ですか」
前置きすら許さないど真ん中ストレートのフリ。
あまりに急速な展開に面食らってしまったが、何とか言葉にする。
「あー、ある案件で君の力を借りたい。主にパソコン関係の事なんだが」
「僕にできることであれば、お手伝いします。仕事の後なんかは特にすることも無いですし」
あまりにも素直な返事に、感動すら覚えてしまった。
なぜニゥなんかとツルんでいるのか全く理解できないが、快諾してくれるとは有り難い。
クリアすべき障害はまだまだあるが、二つ返事でオーケーが返って来るとは思っていなかった。
考えていたことを言葉にするのに、少し間を置く。
汗をかいたグラスを掴んで、半分ほど一気に飲み込んだ。
「今から話すことは他言無用でお願いしたい。
それと、この話をした後で手伝わないという選択をしてもらっても構わない」
ゴクリ、とつばを飲み込む音が聞こえた。
それがフィロードのものだったのか、それとも俺のものだったのか判別はつかない。
少しだけためて、確信となる言葉を伝える。
「……百番台格納庫のことは知っているか」
「要らずの格納庫ですよね。過去数十年は全く使っていなかったっていう」
「話が早いな。そこで特別な機械を見つけたんだが、動かすためにはテストが必要なんだ。
実機でテストをするわけにもいかないから、データを取り込んだパソコンで試験をしたい。
だがその部屋にあるパソコン関連のシステムは古すぎて、今のスキャナーから情報を送るのにも時間がかかる」
「んー……つまりハイスペックパソコンを組んで、その機械の仮想運用システムを作ればいいってことですか」
流石に詳しいだけのことはある。一を話して十を察してもらえるほど助かることは無い。
何せこっちは全くの素人であり、どう説明していいかも悩むほどだ。
目の前の少年は、見た目からは想像できない程のの実力の持ち主だという事か。
「話が早くて助かる。出来るか」
「その機械はどのくらいの大きさで、どういう稼働をするのですか」
「全高はヒュペリオン一機程度、全幅は三機から四機と言ったところか。
稼働については……まだ話せない」
フィロードを疑っているわけではないが、リスクは低いほうが良い。
間違っても治安維持課に話を聞かれてしまうのは避けなければ。
「それだと性能選択が少し難しいですね。ハイエンドで組むのは簡単ですが、百万以上かかりますよ」
「流石にそんな予算は無いな」
給料はほとんど貯金しているが、いくらなんでもそんな額には到底届かない。
タイタンの平均年収が二十万程度なのに、いくらなんでも若造に手の出せる価格ではない。
「うーん……中古部品を幾らか使ったとして、それだけ大きな機械ってことは構造も複雑ですよね。
余裕を見ておきたいので、七十万が精一杯ってところでしょうか。
なんとなくは察しますが、整備課の共用パソコンは使いたくないってことですよね」
「君に話すのも躊躇うくらいだ。知っている人間は少ないほうが良い」
「……その機械、見せてもらえませんか」
即座に返答が出来なかった。
その瞳に悪意が感じられなくても、首を縦に振るのは難しい。
「いいじゃねぇか、見せるしかねぇよ」
ニゥは気楽なもんだ。
仮に飛行機が見つかったところで、玩具が一つ無くなった程度の事だろう。
そのうえフィロードとの面識もあるのだから、警戒心が無いのも頷ける。
だが俺はそうはいかない。人生の全て賭けた一世一代の大勝負なのだ。
逡巡しながら、氷が解けて薄くなったアイスコーヒーを一息で飲み込む。
「夜に出歩くことは出来るか」
暫くの間考えたところで、別の案は出てこなかった。
ここでフィロードの協力を得られない方がマイナスだと判断し、了承の意味を込めた言葉をかける。
「一人暮らしなので、仕事の後なら大丈夫です」
「俺よりも三つくらい下だよな、もう一人暮らしをしてるのか」
「部屋に物が多いので……働くことを条件に一人暮らしさせてもらってるんです。
整備課だと給料もよくて、一人でも結構広い部屋がもらえるので」
「へぇ、知らなかったな。てっきり親元にいるもんかと」
ニゥも俺も実家暮らしだ。
一人暮らしは経験したことがないし、それなりの年齢になってからするものだとも思っていた。
「趣味が趣味なので……とにかく広いところに住みたかったんですよ。
後は、いきなり家族が入ってこないところも気に入ってます」
「あぁ確かにいきなり入って来る母親はウザイよな。
部屋に鍵を付けたら親父に扉ごとぶっ壊されたこともあるぜ」
「意外と過激なんだな、班長……」
「仕事と家じゃまるで別人格みたいなもんだな。じゃなくて、俺の話はもういいだろ。
明日の晩、深夜十一時に整備課倉庫に来い。誰にも見つからないようにな」
「わかりました!」
