〈勇者〉は青春に憧れる
朝の八時半に家を出た伊吹は、九時半には学校に着いていた。
ちなみに目的である北斗たちの試合はこの会場の第二試合で、開始予定時間は十一時半である。
伊吹が寝坊の心配をしていたのは一体なんだったのだろうか。
……はしゃぎすぎた……
流石に浮かれていたのを自覚する。
今行っても早すぎて北斗たちに笑われるだろうな、とグラウンドに近づくのに二の足を踏んだ。
見つからないように校舎の影を彷徨い、その足が渡り廊下に差し掛かった時だった。
「え、進藤くん?」
「んえ」
伊吹の背後から声がかかる。
喋りかけられた、というより伊吹がいることに驚いて声が出てしまったという様子だった。
「なにその声」
「……」
伊吹がやや赤面しながら振り向くと、部活ジャージを着たクラスメイトが吹き出していた。
少し背が高く、髪をポニーテールに結っている、すらっとした女子。
……確か名前は、坂本さん、だっけ。
坂口莉央である。
彼女はバレー部に所属していて、試合に向かう準備をしに一旦学校に集まったところだった。
荷物を持って駅に向かう道すがら、休日の学校にクラスメイトのサボテン系男子を見つけて驚いてしまったわけだ。
「制服でどしたの?」
「応援、的な」
「え? サッカー部の?」
訝しげになった莉央が尋ねる。
航希とも去年から同じクラスである。
伊吹と何があったのかまでは知らないが、あの誰にでも分け隔てない航希が伊吹の話題の時だけツンとすることには気づいていた。
あと二人ほどクラスにはサッカー部はいるが、彼らと伊吹は全く接点が無い。
「あー、対戦校に中学の友達が」
「へー……なるほどね」
友達いたんだ、なんて言葉が莉央の口から飛び出しそうになったが、流石にこらえた。
「あー、えっと。総体、頑張って」
「ありがと、私ベンチだけど」
「……ごめん」
伊吹はいつものようなぶっきらぼうな口調だが、その内容は気が利いていた。
まさかあの進藤から、と驚きつつもその内心は隠して、茶化したように莉央が答える。
「まあ、応援もベンチから頑張るけど。じゃあね」
足を止めていた莉央は、他の部員の方へ小走りで追い付いていった。
戻ると、同級生のチームメイトたちに尋ねられる。
「さっきのって、進藤くんだよね?」
「そー」
「あんな感じなんだ」
「いっつももっと怖い感じじゃない? 目つき悪いし」
「それはわかるわー」
「なんかフインキ重いよね」
「わかるー」
最後は伊吹を好き勝手言うだけになっていく。
やはり他のみんなも彼の雰囲気が違うことには気づくらしい。
一年生の頃の様子とはずいぶん違うが、最近の進藤はあんな感じなのかもしれない。
やっぱり何かあったのではないかと、莉央はついつい邪推してしまう。
今度学校で話しかけてみようか、面白がった彼女はそんなことまで考えていた。
****
「まず今日勝つ。ずっとやってきたことを出し切ろう。準備からしっかりな」
「はい!」
水野航希はキャプテンがチームを鼓舞するのに大きな返事をする。
周りのチームメイトたちも気合が入っている。
すこし遠くから笛の音が聞こえてきた。
「あ、試合終わった」
三年のスタメンの一人が言う。
第一試合が終わったらしい。
一年生がグラウンドの整備を行ったら、次の試合のチームのウォーミングアップが始まる。
相手チームも同じように集合していた。
向こうも秋まで続けるような強豪校では無い。
どちらにとっても三年生の引退試合だ。
「みんなアップの前にちゃんと水取っときなよー」
「うぃす」
マネージャーから選手たちに声がかかった。
まだ四月だというのに、真夏日になりそうな気温だった。
「航希、トイレ行っとこうぜ」
「おー」
航希は特に必要は感じていなかったが、クラスメイトでもある稲葉潤哉に連れられて、歩き出す。
今日の部員の雰囲気の話や対戦相手の話をしながら歩いていくと、潤哉が何かに気がついたようだった。
「ん? あれ」
「何?」
見ている方には何人かの相手の学校の何人かの選手と女子マネージャーがいることが分かる。
それから、彼らと談笑する自分の学校の制服を着た男子生徒。
航希もその姿に痛烈な違和感を感じていた。
「進藤じゃねえか?」
「……だな」
「うちの応援、って感じじゃねえな」
「相手のあそこらへん、多分あいつと中学同じ」
航希は人の顔をよく覚える。
記憶力には自信があるのだ。
だから、何回か対戦した相手なら中学の頃の記憶でも思い出せた。
「あいつ、サッカー部だったのか」
「普通に結構上手かったよ」
「お前が言うとイヤミじゃね?」
「いや、ほんとほんと」
潤哉は特に進藤が居ることを気に止めていないようだった。
今年からクラスが一緒になって、まだ日も浅ければそれも仕方がないことだった。
しかし、航希は違う。
今、あの進藤伊吹が談笑していることすら、半ば衝撃的だった。
思い出されるのは入学直後の記憶。
顔の知っている相手だったから、声を掛けた。
確かに自分の方が上手かったが、相手もきちんと練習している選手だったのを覚えていた。
当然のようにサッカー部に入るだろう、と声をかけたのだが、相手は冷たく「入らない」とだけ答えた。
確かに面を食らったが、事情があるのかと思って納得した。
