勇者の秘密の裏話
書かなきゃいけないと思ったので書きました。
文化祭が終わって数日のこと。
模擬店用に改装していた教室はもうすっかり元の様子を取り戻していて、教室の中に残された痕跡は受賞した金賞の盾が体育大会の表彰状の横に並べられているくらいであった。
授業もとっくに再開していて日常を取り戻した朝の教室に、成瀬結依が一人で入室してきた。
珍しい、と何人かが思った。
毎朝毎朝、未だに話したことのないクラスメイトが多くいる進藤伊吹とにこやかに話しながら入室しているのを見せられていたら自然そうなる。
二人が付き合っていないことを知っている坂口莉央だってそうだ。
「あれ? 進藤君は?」
「お休みだって。具合悪いみたい」
「ありゃ、お大事にだ」
結依はいつも伊吹が乗り換えてくる駅で彼が居なかったことに動揺してスマホを開くと、数十分前に通知が入っていた。
伊吹の居ない登校にちょっと嫌なドキドキが蘇ってしまったけれど、いつの間にか自分でも随分恐れは薄らいでいて、単語帳に集中することでやり過ごすことができるようになっていることに気が付いた。
まあそんな風に、クラスメイトが一人休むくらいは高校生の日常の一部分だ。
「てか、仙台結構ヤバいみたい」
「え、ダンジョン?」
「うん。何人か重症で、まだ解決してないって」
「こわー」
どこかでダンジョンが出来て死傷者が出ることも、去年からずっと続いていればもう日常だった。
悲惨なものであっても、地震や水害といった天災とか、ちょっと大きな交通事故とか、それらと同じレベルの悲しい話。
彼女らの会話を気にしたのは、欠席の連絡を頼まれていた水野航希だけだった。
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手元に速報が来なくとも全国キー局のニュース速報で未制圧だと目にしてしまえば、〈勇者〉が出張らない理由はない。
場所は仙台市の郊外。
通勤時間帯の高速道路を直撃したダンジョンの発生は特地隊が急行した時点で既に車数台が爆発炎上。
脱出した市民がモンスターの角に襲われ、重傷を負っていた。
その後は法整備の整った今、モンスターの発生が確認された区域においては市街地であっても事前に許可された銃火器は発砲が許されている。
レベルアップの成功により通常規模のダンジョン発生であれば現着までの死傷者は致し方なくともそれで解決することがほとんどになってきたのは特地隊の大進歩だが、大量発生レベルとなるとどうしても手数の少なさで後手に回る。
大渋滞、逃げ遅れた市民の血が流れたところで、黒ずくめの〈勇者〉が現れる。
そして一掃。
数百に呼んだヤギの魔物を一時間以内に目視、殲滅し、声を発さず姿を消した。
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「今日はサボりです」
「……すまない」
久しぶりに直接対面した平川の、かつてよりも更に深い謝罪。
伊吹が高校生活を楽しんでいることの報告を聞いていたばかりだから、これまでの無力を詫びる謝罪に加え、彼の時間を奪わなければいけないことに対する謝罪が上乗せされている。
前までならきっと遅刻してでも学校へ行っていた伊吹であるが、出席日数が稼げていて、弁明する必要の相手が増えた今、遅刻より欠席の方が都合が良かった。
資料やニュースもなく、伊吹は諳んじる。
「三百七十三人、ですか」
「…………そうだな」
「少ない、とは、俺は言えないです」
「我々も、同じ気持ちだ」
唱えた数は、伊吹が〈勇者〉としての活動を休止し始めてからモンスター災害によって犠牲となった人の数。
今日で八人も増えてしまった。
約百六十日の間に、ダンジョンの出現は七十個目。
「皆さん、無茶苦茶頑張ってるな、とは俺も思うんです」
「……そう言ってくれると、隊員たちも救われるだろう」
活動開始から活動休止までの約四百日では二百八十個で、百二十六人。
〈勇者〉はいつだって遅れてしかやってこられないから、どうしても犠牲者は生まれた。
