〈勇者〉の花火大会
開幕の時間が近付いてこぞって場所を探し始める会場で、伊吹は向こうから歩いてくる私服姿の二人を見つけた。
人混みもあったから、こちらにはまだ気付いていないらしい。
「ちょっと、声かけてきていい?」
一人は仮にも自分を誘ってくれていた相手で、そうでなくてももう一人はクラスで一番話している相手だ。
無視をしたとも思われたくない。
「女の子?」
「……」
「有罪だろおい」
「場所探しといて」
「連れてこい、おい」
「……できたらね」
「いってらー」
やいやい言うのをやめない誠や昂大を北斗に任せて、まずは彼女らの視界に入りそうな方へ歩いた。
先に伊吹を見つけたのは結依で、その気付きに莉央も気付いて、小さく手を上げる伊吹と目が合った。
「進藤君!」
「え、一人?」
「場所探してもらってる。俺は二人が見えたから」
自分たちに気を許しているのが分かるような穏やかな笑みを深めた伊吹に、二人して喜びというか、恥ずかしさというか、有り体に言えばきゅんとしてしまっていた。
それではいけないとする莉央が先に気を取り直して、話を変える。
「私服! やっぱそんな感じなんだ!」
「? うん。お洒落ってあんまり分かんないけど」
「でも似合ってるよね、結依!」
「うん……すごく」
「ありがとう」
柄も何も無いし、着こなしもごくシンプルだけれど、彼にはそれが似合って見えた。
悪い意味ではなく、落ち着いた雰囲気とか、清潔感とか、そういうのだ。
ただ、この話題にすることで考えられた彼の社交辞令を待ったと言えば嘘になる。
「坂口さんも成瀬さんも綺麗だけど……それはいつもか」
それについては、莉央が期待したよりももっと強い言葉が帰ってきてしまったけれど。
伊吹としてはオープンキャンパスで莉央と会った時にもう似合っているという言葉は使っていたからもう少し踏み込んで、それでも思っていたことを素直に口にしただけ。
浴衣姿が多い中で私服姿でも、並ぶ二人のことを綺麗だと思ったのだから。
服装も、特に結依は綺麗系だ。
伊吹はしばらく女性に興味が薄かっただけで、元から美醜を評価しない人間というわけでもない。
ただ、面を食らった二人が素直に照れてしまい、結依なんかもう分かりやすく赤面してしまって、伊吹もちょっと恥ずかしくなる。
顔色は変えず、口元に手を当てた。
これもなんとか先に気を取り直した莉央が、伊吹の方の内心を探る余裕もないまま対応する。
「綺麗だって、結依」
「莉央ちゃん!」
頬をつつき、結依をからかうことで。
面と向かって探られた千早には見破られたものの、自分の内心にかかわらずその場に必要なポーズを取れるのは莉央の長所であり、結依にも伊吹にも十分通用する。
「二人はどっかで?」
「うん。どっかで見るつもり」
「ちょっと離れたところかなあ」
「人多いもんね」
花火が上がり始めても、この通りの人混みは解消されないだろう。
それなりに上背のある坂口莉央はともかく小柄な結依は花火が見づらいだろうし、それに混雑の中できっと成瀬結依は落ち着けない。
今でも電車の中では過度に緊張しているのが見て取れる彼女の姿を、視界の端で常々伊吹も気にしていた。
頭の隅に友人たちの声が引っかかる。
それから、坂口莉央から貰っていたメッセージと。
「一緒に見る? 良かったら」
「え」
「あ、いや、他のやつも居るから、あれだけど」
この会話の流れならばどこかで切り出してやろうと画策していた莉央は、まさかの申し出に目を輝かせた。
「どうする、結依?」
「え、えっと、お邪魔じゃ、ないかな?」
「あー、いや」
目を逸らしながら結依の言葉を否定した伊吹の微妙な表情。男連中の中で、彼だけノリが違うのは莉央の想像に容易かった。彼は男子高校生にありがちな失礼さが全くないタイプだから。
嬉しさを誤魔化すのにも、素直でないからかい方をしてしまう。
「えー、ナンパして来いって?」
「……似たようなことは」
「歓迎だってさ。結依」
「え、えー……」
