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Gray Scale StoriesⅡ  作者: ほむいき
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白銀の翼2


「今日もいつもと同じ場所で」


作業終わりに横を通り過ぎていったニゥが小声で呟いた。

俺よりも先に今日の業務が終わったのだろう。そのまま整備班の倉庫に戻って行った。


「おう」


同じように小さな声で返事をし、残りの仕事に取り掛かった。

ジジイと俺で当たっていた修理は、今日中に終わらせなければならない。

昨日夜も出歩いていたせいで眠く、さっさと帰って休みたいが、もう少しかかるはずだ。


「坊! 交換部品を持って来い!」


「……わかってるよ!」


機械室の奥から聞こえる怒鳴り声に叫び返し、部品を持ちあげた。

両手で抱えるのがやっとの重たいコイルを、人一人がぎりぎり通れるだけの隙間を縫って運ぶ。

修理作業は、小人になって機械の中を探索している気分になってくる。

心の片隅に、影のように不安がチラつく。閉塞感は、何度やっても慣れない。

もし何か間違ってギアが動き出せば、中にいる俺らは一瞬であの世行きだ。


そうならないように、二重にロックしているが。

一歩間違えればミンチになる恐怖は、一つ一つの動作を強張らせる。


「おせぇぞ。さっさと持ち上げろ」


既に取り外されたコイルは、焼け焦げている。

それが収まっていた場所まで持ち上げてはめ込んだ。

坐ったのを確認すると、ジジイがあっという間に蓋をボルトで締めていく。


「それをもって出とけ」


「はいよ」


指示通りに持ちだして、廃棄品のボックスに放り込む。

自走カートの制御盤にある仕事終了のボタンを押すと、定められた廃棄品置き場へ向かう。

使い終わった工具の片づけをしていたところで、ジジイが中から出てきた。


メンテナンススペース用の扉をしめ、落としていた電源を通す。

試運転モードに設定し、コンソールの稼働をタップした。


「ふむ……ふん……まだ少し音が鳴るが……じきに馴染むだろうな。

おい、坊!オイルを足しとけ」


「だと思ったよ」


すでに用意していたオイル缶の蓋を開け、コンソールの下にある駆動部へ繋がるオイルラインのねじを外す。

出てきたパイプに、コンソールのオイル総量を確認しながら注ぎ込む。

三リットルほど入ったところで、上限線の一歩手間まで届く。

零さないように布をあてがってから缶を持ち上げ、オイルラインのキャップを閉めた。


「よし、そんなもんだろう。てめぇもまぁわかって来たじゃねぇか」


「そりゃ毎日弄ってるからな」


「はん、最初の頃は随分と不器用な奴だと思っていたが、

そろそろ現場の一つくらいなら任せてやってもいいかもな」


「本当か!?」


ジジイに拾われたのが、もう十年も前になる。それから毎日、機械の相手ばかり。

十代前半の頃は、仕事に行く前にジジイの寄越した機械をバラして組み立てる作業。

人形遊びだの絵かきだの、つまらない孤児院の生活を思えばいくらかマシだったが。

五年前、仕事に初めて連れて行ってもらった時には随分と怒られたものだ。

一人で現場を見てようやく一人前。常に言われ続けてきた。


「いつになる。明日の修理か、それとも明後日からのライン新設か」


「焦るんじゃねぇよ。身の丈に合った現場をよこしてやるからよ。

さ、いつまでもガキみてぇに騒いでるんじゃねぇ。さっさと帰るぞ」


「ああ」


整備課専用の修理車両に残っていた工具を全て仕舞う。

忘れ物が無いことを確認して、乗り込んだ。

目的地を設定すると、車両は自動で動き出す。後は寝て起きれば整備課の倉庫に着いている。

広大なタイタン内を移動するには、なくてはならない存在だ。


整備課の班は組に分けられており、それが基本的な仕事を行う最低限のグループだ。

一組が一台、作業車を保有してる。

俺とジジイは二人で一組なお陰で、四人乗りの車内を割と広く使えるのもありがたい。


「坊、ところで少し話がある」


「なんだよ」


眠ろうと思って閉じた目を少しだけ開き、ジジイを睨みつける。

こちらの視線に気づいていないのか、窓の外を見ている。


「最近お前、夜に出歩いちゃあいねぇか」


驚きが顔に出ないよう、腹の中に力を入れて堪えた。幸い、視線はこちらに向いていない。

微妙な表情の変化には気付いていないだろう。


完全に想定外の質問だった。

夜に部屋を出るのは、常にジジイが寝静まったのを確認してから。

一度寝たら余程のことがないと起きないのは昔からで、

夜中に俺が出ていることに気付くはずはないと高をくくっていた。

動揺を素早く飲み込んで、適当な返事をした。


「別に……構わないだろ」


「構いやしねぇよ。別段、禁止されてることでもねえ。ただな、決まりは守れよ。

それから、仕事に影響を出すな。今日も少し眠そうにしていたろ」


決まりとは、整備班の約束事。

さして面倒なことではない。要は部品を盗むなとか、仕事をサボるなとかそういったものだ。

その中の一つ、整備倉庫内を不必要に探索するな、というのが今の俺にとって問題なわけだが。


なにしろ整備課の管轄は、タイタン内で最も広い工業区画の中においてかなりの面積を占めている。

おまけに厄介に小分けされているせいで、無装備で下手に踏み込めば帰ってくることが出来なくなるほど。

子どもの頃は、そのまま干乾びて死んだ人間の話をよく聞かされてきた。

流石に今となってはそれが作り話だとわかってはいるが。


「黙って出歩いてたのは悪かった。すまん。だけど仕事はちゃんとするつもりだ」


眠気はうまく隠していたはずだが、ジジイには気づかれていたようだ。


「ならいい。さっさと寝ろ。どうせ帰るまで結構かかる」


整備車両の自動運転は便利だが速度は遅い。

