進藤伊吹の文化祭②
話し始めて一ヶ月も経たないうちであるが、水野航希は素の進藤伊吹のことを徐々に理解し始めていた。
というか、隠そうとしてない限り別に分かりにくい人間ではないらしく、事情を知った上で見ているとむしろ色々分かりやすい。
「甘いの、好きなの?」
「甘いのというか」
それで遠慮なくみたらし団子を頬張ってから、頷く伊吹は飲み込み切らない前に話し始める。
「美味しいのが」
「ふうん」
「日本はね、ほんといい国だよ、うん」
これで〈勇者〉の中の人は、立て続けに三つのスイーツを味わっていた。
水野が店で働く同級生に話しかける口実として一番安いものだけ買っている横で、あまり金に糸目もつけずよく食べるし、あんまり表情は変わらないのに美味しそうに食べる。
それもなるほど、異世界で勇者様をやっていた時期があったからかと納得させられた。
三年間は戦地にいることが多かったというし、向こうは文化もそう進んでいなかったみたいだから、満足な食事というのが難しかったのだろう。
しかし、そんなものを誰が何も言われずに導き出せるか。
いや、無理に決まっている。
適当に歩みを進める先で、去年同じクラスだった理系の男子と顔を合わせる。
「あれ航希。店は?」
「今日は終わりー」
「……稲葉は? みいちゃん?」
「ちょうど今仕事中」
それで、進藤と居るの? という理解不能をありありと語る目で見られていた。
ああそうだ、水野航希は一年以上前からつい数週間前まで進藤伊吹とはそういう関係だった。
差し伸べた手を、掛けた声を尽く跳ね除けられて、流石の航希も腹に据えかねていた。
それが今は文化祭を二人で楽しげにしているのだから、彼には訳が分からないだろう。
伊吹は話しているのが去年のクラスメイトであることには気付いているようで、そっと気配を消すように黙り、小さくみたらし団子を噛みちぎっている。
航希は偶然、彼が悪いやつじゃないと知った。
むしろどこまでも良いやつだと知った。
抱えた事情が事情で一人で居ることを選ばざるを得なかっただけで、どうも性根に毒気や嫌味がなく、空気も読める。
「進藤、お前名前覚えてる?」
「…………マジでごめん」
話を振られたのにぎょっとしてから眉間を抑える姿には本気で思い出そうとする内心が伺えて、航希が笑ってやる。
「教えてやって、ムッキ」
「ん、あ、内藤な。内藤睦樹」
「内藤君」
「んじゃ、次行くから」
「お、おう」
彼が一人を選ばないのであれば、彼の性根を知っている自分が悪いやつじゃないと周りに教えてやろうと思った。
そうしてやった方がきっと、相手の為にもなるから。
知らないままであれば、いつかきっと馬鹿を見る。
彼の抱える理由に対してはちっぽけ過ぎる理由で彼を遠ざけていた自分のように。
「名前覚えるの、苦手?」
「普通だと思うんだけどね」
うーん、と渋い顔をする進藤伊吹は別に、得意でもないというくらいなのだろう。
「普通じゃなかった、ってわけか」
「どうなんだろ」
恩返しにもならないけれど、たまたま自分はある程度顔も広いし、手伝ってやろうと思ったのだ。
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それもまあ、そう簡単に上手くいくわけじゃない。
「進藤君! と、航希じゃん。暇?」
「まあ?」
「……まあ」
永井千早が分かりやすく声と表情を華やげて、行列に埋まる三年生教室の廊下で進藤伊吹のことを呼んだ。
航希のことはおまけ扱いなのは嫌でも分かる。
「お化け屋敷! 一緒にどう?」
「六人までだってさ」
「我々三人、君等二人」
航希は確証する。永井千早が進藤伊吹に本気だ。
でなければこれだけ注目の集まる場で、彼女が男子の名前を堂々と呼びかけたりしない。
入学早々から目立っていた千早とは一年生の時もクラスメイトやサッカー部員を介して面識があったし、今年のクラスでもいくらか言葉を交わしてきた。
周りに見られることを自覚していて、自分を見る誰の顔色もよく見ている比較的自分と似たようなタイプだと、男子側で似たような立場にある航希は理解しているし、理解し合っている。
「男二人が良かった?」
「入るつもりなかったわ。見に来ただけで」
「三高祭だよ? お化け屋敷入んないと!」
「お前は三年か」
押し売りのような文言にツッコミながら航希は隣の伊吹と目を見合わせる。
伊吹も伊吹で周囲からの視線は分かっているが、やけに度胸の据わった彼はそのくらいで物怖じもしないから、目の前の千早の願いも無下にできないのだろう。
だから、航希の都合を尋ねる目だ。
さて、三高祭のお化け屋敷は確かに菜帆の言うように他校も羨むような名物で、作りのレベルが高いことは航希も去年に体験して知った。
が、今年は本当に入るつもりがなかった。
男二人だからというのもあるが、〈勇者〉様は随分感覚が鋭くなっているらしく、暗闇でも音なんかで人の近付く気配が分かってしまうそうだ。
