進藤伊吹と文化祭①
伊吹には部活も何もないわけなので、三高祭本番前最後の平日となる金曜日も黙々と準備に励んでいた。
チア部に所属する「ながたにえん」の三人は文化祭ステージが実質的な引退ステージだそうだから任せたーと言いながら部活に去っていくし、サッカー部も選手権予選が近く通常運転だ。
ここで進みが悪いと土日にも集まって準備ということになるが、伊吹らのクラスは相当順調だ。
「ちょ、誰か上届く?」
特に委員でもないけれどクラスの文化祭を仕切ってくれている橋本明日佳の声に作業をしていた伊吹が顔を上げる。
他の男子と、特に無駄話をすることもなく、俯きながら内装作成の作業をしていたところだった。
「ごめんちょっと手伝ってくる」
「あ、うん」
小柄な横井亮平と清水良樹はさっさと立ち上がった彼を見送ることとなった。
「うおい、進藤君。あそこらへんの画鋲なんだけどさ」
「一回外す?」
「うん。ちょっと考え直しで」
「了解」
橋本明日佳も噂に聞いた去年や、実際クラスを同じくして棘を感じた四月頃の様子はどこへやら。
最近の進藤伊吹は愛想もよく、コミュニケーションもフットワークも軽快だ。
今日まで帰宅部の男子たちが帰宅部を理由に駆り出されたのに渋い顔をする中、静かに教室に残り、女子の言うことをよく聞いて、力仕事にもさっさと取り組んでくれる姿は誰の目にも好意的に映った。
伊吹が音もなく登ったロッカーの上で膝立ちとなり、軽快に画鋲を外しているのを隣で見ているだけとなった明日佳が、ちょっと話してみたくなって世間話として尋ねた。
「進藤君って、めっちゃ肌綺麗だよね」
「あ、うん。思う」
意外と謙遜しないタイプだと受け入れつつ、流れのままに。
「なんか美容とか?」
「全然。洗顔も普通のだし」
伊吹の肌が綺麗なのも聖剣のおかげである。
あれさえあれば睡眠要らずの食事要らず。それでいて体調もばっちり整えてくれて、肌や髪も綺麗になる。
どうしても草臥れる戦場で一人だけツヤツヤとしていたものだから、気心知れたピオだけでなく、兵士たちからも女神様の寵愛だなんて言われたものだ。
伊吹は今もたまに自室で聖剣を呼び出すので、〈勇者〉としての仕事の頻度が落ちても効果を得ていた。
あまり呼び出さないでいると聖剣がちょっと拗ねるらしいのを、出動頻度の落ちた今年になって知ったのだ。
外し終えた画鋲で貼り付けていた画用紙を整えて、伊吹がストンと降りてくる。軽やかな着地は伊吹が他の荷物を気に掛けたことにより思ったより明日佳に近いところとなって、彼女が半歩退く。
「ありがとー……やっぱキャラ変わったよね?」
「思うよね」
確かに一年生の間だけでなく、二年生になって最初の数週間は張り詰めていたので、噂を聞きもしていたクラスメイト達も触らぬ神に祟りなしと遠巻きに扱っていた。明日佳もそうだった。
だが今こうして話してみると、清潔感があって物腰も柔らかな、地味だけどちょっと格好いい男の子だ。
尤も、橋本明日佳はいくら彼氏が欲しいなんて思っていても、進藤伊吹争奪戦に加わるつもりもなかったが。
一年時から可愛い可愛いと評判ながらもずっと男子と距離を置いていた成瀬結依が毎朝一緒に登校していて、更にはあの超美人、永井千早も狙っているんじゃと二学期から徐々に噂が聞こえ始めているのだ。
普通を地で行く明日佳ではどう足掻いても負け戦過ぎる。
伊吹は男子のほうがまだと見るや否やさっさと去って行って、またしゃがみ込み、仕上げ作業を手伝っていた。
近くに立つと背も結構高かったなと、明日佳が目線を動かす。
「頼んだら写真とか撮ってもらえるかな?」
「おわ、びっくりした?!」