三十分程度の睡眠時間なら確保できるだろうと、ゆっくり目を閉じた。







「おい、起きろ。いつまで寝てんだアホタレ」


乱暴な声に叩き起こされて、起き上がると車両は既に止まっていた。

寝ぼけた目を擦りながら、外に出る。

暗がりに目が慣れるのと同時に思考もはっきりとしてきた。


他の現場も終わって、ほとんど全員が帰ってきているのだろう。

整備車両が数十台並んでいる倉庫は静けさを保っていた。


「さっさと帰るぞ。明日の現場はデカい。久しぶりに第三班・第四班の共同仕事だ」


ジジイはこちらを振り返りもせずに歩いていく。少し駆け足でその背を追う。

車両倉庫をでて真っ直ぐ進めば、各班員の持ち部屋まで一直線だ。

カードキーで自分たちの部屋を開けて、部屋に入ってすぐ油にまみれた服を脱ぐ。

洗面所で顔と手を洗った後、布団に倒れ込んだ。

ジジイはシャワールームに入っていったようで、微かな水音ともにご機嫌な鼻歌がこちらまで届く。


俺とジジイが使っているのは家族向けの整備班員部屋。

十畳の部屋が四つに、リビングダイニングが一つ。どう考えても二人で住む部屋ではない。

それに、俺が来る前にはジジイが一人だったというのだ。


来たばっかりの頃にジジイに何故この部屋を一人で使えていたのか聞いてみたが、

濁されるばかりでまともな返事をもらったことは無い。

他の班員に聞くのも躊躇われて、結局わからずじまいだ。


「待たせたな。風呂空いたぞ」


全裸にバスタオルを巻いただけのジジイが部屋に戻って来た。


「その恰好止めろって言ってるだろうがよ……」


よぼよぼのジジイの身体を見て喜ぶ奴がいるものか。

幾ら見慣れてるとは言え、見苦しいことには変わりない。


「あぁ、すまんすまん。さて、俺は寝る。お前もあんまり夜中に遊ばずに、さっさと寝な」


「わかってるよ」


風呂の扉を閉め、シャワーのカランを捻る。

リモコンの設定温度を下げ、最初の湯をそのままバスタブに捨てる。

ジジイの後はいつも熱すぎるのだ。適温になったのを手で確認してから頭から被る。


仕事の疲れが排水溝に流れていくのを感じながら、さっさと体を洗う。

油の臭いと汚れが落ちた後は、適当に風呂場の掃除をこなす。

湯冷めしないようにもう一度湯を頭から浴びて、身体を拭いて外に出る。


リビングのソファーで髪を乾かしながら、明日の予定を確認する。

壁に埋め込まれた液晶をタップすると、タイタンの全体図が映し出された。

工事予定をタップすると、外殻の一部が赤い斜線掛けになる。


「外殻修理か。久しぶりに外に出れるな」


年に四回、毎年同じ時期にタイタンの外殻調査が行われる。

損傷具合によっては即日修理になるが、基本的には定期改修の日に持ち越される。

最後に外に出たのはその日が最後で、約半年ほど前のことだ。

今までは仕事のためにだけ外に出ていたが、明日は違う。

いつかのための、下見になる。めったとない機会だ。少しも無駄には出来ない。


「さて……そろそろか」


液晶の電源を切って部屋に戻ると、ジジイはやはり鼾をかいていた。

音を立てないように扉を開けて廊下に出る。

誰ともすれ違うことなく、約束の場所まで来ることができた。

公園を抜けて整備課倉庫の扉をくぐると、携帯端末を暇そうにいじくっているニゥが座っている。


「おっせぇな。ようやく来たか」


「入り口から丸見えだったぞ。他に誰かが来たらどうするんだ」


「夜間工事か。そういえば考えてなかったな。まぁ、緊急だったら俺らにも連絡来るだろ」


「その時に格納庫にいたらどうにも言い訳できないけどな」


タイタンそのものや、工場ラインの補修で緊急出動することがある。

夜間待機組が通常はその対応に当たるが、規模によっては他組に出動要請がかかる。

そうなれば、整備課倉庫に人が来る可能性が高い。

そしてまた、その時には当然、俺やニゥの組にも声がかかるのだ。

百十八格納庫から自分の部屋に戻るまで、最低でも三十分は必要になる。

その時が来てしまったら、どう考えても言い訳のしようがない。


「そうだな。運が悪かったと諦めて、二人まとめて罰則を受けたらいいだろ。

百番台倉庫にいることさえ言わなければ、大して叱られやしないさ」


軽々しく口にするニゥは、その危険性を全く考えてすらいないのだろう。

どのみち、俺も百十八格納庫のあれに心を奪われっぱなしなのだ。

今更そんな小さなリスクを気にしてはいられない。


「それとも、緊急出動が心配だから部屋に戻るか?」


「はっ……! 行くに決まってんだろ」


「だと思ったぜ。さ、用意はしておいたさっさと乗れ」


ニゥが乗り込んだのは廃棄物移送用のトロッコを改造したもの。

彼のセンスを疑うわけではないが、不格好なローラー付き四脚走行車として生まれ変わっていた。

人間二人が足を伸ばして座れるだけのスペースがあり、簡単な座布団が敷いてある。


「こいつは、どうしたんだ」


「誰かさんが夜間対応が心配だとか抜かすからよ、せめて歩くより早く移動できるようにってな」


完全に整備課の決め事の範疇から飛び出しているが、有難いことではある。

徒歩での移動なら往復で一時間以上かかっていた。

その時間が半分どころか、十数分で済むようになれば格納庫内での作業時間が増えるという事だ。


「廃棄される寸前のおんぼろを見つけてな。

親父に練習がてら、改造と修繕してみたいと頼んでみたんだ。駄目もとだったがよ、泣いて喜んでやがったぜ」


「今までろくに仕事もこなしてこなかった奴が、そんなこと言いだしたんだから驚いたんだろうよ」


「こんな仕事したいとは思わねぇのは今も同じさ。ただ、少しくらいの技術は身についちまってる。

改造するくらいならできなくもなかった」


「制御盤の設定はそのままか」


目的地を設定するにあたって幾つかタップすると、電動モーターの回転数が上がる。

