〈勇者〉が代わりを申し出る
最初の三連休が明けて、生徒たちは登校していた。
朝のピークの時間帯、駅から高校までの道は制服を着た生徒たちに溢れる。
間もなく、サッカー部が朝練をしているグラウンドも近づこうかというところ、成瀬結依の後ろから声がかかった。
「おっはよー、結依」
「おはよう、莉央ちゃん」
声をかけたのは違う方向からやってきている坂口莉央。
歩くのが早い彼女が後ろから結依に追い付いたらしい。
「そういや、結依の方、アラート大丈夫だった?」
先日のモンスターの飛来は、地元では大きな話題になっている。
莉央の試合会場でも一時的に試合が中断され、会場外にいた人が屋内に避難してくるという場面もあった。
これまで彼女らが住んでいる地域でのモンスター出現は無かったため、慣れていない人たちも多く、騒ぎは特地隊の制圧後もしばらく続いた。
「大丈夫だったんだけど、ショッピングモールに居たから結構びっくりして。でも、妹が泣いちゃったから、それを落ち着けるので大変だったかな」
「あー、ちっちゃいもんね、妹ちゃん。弟くんは大丈夫だったの?」
「うん。びっくりしてたけど。何も無くてよかった」
「そうだね」
二人の周囲でもモンスター出現の話題は多く話されていた。
全国各地で事例はあるが、それほど近くにダンジョンがあるわけではないこの地域では目新しい話題になる。
その喧騒の中でただ静かに歩く少年がいた。
進藤伊吹である。
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目に入ったの向かい合う銃火器が装備された自衛隊ヘリと、異形の四足大鷲──グリフォン。
その奥には、飛んでいく二体の他のグリフォンの姿。
既に〈勇者〉になっている伊吹は瞬時に判断を下し、二体を追った。
善良な市民を怪物に食わせるわけにはいかない。
一歩、駆け出す。
その足は宙を蹴り、一瞬の後へ景色を置き去りにする。
空中ジャンプ、もしくは空歩と呼ばれるだろうか、十歩の足場は聖剣が保証してくれる。
数秒なら戦闘機とすら並走する脚力の見せどころだ。
空気抵抗すら切り裂いて、静かに〈勇者〉はモンスターに近づき、六歩目と七歩目の間。
通りざまに切り、引いて、戻す三太刀を叩き込み、一体を消し去る。
七歩目の着地で方向転換。
爆発的な脚力ですぐさまもう一体にも肉薄した。
仲間が消えれば、さすがのモンスターも異常に気づく。
捉えた異様な気配を前に今すぐ逃げ出そうとするが、手遅れである。
「はぁっ!」
聖剣は振るわれていた。
グリフォンは体高2メートル、翼を広げた幅は四メートル近くある魔物だ。
その胴を、ただ一薙ぎで両断する。
生命活動能力を失ったモンスターは地に落ちることなく、その場で暗赤色の光となって消えた。
普段は唯一ドロップする同じ色の結晶も、聖剣に吸い込まれていった。
残心のまま、伊吹は一度地面に降りる。
空歩のリチャージが必要だった。
「……」
そのまますぐに飛び立っていく。
ヘリを見殺しにする訳にはいかなかった。
戻ってみて視界に飛び込んできたのは、暗赤色の結晶に変わりゆくグリフォンと、特攻を受けてプロペラが破壊され、墜落寸前のヘリだった。
伊吹は落下していくヘリを迅速に切り裂いて、中から隊員だけを引っこ抜く。
その後ヘリは墜落し、山中で炎上した。
しかし特攻の衝撃で隊員二人が骨を折ってはいたけれど、大事には至っていない。
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一件落着だったな、と伊吹は朝の通学路で耳に入る周りの会話を聴きながら、欠伸をする。
ニュースで取り上げられていようがいまいが、彼には関係がなかった。
〈勇者〉不在で国民の不安が高まろうが、それで傷つく人が増えるわけではない。
人々が安全なままで居られるならそれで良かった。
だから、進藤伊吹は気の抜けた様子で登校していた。
事件の後には平川から礼を言われた。
むしろ、伊吹が礼を言いたかった。
いつかの電話の最後に言われていたのだ。
君が動かなければと思ったのなら迷わず動いてくれ、と。
〈勇者〉と特地隊の協力は切れても、君が力を持ち、助けようと動いてくれるままであることは知っているから、と。
面倒もあるだろうに、と伊吹は思うが、躊躇なくショッピングモールを飛び出していった自分を思うと素直に感謝するしかない。
〈勇者〉になる、ならない、そのどちらにも気兼ねなくできる今だからこそ、ひとまず勉強に集中しようとしている学校生活にも、身が入るというものである。
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朝のホームルームが終わる。
「体育大会、潤哉何出んの?」
「わからん。けど、怪我はできん」
「準決かもだしなー。まあリレー走るぐらいならできるか」
「大縄は回さなきゃだろうけど」
「腰とかやんねえようにな」
廊下側の、サッカー部の会話。
県大会をベスト16まで勝ち進んでいるらしい彼らは、学校のゆるい体育大会で怪我をする訳にはいかないようだった。
