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〈勇者〉が知らぬ夏の話

 実のところ、進藤伊吹を花火大会に誘おうと発案したのは永井千早だった。


 伊吹の居ない夏休みのお昼時。

 自習室に日参した夏の間に成瀬結依は千早と随分と打ち解けていて、千早は当然のように結依の恋心を見抜いている。

 結依も結依で自分が分かりやすいことを自覚しているから、それは構わない。

 まあそもそも、毎日わざわざ同じ電車に乗って登校しているのだから見る者が見れば明白だ。


 何度か花火大会の話にもなり、千早は「ながたにえん」の三人で、結依は結衣で莉央と二人で行くことを互いが把握していた頃に進藤伊吹は東京に向かっていた。

 万一にも彼に聞かれたりしないということで千早が尋ねる。


「進藤くんは良いの?」

「そ、それは、だって」

「えー。結依ちゃんが誘えば乗ってくれるかもよ? 暇そうだし」


 暇そう、なのは結依も同感であった。

 夏の前にも模試の時にも、菜帆らに予定を問われた伊吹は夏をどう過ごそうか悩んでいるようであった。

 優しい彼だけれど一匹狼なのは間違いない。

 ずっと目で追っていても結依たちと千早たち以外と話していることはない。

 それに加えて最近は休み時間に少しでもと話しかけようとしても、イヤホンをしていることも多いのだ。

 イヤホンをしている伊吹にも話しかけられる菜帆や沙也加の積極性が羨ましいとさえ思う。


 だが、莉央に背中を押されても誘う勇気なんて全く湧いてこなかった。

 誘って、もし断られたらどうしようか。

 結依は未だ、朝の電車で隣に座ることさえどきどきするのに。


「ごめんごめん」


 黙って俯いていても顔色をくるくる変える可愛らしい彼女に、千早が苦笑して謝罪を口にする。

 結依は唇を尖らせて、自分よりずっと大人っぽい相手に問い返した。


「千早ちゃんは、誘われたりしなかったの? 誰かに」

「誘われたよー。何人か」

「やっぱり」

「え、言っても結依ちゃんもそういうのあるでしょ? いとしょーとか」


 自分で問いながら頭の隅に置いておいた顔がずばりと張り付く。まさしく図星である。


「あはは……」

「結構露骨だったもんね?」


 今年に直接花火大会へ誘われたのはその伊藤くん一人だけだけれど、昨年は二人。

 それに、他にも莉央経由で好意のようなものや興味は耳にしており、今も廊下や電車で彼らの顔が見えるとちょっと身構えてしまう。

 