結依が尻込みするのは、やはり伊吹以外の男性に少しの抵抗があったから。
誰とも知らぬ相手に好意を持たれるかもしれない場に踏み入るのは、やっぱりちょっと怖いのだ。
この花火大会の間にも、結依はあまり知らない同級生が莉央を知っているからと話しかけてきて、きっちり身構えた。
「大丈夫だって。大丈夫でしょ?」
「あいつらなら、蹴っ飛ばせばいいから」
「守ってくれるってさ」
「それはちょっと大げさ、坂口さん」
だが、決して伊吹と二人きりでなくても、一緒に花火が見られるというのはやはり魅力的だった。
「い、いいかな?」
「行こ行こ。私も居るし」
「どこに居るか聞いてみる」
グループにメッセージを飛ばした伊吹にすぐ返信が来て、メイン会場からは少し離れた公園にいるらしかった。
伊吹が先を歩き、莉央と結依が後ろを歩く。
莉央が極限まで声を落として耳打ちする。
「やったね、結依」
成瀬結依は小さくうなずいた。
ただ、普通なら聞こえないはずのその声は、後ろの様子を気にしていた伊吹の耳に届いてしまって、どうしたものかとうなじを掻くこととなった。
****
伊吹の通う高校、通称三高は県内有数、地域では一番の公立進学校である。
三高生と聞けば、頭の良い高校だと周りが反応するような。
北斗や昂大の通う高校は一般的な普通科高校だし、誠が通うのはそもそも女子の少ない工業高校。
その三高の生徒の中でも、伊吹がその成績票を龍と表したトップクラスの学力を持つ結依となると、次元の違う存在にさえ思えてくる。
彼らの中学から三高に行った顔ぶれは伊吹を除けば皆が秀才というイメージで、彼らより上に居るとなると猶更。
「成瀬さん、マジで頭良いんだ」
「一桁ってすご」
「てか三高ってそんな細かく順位出るんだね」
伊吹が本当に女子を連れてくるとは思っていなかった三人は、後ろに付いてきた二人がさっき手を振ってくれた千早に負けず劣らずの可愛さであることにまず嫉妬したが、特に莉央が明るく社交的な態度で話しかけてくれたことでとっくに気を良くしていた。
中学の時から男女問わず交友関係のあった彼女は北高にも工業にも知り合いが居て、それをとっかかりに三人とも上手く話題を作っている。
結依はそもそも友達と呼べる相手が少なくて話題に困ったから、莉央と彼らの話を聞きながら伊吹と話すことになり、途中でようやく順番が回ってくるような恰好となった。
莉央が大袈裟に煽てている内容には、慌てて手を振るものだけれど。
「もっとすごい子は、もっとすごいから」
「東大とか?」
「うん。私は全然」
謙遜というより、結依は結依で自分と自分より上位の数人との差をよく理解していた。
目指す大学が違うとこうも求められるレベルも自分自身に求めるレベルも違うのかといつも彼らには感心しているのだ。
「世界史だと、ずっと進藤君に負けてるし」
「連続学年トップ」
両手でピースサインを作って、伊吹が勝ち誇る。
「はい出た暗記ゲー」
「どうせそれだけでしょ?」
「三高も大したことねえな」
「ひでぇ」
肩を竦める三人に伊吹が笑う。
実際、伊吹が高校入試で三高を目指せたのは社会や理科の暗記教科に優れていたからで、それ以外はもともと北斗らと大差なかったのだ。
コツを掴んでからはちょっと差をつけたけれど。
「莉央ちゃん、得意教科は?」
「え、私? 英語ー」
結依のことは成瀬さんと呼びつつ、仲良くしてくれた莉央にはちゃん付けで呼んでお近づきになりたいことを表明している誠が尋ねた。
「俺体育」
「俺も」
ボケたいのは誠と北斗。
北斗は足が速いし、誠も運動神経はなかなかだ。
「美術」
「珍し」
「絵が上手いから、昴大」
昴大はサッカー部だが趣味はどちらかというとインドア系で、教科書に落書きを重ねるタイプである。
「そうなんだ」
「実はね」
「実はもなんもねえだろ、会ったばっかで」
昂大が格好つけたのに対して北斗のツッコミが入って、また伊吹が笑っている。
気を許した男友達とはこんな感じなのかと、結依も莉央も見惚れるわけではないけれど、初めての姿を見つめていた。