それでも、世界が一変したはずの一年でそれだけの数に抑えられたのは、一騎当千の〈勇者〉が為した奇跡のような話であった。
その上で今年、犠牲者数の爆発的な増加が起こっていないのだって、〈勇者〉のおかげと言ってよかった。
彼の存在によって与えられた時間で法整備、部隊整備を進められ、ノウハウや技術が培われた功績はあまりにも大きい。
「でもやっぱ、まだ俺の出番じゃないかなって思うんですよ」
伊吹は最善以上を尽くしてくれたと平川や戸部が評した去年であるが、別に今年だって最善を尽くそうと思えば尽くせる状況だ。
呼ばれれば、誰との約束にも優先して飛び出し、必要に応じて誰とだって距離を置く。
だけれど、平川は首を振る。
状況は伊吹が暇に出された頃から変わっていない。
いや、特地隊の苦戦が寧ろ、伊吹への風当たりにも影響を及ぼしている。
「君はやはり、正体不明の、善意の協力者でなければならないよ」
今年の春に政府の判断を半ば肯定し、高校生としての日常へと伊吹の背中を押し出した平川であるが、彼が〈勇者〉を戦場から遠ざけようとし続けたのはあくまでも伊吹を慮ったものであった。
守ろうとしているのは彼の学校生活とか青春とか、そんなものだけではない。
「公安も内閣も、君から目を離しちゃいないんだ」
かつて平川に対して、自衛隊二十万、警察三十万とであっても日本全土を舞台に戦闘を行うならば、自分一人は生き残れるだろうと真面目な顔で話した少年。
その価値は通常個人に向けられる物差しで測れるものではなく、裏側の会議では常に一つの兵器として処遇が紛糾していた。
平川にさえ参加資格がなく、総監である戸部が呼び出されただけの会議では一部の直截な政治家が「処理」と口にして諌められたそうだが、同じ意味での対応を皆が念頭に置いているのは確かであろう。
〈勇者〉についての話は対ダンジョン、対モンスターに苦慮する国防の話だけでなく、外交上の重大懸念にも既に及んでいるということだ。
「今月も、プレジデントからのラブコールがあったそうだよ」
どうしてか日本だけで起こり始めたダンジョン問題という不可解な事案と同時に、世界へ姿を現した真正のスーパーヒーロー〈勇者〉には世界各国から目が注がれていた。
今の日本政府、自衛隊が〈勇者〉との連携が図れることを公にしてこなかったのには、特地隊のイメージ戦略以外の理由が過分にあるのだ。
この辺りは伊吹も理解しているから、息を吐いて肩を落とす他にやりようもない。
伊達に異世界で勇者をしてきたわけでなく、実際スパイにも引っ掛かりかけたのだ。
自分のことではないが、あの戦いの間に勇者の管理を任されたピオの家にも内外から様々な圧力が掛かったのも知っているし、同じような働きかけが日本社会で起こらないと考えるのは楽天的に過ぎる。
平川に正体を明かしている以上は彼の上の人間と、そのお上が共有を必要と見做した機関に〈勇者〉の正体は明かされている。
任意の高校生ではなく、顔まで知るのは公安の担当者含めて両の指で数えられる程度と平川には言われてこそいるが、掴まれている時点で人数の多寡は大した問題でない。
何かあれば家族に事が及びかねないことも伊吹はよく理解していたから、両親もそうだし、姉にも秘匿しておけなかった。
ここでようやく何人かのクラスメイトの顔が浮かんで彼や彼女らがそのスパイではないかと疑いかけたが、去年から学校に居る彼女らはその可能性が限りなく低いものと見込む。
もしかすると新入生や赴任した教員には何人か紛れ込んでいるのかもしれないが、接触もない今のところ、それはそれだ。
実際のところで言えば今年度から赴任した教員に一人だけその筋の人間が居るのと、近所に越してきた会社員夫婦を装った二人が伊吹の監視を担当し、交友関係のある生徒のプロファイリングをしたうえでモテっぷりに慄き、ちょっとした報告を楽しんでいる。
さて、自分の立場を俯瞰する伊吹は一つのジョークを前置きにして問いを発した。
「いつかは暗殺されるとして」
「……そうさせないように尽力をするつもりだ」
「普通で居るのが、長生きする方法だと」
「私は、そう考えている」