「無理はしなくていい。こちらは頼みごとをする立場だ。断る権利もあるし、最悪は……」
通報する権利だってある、とは続けられなかった。
冗談でも口にしたくなかったし、疑っていると受け取られるのも嫌だったからだ。
とにかく無事に交渉は終わった。後は明日の晩まで待つだけだ。
「さて、俺は帰るぞ」
「まぁそういうなよ、さっきから向こうの女の子がこっちをチラチラ見て来てんぞ。
声でもかけてきたらどうだ、奇跡の人」
ニゥが視線だけ向けた先には、俺と同い年ぐらいの女性四人グループがこそこそとこちらを見ながら何かを話している。
バレない様にしているつもりだろうが、こちらからは丸わかりだ。
「ニュースの一面を飾ってましたからね、みんな顔を知ってますよ」
「勘弁してくれ……」
後で調べて分かったことだが、あの事故の被害は相当大きかった。
タイタン外殻作業中に飛んできた重量物による死傷者は十八名。
うち五名がタイタン外部に弾き飛ばされて、生存者は俺だけ。
過去五十年を遡っても最悪の災害だった。
犠牲になった仲間の事を考えれば、英雄扱いなど受ける気にはなれない。
「一声かければ着いてくるんじゃねぇのか。勿体ねぇ」
「面倒なことになる前に俺は帰る。空気を悪くしてすまなかったな、フィロード」
「いえ、僕もすいませんでした。ちょっと浮かれていたみたいです……」
「そこの馬鹿にもその謙虚さを分けてやってくれ。じゃあな」
面倒事が起こる前に退散することにした。机の上の電子伝票を盗むように掴んで、
小声でキャーキャーやかましい連中の隣を通って出口に向かう。
レジで生体認証を利用して支払いをすませ、そのまま外に出た。
ニゥに言われてから気づいたことだが、確かに街中の視線が集まっている気がする。
浮かれ気分の世間に嫌気がさし、早足で自宅に向かった。
◆
「これが……飛行機……」
フィロードがやってきたのは、約束通りの時間。
何の疑問も持たずに、ニゥが用意していた移動車に乗って来たらしい。
そこまで人を信じすぎるのも心配だが、素直にお礼を言っておくべきだろう。
「わざわざすまない。手を煩わせたな」
足場を下りていく。ニゥはソファーで仰向けに寝そべっているまま動かない。
ゲームをしている途中で寝てしまったのだろう。飛行機の方に集中していたので気づかなかった。
「いえ、これは……ゼロから組み立てたのですか」
「いや、もともとあったものだ。今は不必要な装備を外している」
「なるほど、それでパソコンというのはあれの事ですね」
フィロードが早足で向かったのは、格納庫の隅に作られた隔離部屋の中にある旧型のパソコン。
早速起動すると、眼にもとまらぬスピードでキーボードを打ち始めた。
「飛行機のスキャンデータをください」
「ん、ああ」
勢いに流されて、手元の端末をそのまま渡してしまった。
パスコードを解除しようと手を差し出した瞬間に、生体認証が行われる部分だけを触らせられていた。
一瞬の出来事で、何が起きたのか理解した時には飛行機のデータをあれこれいじくっている。
「お、おい。そのデータを壊すなよ」
「そんな素人みたいなことしませんよ。
今はデータの種類とサイズを確認して、必要なソフトとスペックを洗い出ししているところです」
昨日会った時とは百八十度違う性格にかなり引きながら、
何も言わずに黙って作業を見ていた。
「うん、これなら三十万弱で足ります」
安くはないが、手が届かない金額ではない。そう思えば、日ごろから貯金しておいてよかった。
今後お金が必要な時が出てくるのが怖いが、その時は別の方法を考えればいい。
「いつ払えばいい。それに組み立て費なんかの手間賃もかかるだろ」
「ええっと、来週中には部品を揃えます。
普段からよく利用しているから後払いが出来るので、完成後の支払いという事でお願いします。
組み立て費は別にいらないです。良いものを見せてもらいましたので」
「それは有り難いけど……そうだな……」
一円でも出費は避けたいところだが、ただ働きをさせるのも納得がいかない。
何かいいものは無いか、格納庫の中を見回しながら考えていた。
すぐにフィロードが喜ぶものであって、自分の裁量で渡せるものを一つあることに気付いた。
「完成したパソコンは、俺が飛行機で飛んだ後であれば好きにしてくれていい」
「本当ですか? それは嬉しいですけど、報酬としてもらうには高額すぎます」
「生きて帰って来たとしても、どうせ俺には使う機会がそうない。
必要な人間の手元で役に立つ方がいいだろう」
三十万だろうが五十万だろうが、俺にはインテリア程度の役割しか与えられない。
フィロードのならきっとうまく使えるだろう。
「じゃあ、そういう約束でお願いします。必ず無事に帰ってきてくださいね。