だがどれだけ探しても、リストの中に格納庫が入っていない。


「廃棄物移送と同じ要領だ。行ける場所もいくつか設定してあるが、例の場所だけは見ればわかる様な単純な設定にしていないさ。

左下のメニューと、右側の整備課マークを同時に長押ししてみな」


「成程……隠しコマンドか」


ニゥにしては頭を使っていると言わざるを得ない。

言葉の通り実施すると、目的地が幾つか追加された。

格納庫の百番台と、外殻壁出入口、在庫保管倉庫、工具保管倉庫。

仕事外での立ち入り禁止区画のオンパレードだ。


「ルートは最短じゃないがな。出来る限り見つかりにくいようにしたつもりだ」


画面をタップしてみると、細い道や見たことの無い道筋が表示される。

意外なことに、ニゥはタイタン内部に相当詳しいようだ。

俺の心の中での驚きに気付いたのか、自慢げにニゥは腕を組む。


「仕事と称してあちこち見て回ったからな。少なくとも整備課管轄のエリアなら大体のことはわかるぜ」


迷宮のように複雑な階層構造のタイタン工業区画は、立体構造故に頭の中に地図をかき起こしにくい。

携帯端末無しで出歩くことは大人ですら避けるほどだ。

もし子供がうっかり迷子にでもなれば、そのまま野垂れ死ぬこともあるかもしれない。


「意外な特技ってことか」


「褒めていいぜ」


「馬鹿言え。そもそも携帯端末があれば脳内地図なんて必要ないだろ。

最短ルートを示してくれるんだからよ」


「こいつで商業エリアを抜けたいんなら止めないぜ。もしくは、通勤路を通りたいとか」


今の目的故に人目を憚りたいのもそうだが、

こんな廃棄物運搬用トロッコで運ばれているところなんて、なおのこと見られたくはない。

珍妙な二人組として工業区画SNSで晒された挙句、整備課班長からこってり怒られるのが関の山だ。


「感謝してるよ、全く。だが、なんで四脚にしてるんだ」


「ん、ああ。そろそろかな。お前も掴んどいたほうが良いぜ」


マップを覗き込んだニゥがトロッコ内側の棒を掴む。

その言葉は理解できなかったが、取り敢えず同じようにした瞬間、トロッコが大きく揺れた。


「嘘だろ……おいっ!」


四脚によって本体が持ち上がり、狭い吹き抜けを掴んで縦に移動する。

およそ三階分程度の高さを一気に下降した後、通常の動きに戻った。


「はっ……はぁっ……なんつーところを通りやがる」


今は利用されていない階層移動用のエレベーター跡地。

半分ほどは解体されたが、吹き抜けとして残されていたままの空間を通り抜けたのだ。

未だにバクバクと鳴っている心臓をおさえ、目の前で笑っている男を睨みつける。


「ま、人に見つからないルートってことさ。面白かっただろ」


「できれば二度と体験したくないね」


あまりの速度で落下するせいで、腰が浮いた時には肝が冷えた。

後で何か言ってやろうという気持ちも、巨大な扉を前にすっかりと身をひそめる。

トロッコから降りて、百十八と書かれた扉を仰ぎ見る。


「開けるぞ」


ニゥの翳したカードキーの情報を読み取り、扉がゆっくりと開いていく。

人が通れるだけの隙間が空くと、そこで動きを止めた。

俺らが入った途端に灯りがつき、格納庫内部がぼんやりと照らし出される。

見つけた機体の調査はさして進んでいなかったが、格納庫そのものの改造は思っていたよりもうまくいっていた。


「大分作業もしやすくなったな」


二日目に格納庫の清掃を、三日目には各種設備の刷新を行った。

おかげで、さびれた格納庫も快適な空間になりつつある。


「でもよ、坊。こいつ本当に飛ばないのか。新品同様じゃねぇか」


「飛べない。少なくとも、タイタンの外ではな。理由はこの前も話した通りだ。

これだけ電子制御の機械が、あの嵐を越えられるはずが無い。

もし万が一でもあの空を飛べる可能性があるとするなら、むしろもっと化石の様な機体なはずだ」


「だったら、そいつを調べても無駄なんじゃないか」


「無駄じゃないさ。飛ぶための機能や、技術がこいつには詰まってる。

図書館をどれだけ探したって、こいつよりいい教材は見つからない」


実際に調べて分かったことだが、空を飛ぶという事に対して図書館は全く役に立たなかった。

意図的に削除されているのではないかと思うほどに、何一つ情報が見つからない。

機体の図解くらいはあると期待していたのだが、完全に裏切られた。

飛行機と呼ばれていたことすら、この格納庫内に放置されていた資料で知ったのだ。


「まぁいいさ。俺はそいつが飛ぶのを視れれば十分」


「意外だな。飛んでみたいとは思わないのか」


「あの空をか。冗談を言うな。あの薄汚れた空気の中を飛べば、寿命がいくらあっても足りやしない。

俺は適度に人生を楽しみながら長生きしたいのさ」


「成程ね、俺が飛ぶかどうかってのはそのネタにうってつけなわけだ」


「お前が空を飛ぶのを諦めない限りは応援するさ。それこそ、適度にな」


有難い話だ。俺一人ではこの格納庫に入ることは出来ない。

汚れた空を見上げたまま、地べたを這いずり回っていた人生だっただろう。

だけど、ニゥのおかげでチャンスができた。

空は飛べるんだってこともわかった。

あの息苦しい曇天をぶち破って、青空へと至る夢を見ることができる。


「思ってたよりも複雑だな……」


無理のない範囲で、機体の各部品を取り外してスケッチをしていく。

構造が分かれば、同様の機体を作り出すことは難しくない。

整備課であるジジイに育てられたことを感謝するのが今日この頃だというのだから、親不孝者だろう。

整備課は日夜あらゆる工具や材料を扱っている。

修理ついでに手に入れることができる部品を代用したり、必要部材として発注をかけたりすることも出来よう。


慎重に、それでいて大胆に。

未知の機械に触れていると、自分専用のヒュペリオンを組み立てた時のことを思い出す。

巨大なタイタンの外殻を修理する際に用いる整備課のパワードスーツ。