それは楽しくなさそうと航希が言ったら、そんな気がすると言っていて、今は手の込んだ外装に飾られる雰囲気だけ味わいに来ていたのである。
「今並んだら間に合うから!」
「ん? ああ、シフト」
「そそ。並ぼ?」
千早がちょっと上体を折って、伊吹を覗き込んでいた。
ぞんざいな扱いにそこまで腹が立つわけではないが、良い気分でもないから坂口莉央には全部報告しておくかと心に決めておく。
伊吹は改めて航希に目を向けた。
さっきとは伝えてくる意図が違って、すぐにその通りの声が聞こえる。
仕方ないか、と書いてあった
「いい?」
「ま、時間もあるしな」
「やった、ありがと」
千早がようやくこちらにも笑ったのに肩を竦めた後、ちらと園田菜帆の方を航希が見れば、ちろと舌を出される。
本当の本当に本気だから許してやってくれという態度だ。
まあ、いつものわざと大袈裟な笑顔とはちょっと違う、別の作り方をした表情を見ればそれも分かる。
今も本人は好意を隠すつもりがなく、畳み掛けて伊吹とのツーショットもゲットしていた。
余り物として気を遣われた航希は、伊吹を含めてだが朝にも写真を撮った菜帆と沙也加とスリーショット。
「いや笑えって」
抗議は谷口沙也加のもの。
「そんなに愛想なかったっすかパイセン」
「こんなんだったろ」
確かに夏まではもう少しくらいきちんと対応していた気もするけれど、そうする必要も感じなくなった。
頭の端には先週末、大学の夏休みだからとわざわざこちらまで遊びに来てくれた美織の顔が浮かんでいる。
このことは基本的なノリが鬱陶しいサッカー部でも共有していなくて、潤哉含む何人かと、伊吹にしか報告しておらず、女子は誰も知らない。
不愛想な航希を挟んだ隣で反対を向いたその伊吹は、今日のどこの出店が良かっただとか、接客はどうだったかという永井千早があれこれ聞いているのに、いつもの柔らかさで答えている。
航希はただただ、大したもんだな、と感心してしまう。
それにしても、だ。
「……」
「言わんでやってくださいな」
さっきからずっと、永井千早らしくない姿を見せられている。
周りへのちょっとした配慮というか、相手に迷惑をかけないように立ち回るのが上手いはずの彼女は、今も道行く二年生が伊吹を二度見していくのに構いやしていない。
恋に盲目、という柄でもないと思っていたが。
千早が精一杯になっているのを良いことに、余り物たちはヒソヒソと。
「夏の負けが悔しかったみたいでー」
「何の」
「ほらもう、一人しか居りませんがな」
部活でもあるまいし、誰と何の勝負をしていたというのかと眉毛を寄せるが、千早にも確かにライバルが居たなと合点する。
航希もあまりちゃんと話したことのない、大人しいクラスメイト。
ただ、夏以降の様子を見ると不可解な点もあった。
「なんか、仲良くなってなかった?」
「謎にね」
「ちょっと良い子すぎたみたいでー」
それで形振り構わないくらい、成瀬結依を手強いと認識しているのだろうか。
確かに誰かを貶めたりしないだろうから悪者にもできず、坂口莉央もはっきりと味方に付いている彼女と揉めるのが得策ではないと判断してのことでもあるのだろうけれど。
「花火も企んだんすけどねぇ」
「……あいつ、来なかったの?」
三高生で花火といえば、港の花火だ。
航希も色々誘われた上で断って県外へ行っているので、日程は把握していた。
あの日、こちらで全部を助けた〈勇者〉様はてっきり一人で居たものだと航希は思っていた。
「友達と行くって言って断られたのに、向こうと一緒に見てて」
「え、二人で?」
「中学の友達と、ゆいぴーとりおぴーと」
「莉央ちゃんからは報告もあったみたい」
当時の実情と共に、航希は自分の命が薄氷の上に繋がったものだと知らされて、薄らとした笑いが。
彼が彼の日常を歩もうとしていることを助けようとしている今、咎められるはずもないものだが、ちょっと首元をさすることになった。
「どしたん?」
「あ、いや? 青春してんなって」
「オトモダチもできてるしねー?」
「それもマジでなんだったの?」
詰られても、彼が〈勇者〉様で自分は命を助けられました、とは当然言えない。
部活と部活の合間にわざわざ向こうの花火に行っていたことを伏せるため、航希は〈勇者〉に助けられたことさえ口外していないのだから。
「あいつ、良いやつだから」
「それは知ってますけども」
「なんかね、結依ちゃんと仲良くなったのもチカンから助けたからとか」
「へえ」
航希でもほとんど話したことのない成瀬結依とある日から急接近していたことは疑問に思っていたが、伊吹が伊吹としても人を助けることに特に疑問は抱かない。
〈勇者〉であることを誇示せず、助けたことも傘に着ず、ただ一人抱え込んで航希に口止めさえしなかったあれはきっと根っからの善人だ。
伊吹が何話してんのと肘で小突かれて、反対を向いていた航希が伊吹の視線にようやく気付く。