遺品としてもらうのは気味が悪いですから」
「死ぬつもりは無いさ」
もし青空を一目拝めたのなら、その後に死んでもいいとは思っているが。
それは敢えていう事ではない。残りの寿命のことも、フィロードは知らなくていいことだ。
「ええと、帰るにはどうすればいいんですかね。
早速、注文をしたいんで」
「そこにある移動車に乗って、行き先を整備課倉庫に指定すればいい」
「まだ戻られないんですか」
「ヒュペリオンも組まないといけないから、もう少しここにいるつもりだ」
今朝百三格納庫に行った時には必要な装備が届いていた。
自動運搬システムによってニ十四時間運び込みがされているから、
今はもう少し揃っているだろう。
丸一日あったのに、全く組んでいないのが誰かにバレると流石にまずい。
少しくらいは組み立てておくべきだ。
「それでは、おやすみなさい」
移動車に乗り込んで帰っていくフィロードに軽く手を挙げ、補助機に乗り込んだ。
寝ているニゥはほったらかしにして、百三格納庫に向かった。
補助機の動作音以外は何一つしない廊下を真っ直ぐに。
五分もしないうちに、百三格納庫で並べられた修理部材と向かい合っていた。
まず最初に左腕の基幹フレームの包装を引き剥がし、持ち上げてヒュペリオンに横づけする。
接続部をほとんど密着させ、反対側のアームで複数のボルトを締め込んでいく。
動力を送るケーブルを接続すれば、躯体の修理は完了。
試しに裸のヒュペリオンに乗り換えて起動してみる。
装甲がないお陰で軽快な動きをする愛機。広い倉庫内で円を描くように動く。
最初は歩きながら上体を動かし、次に左右の手を動かしながら走った。
脚部の移動用ローラーも問題なく動く。
補助機の隣に戻り、また乗り換える。
巨大な木箱を開くと、各部の装甲が丁寧に梱包されて並んでいた。
脚部から胴部へ、そして腕部に取り付けていく。
プラモデルが大きくなったようなものだ。さして難しいことは無い。
多少取り回しに面倒があったり、パーツが生身では持ち上げられないほど重かったりするが。
組み立て始めてから二時間ほど経って、懐かしいとすら感じるシルエットが見えてきた。
「ふぁああぁ……おーぅい、坊。いつまでやるつもりだ」
寝ぼけ眼を擦りながら歩いてきたニゥは、大きな欠伸をしていた。
百十八格納庫のソファーは意外と寝心地が悪いのだろうか。
起こしに行くまでは寝たままだろうと思っていたのだが。
「ああ、もう終わろう。どうせ明日も来るしな。向こうの扉は閉めてきたのか」
「当たり前だろ。そんなポカやらかすかよ。帰るんならさっさと乗り込め。置いていくぞ」
「すまん」
ヒュペリオンの組み立ては明日には終わるだろう。
作業中の機体に、念の為大きな布をかぶせておく。
それが終わったら補助機を飛び降りて、ニゥの乗った移動車の元へと走る。
「っとぉ……」
連日の作業のせいか、足元がふらついったようだ。
こけそうになるのを何とか堪えて、移動車に乗り込む。
空調のきいた小部屋と温かいシート、丁度良い揺れのせいで即座に眠りへと誘われた。
◆
「俺の仕事が終わったら話がある。大人しく部屋で待ってろよ」
今朝方、出掛ける前にそうジジイは言い残していった。その背を見送った俺は、少し間を開けて約束の場所に向かう。
ニゥと合流した後、ヒュペリオンの修理をするために百三格納庫に移動した。
適度に休憩をしながら作業をして、定時より少し早いくらいには引き上げて帰って来る。
ニゥにとっては本当に楽な仕事だろう。
俺が修理と調整をしている間、寝転がってゲームをしているか、眠っているだけだった。
帰ってきてすぐに風呂に入る。オイルの臭いは湯で流さなければなかなか落ちない。
わざわざジジイが引き留めるくらいだ。大事な話なのだろう。
どうせ今日の夜は百十八格納庫に行く予定も無かったので、部屋でのんびりと時間を潰していた。
一時間ぐらい経っていただろうか。ウトウトしていた俺の部屋を叩いてジジイが中に入って来た。
「待たせたな、すまなかった」
「ん……あぁ、帰って来たのか。風呂には……もう入ったみたいだな」
ジジイはもう寝間着に着替えていた。
若干上機嫌に見えるのは、少し離れていても気づくほど臭うアルコールと無関係ではないはずだ。
元々晩酌をする人だったが、今日はいつにもまして飲んでいるようにも見える。
シャワーの音に気づかなかったくらいだから、結構長いこと寝ていたのだろう。
ジジイは覚束ない足取りで、机とセットの椅子を引き出して座った。
流石に座布団を枕に寝たまま話すわけにもいかず、壁に背をもたれて向かい合う。
「坊、最近夜中に出歩いているな」
「……何のことだ」
探ったり遠まわしに言ったりするような人間ではないことはわかっていたが、