初めて与えられた時は、ほとんど寝ずに触り尽したものだ。


「よくもまぁ、そんなに楽しそうに弄るもんだ。天性の才能だろうな」


どこからか持って来たソファーにだらしなく腰掛けているニゥは、携帯端末を弄びながら独り言のように呟く。

それは俺の耳に届いていたが、返事をする間すら惜しまれてただ手元の機械を弄る。


「そうか。エンジンの動力は、こいつを経由してタービンを動かすのか……。

ふむふむシャフトの材質は……見たことない素材だな。低温の気体を高温高圧にして噴出するってのが基本的な性能か。それによって空を飛ぶ力を得る、と」


「自分の世界に入っちまいやがったな。ったく、少しはこっちの身にもなってほしいもんだな。

まぁいい。暇つぶし用のゲームを幾らか持ってきてる。適当な時間までは付き合うさ」







「坊! 聞こえてんのか坊! 準備はできたのか」


作業着に着替えたジジイが扉の外から声をかけてきた。

夜遊びが過ぎたせいで目を覚ますのに少し手間取ったが、問題ない。

半開きになった扉を押し開けて部屋の外に出る。

しっかりと意識していたつもりだったが、室内と廊下の空気間の差で思わず欠伸が零れた。


「ふぁ……っ……待たせたな」


「馬鹿野郎!さっさと目を覚ましやがれ」


「っ痛ぇ!」


痛みと衝撃で眠気はきれいさっぱり消え去った。

手加減を知らないジジイの拳骨は、頭の芯まで燃えるように熱くなる。

結局、昨日は飛行機を調べる作業に夢中になってしまったせいで、この体たらくだ。

ソファーで寝ていたニゥを叩き起こして帰って来たはいいものの、二時間と寝ていない。


覚醒した意識でもう一度辺りを見回すと、随分と慌ただしい。

狭い廊下には、せわしなく走り回る他の班員たちの姿もちらほらと見えた。

皆、仕事の準備に取り掛かっているのだろう。


「はん、それじゃあ行くぞ。昨日話した通り、今日は第八区画の空調修理だ。

もし止まりでもすれば、何百人も凍え死ぬ。間違ってもミスるんじゃねぇぞ」


「わかってるさ。それで、今回は何人行くんだ」


「俺らの班からは二十五人だ。向こうの班も声がかかってる。あいつらに後れを取るんじゃねぇぞ」


いつも以上に気合いが入っているのは、そのせいか。

タイタンの整備課は五百人を超える大所帯。一班当たりが約八十人で、全部で六班もある。

それでもタイタンの完璧な運転には足りていないのが現状なのだが。


これだけの人数がいれば、当然仲の良し悪しは出て来る。

ジジイと俺が所属をしている第三班と、神経質で無愛想な男が班長の第四班は犬猿の仲であり、

何かある度にぶつかっている。

そのせいで共同で作業することはほとんどない。


「いいか、いつも以上に完璧を目指せ。第四班の人間にケチをつけられちゃたまったものじゃねぇ」


「言われなくてもそうするさ。タイタンの整備で手抜きをするつもりなんかない。

整備課の誇りにかけてだ」


地上に残された唯一の生活空間であるタイタンは、五つのセクションからできている。

その全ての設備を補修・改善するのが俺たち整備課の仕事。

一つ間違えば、人類が全滅しかねないほどの重責を担う大事な役割だ。


「全員揃ったか!」


ジジイの声はよくとおる。

整備倉庫前に集合した第三班のメンバーはめいめいに返事をした。


「久し振りのでかい仕事だ! トチるんじゃねぇぞ!

ちなみに班長は呼び出しで整備課本部にいるため、今日は俺が指揮する!

文句があるやつは前に出ろ」


そんなことを言われて前に出る奴はいない。

そもそも班長よりも古株であるジジイは、既に大多数の信頼を得ているのだから。


ジジイが認証キーを利用してロックを解除すると、整備室の扉が開く。

工業区画にある整備室は、必然的に巨大構造物の部品を預かることも多い。

そのため、倉庫としても利用できるように吹き抜けの広い空間が永遠と続いている。


「着替えろ!」


早足で自分のロッカーの前に向かう。

人間よりも一回り以上大きいサイズのパワードスーツを、乗り込むようにして身に付ける。

立位姿勢のままハーネスで身体を固定、外部アームを含む各駆動部を稼働させてリンクを確認。

今日は屋外での作業になるので、さらに酸素ボンベを装着。コクピットを完全に閉鎖した。

正面、発光する電子パネルに表示される酸素残量と機体の外部映像を確認する。


「駆動部、問題無し。映像、問題無し。通信、問題無し。酸素、問題無し」


安全確認を呪文のように唱える。

全ての準備を万全に終えて、ジジイの前に戻った。脚部のローラーが床を削る音が次々と響く。

今日この仕事のために集められた二十五人全員が、ものの十分で並ぶ。


ここまでが外殻修理における整備課の日常だ。

仕事内容によって、装備を換装したり、材料や工具を準備しなければならない。


巨大建造物であるタイタンの設備を維持するためには、そこらのスパナやレンチではまったくもって不足。

締め付けに必要なトルクも、人間の力では話にならない。

それ故にパワードスーツ。ヒュペリオンと呼ばれている整備用機体。

整備班の一人に一機支給されるそれらを、皆は自分勝手に改良して乗りこなす。

カスタムが行き過ぎていて、並ぶと統一感がないのは残念だが。

第三班に所属する人間が使いこなしているのは、どれも優秀な機体だ。


その中でも、ジジイが操る機体は特に異様な姿をしている。

六つの腕を自由自在に操り、あらゆる工具を使いこなすヒュペリオン。つけられた異名はアラクネ。

他班の人間も認めるほどの技術を培ってきたジジイだからこそ操ることができる機体。


「よーっし!外殻修理に向かう。全員通用口から外に出て、事前の打ち合わせ通り点検作業を行え。

欠損個所は各自の判断で補修してよし。分からないことがあれば俺に相談しろ。

忘れてる奴もいないとは思うが、二十メートル離れると無線が届かない。細心の注意を払え!