けれど、その後もクラスメイトとして話しかける度に冷たくあしらわれた。
雑談を持ちかけても、クラスの集まりに誘っても、彼は全て断った。
自分に関心を向けていないのが分かる進藤の目が、航希にはいやに思い出せる。
彼のポリシーには反するが、好まない相手になるのも仕方がなかった。
気にしてやるものかと、未だあちらに目を向けている潤哉の横で、航希は足を速めた。
****
……また上手くなってるなぁ。
体育館脇の日陰で、伊吹が試合を見守っている。
結局伊吹は、莉央に見つかった後も上手く隠れて、ウォーミングアップ前の丁度いい時間に北斗たちと話すことができた。
かつてのチームメイトや同級生のあまり変わっていない姿に安心しつつ、久しぶりの対面に笑いあう時間は伊吹にとって心地よかった。
元クラスメイトのマネージャーから雰囲気が変わったことを指摘された時は少しどきりとした伊吹だったが、部活もしておらず、身長も伸びたからと、うまく誤魔化している。
途中、今のクラスメイト二人が歩きながらこちらを見ていたのだけ少し気まずかった。
さて、その両校の対戦はそろそろ終盤に差し掛かる頃で、両チームが一点ずつを取り合い、白熱していた。。
展開としては航希たちが上手くやっているのだが、北斗の学校も意地で戦っている。
……おお、ナイスキーパー。
カウンターからのビッグチャンスをキーパーの潤哉が止めた。
伊吹は例のごとく名前を思い出せていないが、クラス内で一番背の高い男子ということは分かった。
「わー! 潤哉すごい!」
「あっ、水野くんに来るよ!」
少し離れたところから同級生らしい女子の声が聞こえる。
一人は見覚えがあった。
約束通りわざわざ試合を見にやってきたらしい。
厳しいマークのディフェンスをトリッキーなワンタッチで躱しす。
「ははっ、うま」
伊吹が思わず笑ってしまうプレーだった。
そこからパス交換でさらにスピードに乗って、左足一閃。
地を這ったボールは北斗のチームのキーパーの手を掠め、ゴールネットに吸い込まれた。
「きゃー!」
「すごっ! 航希やばっ!」
サッカーに疎い女子にも分からせる、見事なプレーだった。
二年生ながらエースナンバーを付ける理由を証明するかのようである。
伊吹はひどく感心していた。
水野は明るい性格でクラスの中心にいて、女子に人気で、男子にも分け隔てないうえに、彼は勉強も苦手としていなかったはずだ。
春の実力テストで上位だったと持て囃されているのを耳にしていた。
ガッツポーズを掲げる彼の元に、疲れていたはずのチームメイトが全速力で駆け寄っていく。
後輩の活躍に、先輩たちからの祝福は手荒だった。
誰も彼もが心から嬉しそうだった。
日陰に立っているだけの伊吹はただ、その光景を眺めていた。
****
『おつかれさん。来年ファイト』
北斗のスマホに簡単なメッセージだけ残して、伊吹は学校を後にしていた。
今は家に向かう電車に乗っている。
負けたチームに外から声をかけることは無い。
勝ったチームに声をかけられる相手はいなかった。
気迫ある両チームの対決とその中での素晴らしいプレーが見られて、それなりに満足はしていた。
元々スポーツを見るのもそれなりに好きな方である。
もっとも、体を動かす方が好きではあったのだが。
……今やると、多分つまんないけど。
伊吹が部活に参加しない理由はそれだった。
〈勇者〉の能力は聖剣に由来している。
あの剣を持っているときには人間離れした力が発揮できる。
けれどそうでないときも、すでに伊吹の運動能力は破格で、全くトレーニングをしていなくてもトップアスリート並みの腕力や脚力が発揮できてしまう。
あくまで人間の範疇ではあるのだが、それでも異常だった。
異世界で聞いた話によれば、聖剣が保持者の能力を改変しているらしい。
だから今日見た光景がいくら美しく、どれだけ羨望の念を抱こうとも、伊吹があの輪に加わることはできないのだった。
もちろん突如現れたスーパープレイヤーとして活躍できるかもしれないが、それは伊吹が良しとしない。
別に伊吹は賞賛を求めているわけではない。
そんなもの、貰おうと思えばいくらでも貰える。
〈勇者〉になって聖剣を掲げておけば、それだけで歓声を浴びる立場に彼はいるのだから。
「はあ……」
朝の浮かれていた伊吹はもういなかった。
同じ高校生たちに違いを見せつけられ、自分に無いものを持つ彼らが羨ましく、妬ましかった。
仕方が無い、とは既に割り切っている。
あの日に異世界の聖剣に選ばれたのは自分だけで、帰ってきて〈勇者〉になれたのは異世界に行っていた自分だけだった。
偶発的な出来事を憎んでも仕方が無い。
異世界に居た頃にその答えを導いたし、そう信じて過ごしてきた。
自分には自分の役割があり、これが運命なのだとすら思っている。
だけれど〈勇者〉の座を降りた今、輝かしき青春の姿を見せつけられると、どうしようもなく自らの立場を恨めしく思ってしまう。
乗っていた電車が止まる。
電車を乗り換えるターミナル駅だ。
「……降りるか」
いつもなら違うホームのローカル線に乗り換えるところだ。
だが今日の伊吹はそのまま改札に向かって、駅の外に出た。
少しだけ、気晴らしにでもなればなどと考えていた。
明日も更新します