単刀直入に言われたせいで一瞬だけ返事に詰まった。
「隠さなくてもいい。別に出かけていること自体を責めるつもりは無い」
とぼけるのは無駄だろう。
確証があるからこそ、ジジイはこの話題を出してきたのだ。
夜中に目が覚めたのか、それとも帰ってきた音で起こしてしまったのか。
なんにせよ、同じ部屋に住んでいていつまでも隠し通せるものではなかったのだ。
「少し、出掛けている」
「一人でか」
「いや……」
想定外の話題から、立て続けに飛んでくる一歩間違えれば致命傷になりかねない問い。
普段通りの雑な返答ではボロを出してしまいかねなくて、思わず歯切れが悪くなる。
詳細を問い詰められるのかと内心ビクビクしていたのだが、
珍しくジジイの追及はそこまでで終わった。
「誰かと一緒に行動しているなら別にいい。体調には十分気を付けておけ」
「あ、ああ……心配をかけてすまん」
「それともう一つ、夜遊びをするのは構わないが、タイタン内のルールは守っているんだろうな」
「それは大丈夫だ」
はっきりとした口調で即答する。
動揺していた頭でも、その疑問にだけは隙を与えてはならないと、間をおかずに理解した。
「なら好きにしろ。それともう一つ。どちらかと言えばこちらの方が重要だ。
お前、もう仕事には復帰できるのか」
俺にとって重要なのは第百十八格納庫にあるもののことであり、それ以外のことなど些事でしかない。
ジジイの言葉に一瞬心臓が止まりかけたが、全く関係ない話題だった。
バレない様に心の中で大きく息を吐いてから答える。
「ん……あぁ。身体は問題ない。細かい作業も出来ると思う。
ヒュペリオンならまだ修理は出来てないが」
「第四班にな、人が足りねぇんだ。何人か貸してくれと言ってきてる。
班長から声がかかったんだが、俺が抜けるわけにもいかない。こっちだって人数不足なんだ。
で、他から声が上がったのは坊と、班長とこの息子だ。
あのやんちゃ坊主の手綱を握れるのがお前ぐらいだと話になってな……」
「まぁ確かに、ニゥの奴と仕事をするのは他の奴は嫌がるだろうな」
俺は体調を理由に断ることも出来るだろうが、ニゥはそういう訳にはいかないだろう。
でかい借りがあるわけだし、少しずつでも返してやるべきだな。
ここで下手に見捨てたりすれば、その話が耳に入った時逆恨みで余計なことを話しかねない。
「やるよ、身体を慣らしておきたかったしな」
「無理をさせてすまないな。
明日はゆっくり休んで、明後日から第四班の準備倉庫に出勤してくれ。
第三・第四班長には俺から連絡をしておこう」
「頼む。どんな仕事なのかはわからないが、出来ることをやろう」
久し振りのまともな仕事だ。
第四班として働くのは多少不安だが、仕事内容はそう変わりはしない。
メンバーが変わる程度でトチる様な育てられ方はしていないつもりだ。
俺自身のプライドを、ジジイとそして第三班のメンツを潰さないためにも、
出来るところは見せつけておかなければ。
そんな無駄な意気込みで発破をかけていた時、ジジイにしては珍しく質問に迷いが見えた。
「あと一つ聞いておきたかったんだが……お前、あのプロペラは一体どこで拾って来たんだ」
「どこでって……タイタンの外に決まっている。タイタンの中にあんなものはないだろう」
第百十八格納庫で調べていて分かったことだが、
飛行機についてタイタンで手入れることのできる情報は無い。
その部品に関しても同様だ。
「プロペラだけ落ちていたのか」
「いや……飛行機が外にあった。黒灰に埋もれていたんだが、たまたま見つけたんだ。
引っ張るだけですぐに壊れたから、持ち帰るのは簡単だった。何かまずかったか」
「いや……飛行機、か」
ジジイの瞳に一瞬だけ迷いが見えた。
何かを知っている、そんな確信はあったが、果たして触れてもいいものなのか判断がつかない。
酔っているせいで普段より饒舌なジジイなら話してくれるかもしれないが、
なんとなく聞くのが躊躇われた。
「何か覚えていないか」
「何かって言われてもな、古いけど長老の話に出て来る大戦前のものじゃないだろうなってこと。
後は……なんかマークがついてた気がする。ええと……」
ぼやけていた記憶を必死に思い出そうとする。
機体の胴部に描かれていたマークは、かなり薄れていたが辛うじて読み取れたはずだ。
「あれは、たぶん鳥だ。翼を広げた大きな瞳を持つ鳥」
「そうか……分かった。長いことすまなかったな」
「あれがなんだか分かるのか」
「知っている。だが、お前に話すのはもう少し先のことだ。長いこと邪魔したな」
明確な拒否の意思表示。
立ち上がると、引き留める声をかける前に部屋を出ていった。
ジジイはなんでタイタンの外にあった飛行機の事を知っているのか。