高校ではずっと一人でいることに驚くくらい、何でもない普通の男の子の姿だ。
メイン会場の方向からアナウンスが聞こえて来て、間もなく、大きな光と大きな音。
「わー、やっぱ花火って良いねえ」
「……うん」
空に打ちあがる花火を見て、ちらりと結依は花火を見つめる伊吹を見た。
彼はそれでも視線に敏くて、目が合ってしまう。
彼の方から逸らされる前に薄っすらと細められて、堪らず結依の方から目を逸らす。
「綺麗だよね」
「…………うん」
ああ、幸せな時間だ、もしかすると人生で一番と、どうしても胸がいっぱいになるのは結依。
隣で二人のやり取りの甘酸っぱさにどうしても口角が上がるのを隠せなかった後、小さく歯噛みするのは莉央。
その莉央の口角が上がるのだけを見て、やっぱりどうしたものかと、自分は間違ってはないよなと自答する伊吹。
そちらには目もくれず花火を見て写真も撮らず、純粋に良いものだと感心する男三人。
それぞれの花火大会が本番を迎えていた。
****
誰かの携帯から発せられたのだろう無粋な音が聞こえたのは、中盤に差し掛かった頃だった。
「アラート?」
「俺なんもないけど」
「会社どこの?」
地震などではなく、ダンジョンについての緊急事態を知らせるアラートだ。
携帯キャリアによって違うのだろうかと北斗たちは考えたが、莉央たち含めて大手三社それぞれが集まっていて、そうではないことは分かる。
「隣の県みたい」
「良かったあ」
伊吹がいち早く事実を突き止めると、すぐそこでの出来事でなかったことに莉央も結依も胸を撫で下ろしていた。
危うく、折角いい雰囲気だった花火大会が中止になるところだから。
暗がりのせいか、伊吹の表情から既に笑顔が消えていることには、そこでは誰も気が付かなかった。
隣県、市街地付近におけるダンジョンの発生情報。
ダンジョンの発生が確認されるということはつまり、既に視認できる距離で誰かがモンスターを見付けているということだから。
アラートを聞くことがなければ、その事実を忘れていられた。
すべてが終わったあとにニュースを見た時に犠牲者が出ていても、今は彼らの責任だと心の蓋をすることはできていた。
どうしても、何日も、思い悩むことには変わらないけれど。
「お手洗いってどこだっけ」
「会場の方じゃなかった?」
「ありがと」
だけどあの音を聞いてしまえば、知らなかったじゃ済まされない。
特地隊の平川や戸部は目を瞑ることも許してくれるかもしれないけれど、伊吹が伊吹を許せなかった。
トイレと言っておけば、走り去ることも許される範囲だろうと、まず北斗や結依たちの視界から消えるために駆け出していた。
「めっちゃ我慢してたっぽい」
「はや」
彼が走り去る時、公園の明かりに照らされた表情が結依と莉央の側には見えてしまう。
「進藤君、体調悪かったのかな……?」
「……わかんない」
結依は具合が悪いのかもと素直に心配をしたけれど、莉央は本当にトイレなのだろうかと疑ってしまう。
さっきまでスマホを触っていたから、何かメッセージが入っていたのかもしれない。
何事かは何も分からなかったけれど。
花火大会は続いていく。
****
ダンジョンが発生し、モンスターが発見されたのは伊吹らの町と同様に花火大会が開催されている河川敷エリアで、辺りは伊吹の経験上でも例がないほどのパニックに陥っていた。
主催者側がどれだけ冷静な行動を促そうが、すぐに大事故が発生しかねない状況だ。
子どもの泣き叫ぶ声、親の怒号、誰かの言い返す言葉。
時間がない。
ダンジョンの口から飛び出した魔物はどうやらニ十体ほど。
そのうちの約半数は既に人を襲っていたため到着早々切り伏せたが、あとの半数が居る場所はまだ人から距離もある。
伊吹は優先順位を付け……やりたくないことでも、やるべきだと決断する。
空を跳び、本部のところへ急降下。
「うわ!?!」
マイクの管理をしていた運営スタッフが驚いた声を出すのは仕方がなかったが、それでパニックが増大しかねず、迷うことなくマイクをもぎ取った。
