〈勇者〉は子どもが好きらしい
駅に近いショッピングモールはゴールデンウィーク初日の昼下がりということもあって賑わっていた。
制服で一人歩く伊吹は騒がしい通路をぼんやり進んでいく。
気分転換になれば、と思ったはいいもののこれといった考えも無かった。
一人遊びを満喫するには慣れが大切だ。
これまで遊ぶ暇も無かった伊吹にはハードルが高い。
服でも見ればいいが、伊吹はそちらに興味を示さない。
そもそも自分一人で服を買うという発想もなかった。
彼の私服のセンスは悪いとまでは言わないが、ファッションを詳しく知らない。
勇者の時のコスチューム用にジャージのセットアップを調達することはたまにするが、お洒落とは程遠い行為だ。
結局、目的地になりうるのは本屋と文房具売り場ぐらいで、伊吹はまず文房具売り場に進んでいく。
真面目に勉強を始めた伊吹は、自分の持っているシャーペンの安物具合が気になっていた。
見てみればここの文具スペースはそれなりに品揃えが良かった。
安い物から、高い物は1000円を越えるものまで。
掲げられた宣伝文句を読みながら、どれしようか決めていく。
しばらく散財とは程遠かった財布の中には、高校生としては結構な額が入っている。
せっかく気合いを入れているのだし、高い物にしてしまおう。
そう考えながら候補の二つを見比べていると、近くで子どもがぐずるような声がするのが聞こえてきた。
「うっ、ひっぐ、おねえちゃん、どこぉ」
迷子であろう。
どうやら姉を探して歩いているようで、男の子の泣き声は近づいてくる。
伊吹は持っていた商品を棚に戻した。
「お姉ちゃん、いないの?」
「うぅ……」
彼のところまで行くと、しゃがんで声をかける。
男の子は驚いた様子もなく、泣きながら頷いた。
伊吹は子どもが嫌いではない。
特に異世界では、自らの姿に一番の歓声を与えてくれた存在だ。
彼らが無垢であることをよく知っている。
「俺も一緒に探すよ」
「うぅ……」
伊吹はサービスカウンターの場所を思い出しながら、泣いている彼の手を取った。
小さな手は嫌がることなく、大人しくそれに連れられる。
「名前はなんですか?」
「りく」
「りく君か。苗字はわかる?」
「なるせ」
「なるせりく君? 」
「うん」
少しは泣き止んだが、まだぐずっている彼と歩く。
周囲は泣く子の手を引く伊吹に目を向けつつも、すぐに迷子だと察して気にかけない。
誘拐などに思われないのは、伊吹の格好が制服だったからというのもあるだろう。
もしもこれが〈勇者〉の服装であれば通報されていたことは間違いなかった。
〈勇者〉の装備は聖剣以外自前であり、身バレの防止を第一に選んだグッズでまとめられている。
「あー、お姉ちゃんの名前は分かるかな?」
「ゆい」
「なるせゆい、さん、ね」
さて、ずいぶん落ち着いてきた男の子の話によると、彼の姉の名前はどうやら伊吹に憶えのあるものらしい。
つい最近接点があって、覚えたばかりの名前だ。
「あっ、陸! あっ、えっ、進藤くん!?」
後ろから彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。
聞き覚えのある、少し細くて高い声だ。
バッと振り返ったので、伊吹が手を離してやると陸はすぐさま駆け出していった。
「お姉ちゃんっ!」
姉の足にしがみついて、弟はまたべそをかいていた。
ずいぶん仲がいいな、と伊吹が見守っていると、弟を連れていたのがクラスメイトだということに気が付いていた結依が足から弟を引き剥がし、手を繋ぎ直す。
左腕には、もっと小さい妹を抱いていた。
「あー、成瀬さん、だよね」
「う、うん、進藤くん、ありがとう。妹のトイレに行ってたら居なくなっちゃって。待ってるって言ってたのに……」
「小さいと仕方がないよね」
伊吹も昔迷子になった記憶がある。
母親と姉が買い物しているのに着いて行ったのがつまらなくて、おもちゃ売り場に行こうとしたのだ。
ちょうど今の陸と同じぐらいの、幼稚園の時の話だ。
「えーと、お母さんは?」
「下で買い物。私が見てるからって言ったんだけど……」
「そっか。見つかってよかった」
結依はそう言う伊吹の表情に目を丸くしていた。
ただ少し口角が上がっているだけでも伊吹のそれは、同じクラスになって三週間、教室では見た事のない優しい表情だった。
先日、自分を助けてくれて礼を言っても仏頂面を崩さなかったのは覚えている。
人の顔色を気にしてしまう結依は、あれを気に揉んでいたのだが。
少しだけ鼓動が早まっているのを、結依は突然休日の同級生に会ったからだと解釈する。
小さい弟妹を連れた外出のため、服装は機能を重視していた。
「し、進藤くんは、今日はどうしたの? 制服だけど」
「あー、学校に総体の応援に行ってて、その帰り」
「そ、そっか」
「……」
「……」
口下手二人が揃って沈黙した。
伊吹はそろそろ戻ろうか、と考えていて、手早く切り出そうとする。
「じゃあ」
「あっ、うん。また」
