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〈勇者〉とは勇気ある者のことである

 進藤伊吹が勇者になったのは一年前のことである。


 あくまでも、地球での時間軸にのっとれば、だが。


 経緯を説明するのはそう難しくない。

 伊吹が高校入試の合格通知を春から通うことになった学校で受け取った帰り道、突然異世界に召喚されたのだ。

 ようやく見つけ出すことのできた、聖剣の適合者であるという理由だった。


 その道中の詳細は省くとして、それからその異世界で三年間を勇者として戦い抜き、無事にこの世界に帰ってきた。


 三年の月日が経っても聖剣の力で容姿が変わらなかったのは幸いだったと言えよう。

 何せ伊吹が帰還した際のこの世界の時間軸は召喚された直後だったのだから。


 衣服や当時の荷物、それから最も重要な合格通知などは異世界で厳重に保管してもらっていた。

 そのために劣化などはほとんど無かったが、持っていたメモ帳には異世界での記録が様々書かれている。




 その帰還から数日後に日本アルプスで起こった史上初のモンスター災害があり、伊吹はこちらでも呼び出せることを知った聖剣を持って参上することになるのだが、そこからの詳細も追って述べていくべきだろう。


 今言うべきことはただ一つである。


 伊吹自身の体感では実に四年もの間、戦いに身を投じてきたわけだ。

 異世界では数多の試練を乗り越えて決定的な精神性の変化があり、この日本で〈勇者〉になってからはさらに特殊な役目を全うしてきた。


 そのせいで平凡な中学生だった頃の記憶は既に遠く、本来なるはずだったであろう平凡な高校生からは全く考え方が変わってしまっている。


 要するに、進藤伊吹は勇者として生きる以外の生き方を忘れかけてしまっているのだった。



 ****



 進藤伊吹は帰りの電車に座っていた。


 ……気が抜けるというか、なんというか……


 素直に受け入れたが、〈勇者〉でなくなるということがこれ程までに自分にとって大きいとはあの時点では気づいていなかったのである。


 彼は座って抱えたリュックに体を預けながら、今日一日を振り返る。


 遅刻届けを書くために慣れた職員室に入室。

 特に気にすることなく教室に入り、遅刻届を授業担当の教師に出してそのまま自分の席に座った。

 授業中はぼーっと授業を聞き流していた。

 昼食は自分の席でイヤホンをしながら一人で弁当を食べた。

 午後の授業はうたた寝しそうになりながらやり過ごし、終わってからそのまますぐに下校した。

 そして今に至る。


 有り体に言って空虚である。


 朝の電話以降は教師に対する簡単な受け答えしか言葉を発していない。


 学校で気さくに話せる相手などいなかった。

 高校では人間関係を作らない方がいいと考えていたのだ。

 〈勇者〉として呼ばれた時に友人の誘いを断り続けていれば浮いてしまうだろうと考えていたし、それは現実に有り得た話だった。

 部活ももちろん帰宅部を選んだ。


「はあ……」


 だが、〈勇者〉でなくなってしまえばその考えは無意味になってしまう。

 そして今ちょうどその問題に直面していた。

 溜め息が出てしまうのも仕方がないだろう。


 ……明日から、どうするか。


 この生活が続くことはどうやら確かなことらしい。


 先程伊吹はスマホでニュースを見ていた。

 そこに出てきてのは「群馬で新たなダンジョン出現 特地隊が制圧 負傷者5名」という文字。

 遠い場所での事件だが、本文から推定した規模はこれまでなら〈勇者〉が間違いなく呼び出されたものだった。


 しかし、スマホに通知は無く、自分の知らない間に制圧は終わっていたのだ。

 様々な感情が去来して、しばし伊吹が固まっていたことには他の誰も気付いていない。


 そうこうしているうちに、電車が最寄りに到着した。

 まだ夕方五時にもなっていない時間だった。


 誠に残念なことに、高校入学以降〈勇者〉活動に専念しすぎていた彼には寄り道をするという発想すら身近でないのである。



 ****



 翌朝も伊吹は通学電車に乗っていた。


 昨日の帰宅後は何することなく殺風景な自室のベッドに横たわっていた。

 それから、懐かしい今は自分以外読むことのできない言語で書かれたメモ帳をめくったり、しばらく使われることのないだろう、いくつかバリエーションのあるフルフェイスヘルメットを弄ったりした。


 やはり空虚だった。


 夕食の際は母親に、父が帰ってからは彼にも、〈勇者〉活動を控えることになったとは伝えてある。

 驚かれたが、あらましを説明すれば納得してくれた。

 既に彼の異世界での冒険や〈勇者〉としての事情を理解してくれているだけあって話は早い。


 そのタイミングで相談でもしておけば良かったのにと後悔しつつ、伊吹は満員電車に立っている。


 付けたイヤホンから流れているのは中学の頃に好きだったバンドが当時出したアルバム曲だ。

 私用のスマホの中身はおおよそ中学の頃からアップグレードされていない。


 彼が乗るローカル線の電車が揺れる。

 箱詰めになっている車内で人の波が生まれた。


 伊吹の体もその波に押されていた。

 聖剣の力を使いたい。そうすれば学校と家の直通ワープだって可能なのに、なんてことを伊吹が考えている間も電車はターミナル駅へと向かっていく。



 ****



 伊吹の家から高校までは距離がある。

 各駅停車しかないローカル線に乗ってから、ターミナル駅で本線の急行に乗り換える必要がある距離だ。


 その本線の急行で、伊吹はスマホを弄っていた。

 こちらの車両も満員に近い。


 今日もニュースサイトを開くとモンスター災害制圧の文字があり、例のごとく複雑な感情を抱いている。

 切り替えようと一度スマホの画面を消した。


 ……ん?