 結依にはわからなかった色恋によるトラブルなども、色々ある。

 去年だってほとんど話したことのない男子から好意を向けられたということで、同じクラスで仲良くしてくれていた女の子の一人といざこざすることにもなった。

 中学の時も理由の分からないうちに敵視されることもしばしばあった。

 今こうして初恋を経験してみても、どうして皆がそういう風に思うのか分からないけれど。


 今年は男子に対してもさばさばとしている莉央と同じクラスになれて随分気が楽になったけれど、千早の言った彼は誰も経由せず、直接。

 面と向かってお断りするのはどうしても気疲れする。


「聞かれた? 進藤君のこと」

「……付き合ってるのか、って」

「ふふ。なんて?」

「そんなのは、全然って」

「質問間違えてるじゃん」

「そういう理由で断ったわけじゃない、けど」


 好きなのか、と問われていたら結依はなんと答えただろうか。

 夏休みの前のこと。古風にも下駄箱に入った手紙で結依を校舎裏に呼び出した伊東翔馬は確かに真剣に見えた。

 お付き合いは考えられなかったけれど、あの場で、彼からの問いかけに嘘は付けなかったと思う。


 恋の話にずっと真剣な結依を見て、千早はさて、頃合いだなと思った。

 本当に根から可愛らしい彼女に絆され過ぎるのも本意ではなかった。


「誘っちゃう? 進藤君」

「え?」


 予想外であることをはっきり伝える声。

 成瀬結依ならそうだろう。

 坂口莉央でも半信半疑に満たないほどだったと千早も見立てていたから。


「花火大会。うちらと、結依ちゃんたちと、一緒だったら来てくれるかもよ?」

「そ、れは……」


 本当に来てくれるかは千早にも分からない。

 それほど進藤伊吹のことを知っているわけでもない。

 でも、永井千早はそうしたかった。


「私から、莉央にも相談しとくからさ」

「え、本当に?」

「うん。うちらでも、ちょっとそういう話してたから。菜帆も沙也加も、いいじゃんって」


 最後まで目の前の結依には本意を悟らせず、千早は企みの下準備に成功していた。



 ****



 簡単な話である。

 永井千早は進藤伊吹を良いな、と思っていた。

 それも、別のクラスだった一年生の冬の時からだ。


 きっかけは一月のある日。

 千早が初めての遅刻届を恐る恐る書いている背後で慣れたように職員室に入って、表面上の礼儀正しさを保ちながらそれでも素早く遅刻届を出していた姿を見たあたりから。


 当時の千早は彼のことを一切知らなかった。

 何事、と思って見送ったけれど、書いた届を誰に出せばいいか、動き真似させてもらえたのはありがたかった。

 受け取る教員のテーブルに置かれた遅刻届に見えた名前が、進藤伊吹。

 格好いい字面の名前と、自分の六組とは遠く離れた一組の生徒ということは分かった。


 その日の放課後の部活で、彼と同じ一組だった渡部梨沙に進藤伊吹が何者か尋ねていた。

 今日の面白かった話、という風に。


「進藤君、遅刻とか、欠席とか、早退も超多いもん」

「え、ヤンキー?」

「全然わかんない。中学では明るい感じで普通だったーって聞いたけど」


 それから彼の出身中学や同じ中学だった同級生の名前、その誰とも、他の男子とも話している様子はないこと、週に一度は必ず遅刻と早退をしているけれど構わず学校にはずっと来ていることを知る。


「やめたりしないんだね」

「ねー」


 一年のうちでその冬までに二人くらい、学校をやめていた。

 千早と同じクラスの女の子がするりと退学していったあと、彼女の友人だった子から事情を聞いて、今は定時制や通信制の選択肢も広がっているとも知った。

 何か理由があるのならばやめてしまうのも悪い手でないと、千早も考えたことがある。


 その日の話はそれで終わりだったけれど、見かけるたびに今日も学校に来てるんだ、と気にしている自分が居た。

 そして同時に気付かされる伸びた背筋に、凛としたと言うような引き締まった表情。


 なんか格好いいな、と思ったのだ。

 自分がもともとちょっと不良っぽい男の子に惹かれやすいのは中学の時から気付いていたけれど。


 そして、そういう格好いい男の子が案外可愛らしいのに気付いてしまうともうどうしようもないんだなと気付いたのは、つい最近、この夏のことである。

 千早が伊吹に興味があることは話の綾で伝えていた菜帆たちのおかげで話せるようになって、ちゃんとしてるようでどこかぼんやりともした彼を知り、思い知らされた。



 ****



 坂口莉央は別に「ながたにえん」の三人と元々そこまで仲が良かったわけではなかったから、これまでの彼女らの行動に対して真意を判断しあぐねていた。

 気兼ねなく話せるクラスメイトであって、一緒に遊びに行く相手ではない距離感。

 決して悪い子たちでないことは確かだけれど。


 誰かが伊吹を気にしているのかなとは推測できていたけれど、常にテンションの高い沙也加からも、マイペースな菜帆からも、特段大人びた千早からも、真意は窺いきれなかった。