あくまでも私見であることを平川は強調する。
あの日伊吹の背中を押し出した理由は、自衛官としての矜持でもあり、少しでも波風から彼を遠ざけるためでもあり……今後の先行きが見通せぬ中で、一人の人間として悔いなく生きてもらうためでもある。
お上の胸三寸で決まる以上どうなるか保証はないし、上も一枚岩ではなく、どこまで伊吹が阿ろうとどういう結末を迎えるかは誰にも読めるものではない。
「じゃあ今日で寿命が縮まっちゃいましたね」
何の後悔も恨みも無くへらりと笑う彼に、平川の顔は険しくなった。
でなければ、一人の子を持つ親として、涙が流れてしまうと思った。
これだけの事情の中で平川が伊吹に対して小さな妥協を許したのは、国を守る自衛官としてどこまでも高潔な伊吹に共感し、その彼の善意を軽んじるお上の人間への反発であり、また、やはり悔いなく生きてもらうためである。
「許しているのは私だから、そこは気にしないでほしい」
その責任を彼に払わせるつもりは毛頭なく、平川はそもそも彼より先に死ぬはずだ。
彼もまた、命をかけて守るべき国民の一人であると知っている。
頭を下げて、伊吹は退室していった。
平川の居た部屋の電話が鳴る。
こうまでタイミングが良いとなると、どうにも聞かれていたらしい。
設備には十分に警戒していたはずだが。
急遽の編成で昨年夏に突如渡されたポストに残る任期はあと数ヶ月。
伊吹に渡した金でさえ自らと戸部の伝手により綺麗なものを用意してみせた彼の行く先はどこになるか。
苦言とも心配とも取れる男の声に苦笑しながら、平川は基地の窓から見渡す外を眺めた。
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正午前、黒ずくめの彼は送電塔の足場から現場を見下ろしている。
未だ被害を受けた車列が並ぶ高速道路。
ダンジョン発生地は災害現場として扱われ、入り口の物理的な封鎖が行われたのち、被災地の復興作業には自治体、消防、特地隊、また地域を担当する陸上自衛隊らが急行することとなっている。
目に入る、救急隊員に搬送されるブルーシート。
秋めく風がわずかに露出する肌に当たり、耳朶を揺らす。
無言のまま、目を瞑った。
奥歯を噛み締めることも、涙を流すこともないけれど、必要な儀式として。
それから再び目を開き、またしばらく見下ろす。
喩えどれだけ優れた癒し手が居たとしても、多くの人が死ぬ。
喩え神の実在する世界であっても、届かぬ祈りがある。
喩え〈勇者〉が居たとしても全ては救えぬことを、声を聴いた何人もの兵士を戦地にて見送り、何千もの呻きを聞き届けた進藤伊吹は知っている。
踏みしめる血肉からも走り抜けろと命じられ、それで目を見開き、耳を閉ざさず走り続けた彼が、この国に現れた〈勇者〉であった。
そんな進藤伊吹は言ってしまえば既に誰よりも達観した職業者であり、消防が常日頃から火災の発生を見張るために二十四時間パトロールしないように、医師が寝る間も惜しんで手当たり次第に他所の家へ押し入って病人の余命を伸ばさぬことと同じように、私人としての進藤伊吹と、〈勇者〉としての進藤伊吹を切り替える術を持っている。
それでも、何度も自答する。
唯一人力を持つことを許された自分はどうするべきか、と。
そして、何度も自嘲する。
世界に、感情に、自分の考えの外側に、流されることしかできない、と。
世界を救ったのだって自分が救うべきだと考えて救ったわけではない。
頼まれたから救った。救いたいと思ったから救った。
それだけの、考え無しの勇者様だった。
深く、深く、深く頭を下げて、伊吹は家へ帰る。
何も言わずとも食事を用意してくれていた母にきちんと感謝を述べてから昼食を食べ、部屋に戻り、また深くため息を吐く。
それから、そう時間も経たず勉強机に座って、問題集を解き始めた。
何が正しいかなんて、今日まで一度も分からなかった。
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答えはもう少しだけ、先の未来に。