声は随分落としていたが、そういえば耳が良いと聞いたばかりだった。
白々しく話を変える。
「永井は得意なの? お化け屋敷とか」
「だいぶビビり」
「なんで誘った。てかそんなイメージないわ」
「うちだって女子なんですけどー!」
そこで見当外れな自虐ができるのも、永井千早がビビりというイメージから離れさせる理由だ。
理知的というか、計算高いというか。
世渡り上手な彼女である。
「航希さんはどうなの?」
「うお、って感じ」
「裏切らないじゃん」
驚きはするが叫ぶようなことはない。
現実味が無さ過ぎたけれど、魔物と相対した経験を思い出せば、今はもう少し肝も据わっているかもしれない。
その後、航希の先輩やチア部の一年生らが通り過ぎて会釈してくることはあったが、特に誰に邪魔をされるわけでもなく列が進んで五人の番に。
「……進藤、先な」
「はーい」
男二人で並んでいても仕方がないので入場の前に航希が一歩下がった。
やるじゃん、と沙也加に小さく叩かれつつ、伊吹と千早が前列で、沙也加、航希、菜帆が適当な順に並んで中へ進む。
レコーダーから世界観がアナウンスされた後、暗がりから最初の仕掛け。
千早は声を出さずここぞとばかりに伊吹への距離を詰めていたが、問題は航希の方。
「ひゃ!!!」
「お前がびびんのかよ」
「沙也加やばー」
「マジ怖い、マジ怖い!!」
抱きつかれる格好となった航希は両手を挙げて、沙也加を受け入れるとも拒否するともしなかった。
後ろの菜帆はけらけら笑っている。
「苦手?」
「実はね、実は」
「ふっ、弱点発見」
「あんまないでしょ、お化けとか普段! ひゃーーー!!!」
その後は沙也加がずっと航希の背中に隠れ、千早も倣ったようにきっちり伊吹を盾にするように進んでいた。
暗がりの中での突然の音やキャストの登場には航希も驚いてしまうが、先頭を行く伊吹は言っていた通り最後まで一切動じた様子すらなく、たまに造りを観察する余裕さえあるまま、出口に。
「無理! 無理! 無理!」
「なんで園田も押すんだよ!」
「ノリ!!」
最後の大仕掛けを受け、後ろの二人が急かすため、五人で固まって明るい廊下へ吐き出されたとき、航希は見る。
足元の材質が変わったあたりで千早がバランスを崩しかけたのを、伊吹が迷いなく腕を回して支えてから、鋭い脚さばきで体勢を整えて、ぱっと放す。
「レベル高かったねー」
「……うん」
何事もなかったように笑いかけるというより心からの笑みが漏れる伊吹は素直に出来の良さに感心しているようだが、どうやら千早が同意するのは上辺だけであった。
ときめきを誤魔化すように、前髪を触り、しきりに手櫛で髪を撫でていた。
ああいうことも迷いなくスムーズにやってしまうと女たらしができあがるんだな、と、そういえば小脇に抱えられたこともある航希は様子を見つめていた。
力強さというのは安心感で、誰であれどうしても心惹かれるものだということだ。
気を取り直し、自分の背中の方を一瞥する。
「おい、外だぞ」
「あ、ご、ごめん!」
沙也加が両手でシャツを掴んでいたのをばっと放して、後ろに手をやっていた。
それからすすすと菜帆の方へ。
普段ならこちらへ文句を言って来そうなアグレッシブなクラスメイトがずいぶんしおらしいのが面白かったのでちゃんと笑ってやる。鼻で。
「大人し」
「……っ! はー、もう超元気!」
「無理がある」
航希がやれやれと小さく首を振ったところで元気を取り戻した。
千早らのシフトの時間に近付いており、彼女らは準備のために教室へ向かうと言った。
「二人も買いに来てくれていいんだよ?」
「もう潤哉から買った」
「なーんだ」
千早の不満は口だけであり、先ほどまでの時間に満たされたような表情をしているようだ。
男二人取り残されて、伊吹はすっと愛想の良い笑顔を消している。
同級生の中ではモデルやらアイドルやらと比較される永井千早とあれだけお近付きになった後にこの態度を取れる男子が、この学校でなくどれだけいるだろうか。
きっとこういう動じなさにも彼女は惹かれているのだろう。
とりあえずからかっておく。
「成瀬も誘う? バランス取って」
「何のバランスなの、それ……」
モテる男は辛いのだ、というのは航希の経験則から来る持論である。
ふざけた考えだという自覚もあるが、適当をやっていると自分の関知し得ない場所で女子の仲が勝手に割れるし、その責任をこちら側へ被せようとしてくることさえある。
伊吹の場合は相手となる二人に随分と分別がありそうだから何も無いかもしれないが、少なくとも気を遣うのは確かだろう。
これまでは面白がられていて不愉快だったが、なるほど、見ていると面白い。
「ま、がんばがんば」
「超他人事じゃん」
「実際他人事だし」
美織への恋を成就させた今の航希は既に蚊帳の外。
精々先輩面して見守ってやるかと、時間が余ったら向かおうと言っていた体育館へ肩を並べて歩いていった。