他にも知っている人間がいるのだろうか。
瞼が重くなってきたので、寝室に移動しながら考える。ジジイはまだ台所で酒を飲んでいた。
声をかけることもなく横になった後も、疑問が幾つも浮かんでは消えていく。
あの言い方からすれば、そのうち話してはくれるのだろう。
なぜ今では駄目なのか、俺に秘密にする必要があるのか、その答えはいずれ分かる。
気にはなるが、ジジイが話すべきではないと判断したのであれば、それがきっと正しいのだろう。
身寄りのない俺にとって唯一の肉親。
ガキだった俺を引き取って育てて、生きるための技術まで与えてくれた恩人。
そのジジイがいう事であれば、多少噛みつくことはあれど全面的に信頼している。
それに、あの飛行機に関して俺が出来ることはもう何もない。
リスクを冒してまで拾いに行くほど有用なものではないし、残り少ない時間を無駄するのは馬鹿だ。
明日は一日ゆっくりさせてもらって、その間にヒュペリオンの改造案でも考えてみよう。
面白い案でも思い浮かべば、試してみるのもいいだろう。
◆
「おはようございます」
朝八時、ジジイから聞かされていた場所に着いた時、
きちんと並べられた椅子の一つに眼鏡をした細身の男が座っていた。
「早いな。集合時間は八時半だったはずだが」
「ほぼ初対面の人と仕事をするのにぎりぎりに来るわけにもいかないですよ」
「随分口が悪そうだとは思っていたが、良識は持ち合わせているらしいな
俺の名前は知っているだろうが、一応名乗っておこうか。第四班の班長をやっているシャミだ。
あぁ、お前は名乗らなくていい。よく知っているよ、奇跡の生き残りくん」
上から目線の言葉に、思わず顔に出ようとした苛立ちはすんでのところで抑えた。
第四班の班長に初日から噛みついたとなれば、他の班員からも敵視されるのは避けられない。
これから何日間か一緒に仕事をするのに、終始険悪な雰囲気の中で働くのは面倒だ。
培ってきた技術にはそれなりの自信がある。
同年代どころか、少し上の先輩にも負けているとは思わない。
仕事の結果で自分の意思を示せばいいだろう。
「今日の仕事は何ですか」
「今日は俺と二人で、製造区画のマルチカッター修理だ」
「あれ、二人でですか?」
鉄、合金、その他あらゆる素材を自在にカットできるカッターは、大きさにして十数メートル四方。
内部の構造を無視するのであれば、ヒュペリオンを丸ごと一機を切り出すことも出来る。
タイタン内で行われてるあらゆる製造部門に必須の一機。
修理優先度は相当高い筈だが、それをたった二人でとなるとはよっぽど人が足りていないのだろう。
「なんだ、できないのか。だったら代わりの人間を連れてこい。
俺は三班の班長に仕事の出来る奴を貸してくれ、と頼んだんだからな」
ジジイの話によると、ニゥも来る予定だったはずだ。
疑問が喉元までこみあげてきたが、四班班長の面倒そうな視線の前に、俺は聞くのをやめた。
「いえ、あれの修理くらいなら出来ますよ」
「ふん、でかい口を叩くのは勝手だが、それ相応の腕を見せてもらわないとな。
こいつの乗れ、工具その他の修理部品は全部積み込んである」
自動運転の工事車両に乗り込む。三班で使っているものと同系の車両だ。
ジジイが使っているものと違って、内部は殆ど構造材が剥き出しになっている。
これでは横になって一寝入りすることも出来やしない。
最も、目の前に座っているこの男の前で寝るなんてことは絶対にありえないが。
「……ジイさんは元気にしてるのか」
「ん、ジジイの事を知っているんですか。喧しいくらいですよ」
我ながら間抜けな質問だと思った。整備課で一二を争う実力の持ち主であるジジイを知らない奴なんていない。
どうせ移動中に話すことも無いだろうと別の事を考えていたのだ。
何の前触れもなくいきなり聞かれたせいで、反射的に答えてしまったのは仕方がない。
「ふん、なら別にいい」
自分から聞いておいてそれか。今はジジイとの接点を話すべきタイミングじゃなかったのか。
歳が近ければ畳み掛けるように突っ込んでいたはずだ。
それをしなかったのは、ただ目の前の相手が第四班の班長だからにすぎない。
最終日には俺が気にくわなかったことを全て投げつけてやろうと、心のメモ帳に書きなぐった。
その後に会話が生まれることも無く、定期的な揺れによる眠気と戦いながら、タイタン内部の風景を眺めていた。
巨大なゲートを幾つもくぐり、複数の区画を通り過ぎる。
組み立て区画を真っ直ぐ突っ切った先にあるのは、紅い光が爆ぜる炉が幾つも並んだ溶炉区画。
出来上がった各種インゴットは必要なラインに必要なだけ輸送されていく。
その隣に、目的としていたマルチカット区画がある。
「こいつだ、さっさと降りて準備しろ」