それじゃあ、仕事にかかれ!」


通用口の二重シャッターが開く。

外殻に出るための扉をくぐった先は、光の射さない暗闇。

第三班の全員がほぼ同時に頭上のトーチライトを点灯させる。


吹き荒ぶ風に舞い上げられた砂礫が、パワードスーツに打ち付けられて映像が乱れる。

酷い状況なのは、かねてからの想定通り。

地図と他機からの情報を頼りに自分に指定された外壁の位置までたどり着いた。


ガイドを掴んで壁面を登るのに合わせて、横一直線に並んだライトがゆっくりと上昇していく。

地面から二十メートルほど離れただろうか。

背後の映像を外部カメラで映しても、何も見えない。


「何か不具合が起きたのか、ハチハチ」


こちらの動きが止まったことで、隣にいる機体の主が通信を飛ばしてきた。

お節介焼きなおっさんだ。いつも煙草を吸っているために付けられたあだ名はモク。

だが、仕事中は与えられたナンバーで呼び合うのが通例であり、

機体に書かれたナンバーで呼んだ後に返事をした。


「ヒトフタ。いや、何も問題はない。点検に入る」


視界は悪いが、外殻が遥か向こうまでずっと続いている。

今日の予定ポイントまで、天板の緩みや裂け目を地道に探して歩くだけだ。

足元の映像をズームにして、ときに左右に並んだヒペリオンを確認しながら前に進む。


もしも天気が良ければ、前方に四つのセクションが見えただろう。

一番背の高い工業区画の屋根上から見えるのは、タイタンを構成している五つの区画全て。

連絡用の通路で繋がれている各セクションは、その中心に位置する統括区画によって管理されている。

タイタンにおける重要案件を決定している機関が集中しているそこは、ごく限られた人間だけが生活できる場所。


施設内で必要な全ての食糧を供給している農業区画は、タイタン内で最大の敷地面積と収容人数を誇る。総人口約八万三千人のうち、実に六割もの人間が生活をしている。


タイタンの維持管理に必要な機械部品を生産する工業区画。二十四時間三百六十五日、一時も音が耐えることは無い。俺らの所属している整備課のうち、第三・四班が常駐している区画だ。


燃料・電力などの基本的なエネルギーを維持管理している基礎区画。タイタン中に張り巡らされたパイプによって、各設備の稼働を大まかにコントロールしている。この巨大都市の心臓部と言ってもいい。