 だからこそ気づけた。

 少し奥のドア際に立っている同じ学校の制服を着ている女子の顔について。

 見覚えがある顔だった。

 クラスメイトだと、名前までは覚えていない伊吹でも断定できた。


 しかし、その表情がやけに強ばっている。


 ……マジ、か?


 疑惑は生まれた。

 しかし、間に立つ人が多く、彼女の顔以外は見えない。

 初めて遭遇する事態でもあったから、確証がない。


 車内にアナウンスが流れる。

 学校最寄りの二つ前に近付いたという内容だ。

 進行方向の左手側のドアが開く。

 普段なら聞き流していただろう、ありふれたものだ。


 乗降が激しい駅ではない。

 しかし、人の動きぐらいはできる。


 だから、その流れに乗じた。


 巧妙に隠されてはいたが、疑惑は断定に変わる。

 不自然な距離感は先程まで彼女に触れていたことの証明だろう。


「ちょっと」

「っ! なっ!」


 伊吹が反対側のドアに立っていた男の襟首をひっ掴み、空いている方の手で思い切り相手の腕を引っ張っていく。

 突然の力が加わったことで男はバランスを崩し、周りの乗客に多少ぶつかりながら、伊吹の進む方向へ倒れこむ。


「なっ! なんだよ!」

「は?」


 喚く男の襟首を握り直し、伊吹は開いているドアから問答無用で放り投げる。

 乗降の隙に道が空いたことは確認していた。

 騒ぎに気付き動いてくれた何人かがいるのも幸いだった。


 伊吹もホームに降ろした男に続いて電車のドアを出ていく。


「野郎っ! 何しやがって、くれるんだよ!」


 今度は男が伊吹の胸ぐらを掴んだ。

 伊吹の揺れる視界の端に奥の方で発車確認をしていた車掌が、一度操縦室に入ってから、こちらに向かってくるのが映る。


 続いて、伊吹に純然たる暴力が振るわれる。

 右拳が左の頬にぶつかり、鈍い音が鳴った。


「大丈夫ですか!!」


 周りの乗降客は遠巻きに見ているだけだった。

 大きな声を上げた車掌と、反対方向から来ていた駅員だけが騒ぎの静止に向かっている。


「!」

「……」


 車掌たちが来るのに気付いた男は、棒立ちの伊吹を突き飛ばし、全力でその場を離脱する魂胆らしい。

 走れば余裕をもって追いつけただろうが、伊吹は彼を見送った。


 駅員と車掌は二手に分かれ、車掌の方が伊吹の所に駆け寄り、駅員が男の後を追う。

 だが、駅員もあまり深追いはせず、しばらくすると伊吹の方へ歩いてきた。


「何がありましたか?」

「えーと」

「車内でトラブルが?」

「まあ、はい。けど、もうあいつが逃げたんで。電車を動かしてください。説明は、駅員さんに」

「あ、ええ、はい」


 殴られていた少年に冷静な助言をされて、むしろ車掌の方が戸惑った。


 そこに遅れて先ほどの駅員がやってくる。


「話を聞かせてもらっても?」

「はい」


 大人同士のアイコンタクトで、伊吹の想像通りの役割分担が決められる。

 これで遅延しかけている電車も動くだろう。

 反射的に動いてしまったが、あまり大事にしたくなかった。


 車掌が操縦室に戻ると、ドアが閉まり、電車が動き出す。

 それを見送って、伊吹は駅員と歩き出した。多少赤くなっている左頬の治療もしてくれるらしい。

 上手く貰ったから、あまり大きく後が残ることも無いだろうが。


 その後は頬に氷嚢を当てながら、駅員室で簡易な説明をした。

 事情を話せば少しやり方が相手を刺激し過ぎだとこちらを心配する注意を受けたが、特にお咎めは無かった。

 男が逃げてしまっているので話し合いなどになることはなく、すぐに解放される。


 一度トイレに寄ってから、ホームに戻って電車を待つ。

 少し前にギリギリ始業時間に間に合う各駅停車が行っている。

 もう一度聖剣の力を借りることも頭に過ぎったが、流石に自重した。


 次の急行電車がやってくる。

 既にほとんど高校生が乗っていない時間に、氷嚢を持った制服姿の伊吹は目立っていた。

 しかし、視線に慣れている彼は特に気にすることなく乗り込み、のんびりと音楽を聞いて学校に向かっていく。

 遅刻にも慣れすぎている彼であった。



 ****



 進藤伊吹は〈勇者〉である。


 それは言葉通りに彼の性質を表している。

 間違いなく彼は勇気を持って動ける人間であり、悲劇を見過ごせる感性を持ち合わせてはいない。


 もし、被害を受けていたのが見知らぬ誰かでも、彼は動き出していた。

 それを今日のように当たり前のことのようにやってのけた。

 彼はそういう人間なのだった。



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