 でもわざわざ、本人が自習室を早くに切り上げ、部活終わりの莉央を捕まえに来てくれたら、確証を持つのは簡単だ。

 前日の夜には提案のメッセージを受け取っている上でのことだから最早疑いようがない。


 二人して自販機でジュースを買って、図書室のある別棟へ。

 間違っても結依が近くを通らないように考えてのことだ。

 「奢ろうか」と申し出られたけれど、莉央は断っている。


 結依が莉央に相談したタイミングを見計らってメッセージを送ってきた永井千早は、この学校で想定しうる一番の難敵だった。

 学年で一番の美人だと大概の生徒が口を揃える上に、気が利いて周りもよく見えるし、何より莉央から見ても良い性格をしている女子から嫌われないタイプだ。


「ちょっと意外だったかも」

「えー、何が」


 そんな彼女だから、進藤伊吹への好意を指した言葉でないことにもすぐに気が付いてしまう。


「先に結依に言ったのが」

「まあそれはね」


 ちょっとジェラシー的な、と彼女の化粧けの薄い唇が嘯く言葉は本当のようだ。


「でも気付いてないっぽいよ」

「うん。でもすぐ気付くと思うから」


 飾らずとも女優のようにさえ見える彼女は、これから態度でも示すつもりなのだろう。

 でも言葉以上に、莉央の目を覗く形の良い瞳が問いかけてくる。


 言うでしょ? と。


 否定しない。

 そう烏滸がましいことを言うつもりはないけれど、莉央は結依の初恋を応援し、可能な限り導くつもりなのだ。

 千早という強烈なライバルの出現を結依本人に黙っているわけにはいかない。


「で、なんで一緒になの?」

「えー、うちらと来てくれると思う?」


 まあ、それは一理ある。

 暇そうなのは確かな進藤伊吹だけれど、千早はともかく、未だに菜帆や沙也加との接し方を掴みあぐねて、分かりやすく辟易としていた。

 女子トリオの中に男子一人という境遇を除いても抵抗を感じそうな状態では、なかなか誘いは成功しないだろう。


「実際、まだ全然だし。結依ちゃんすごいなーって」

「結構がんばってるから、結依。びっくりするくらい」

「そうだよねー。結構びっくりしてる」


 莉央も伊吹と話すようになったけれど、他の男子と比べて仲が良いとまで言える自信はない。

 伊吹は問いかけにこそちゃんと応答してくれるけれど、冗談を言ったり、悪態をついたり、男子高校生らしく砕ける様子がなかった。

 千早もそれで距離を測りあぐねているのだろう。

 話題がすぐに弟妹の報告になっちゃうよー、と先週も頭を抱えていた結依だけれど、笑いながら二人で歩く姿を見ている莉央たちからすれば、本当によく頑張っていた。


「だから負けるなら、結依ちゃんが良いかなって。思ったりするし」


 その言葉がずっと自分の思ってきたことと同じで、内心を見透かされてのものでないか、ドキりとした。

 答えるのにちょっと間ができてしまう。


 ああ、自分は上手く振舞えているのだろうか。

 今だけでなく、教室の中での態度も気になってきてしまう。


「じゃあ普通に応援してあげてよ」

「えー、それはちょっと違うじゃん」


 ああ、千早の気持ちが手に取るように分かる。


「思い出作りじゃないけど、写真だけでも撮りたいじゃん。本気だし。だから相談」


 恋する女子としてベストを尽くしたいのだろう。

 坂口莉央はしばしの逡巡のあと、自分の心から溢れる抵抗を呑み込んで、永井千早の提案を承服した。


 結依にこそ伊吹を誘ってみなよと背中こそ押したが、一緒に行ってあげるから、とは言えなかった。

 だけど、彼女らが一緒に居るのなら不自然すぎることもないし、辛くもなりすぎないはず。

 内心の打算は押し込んで、何でもない立場の莉央から、誘ってみるよと請け負う。


 すっと、永井千早の過不足ない口角に線が引かれた。

 思い通りで嬉しいか、と解釈するのも束の間のことだった。


「嬉しいでしょ? 莉央も」

「……っ!!?!」


 彼女の言葉の意図が莉央の首から耳も体も熱くさせるのが分かる。

 秘したはずのものを見透かされていた羞恥。

 一体どれだけ。

 いつから。


「わ、ビンゴ」

「な、な、なんで……」


 取り繕うことのできない動揺が、莉央の意に反して肯定を示してしまう。


「センサー的な」

「えぇ……え、え?」


千早が長く整えた細い髪を揺らし、首を振る。


「全然、分かりやすいとかじゃ。さやも菜帆も、全然だろうし」

「でも」

「いやほんと今、センサー的な感じで。思いつき」


 どこまで信じていいものか。

 確かに、ここまで突っ込んだ話をすることになったのは初めてだし、バレー部の仲間にも薄々は察せられている。けれど。


「……結依には、絶対」

「言わない言わない。さや達にも」

「…………やっぱ無しって、あり?」

「それは無しにしてほしいかも」


 莉央はもう、両手で顔を覆っていた。


 承服する際に、莉央も思ったのだ。

 一瞬でも進藤伊吹と夏祭りで隣を歩けるかもしれないと思ってしまったのだ。

 あんな風に笑った顔が、それともまた違った表情が、自分にも見れるかもしれないと。


 結局、一番自然だからという理由で莉央が誘うことには変わらず、帰った後には結依にもメッセージで誘ってみるよ、と伝えた。


 暇そう、を前提に話していた男が暇でなかったのを知った時はスマホをベッドに投げつけてしまったけれど。

 暴かれ損にもほどがある。



 ****



 そんな裏話は知る由もなく伊吹は誠、北斗、昂大と花火大会の往来を歩く。

 彼女らのうちの三人とクラスが同じだから話すだけで、何でもない関係だと精いっぱい釈明していた。受け答えを面白がられているだけだとも。

 伊吹は人からの好意にやっぱり鋭いから、千早の笑顔に以前からずっと他意を感じとっていたけれど、ここでもやはり嘘をついた。


「可哀想な俺に、なんか奢ってもらいますか」


 クラスに女子は四人だけという誠がまた演技がかった声になる。


「えー?」

「じゃあ女の子紹介な」

「……じゃあ奢る」

「よっしゃ、焼きそば焼きそば。焼きそばで」

「え、マジでいいの?」

「いいよ」


 いつの間にか北斗も乗っかってきているが、伊吹の財布の余裕は一般の男子高校生とは比べ物にならない。

 誠の強請りが冗談だと分かっていても、面倒を回避するために食事を差し出すこととした。


「え、何、バイトとか?」

「ちょっとね」

「不良じゃん」

「三高も絶対バイトアウトよな?」

「だねえ」


 浮いているのはバイトなんかしている不良だから、と装うカバーストーリーをたてて、一つの焼きそばを北斗と誠の三人で分け合った。

 昂大は普通にお腹が空いたからと自分の分を買っていた。

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