そのまま伊吹が離れていく。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「うん、いい子でね」
陸が声を上げた。
姉と同じく、お礼の言えるよくできた子どもだった。
何の気負いもなく、振り向いた伊吹は返した。
伊吹は異世界でも迷子の子どもを助けている。
向こうでの友人と一緒に親探しに奔走した、懐かしい記憶だ。
その時も同じような言葉を、同じような表情で言っている。
今回はそれが引き出されたようだった。
子どもに伝わるようにか、先ほどより余程わかりやすい、おどけた笑みを浮かべていた。
「……」
弟が手を振る横で、彼が去っていくのを結依はぼうっと見送る。
高鳴った鼓動はさらにスピードを上げていく。
「しん──」
結依の思考が追いつかないまま、彼女の口が動き、離れていくクラスメイトの名前を呼ぼうとした。
その時だった。
フロアの全体でアラートが鳴り響いた。
楽しげな人々を一気に不安に陥れる音だ。
音源は一つではなく、各自のスマートフォンから。
緊急事態発生を告げるそのアラートは、この一年で広く知られるようになったもの。
その内容はただ一つであると、皆が知っている。
モンスターの出現だ。
****
「飛行型三体、警戒網を突破しました!」
関東にある特地隊基地でモニター管理を行っていた隊員から、管理班の班長は伝言を受け取っていた。
「型の推定は」
「グリフォン型です!」
この一年で現れ始めた未知の構造物──ダンジョン。
未だ全貌の把握はできていないが、モンスターをこの世界に送り込む装置とも考えられており、この一年で日本だけでも百以上が乱立している。
「アラート発動だ!」
「はっ!」
特別地域方面隊は、既出ダンジョンの管理と新規ダンジョンの制圧を主な仕事としている。
しかし、最大限の警戒をもって管理していても、ダンジョンは特地隊にとっても未知の存在である。
幾度となく想定を超され、今回のようなケースに陥っていた。
そして逃走、暴走するモンスターの鎮圧するのも彼らの仕事だ。
「状況は!」
「一体が追跡するヘリと正対! もう二体が逃げていきます!」
「っ、すぐに応援を要請! ……幕僚長にも連絡をつけろ」
「はっ!」
班長は指示を飛ばしながら、苦虫を噛み潰すような表情になっていた。
この数週間、アラートの鳴る範囲は広がっている。
逃走する二体は県境を跨いで、別の県にも飛来するだろう。
もしかすれば、一か月前なら既に片付いていたかもしれない。
複数体の飛行型モンスターを相手にするのは、これまでほとんどを彼に頼り切っていた。
そのせいで、応戦できるパイロットの数は少ないことに上層部は頭を悩ませている。
「〈勇者〉なら……」
無力感を感じさせる声が、誰の口からとなく呟かれる。
特地隊もまた今では多くの秘密を抱え、日々実力が強化されていっている。
だがしかし、いや、だからこそ、あの剣の輝きを疎ましくも羨望してしまうのである。
****
反響するアラートの中を伊吹は駆け抜けていく。
生身の自分が居る場所でこの音を聞くのは、一年を通しても初めてだった。
市街地戦ではいつも気にしていなかったその音が、今ではいやに耳にこびりつく。
動かなければいけない、そう考えるより前に走り出していた。
パニックになりかける声が聞こえる。
小さな子どもが泣いている。
避難を誘導するアナウンス、指示をする店員。
彼らの制止も一切無視して、外へ。
誰の目も届かない場所へ。
「はあっ、はあっ、……《来い》っ!」
防犯カメラにも映らない、裏路地の奥。
普段の小さな欲望とは違う、強い意志を持った言葉を吐くと──
──聖なる剣は、自らが選びし者の喚び声に応じる。
それは遥かなる世界を越えても繋がり、〈勇者〉の手元に光り輝く。
「……《1》だ」
一瞬のうちに呼吸は整えられていた。
既に彼の中に一切の焦りは無い。
……必要なことを、やるまでだ。
《番号》を指定すれば、自らが聖剣でそのナンバーを刻んだ場所へと瞬間に移動する。
着いた先は彼の部屋だった。
〈勇者〉のセットアップを装備する。
ノーブランドの黒のジャージに、反射するフルフェイス。
かつてであれば不審者の代名詞だった装備は、今となっては既に<勇者>の代名詞になっている。
「……」
既に行き先は確認済みだ。
平川から渡されたスマホには協力が絶たれた今もモンスターの位置情報を共有する秘密サイトへのアクセス権がある
次の転移陣のロケーションも既に完璧だ。
去年の休日を使い、全国のあらゆる場所に数分以内で飛べるようにしてある。
「《2635》」
自室の壁一面に貼られた特大の日本地図に目を向けた。
一万を越える数の番号はメモされていて、一つの間違いも無いことが確認済みである。
くぐもった声で読み上げ、伊吹は空間を跳躍する。
けたたましい鳴き声と、ヘリの羽音が聞こえた。
****
翌日のニュースでモンスターの出現が取り上げられた。
追撃戦の末に特地隊のヘリ一機が撃墜され、二名の負傷者が出たこと以外は報じられなかった。
世間は〈勇者〉の不在を憂いていた。