「結依、何出るか決めたー?」
「あんまり目立たないのがいいけど……」
「うちの競技走るのばっかだもんねー」
後ろの席の女子の会話。
運動が得意でなくとも走らなければならないから、皆が走らされるような種目で埋没していたいと思っているようだった。
友人に尋ねたバレー部のポニーテールは一番目立つ選抜リレーに出場するつもりだが、言い分を理解している。
教室内の話題は体育大会のことで持ち切りだった。
被害の無かったモンスターより、学内行事の方がよほど話のタネになる。
今日の帰りまでに出場種目を決めなければならなかったのも理由の一つだが。
だが、彼らが通う進学校の体育大会はともかく競技の種類が少ない。
体育祭と呼ばれない時点でその地味さは推して知るべしだ。
ほとんどが個人のトラック競技であり、団体競技は大縄跳びと選抜、全員のリレーだけという有様だ。
決めるのにそうそう時間はかからないのが常だった。
伊吹はその雰囲気の中でもいつも通りである。
競技を面倒だとも思わないし、積極的に目立とうとも思わない。
余り物の競技を適当にこなせば、文句も言われない。
昨年からの癖で十分なぼっち根性が培われていた。
ちなみに昨年の体育大会は当日にもモンスター出現があったため、朝から欠席している。
大縄跳びのクラス練習の時間があったが、確か一度を除いは参加していなかった。
去年のクラスメイトとは親睦を深める時間も無かったのはもはや当然だった。
……応援するような友達も居ないし、適当でいいや……
心の中で思いつつ、体育大会が終われば中間テストがあることを覚えている伊吹は世界史の教科書の読み直しを始める。
「やっぱ長いのは誰もやりたくないかぁ」
クラスメイトのぼやきが耳に届いた。
どうやら、伊吹の出場種目は八百メートル走に決まりそうだった。
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翌日、体育の授業があり、今日は男女混合で大縄跳びの練習をするらしい。
体育大会は再来週の火曜日だ。
今から二週間近いが、間にはゴールデンウィークの四連休もあり、使える時間は長くない。
体育の授業の他にも一度、リハーサルなどで練習できるチャンスはあるが、多くて四回といったところだ。
その他の競技は基本的に走るだけだから、練習時間はほとんど取られていなかった。
「いくぞー!」
「せーのっ!」
稲葉潤哉の掛け声に皆が返すと、縄が回る。
声を合わせて回数を数えること、十回、どこかに当たって縄が止まった。
「いい感じじゃね?」
「うまいよ、みんな!」
「よっしゃー、このまま行こうぜー!」
水野航希、坂口莉央、それからクラスのお調子者枠である未だ伊吹が名前を覚えていない野球部がクラスを盛り立てる。
昨年、クラスで学年一位の栄光を掴んだらしい彼らの指導の下で、練習は進んでいた。
伊吹は大縄の列の中でぼんやりとしている。
運動は苦手でないし、聖剣に適応した体は意識すれば縄ぐらい止まったように見える。
ぼんやりしていても伊吹は引っかかる要素がなかった。
そんな折に、潤哉の相方であるバレー部の男子が声を上げた。
「そろそろしんどいんだけどー!」
「まじか、潤哉はー?」
「余裕」
「誰か一人代わってくれ!」
背が高い、というだけでバレー部に入り、背が高い、というだけで縄を回しているから、当然かもしれない。
総体一回戦ストレート負けの弱小たる男子バレーの中でも、彼は力が無い方であった。
「誰かできるかー?」
だが、このクラスでは他に適任に見える者はいなかった。
バレー部の何某が駄々をこねるのに呆れて、平均身長よりやや高いぐらいの航希が代役をやろうかと言い出す寸前──
「俺、やろうか?」
──クラスの中に衝撃が走った。
その声に聞き覚えはあれど、聞き馴染みはなかった。
授業中に当てられた時ぐらいしか皆が聞こえる声で話している場面がこれまで無かった、クラスの中で最もミステリアスかつ最も協調性が無いと思われていた、彼の声だった。
「は? 進藤?」
呆けた水野の声が全員を代弁した。
「……うん、代わるね」
困っているようなら、と声を出してみただけだった。
これまでの自分のキャラクターでは不自然だったか、と伊吹も自覚はしている。
それでも引き下がっても変な雰囲気になるだけだろうから、列を離れて回し手の方まで歩いていった。
「代役だし、いい?」
「お、おう」
驚くバレー部から縄の持ち手を受け取り、準備する。
何事かと話すヒソヒソ声が広がる中で、一番最初に気を取り直した莉央が声を張る。
「じゃあ、もうちょっとがんばろー!」
その声で、航希も我に返る。
「進藤、一発で行けるのか?」
伊吹が縄を巻いていない片手を上げる。
やけに自信を感じさせたが、本当に大丈夫なのだろうか。
もしダメだったら自分がやろう、と航希が外れていた列の中に戻る。
「じゃあ、いくぞー!」
「せーのっ!」
縄が回る。
先程より淀みなく、さらに丁寧に、回る。
皆が声を揃えて回数を数えて、三十回。
誰かの緊張の糸が途切れて、縄も止まった。
これまでを大幅に更新した今日の最高記録だった