最後に研究棟。ここは何をしているのか知らない。少なくとも、整備班の人間は誰も。

ある意味、統括管理区画よりも不明瞭な区画だ。


「ああ、ちょっと待ってくれヒトフタ、フタヨン。こちらハチハチ、亀裂を発見した。修理に入る」


両サイドにいる整備班の二人に声をかけ、破損状況を確認。

大きくひび割れた構造材の隙間から、歪んだ鉄骨がむき出しになっている。

何か重量物がぶつかって外殻が壊れたのだろう。


背負ってきた補修材の一部を引き千切って捏ね、破損部分を埋めて塞ぐ。

右腕のバーナーをセットして、パテ埋めした箇所を高火力で炙る。

数十秒後にはパテが硬化して外殻とほぼ一体化した。


「補修完了。このまま前進する」


「こちらヒトフタ、了解」


「こちらフタヨン、了解」


左右のヒュペリオンが動き出したのを確認してから動き出す。

一歩踏み出した瞬間に吹き抜けた強い風が、足元をグラつかせた。


「ぐっ……」


咄嗟にバランサーに力をいれて、上体を低く落とす。

外殻での作業において最も命取りになるのは突風である。

だからこそ即座に反応して、退避行動をとったはずだった。


次の瞬間に訪れたのは、意識が揺らぐほどの轟音と衝撃。

視界が激しく明滅して、息が出来なくなった。







生きている。という事を最初に理解した。

意識して深く息を吸って吐く。日常的に行っている動作ですら、再確認しながら行わなければできない。

指先は動く。重たい身体を引きずり起こすと軽くめまいがした。

真っ暗闇の中、手探りでヒュペリオンのコンソールを叩いて再起動させる。


「っ……何が起きやがった」


操作室内を非常用灯が照らす。あらゆる計器がアラートを発していた。

外部カメラは一つを残して全滅、バッテリーは予備もあってまだ余裕がある。


致命的なのは酸素残量が三十パーセントを下回っていること。

通常は二十四時間以上外部活動できるように積載しているが、システムパネルに赤字の供給ライン警告が浮かんでいる。

圧縮空気タンクが一つ不通になっている、もしくは破損してしまったのだろう。


このままだともって三時間程度。システムからタイマーを呼び出し、命のタイムリミットを設定した。

無情な数字がコンソールの端っこに表示される。

現状を確認し終えた後に、再稼働したヒュペリオンを起き上がらせる。


「あぁ……くそったれ」


左腕が引き千切れていたが、脚部に損傷はない。

おかげで移動に不自由はしないが、吹き飛ばされた衝撃で座標が狂っていた。

唯一残ったカメラで見る空は、殆ど明かりがなくタイタンの影も見えない。


暖房の入ったヒュペリオン内部は寒くないはずなのに、身体が震えた。

下手な移動をしてタイタンから離れてしまえば生存は見込めない。

しかし、地上では遠隔通信はほとんど役に立たず、仲間に見つけてもらえる可能性はほぼゼロ。


動かなければこのまま死ぬ。動いても移動方向を見誤れば死ぬ。

無数に分岐した手段のうちほとんどがどん詰まりのデッドエンドに繋がっている状況が、

無意識のうちに心臓の鼓動を加速させる。



「外殻事故の生存率はゼロパーセントだ」



ジジイの言葉が脳内に蘇った。


「っふー……」


パニック状態になりつつあったことを自覚して、作業の手を止めて少しばかり目を瞑る。

押し潰されそうなほどの恐怖に抗うために、懐かしい記憶へと意識を没頭させていく。

あの日の夜は、今でも鮮明に思い出せる。


初めての外殻作業を行う日の前日、晩御飯を食べた後。

部屋に戻ろうとした俺は、ジジイに座るよう促された。


「明日から外殻の工事だろ、さっさと寝ろと言ったのはジジイじゃねぇか」


「まぁいいから座れや。お前も整備課の仕事をしだしてからそれなりになる。

きちんとやることはやってるし、ちゃんと指示も聞く。だから少し早いが、許可を出した。

最後に一つ、外殻作業をする前に必要な話だ」


腰を下ろし、ジジイに向き合う。

差し出されたマグカップからは湯気が立ち昇っている。

それを受け取って、一口だけゆっくりと飲み込んだ。

苦い。俺が砂糖の入っていないコーヒーを飲まないことを、ジジイは知っている。

文句を言うのは憚られたので、黙って話を聞く姿勢を取った。


こうして正面に座って見ると、もう引退していてもおかしくない歳だ。

深い皺の刻まれた顔に不釣合いなごつい腕。

ドワーフだと揶揄されることもあるほどの長い顎鬚と、癖の強い白髪をそれぞれ一括りにして流している。

整備課最高齢は長老だが、現役最高齢は間違いなくジジイだろう。

ジジイは吸い込んだ息をゆっくりと吐き出すようにして、ひび割れた唇を開いた。


「外殻作業は整備課で一番危険な仕事だ。タイタン内部での作業とは比べ物にならない」


「そのくらいは聞いているさ」


外殻作業の危険度は、整備課に所属していて知らない人間はいない。

職務中の事故による死傷者数が最も多い整備課の中で、最も死者が多い作業だからだ。


「ああ、聞いているだろう。死者が多い、という簡単な数字上のことならな」


「死者が多いから気をつけろってことだろ」


「違うな。お前は勘違いをしている。外殻作業における事故は、気を付けて防げるようなものではない。お前も事故報告程度なら、その端末で見たことがあるだろう」


ジジイが顎で指し示すのは、小型の携帯端末。

タイタン内部で生活している全ての人間に配られているガジェットで、

生活に必要なありとあらゆるサポートを行ってくれている。

当然、タイタン内部のニュースも毎日配信されている。


「外殻修理中に作業員が死亡。見出しは大体こんな感じか。だが、実際にどうやって死んだか滅多に詳細は書かれない。

なぜか、その答えは単純だ。どうやって死んだか誰もわからないからだ」


「どういうことだ。事故なんだから足を滑らせて落ちただの、何かが飛んできてぶつかっだの、

少しくらい情報があるだろうが」


「大雑把に言うのなら、外殻修理に起きる事故死の殆どは飛来物が原因だ。

突発的な大風で飛んできた重量物に、ヒュペリオンごと巻き込まれて潰されるか、

タイタンから離れた場所に吹き飛ばされるか。

仮に衝撃から運良く生き延びたとしても、汚染大気を吸い込んで意識が戻らないまま死ぬか、

毒の雨を受けてもがき苦しんで死ぬか、タイタンに戻って来られずに飢えて死ぬか」


想像して、身震いした。

ヒュペリオンは頑丈な機体であり、タイタン内部作業であれば搭乗者が怪我をすることなどほとんどない。

それは外殻においても同様だと信じていた。


「外殻は数十メートルも離れれば、通信もできない程電波環境が悪い。

計器類はまともに働かないし、ヒュペリオンのギアに不純物が噛んでしまえば動くことも出来ない。

おまけに視界を狭める汚染物質の靄が日夜立ち込めている。一度タイタンから離れてしまえば、もはやどちらに向かえばいいのかもわからないだろう」


「そこまでわかっていて、なんで事故の対策をとらない」


作業員の死につながる要因がそこまで具体的に分かっているなら、いくらでも対策は練れるはずだ。

俺みたいな若造だけじゃなく、タイタンの整備課には熟練の技術者がごまんといる。


「とっている」


だからこそ、ジジイの短い返答は俺を困惑させた。


「は?」


「ヒュペリオンの強度はお前も知っている通り、タイタンの外殻と同様の素材を利用している。

中に乗っている人間への安全機能も、過剰なほどついているだろう。