マルチカット区画、七番ライン。車両は見上げるほど大きな直方体の横で止まった。
ヒュペリオンの装甲に用いられる軽量高硬度金属の加工用カッター、二番機。
正式名称は長くて覚えていられない。
「故障個所はわかっているんですよね」
「内部基盤の一部が焼けている。それを交換した後、高出力レーザー口の劣化部分を交換。
テストして問題なければ完了だ」
「半日で終わる作業じゃないですか」
「そう思うんだったら、さっさと内部基盤を変えてこい。携帯端末には修理場所を送っておいた」
工具ボックスと交換部品を持ってメンテナンス扉を開けて中に入った。
足元のランプが辛うじて道を照らしている。
でかい機械だけあって人が通れるだけの通路が確保されているが、
頭上をパイプや電線が通っているせいで歩きにくい。
携帯端末に送られてきたマップの通りに進んでいく。
幾つか簡易階段を越えて、角を曲がった先に制御盤が集中しているエリアがあった。
あちこちがよくわからないルーチンで明滅しているということは、電力が供給されているということ。
簡易メッセージで電源を落とすように連絡をした。
返事は無く、代わりに足元の非常灯以外の全ての光が消えた。
「あーはいはい、やりますよっと」
工具箱の中から絶縁手袋を取り出して、両手に嵌める。
返事が無かったこと自体は何とも思っていない。
ただ基盤の交換には電源を落とすことが必要だと解っていたはずなのに、そうしていなかったのは気にくわない。
試されているのだろう。間違えて素手で取り外しでもすれば、怪我では済まなかったはずなのに。
「さっさと終わらせて戻ればいいんだろ」
関連コネクタを引き抜いて、基盤の固定をはずす。
新しい基盤に差し替えて、導通のテストを行う。
テスターを幾つかの端子に当てて正常なのを確認した後、シャミさんに連絡を送った。
少しして、携帯端末の無機質な音が鳴る。表示された発信元の名前を見てため息が出た。
「はい、なんでしょうか」
声が若干不機嫌になっているのは自分でもわかるが、
向こうにはくぐもって聞こえるだろうからどうせわかりはしない。
「本当に終わったのか」
「ええ、交換くらいならすぐ終わりますよ」
「繋ぎは間違ってないだろうな。一つ間違えれば一生ただ働きしても足りないぞ」
脅されているのか心配されているのかよくわからない。
通話を切ってから暫くして、電源が入ってランプが灯る。
「よし、問題は無さそうだな」
交換した基盤周辺の電流電圧は規定値の枠内に収まっている。
工具を片付けて外に出た時、機械が試運転をしているところだった。
数トンもある巨大な鉄の塊がみるみるうちに削り出されていく。
「切り出しが終わったら、もう一つのマルチカッターから切り出した同じ図面の製品と比べる。
それでスキャンをかけて相違がある場所のレーザーレンズを交換すれば終わりだ」
「意外とすんなりいきましたね」
「思っていたよりはな。この調子だと午後が空く。別の現場を見に行っておきたいんだが、いいか」
「俺は構いませんよ。最初からフルで働くつもりでしたしね」
機械の端子に接続したハンディ端末が接続されたままになっている。
恐らくは俺が中で作業している間、外で再設定を行っていたのだろう。
「終わったみたいだな。次はデータを取り込んで、レンズの修理だ」
何処からか現れた自走カメラが、出来上がった製品をあらゆる角度からスキャンしていく。
ものの数分で終わり、シャミさんの端末に不具合を起こしている部品のデータが送られてきた。
「これから電源を落とす、反対側から昇って内部にあるレンズの修理を行え。
俺はこっちから昇っていく」
「分かりました」
指示通り、交換部品を抱えたまま反対側に向かって扉を開けた。
狭い通路を進んで階段を上っていくと、ガラス張りの部屋に無数のレンズが並んでいる。
先程起動したせいか、若干の熱が残っている。
素手でも問題は無いだろうが、念の為耐熱手袋を嵌めておく。
「聞こえているか」
「はい、今レーザー室に来てます」
「今から番号を送る。それを交換しろ。全部で五十二個だ」
携帯端末を取り出して届いたメッセージを開くと、目が痛くなるほど番号が並んでいる。
レンズは側面に百個ずつ、上部に二百個の計四百個が等間隔に設置されている。
「ええっと……A-24っと……」
梯子をかけて高い位置のレンズを交換する。
こちらを映している無数のレンズは、視界に入っているだけで嫌な汗が背中を伝う。
有り得ないことだが、もし万が一起動すれば一瞬でサイコロステーキになるだろう。
指定された部品を全て交換するのに三時間近くもかかってしまった。
数も多く、設置されている場所が厄介なせいで一個一分で交換というわけにはいかない。
