進藤伊吹の文化祭⑤
自分の行動に責任を取るべく勇気を持って動けるのは、何も〈勇者〉の特権ではない。
「え、結依ちゃんたち良いな! どうだった?」
「一位だったよ!」
「えー! 一位?! 結依ちゃん何したの? 射的とか?」
「スーパーボール掬いと輪投げー」
「進藤君は?」
沙也加や梨沙、莉央が何か言いだす前に、永井千早も成瀬結依もほんの少し重心を前に。
夏休みの間の自習室で仲を深め、新学期の教室でもよく話していた二人は、その延長線として見事に言葉を交わした。
彼女らの引いた一本線の上に、伊吹も飛び乗った。
「スーパーボール掬いとモグラ叩き。スーパーボールは成瀬さんに負けました」
御見それしましたと芝居がかって頭を下げる。
「進藤君はでも、モグラ叩きすっごかったの」
「え、何それ、超見たかった」
「水野、動画撮ってたよね?」
「ん、おう。見る?」
咄嗟に呼ばれた水野航希であるが、助け船が必要か見守っていた部分もあるので慌てずに乗り込む。
「見る見る!」
「バケモンだったわ」
本人たちが面と向かってやり合わないのであれば、思うところがあるとしても他者が口を出しても味方に諫められるだけ。
踏み留めさせられた沙也加は同じく臨戦態勢に入りかけていた野々芭と共に一歩引き下がって紛らすように話し始め、抗戦を覚悟した莉央は肩の力を抜いて菜帆や梨沙らと会話を交わす。
しばらくして、まだちょっと不満げではある沙也加が自分たちも並ぼうと切り出したことで、手を振り合った。
結依と千早は、自分たちの勝負は始まってしまっていると知っているし、それで高め合うわけでもないけれど、押し合うとか貶め合うことではないと暗黙の裡に認識し合っていたのを、今ここで改めて確かめることとなった。
千早が結依と伊吹の仲を使って花火大会に誘おうとした借りだとか、結依が千早に抱く憧れに似たような羨望だとか、進藤伊吹がどちらのことも特別視していないことを二人ともが同じように認識しただとかの結果だ。
伊吹たちも莉央たちも回っていなかった模擬店に並んでパフェを食べ、最終シフトに入っている結依と莉央とも別に行動を開始する。
そのタイミングで手を洗いながら、航希は素直に感嘆していた。
「永井も成瀬もすげえわー」
「……ね」
「沙也加とか普通に爆発すると思ったし」
「それは、うん。二人のおかげかも」
「いやー、マジですげえ」
結果としては伊吹がバランスを取ったことによって起こった奇跡的な瞬間だと、自分が色々と巻き込まれて女子と真正面から喧嘩もしてきた航希は見抜いていた。
普通はああはならないことを知っているから、感心する他ないのである。
会話の中に何の当て擦りを始めず、普段通りを選んでくれる女子など同年代にそう居ないのだ。
「超大人」
「ほんとに」
「最悪刺されてるから、お前」
それは冗談としても、普通に行けば、直情的な沙也加が動いて、それは莉央が取りなそうとしても周りの小清水乃々芭や渡部梨沙が千早を神輿に担ぎ始めた瞬間から、数の不利に陥った莉央も激化するようなやり合いに辿り着きかねなかった。
そうなった後の女子の冷たさは、傍から見せられるだけで恐ろしいのだ。
手洗い場も出て、行きたいような模擬店は行き尽くしたので、休憩と言わんばかりに人気の少なそうな方に二人で歩いていく。
「とはいえ、だな」
「……どうしろと」
どうにかしなきゃならないだろうと提案してみた航希だが、伊吹は目の光を消すようにすんと瞼を半分落とした。
どちらかを選ぶ、という簡単ではないが比較的簡単な決断で解決する問題では無いのだ。
航希は偶然と共に知ってしまったけれど、伊吹の秘密は重大なものであり、知った本人のリスクも含めて秘密に辿り着く人間はできる限り少ない方がいい。
ただ、好意を受け入れるというのは大事なことだ。
打ち明けられなければまともに選べもしない。
航希も航希で今日までに伊吹の細々した事情まで聞かされているので、簡単な解決策は見つけられない。
公安だとか、他国のスパイだとか、航希が言葉でしか知らなかった存在とも隣り合わせなのだ、この男は。
「まあ、最悪学校辞めるかな」
「いやいやいやいや」
「今なら、うん。選べる気がする」