そこまでしていても、外殻での危険から身を護るには全くと言っていいほど足りない」


確かに、タイタン外部での作業には過剰とも思えるほど充実した装備を持っている。

予備バッテリーは丸二日分を標準装備としているし、圧縮空気ボンベも予備までの搭載が義務だ。

強度はこれ以上強化しようのないほど最高の素材であり、コックピットにかかる負担は相当抑えられている。


「だけど……例えばヒュペリオン同士を繋げば少なくともタイタンから離されることは」


「五人。三十年以上前にヒュペリオンを繋いだ時の犠牲者数だ。

途中でワイヤーケーブルが引きちぎられてなかったら、倍以上の被害が出てたかもしれないと言われている。

外殻に機体を固定して行っていた作業で、飛来物に押し潰されて二人死んだ。

とにかく強度を優先したヒュペリオンの乗り手もいたが、ゲリラ豪雨が流れ込んで意識不明。

数日の後に死亡した」


いいか、とジジイは前置きをした。

叱るのではなく、諭すのでもなく、ただただ穏やかな声で。


「死んでいった者達は決して、意識が緩かったわけでも、技術が劣っていたわけでも無い。

どれだけ気を付けようと、どれだけ準備しようと、タイタンの外部では人間は無力だ……」


ジジイは立ち上がると台所に向かった。二杯目のミルクを温めに行ったのだろう。

いつもと違う、覇気のない背中を見送って冷めてしまったカップの水面を揺らす。


外殻で作業ができる者はタイタンで最も優れた技術者であると、目標にしてきた。

過酷な現実を直視せずに、ただ誇りと憧れだけを追い求めてきた俺が、

ジジイの言葉に返せるはずもない。


理不尽な死の危険が常に付きまとう外殻作業。それでも誰かが行わなければならない。

タイタンがこの環境下で存在できているのは、多くの整備者たちがその心血を注いできたから。

ただ空を見上げるために、外に出ようと思っていたことが恥ずかしいとすら思えた。


「少し前置きが長くなったか」


戻ってきたジジイは、カップの代わりに小さな箱を手に持っていた。


「なんだそれは」


「整備課の伝統と言えば聞こえはいいが、なに、ただのお守りだ。

外殻修理に出る前に、こいつを渡しておくのさ」


受取った小さな箱の中に入っていたのは、五角形に加工された木材の欠片。

腐らないように薬品で処理されているが、タイタンでは貴重な自然物だ。


「最後にもう一つ、万が一の時には俺が話したことを思い出せ」


ゆっくりと目を開けた時に最初に飛び込んできたのは、木片のお守り。

受取った次の日に、ヒュペリオン内部に取り付けておいたものだ。

深呼吸をして、左右の手でそれぞれの操縦桿を握る。

小さなお守りを見つめているだけで、不思議と穏やかな呼吸が戻って来た。



「外殻事故の生存率はゼロパーセントだが、最初の衝突を生き延びたのなら助かる可能性がある」



そうだったな、ジジイ。

タイタン外に放り出され時、生き延びるためにすべき二つのこと。

衝突事故から二十四時間の間は、タイタンから強い光が空に向けて発せられる。

その光を目指してただひたすらに進むことで、運が良ければ帰還できる。


外殻にまでついたなら、壁に定期的な強い衝撃を与えるだけでいい。

外部音響センサーもまた、二十四時間の間は強化されている。


外部カメラの映像を、機体を回転させて三百六十度映し出す。

注視していれば、微かな光が空へと立ち昇っている方角が一か所だけ見えた。


「思っていたよりも遠いな。ほんと、よく無事だったな俺」


機体の左腕が根元から失われていることを除けば、大きな被害はないに等しい。

衝突した飛来物の形状に救われたということか。

恐らくは重量のある板状のもの。それも、その平面にぶつかったのだろう。


大地は柔らかく、積もった粉塵のせいで踵に装備されたタイヤで移動することは出来ない。

速度は劣るが、歩行動作で進んでいくしかないだろう。


一歩一歩を確かめる様に歩く。

未だかつて、ヒュペリオンをここまで丁寧に操ったことなどなかっただろう。

帰ったらどのみち整備をしてやらなければならないのだ。

今までよりも特別手をかけてやろう。何せ命を救ってもらったんだからな。


腕を失ったせいでバランスが崩れて歩きにくいが、目標に向けて少しずつ進んでいく。

荒れた大地と汚れた大気は、容赦なくヒュペリオンの機体を軋ませる

ただ止まらぬことだけを願いながら、着実にタイタンへと向かう。


視界は悪い。

加えて定点カメラと化した外部カメラは、時折映像が乱れる。

酸素残量から計算した残り時間は二時間半。

目測でしかないが、このままのペースであればたどり着けるだろう。


「本当に……なにもねぇな」


前方、空に向けて登る光柱以外のものは何も見えない。

風はさほど強くないはずだが、ゆらゆらと浮かぶ汚染物質と黒々とした空のせいだ。

本当に、この向こうに青空と呼ばれるものがあるのだろうか。

目の前にある地上は、切り離されて閉じ込められてしまったのではないかとすら思える。


無事帰れたなら、久しぶりに長老のところに行こう。

青空の話はいつでも心躍った。整備課に来てからもう何回も聞いている。

他の誰が疑おうとも、俺は信じよう。きっと、この世界にも青空があるのだと。


だから今は帰らなければならない。奇跡的に体は無傷。ヒュペリオンもまだ何とか動く。

生き残る様に整えられた場なのだと、そう信じる。


無言でただひたすらに左右の脚部を動かす。

少しすると、指先が冷えるほどコックピット内の温度が下がって来た。

それなのに、脂汗は滲み出て止まらない。

空調のスイッチを少しだけ弱めに設定する。エネルギーに余裕はあるが少しも無駄遣いは出来ない


「なんだ……っ!?」


左脚を踏み出した瞬間に、ガタンと一際大きく揺れてヒュペリオンが倒れた。

一度ミュートにしたはずなのに、再び五月蠅く鳴り響く警報音。

コンソールに手を伸ばしたのと同時にコントロールルームがブラックアウトして、指先すら見えなくなった。


「くそっ……何が起きたんだ……」


横倒しになっているせいか動きにくいが、どうにかベルトを外して足元に手を伸ばす。

完全な暗闇の中をまさぐって、小型の緊急灯を取り出した。

ネジ状になっている底部を捻ってスイッチを入れると、コントロールルーム内が照らし出される。


システムは全てダウン。ヒュペリオンの状態を確認することすらできない。

外部カメラとの接続も当然切れていた。

鉄の骨格を跨いだ先は、絶え間なく死の灰が舞う大地。

生身の人間では一時間と行動できない。


ヒュペリオンの内部には緊急時に備えて防塵マスクも備えてあるが、

フィルターはもって三十分。それ以上の時間を活動することは命に係わる。


だが、機体内部で籠城したところで得られる情報は何もない。

このままでは酸素が枯渇するか、凍死するかの二つに一つ。

残された僅かな時間は一秒たりとも無駄にできない。


「衝撃……その後に横転。全ての電源の喪失……」


状況の回復は困難だが、要因の想像は難くない。

恐らくは重量物が飛来し、後部装甲に被弾。

バッテリー回路もしくはそのものを損傷したことによる全機能停止。

片腕を失っていたヒュペリオンは、バランサー機能がシャットダウンしたせいで横転といったところか。


マスクを装備し、申し訳程度のヘルメットをかぶる。

碌な装備ではないが、無いよりはいくらかマシだ。

ヘッドランプのスイッチを入れて、手動でロックを解除し、重たくなったドアをこじ開けた。