「案外オッケーしてくれそうじゃない?」
「今の感じならね」
背後からするすると近寄ってきた明日佳と同じグループの友人に言われて、そのくらいなら確かに許してもらえそうだよねと声を華やげて話した。
中学以来彼氏もおらず、バドミントン部も勉強のため早々にやめ、いよいよ受験モードに近付いてきたさばさばした学校生活にそのくらいの潤いを欲しがるのは仕方のないことだった。
****
文化祭一日目、当日。
「おそろっちじゃん」
「なんでお前一緒のやつ買ってんだよ」
「えー、好み」
水野航希は足元のスラックスこそ自前で用意したけれど、伊吹からシャツを借りたら、白と黒の色違いのどちらかを選べと言われた。
自分の持っているスラックスがグレーだったので、黒を選んだ。でないと伊吹が黒のスキニーで真っ黒になっていたから。
背恰好の近い二人が色違いの服を着ているのを沙也加にからかわれる。
「はいぱしゃー」
菜帆からカメラを向けられたので、伊吹はからかわれる航希を面白がりながらピースをする。
「しんどぅーもノリがよくなってきたもんだぜ」
二人の姿を写真に収めた菜帆は、揃いのオレンジのクラスTシャツを着た沙也加と一緒にねだり、伊吹と航希と写真を撮った。
男子二人の長袖シャツの内側にも同じデザインのクラスTシャツが透けて見えている。
そんな彼らをちょっと横目に、同じく準備を進めていた坂口莉央と成瀬結依。
「結依撮ろ~」
「うん!」
控えめの私服にエプロン姿、流行りに乗ったリボンを絡めた髪型の莉央のカメラに、控えめなリボンを一本だけ巻いた結依も映る。
よく写真を撮ろうと言ってくれる莉央のおかげで、この半年で撮られるのにもずいぶん慣れてきた。
もしかすると、この写真は初めて自分でSNSに投稿して伊吹に見てもらうかもしれない、なんて思いながらいつもより映りを意識する。
端からそうしてもらうつもりの莉央は、何回かシャッターを切った。
さて、文化祭の店舗シフトは三十八人のクラスで三交代制を二日間。
一日目午前、第一陣の接客班には伊吹と航希、それから結依と莉央が入っている。
接客班以外には、キッチン班、広告班が当てこまれており、それぞれ三交代だ。何人かの有志は統括として長い時間参加し、今年の三高祭を店舗運営に捧げると言っている。
内装デザインのコンセプトアートを一手に任され、商品の試作にも立ち会っていた橋本明日佳がその筆頭である。
クラスの文化祭実行委員でもないが、開店前最後の挨拶さえ任され、クラスからの信頼が目に見えた。
「えー、それじゃあ。絶対トラブルも起こるけど! 体育大会との二冠目指して! 最高の二日間にしましょう!!!」
「いえーーー!!!」
「うぉっうぉっうぉっうぉ!!」
「やってやろうぜ店長!」
「誰が店長か!」
このクラスは文系クラスだけど男女ともに運動部が多いので、ノリもどちらかといえば体育会系だ。
元気で良いなあ、とどこか他人事に感じながら伊吹は拍手を送っている。
クラスメイトとの距離が近付いたし、誠たちとの再会や航希との和解で高校生らしさを取り戻してきた伊吹であったが、このあたりまでは大きく変わらない。
落ち着いて、輪がばらけた後、ちょっとの決心と一緒に結依が伊吹に尋ねる。
「そういえば、進藤君は午後どうするの?」
あわよくばどこかで、と考えてのことだ。
今日はシフトが一緒で空き時間も一緒だけど、明日はズレてしまうから。
「水野と一緒に」
「あ、え、そうだったんだ」
「成瀬さんは坂口さんと?」
「うん」
これは結依が一足遅かった。
航希と伊吹はシフトの時間が一緒だし、他の男子ともつるむ潤哉は二日ともシフトの時間が別で、さらに彼女とも遠藤美唯菜とも一緒に回る約束もしている。