クラスの外に一人弾き出されるのではなくて自分の存在がクラスという人と人の関係を割ってしまい、その責任が自分に大いにあるのに他の解決策も無いのであれば、かつて選べなかったことも選べると思った。
誰かのための決断、というのが大きい。
「最悪の話だけどね」
「割とリアルだろ」
「でもどうしよっかな」
伊吹は別にモテようと思ってモテたわけでもない。
結依を助けたのは身体が動いてしまったからだし、千早の好意もきっかけには身に覚えがなかった。
答えの見つかりそうにない思案をした伊吹に、航希がつっこむ。
「まず、断れ。その気もねえなら」
「あ、そっか」
「そっかじゃねえわ、そっかじゃ」
悪意もなく、断る理由もない頼みには応え続けて来てしまった伊吹だから応えてきてしまったが、片方の頼みを一度聴いたら綱渡りをするしかないと分かると、いよいよ断る理由もできてきた。
「でも、なんだろう、良心的な?」
「なら俺が良心を咎める」
「なにそれ」
ただ、航希も居ないところで面と向かって頼まれ、断れば悲しまれそうなとき、伊吹は断れるだろうか。
「……最悪はもう、好きにしろ」
「最悪ね」
またしても思案が顔に出てしまっていたらしく、航希はちょっと折れてくれた。
****
お色直しではないが、接客に入る準備をするために荷物を置いている空き教室に入った。
ちょっと早い時間だから、莉央と結依との二人きり。
「結依、頑張ったね」
「?」
成瀬結依は緊張しがちな少女だからきっとドキドキしただろうと思って後ろからぎゅっとする格好で労ったら、腕の中の本人は全くと言っていいほどぴんと来ていなかった。
「ちはちゃんと会った時とか。進藤君と一緒だったのもだけど」
「! あ、ありがとう、へへ」
「そんな感じじゃなかった?」
彼女の表情をよく見るために腕を解き、首を傾げると成瀬結依は頷いている。
「楽しかったから、すっごく」
「結依ー!!」
何だかとっても嬉しくなってしまって、今度は真正面からぎゅっとする。
小さくて可愛らしくて、それでも真っ直ぐに優しい彼女は、ことあるごとに抱きしめたくなってしまうのだ。
「いやでもほんと、ちはちゃんと普通でびっくりした」
「千早ちゃんとは、仲良くしてもらってるし」
「ライバルじゃん?」
「ライバル、だけど」
どうであれ、友人として仲良くしたいという成瀬結依の声。
嗚呼、それが何と自分にとっても甘く、優しいものか。
ちょっと表情を見せたくなくて、もう一回抱き締める。今度はちょっと長く。
それでも、自分だけは甘えてはいけないと、坂口莉央は思う。
中学二年生の冬に学習塾で出会った優しい少女。
出会ってすぐの頃、一年付き合っていた彼氏と何にも進まないままだった愚痴を聞いて、慰めてもらった。
その間に結依は同じ学校の女子に傷付けられていて、結依に事情を吐き出させた莉央は憤った。
彼女が同じ学校が良いなと言ってくれたから、莉央は背伸びして三高にやってきて、その過程もずっと励ましてくれた。
だけど、クラスの違った一年生の時に昔と似たようなことが起こってしまい、来年は同じクラスになりたい言って、それでわざわざ結依は分離選択と、授業選択まで合わせてくれた。
今日まで彼女と手を取り合い、望まぬ色恋沙汰に傷付けられた彼女の苦しみも全部教えてもらった自分だけは絶対に彼女の許しに甘えてはいけない。絶対に。
彼女を応援すると坂口莉央は改めて決意する。
自分は花火大会では結果的に自分の望んだ進藤伊吹と一緒の時間を過ごせたのだし、綺麗だと褒めてくれて素晴らしい思い出になったのだから、それでもう満足。おしまい。
そう思っていた上に今日の三高祭だって楽しかったのだから、結依には隠すとかだけじゃなくて自分の心はこれから一切封印だ。
そりゃあどうしても格好いいと思ってしまうこともあるだろうけれど、今からはもう、手が届かない失恋をしたとさえ思ってやる。
それでいい。
そのハグが思いの外に長かったことで、結依が首を傾げていた。
「準備しないと遅れちゃうよ?」
「他の子たちも来てないし」
「そうだけど」
昨日から、列に並んでいたとかでシフトの時間に遅れてくる子もちらほらと見えた。
時間のずっと前に切り上げてきた自分たちは随分偉いのだ。
最後にもっと強くぎゅっとすることで表情をすっきりさせて、温かさを手放す。
「明日佳ちゃんもまたお店に居たし」
「え、嘘」
「いつから居たんだろね」