聖剣を片手にしているから、力の差は赤子と大人以上だ。
「空を見ろ!!! 繰り返す! 足を止めて、空を見ろ!!! ……繰り返してください」
フルフェイス越しの声ではマイクには上手く乗り切らなかったけれど、それでも一定の効果はあったとみていい。
少なくとも、再びマイクを持ったスタッフに意図は伝わった。
「皆さん!!! 空を見てください!!! 立ち止まって、空を見てください!!!」
初めて勇者の声を聴いた彼は、突如現れた全身黒の不審者を一切疑うことなく、来場客らへ強く呼びかけ始めた。
それでもそんな余裕はないと思うのが、危機を前にした人間の心理だ。
であれば、人間心理に基づいて誘導して見せよう。
伊吹は聖剣の能力で光の壁を張る。
張れるのはだいたい伊吹一人分の小さなものであるが、大きさはそれで十分。
さてこの光の壁、壊れる時に劈くような大きな音が出るのだ。
ジェット機に衝突されても壊れないくらいの硬さだから滅多に聞くことはできないけれど、向こうの世界で最も長く生きたドラゴンの捨て身の特攻を防いだ時に知った。
というわけで観衆たちの頭上にて、星と見紛う輝きを放つ聖剣でぶった切る。
誰もが新たな危機を感じて一度は足を止めざるを得ない、一種の音響兵器だ。
伊吹の鼓膜が聖剣に守られていなければ、とっくに耳から血を拭いている。
一枚ずつしか張れないが再展開はできるのでそれを足場に空へ立ち、輝きを保つ聖剣を掲げた。
聖剣の刃渡りが多少短くとも、一番星以上の輝きには十分だ。
「〈勇者〉が、来てくれています! 皆さん、落ち着いてその場で待機してください! 繰り返します! 〈勇者〉が来てくれています!!! この場所は安全です!!」
アナウンスの声は、今度こそ観客たちに届いたらしい。
湧き上がる喝采、悲鳴、そして、願う声。
会場だけでなく、その近隣の家やマンションからも何事かと外の様子を見にベランダに乗り出す姿が。
「頼んだぞ!!! 〈勇者〉!!!」
「お願い!!!」
「……綺麗……」
握った聖剣が震える。
女神の御霊を分けられた、彼女というべき一振りは時々こうした自我を見せる。
声は聞こえないけれど、意味は伝わるのだ。
やりましょう、と。
それはもう、言われずとも。
聖剣の輝きをそのままに空を蹴り、駆ける姿は向けられた多くのカメラに収められ、夜空を切り裂く彗星のように見えたらしく、後日よくバズっていた。
……十九、二十……
獅子型だろうがなんだろうが魔物自体の強さは基本的に魔王軍の一般兵程度なので、伊吹の相手にはならない。
最初の半分と同じように鎧袖一触に切り伏せていって、最後の一頭。
どうやら丘の方を駆け上がって行っていたらしく、その先には小さな公園と数人の人が居る。
人や魔物の気配を探知してくれる聖剣が、彼らの危機を伝えてくれていた。
制御不可能な速度に近づけてその場に飛び込み、地を抉りながら急減速。
魔物に気付いて立ちふさがろうとしていた勇気ある一人を小脇に抱えて避難させる。
「……水野?」
が、知った顔であったことに驚きすぎて、思わず声が出てしまった。
やってしまった。やってしまった。やってしまった。
「……っ!……は?! え、〈勇者〉?!? なん……っ! 危な」
立ち尽くしているように見えた〈勇者〉の方に獅子型の魔物が飛びかかったから水野航希が叫ぼうとすると、聖剣が無造作に振られて、三メートル近い巨体を縦半分にぶった切っていた。焦って加減も何もなく、奥のブランコまで両断してしまっている。
やってしまった。やってしまった。やってしまった。やってしまった。
伊吹の頭は自分の失敗に真っ白だ。
「なんで、俺の名前!」
それもきっちり相手に聞こえてしまっていた。
「…………《1番》」
弁明も何もないので伊吹はとりあえず家に帰った。
発生場所は悪かったがモンスターの出現量自体は小規模なものだったから、到着から制圧までおおよそ五分以内のことであった。