航希は他のサッカー部連中にも一緒に回らないかと誘われていたけれど、あわよくば航希の存在を女子の撒き餌にしたいという下心が見え隠れしていたのですげなく断り、伊吹を誘った。
「男子二人で回んの?」
「一人よりマシだろ」
「体育館はね、一人でも結構気楽だよ」
航希も先に聞かされていた悲しくなる伊吹の自虐に莉央も、仕方がなく二人で楽しんでもらうかと肩を竦めた。
****
体育館で、軽音楽部のオールスターバンドだという演奏が担ったオープニングステージの後、文化祭が開幕した。
「進藤、なんかバイトしてた?」
「水野こそ、やっぱ知り合いすごいね」
航希の目には、普段は落ち着いて見える進藤伊吹がいつもの何割か増しでキラキラして見えた。
普段は片口上げるような笑い方なのが、小さく歯も見せて綺麗に笑っているからだとは気付かないけれど、それでも全体的な愛想の良さには驚かされるものがある。
慣れない接客でどこかぶっきらぼうになっている自覚のある航希とは大違いだ。
「バイトじゃないけど、まあちょっと、昔ね」
言葉と目配せで一応、航希には理由が伝わった。キッチン側の準備を待ちながら、忙しい中でちょっと聞き耳を立てていた女子たちには当然伝わらず、次の注文に追われていく。
さて、伊吹が披露しているのはフルフェイスの不審者〈勇者〉ではなく、異世界勇者様をやっていた時の所作だ。
いつかの体育大会の時もそうだったが、ちょっとでも愛想の良さや立ち居振る舞いというものを意識すると、自然と向こうの世界で培われた姿に寄っていくのであった。
本物の貴公子であるピオにも随分教わって、最初は仮面のように作ったものではあったけれど、結局は経験で身に付けたものであるから、自然に取り出せる。
「お待たせしています。ご注文はお決まりでしたか?」
女子にも、男子にも、分け隔てなく。
相手の背が低い時は少し目線も合わせたりして、明日佳だってほれぼれする接客態度だった。
「ここまでは予想外」
「……ねー」
一年生の女子が照れてしまっているくらい丁寧な接客があの進藤伊吹から飛び出していることに、統括として店内を見回している明日佳も素直に驚きと賞賛を送ることとなる。
その彼女の呟きを聞かされたのは莉央。
体育大会の最後に見せられ、魅せられたことがあるから、こういうところもあるんだよなと莉央はずっと認識していたけれど、そんな自慢をしても仕方がないので明日佳に語調を合わせる。
ちなみに、莉央の接客も莉央らしく明るくはきはきした愛嬌があって素晴らしいと明日佳は評している。
「接客、どきどきするー」
「結依ちゃんも可愛いから大正解だよ」
「えー……もう、全然」
未だに緊張が拭えぬ成瀬結依も、お客様満足度で言えばもしかすると伊吹に並ぶかもしれない。
上級生も同級生も、男子たちは基本デレデレだ。可愛いってずるい。
「次待ってるから、すぐ退いて」
「ひどー!」
「お客だぞー!」
度々客にじゃれつかれている水野航希はちょっと無愛想だが、彼目当てで来てくれているお客も少なくなくて貢献は大きいように見えた。
美男美女ってやっぱり得だなあ、などと、多少はメイクも頑張った明日佳は考えるのであった。
その彼女に声が掛かる。
「明日佳、外の列どうしよ?!」
「今何列? 二列? 三列まで行けると思う! ごめん、ちょっと外見てくるね」
事前に列整理の想定までしていたらしい明日佳が颯爽と教室の外に出ていく。
教室の中から彼女が列を仕切る声を聞く四人に、彼女も彼女で驚くくらい頼もしい店長だなと思われていることには明日佳も気付かなかった。