「ね、ずっと働いてる」
今日は最初のシフトの半分と、最後のシフトの半分だけと言っていたはずだが、なぜ最後のシフトの自分たちより先に居るのか。
準備の段階から熱を上げ、昨日も一日通しで働いていたのは本人の意志だったが、それはそれとして高校二年生の三高祭の全てを労働に捧げるのは華のJKとしていかがなものか。
言っていると、その明日佳が教室に駆け込んできた。
「やばーい!」
「どしたん」
「牛乳無くなる!!」
「え、やば」
昨日のうちに買い足して、余ったらみんなで飲もうと言っていたのに。
「今日、昨日より大盛況かも」
「それやばい。え、橋ちゃん買いに行くの?」
「他の子はシフトじゃん!」
すぐそこにスーパーがあるので牛乳や氷が足りなくなった緊急時には買い出しに行くという話はしていて、開幕前に下見までしていたが、誰が行くかまでは考えていなかった。
それで、シフトと関係なく働いている明日佳の他の誰かが行けば大盛況だという店の回転に穴をあけることは確かだ。
とはいえである。
「牛乳とか重いじゃん! 結構距離もあるし」
「そうだよ明日佳ちゃん」
「でも、私が行った方が早いし」
強情なのは最後の最後、ここまで大成功だった模擬店をきちんと大成功で終わらせたい明日佳の仕事への熱意も含めての話なのだろう。
「自転車とかでもないでしょ?」
「誰かに頼めないかな?」
「でもさ、立替とかもあれだし」
続けて明日佳がもう一つの理由を言った。
「みんなは、三高祭、楽しんでるし」
その言葉を聞いた莉央の頭の中で、悪知恵がぴんと繋がった。
もうすでに暇をしているか、或いは、莉央の望まぬ誰かと仲良くしているかもしれない顔が浮かんだのだ。
その誰かさんが頼みを断れぬことまで知っているし、いつでも既読が早いことも知っている。
「ううん、頼んじゃおう」
「でも」
「絶対、誰かすぐ反応してくれるから」
反対を押し切るもせぬまま、莉央はグループメッセージで牛乳四本のお遣いの依頼をかけた。
早速既読が付いて、五個付いた時点で返信が来る。
「行きます、だって」
「え、誰?」
「進藤君」
****
莉央のシフトの時間になる前、思ったよりずっと早い時間に進藤伊吹と水野航希が二つのレジ袋を分担して調理室に飛び込んできた。
「間に合った?!」
「進藤君!! 水野君も!! マジありがとう!!! 間に合った!!」
「良かったー!!」
「はー、しんど」
ああ、見なければよかった。
坂口莉央がそう思うくらい爽やかな、人の喜びを喜ぶ笑顔。
汗一つ掻いていないが、少しだけ息を上げているのがその晴れやかさをさらに引き立てている。
隣の水野航希は膝を両手に付いているから、結構な無理な速度で済ませてきたのだろう。
サッカー部の主力は体力に自信もあるはずだが。
その後、二人にうぇーいとハイタッチを求めていたのは莉央たちと同じタイミングで接客のシフトに入る前に、同じくそれ以外の手伝いをしていた稲葉潤哉。
「おっつー、あざーっす。疲れすぎじゃね?」
「ガチ走り。文化祭、体育大会よりしんどいわ」
「進藤は余裕そうじゃん」
「あ、え、うん。最近ちょっと走ってて」
航希と伊吹がそれぞれに応えていくと、彼に引き続くように他のクラスメイトたちも。
「ナイスラン進藤! 水野!」
「二人ともマジでありがとう!」
男子も、女子も、普段は遠巻きの彼らも今日ここは感謝を伝えるべきだと分かっていた。
ちょうど折り合いの悪そうな男子たちは纏めて時間に遅れて来ているのも言いやすい理由か。
「水野と暇してたし」
「普通に生物室とか見てたからな」
「座って喋ってたよね」
彼らは特に千早らといたということもなく本当に暇をしていたようで、周りからの謝辞に伊吹が目を細めている。
「さて、頑張ろっか」
「うん!」
見惚れているのもおしまいにして、仕事の時間だ。
明日佳や伊吹、二番手のシフト組、そして進藤伊吹と水野航希がこうまで頑張ってくれているのを見ると、気を引き締めてやっていく他ない。
「なんか手伝ってく?」
「あ、うん。やることある? 店長さん」
「ちょ、進藤君まで」
暇だし、明日佳もそうしているからと気遣いを押し切った航希と伊吹も裏方の仕事や片付けを手伝って、最後の営業時間。
二年一組の模擬店は見事大盛況のうちに幕を閉じた。