漸く全部終わっておりてきた時には昼を回っていた。
「終わったか」
同じ個数をやっていたはずだが、シャミさんはもう終わっていた。
流石に手は早い。伊達に四十前で班長をやっているわけではないということか。
「すいません、遅くなりました」
「いや、正直もっとかかると思ってた。意外と使えるじゃねぇか。
取り敢えずこれからテスト運転を行う。飯でも食ってろ」
渡された袋に入っていたのは、支給弁当。
ぶっきらぼうな態度に昼飯は抜きかと覚悟していたが、少し失礼な想像をし過ぎていたようだ。
「シャミさんは食べないんですか。あと、これの支払いって」
「俺はもう食った。金はいらん。こんな埃っぽいところじゃなくて、車の中で食え」
「わかりました」
袋を受け取って車の中で開けると、えらく豪勢な彩りのある弁当だった。
タイタンで注文できる中でも最上級グレード、特花盛り弁当。実物を見るのも始めてだ。
飯に金を使う気にもなれなかったし、普通の梅弁当くらいしか食べたことは無い。
なんでそんないいものを渡されたのかはわからないが、有難くいただくことにする。
タイタンでの食事は、弁当と食堂、自炊、外食の中から好きに選べるが、
働いている人間の昼食はほとんど決まっているといっても過言ではない。
俺ら整備課は大抵現場で昼飯を食べる為、弁当がメインだ。
食事手当てがあるおかげで、梅弁当ならタダで食える。
白飯と三種類の揚げ物、葉物のお浸しに根菜の佃煮。
普段食べ慣れていないせいで、おかずが多すぎて困るくらいだ。
一つ残さず食べ終わった後、車の外に出るとシャミさんがまだパソコンを触っていた。
「ん、ああ。食い終わったか」
「すいません、お待たせしましたか」
「いや、最終調整をしながら報告書を書いていただけだ。丁度今終わった。
次の現場に向かうが、いいか」
「どこですか」
半日で向かえる範囲で、修理が必要な現場はあっただろうか。
脳内のリストを探してみるが、すぐには見つからなかった。
「発電区画だ」
「発電区画? エネルギー基礎区画のですか?」
整備課は緊急事態に備えるため、各セクションにその拠点を持っている。
エネルギー基礎区画はタイタン最重要エリアであり、第五班の担当エリアなはずだ。
整備課は余程の緊急事態でない限り、管理エリアを超えて協力することは無い。
特にエネルギー基礎区画はその特性上、多くの人間が出入りできない様になっている。
今から行きますと言って入れるような場所ではない。
「いや、予備発電区画の事だ。工業区画にも予備電源があるのは知っているんだろ」
「はい、それは……。でも故障しているという情報は上がってなかったと思いますが」
「班長と上位役職者にしか伝えていない情報だ。
エネルギー関連は特に適切に扱わなければ危険だからな」
成程、確かにそうだろう。
エネルギー供給の停止は、人類の滅亡とイコールである。
追い詰められた人間は、容易に破滅的願望に突き進む。
暴動など簡単に起きるだろうし、一度崩壊に向けて進んでしまえば、後戻りできない。
複雑な経路を通って、どんどん奥へと進んでいく。
右、二つ目の角を左、すぐ右、突き当たりを右。
曲がる数が多いせいだけじゃなく、上り坂や下り坂も度々ある。
最重要区画だけあって、随分と奥まったところにあるらしい。
地図アプリないしは移動車両の自動制御が無ければ、そうたどり着けないだろう。
上下左右にこれだけ自由に移動されたら、たいていの人間は現在位置に見当もつかない。
普段は役に立たない特技のせいで、どれだけ雑に移動されても凡その居場所は分かってしまうわけだが。
「携帯端末を出せ」
「あ、はい。どうぞ」
進行方向から目を離し、ベルトに結んだ端末を取り外して渡す。
シャミさんはケーブルを指して自分の端末と繋いで作業をしていた。
別に見られたら嫌な写真も、盗まれて困るデータも入ってはいないが、無言でやられるのはあまり気乗りしない。
端末同士をつなぐという事は、その気になればウィルスを仕込むことだって可能だからだ。
「終わったぞ」
「ん、どうも」
待機画面に赤い電話のマークが増えている以外は、変わっているところは無いようにも思う。
試しに押してみると、登録先が一つだけ表示された。
「予備発電区画内では、端末に電波が届かない様になっている。
もしはぐれたらその緊急通信を押せ。でなきゃ骨になるまで誰にも見つけてもらえんぞ」
「成程、そういうことですか。
さっきからやたら複雑な道を進んでいるのも、行き先が分かりにくいようにするためですよね」
「そうだ。予備発電区画には誰もが行けるわけじゃない。
整備課内でもお前くらいの年の人間が入ったことは無いだろうな。
外でぺらぺらと無駄なことを話すなよ」