途端に視界を埋め尽くしたのは吹き荒れる黒灰と、廃れた大地。

マスクをしているはずなのに息苦しくて、何度も浅く息を吸う。

横倒しになっているヒュペリオンから飛び降りると、破損部が目の前にあった。


頭部のライトが照らし出しているのは、黒く焦げた背部スラスター。

砕けた装甲の隙間から火花が爆ぜる。

工具ボックスから電動ドライバーを取り出して、外殻を分解していく。

ズタズタに引き千切られた配線が露わになる。その奥には鉄破片が突き刺さったバッテリーが二機。


「あー……っくそったれ。これは……直せねぇな」


配線そのものは予備部材で繋ぎ直すことができる。

だが、バッテリーの修理はこの場では不可能。電源が無ければヒュペリオンは動かない。

天上に向かう光は未だに途切れていないが、タイタンの外壁まではまだ距離がある。

歩けない程ではないが、飛来物や黒灰のリスクを考えるなら出来る限り避けたい。


考えている時間は無い。腰のポーチから配線のやり替えに必要な工具を取り出す。

辛うじて無事なバッテリーだけを独立させて、直接繋ぎ込んだ。

幾つかのリード線に丸端子を圧着して、機関部に接続。

配線を短絡させて安全装置を素通りさせれば、取り敢えずの電源は確保できる。

手早く工事を終わらせると、開いたハッチの中からコントロールルームに飛び乗った。


起動スイッチを押すと、コンソールに光が灯った。

同時に幾つものエラーコードが画面上を埋め尽くす。


「システムの再起動を確認。残りエネルギー十パーセント。タイマー調整。残り五十二分。

空調と照明を最低限に設定。損害背部装甲とスラスターをパージ」


不要なパーツは可動部ごと廃棄し、重要な区画に余剰電力を回す。

致命的なエラーは即座にプログラムを書き換えて補完し、

軽微な損傷は強制的に警報解除して放置する。


エネルギー効率を悪化させる重量装備は、装甲も含めてほとんど捨て置く。

次に飛来物があれば命はないかもしれないが、こうするよりほかに選択肢はない。


それら一つ一つの動作を言葉にしながら行う。

その行為により、現状をより深く理解することができる。


足りないものは何で、失っているものは何なのか。


そして、まだ今ここにあるものは何か。


地べたを這いずり回ってでも生き延びる覚悟はできている。

理不尽な運命に抗うための知識は蓄えてきた。

トラブルを乗り越えるための技術は培ってきた。


ならばあとは挑むだけだ。


「立て……ッ!」


軽量化したヒュペリオンの駆動部が甲高い悲鳴を上げて、上体を持ち上げた。

少し留まっていただけでも、粉塵が詰まって動きが悪くなっている。

一時間もじっとしていれば埋もれてしまうだろう。


立ち上がったヒュペリオンは、複数のエラーを吐き出しながら一歩進む。

ギアの軋む音がコックピット内に響く。

スラスターを失ったせいで速度は出ず、バランサーが不具合を起こしているせいで歩くたびに酷く揺れる。


ヒュペリオンを操作する。左右の足を前に出すだけの簡単な動作だ。

その程度の事であれば、別の事を考えていても間違うことは無い。

スローペースであれ、着実に光の根元には近づいていた。

タイタンの外壁までそう遠くはない。そう予感した直後、外部映像が激しく乱れた。


最後まで残っていた外部カメラがその役割を果たす前に力尽きた。

修理することは可能かもしれないが、エネルギーも時間も無駄にしたくはない。

計器類は軒並み故障しており、正確な方角すら不明、


ならば、取れる手段はたった一つ。


ヒュペリオンの正面装甲があった箇所は、どうせもう身を護るほどの強度はない。

足元に置いていた装備を身に付けて、強制パージのコンソールをタップ。

再三の警告を無視する様に何度も。


外界を遮る最後の壁である躯体を、切除した。


吹き込む黒灰で一気に視界が悪くなる。

だが、その向こうに希望の光が辛うじて見えた。


「まだだ……まだ進める」


すぐに頭がぼうっとしてくる。ずきずきと重たい痛みが鼻腔にささり、両腕が痺れてきた。

マスク越しに届いた黒灰が、体内を汚染していくのが分かる。

このままでは命はない。そんなことはわかっている。

だから歯を食いしばって光を目指して進んでいるのだ。


鉄の味が口の中にひろがる。

唾と共に飲み込んで、ただ前に。

降り出した右腕が、ようやく何か堅いものに触れた。


「なんだこれ……」


必死に前に向かううちには気づかなかった黒い塊が、行く手を阻んでいた。

タイタンの壁とは違う歪曲した側面。

さほど大きくもなく、試しに腕をぶつけてみると黒灰が崩れ落ちてきた。


迂回して避けて進むのは簡単だろう。大く見積もっても十数メートル程度の幅しかない。

設定したタイマーに余裕はなく、命の期限は刻一刻と迫ってきている。


腕を黒灰の中に突っ込み、左右に振る。

そうすることで、中に埋もれていた何かの一部が露になる。


最初に見えたのは鉄の塊の一部。それも、ひどく強度の低いもの。

タイタンで製造されたものではないと、一目見て分かった。

夢中になって黒灰を崩していくと、巨大なプロペラが一つ。

半ばから折れてしまっているが、胴体から伸びた翼。


胴部の左右には、どちらにも同じ印が描かれている。

掠れていて見難いが、大きな丸の中、小さな丸が二つ並んでいる。

その横に描かれているのは、厚みのある羽。

隊証か何かだろうか。


「これは……飛行機か」


地面に落ちた時の衝撃だろうか、大きく歪んでいるが、

紛れもなく人類が手に入れた大空を往く翼。

黒灰に埋もれていたおかげで保存状態もさほど悪くはない


出来る事なら引きずってでも持って帰りたい。

だが、今そんな余裕がないことはわかっていた。

辛うじて形の残っているプロペラだけを掴むと、軸が簡単に折れて取りはずせた。


まだ半分以上埋もれたままの飛行機の残骸を後にして、タイタンから昇る光を目指す。

たかがプロペラ一枚で命を落とすのはあまりにも馬鹿だとわかってはいたが、

思わず身体が動いてしまったのだから仕方ない。


バッテリー残量はもう数パーセントしかない。

このなにもない黒い砂漠で独り死ぬのなら、せめて最期は夢を抱いたまま死にたい。

大空に至ることは出来なかったが、その腕に抱かれて眠るのならもういいだろう。


諦め歩みを止めようとした瞬間に、一陣の風が吹いた。

霧が晴れたかのように突如目の前に現れた巨大な建造物、それはタイタンの外壁そのものである。

いつの間にか、目の前まで来ていたのだ。

僅かに残っていた心が震えた。この一瞬に、風で黒灰が揺れなければ気づかなかっだろう。

外壁のすぐそばで息絶えていたかもしれない未来を想像して、消えかけていた火が激しく燃えた。


「うおおおっ!!」


心の底からの叫びと残った力を振り絞って、ヒュペリオンの右拳を叩き込んだ。

全身が痺れるほどの爆音が響く。

耳鳴りが止む前に、もう二回。

衝撃に耐えきれず、肩部から爆ぜる様に砕けた。


タイタンの外壁が震えている。

頑丈な造りでヒュペリオンごときで壊すことは出来ないが、このSOSはきっと届く。

後は待つだけだ。残り十数分のタイムリミットに間に合うことを願って。

頭がずきずきと痛む。黒灰をかなり吸い込んだせいだろうか。

最低限の生命維持装置だけを動かして、コクピット内で防寒布にくるまって目を閉じた。



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