「わかりました」
仕事の内容を他所で馬鹿みたいに話すなんてことは無い。
働く上で、ジジイから教え込まれた常識の一つだ。
「ついたぞ、少し待ってろ」
修理車両が止まったのは堅牢な扉のすぐ前。
シャミさんは扉のロックを解除して戻って来た。
地響きにも似た音がして、何本もの鉄の閂が外れていく。
円形の扉は中心で半分に割れ、修理車両が一台通れるだけの隙間を作った。
移動車が中に入った瞬間から、ひんやりと冷たい空気が肌に触れる。
発電の副産物である大量の熱を相殺するための冷房が、かなり強めに設定されているのだろう。
「すげぇな」
思わず声が出た。整備課の一員としてそれなりの現場を体験してきた。
タイタン工業区画に存在している数多くの機器や施設を見てきたが、
そのどれもがこの発電所の技術力には及ばないだろう。
地熱から取り出したエネルギーを電力に変換するシステム。
それも、予備のうちの一つだけでこれだけの規模がある。
タイタン全域で使用している電力の総量など計算しようと思ったことも無いが、
実際に発電施設を目の当りにしたら分かる。
大地に突き刺さったかのように見える巨大な円柱状の物質と、
その周囲から伸びる太さが数メートルもあるケーブル。
ゆっくりと回転する巨大なシャフトが幾つも並び、
それらの一つ一つが数テラワットもの発電能力を有しているのだろう。
構造物は完全な絶縁が為されているはずだが、耳鳴りの様なものが聞こえる気がする。
背筋が震えた。気づかないうちに両手に力が入り、握りこぶしを作っていた。
感動に押しつぶされないように、好奇心を抑えるように深く息をする。
「初めて入るやつは、大体そんな顔をする。着いて来い。さっさと現場に行くぞ」
入り口すぐ近くのところに小部屋があり、そこに入ると点検用の装備が用意されてていた。
ゴム質の分厚い絶縁スーツを作業着の上から着る。
専用の長靴に履き替えて、シャミさんの後についていく。
「こいつだ」
四号機と書かれたシャフトに隣接した制御室内のカギを開けて中に入る。
意外にも、電子ロックではなく普通のシリンダー錠であった。
正面にある巨大なパネルには発電状況が表示されており、
その下には椅子が一つ、机には各種設定用のボタンやキーボードが並べられている。
清潔な小部屋、というのが第一印象。
全て遠隔管理されているため、人が待機する必要はないからだ。
横長で部屋の一角を占めるパネルには幾つものゲージが並んでおり、
そのうちの一つが黄色と赤色を交互に変化していた。
「ええと……居住区画の発電異常?」
「そうだ。基本的に、予備発電区画は足りない分だけを補っている。
非常時には高出力発電をするが、通常時は各区画で消費される電力の数パーセントのみを供給している。
居住区画においてもそれは例外ではなく、例え発電が止まったところでさして問題は起きない。
だが、予備発電区画が異常を起こしている状態で万が一メイン電源が落ちた場合、
多くの人間の生活が行き詰る」
「今は辛うじて発電しているみたいですが、発電区画の異常は長く放置はできないですね」
「そういうことだ。一度発電を止めたら再稼働に一週間はかかる。
故障以外でも悪くなっている所は出来るだけ直しておきたい」
地熱発電をするために大地に挿入しているのは、熱量に応じて発電する巨大な金属棒。
低温発電時はおよそ百度前後。高温時は千度近くになるため、
引き揚げたところでメンテナンスできるように冷えるまで時間がかかる。
恐らくは送電経路の劣化や変換器の故障などだろう。
発電を止めなければ修理は出来ない。
「よし、データは照合できた。送られてきた情報との齟齬は無い。
後は交換部品の発注をして施工するだけだ。恐らくは二週間後になるだろう。
ヒュペリオンでの工事だ。さっさと直して絶縁装備にしておけよ」
「俺も来るんですか」
「当たり前だろ。四班はこの前の事故で犠牲者が多く出てて人が足りてないんだ。
腕に問題が無いのは今日で確認済み。猫の手でも借りたいくらいだからな。
さて、現調は終わりだ。さっさと帰るぞ」
予備発電区画にいたのは一時間程度のはずだったのだが、
四班の準備倉庫に戻ってきた時には晩飯の時間を少し回っていた。
片づけを手伝おうとしたら断られたため、挨拶だけして帰路につく。
準備倉庫を出た時にジジイから来ていた連絡に気付いて、今帰っていると返信する。
心配で連絡をしてくるのは珍しい。
ジジイは第四班を毛嫌いしているが、そんなに嫌な人ではなかった。
ただ、班長は結局帰りの車の中でも一言も話さず、どんな人なのかいまいちわからないままだったが。
ああ、久しぶりにガッツリ仕事をして腹が減った。晩飯は家にある残り物でも食べよう。