〈勇者〉は夏を前にする
梅雨の時期が進むにつれて夏が近づく。
その事実がまだどんよりとした空模様が続く中にも活気を与えていた。
もっとも、クラスを活力が満たす理由の一番は、先週末で終わった期末テストからの解放だったが。
「夏休みさー」
「この水着めっちゃ可愛くない?」
「球技大会、何に出るか決めた?」
「てか学祭なにすんの、俺ら」
「修旅も結構すぐだよなー」
ただやはり、例外も居て当然だ。
進藤伊吹はイヤホンを外し、クラスメイト達の会話を遠くに聞いていた。
昨日で一区切りとなった特地隊のレベリングに協力した気疲れもある中でぼーっしているところである。
……夏、なあ。
GW以来二か月ぶりに、伊吹は悩んでいる。
この間に進歩したのは勉強面ぐらいで、趣味の方はからきしだった。
けれど今の伊吹も数十日の間も勉強漬けに過ごすということはしたくない。
ただ、やりたいことも見当たらなかった。
ボランティアで魔物退治でもしておくべきだろうか。
しかし、先日にも平川からは〈特地隊〉にできるだけを任せてほしいとお願いされている。
自力での国防が望ましいのは、最近になって伊吹にも理解できていた。
もういっそのこと、聖剣の力を使って遊んでやろうか。
転移を使えば日本ならどこへでも向かえるようにはなっている。
だが、どこかで脇の甘さが出てしまうのがやはり怖い。
最近でも何気なく開いた動画サイトで、勇者は何者かを探るような素人のチャンネルが作られているのを見たところだ。身長が伸びているんじゃないかという検証にどきりとしてしまった。大人しくしている方が吉だろう。
となると、〈勇者〉として貰ったお金だけ使えば……
「おはよー、進藤くん」
「おはよう」
そこで思考がカットされた。
後ろからだったが、坂口莉央と成瀬結依の声だと分かったからだ。
「おはよう」
「さっき一回、目合ったよね?」
「あー……坂口さん、話してたし」
伊吹にとってクラスメイトでは唯一世間話をする間柄と言っていい二人である。
彼が誰にも話しかけたりしないから、伊吹に話しかける二人だけと話すというのが正解だが。
ところが今日は少し様子が違った。
「最近仲いいねー、そこ」
「結依と電車が一緒らしくて」
「進藤、最近はちゃんと来てるもんね」
莉央を通して話しかけてきた一人は伊吹と席の近い女子で、あとの二人はそこへ集まるどこかの席の女子たちだった。
揃って目元や爪の先がキラキラしているのが印象的な生徒たちである。
伊吹は別に、校則がどうのと言える立場ではなかったし、思うところもなかったが。
「……まあね」
「素っ気な!」
「ウケるんだけど」
「ちゃんと来てて偉いぞお」
こういったタイプの女子と喋るのは異世界での時間を通り越して実に中学以来であった伊吹は、どう答えて良いものか悩み、無難な回答に留めた。
そして、こういった手合いが伊吹のような人間の思う無難な回答に対しては面白がるものであるということも同時に思い出していた。
「でも結依ちゃんが男子と喋ってんの珍しいよね」
「あ、え、うん。そうかも」
「へえー……進藤くんも嬉しいでしょお?」
「まあ、それは?」
にまにまとした追及に邪推されていることを感じつつ、事実を曖昧に肯定すれば、女子たち……永井千早、谷口沙也加、園田菜帆のチア部三人組はきゃあきゃあと囃し立てる。
そういった話に慣れていないのか結依の顔が紅潮していくのを横目に、伊吹はぼんやりと、女子の集団を相手するのはやはり疲れるなんて考えていた。
思い出すのは異世界のこと。勇者としていくつかの宴席に参加していたが、伊吹も男だということで主催者が女性を使って接待しようとしてくるのが当たり前のことだった。
それが当時中学を卒業したばかりの伊吹を辟易とさせ続けたのを強く覚えている。
さらに色々あって、年上の女性による明け透けなアプローチから同年代の少女の純情をくすぐる演技まで様々な仕掛けを受けたことは、伊吹をある種の女性不信に陥らせかけたりもしたものだ。
「あ、ちょっと聞いてる?」
「うん。テストの話」
「違うよ、今は花火の話」
「してなかったでしょ……」
「今からするの」
莉央がその場に座りながらも意識を輪の外へから逃しそうとした伊吹を見とがめ、横暴にも会話へ引き戻す。
ここの女子はみな、市内で行われる花火大会に全員参加するようだった。
市内に住んでいれば行きたがるのも当然で、伊吹自身も小学生の時は両親や友人と、中学の時は部活の試合終わりに直行したこともある。
「進藤も行くのー?」
「カノジョとか?」
「……残念ながら」
「だよねえ」
去年は当然に不参加だったが、今年も行く義理や理由がない。
もしかすると無聊を慰めるのに花火を眺めるくらいするかもしれないが、わざわざ人ごみまで向かうつもりもなかった。
「だってさ、結依」
「え、えっと、陸が行きたがるから」
「あー、それがあったかー」
何やら小声で話しているのが伊吹の、人よりは幾分か良い耳に届く。
「あ、ババセン来た」
「チャイム十秒前え」
担任である馬場の顔が後ろのドアの窓から見え、ホームルームまですぐであることを伝える。
伊吹も感じていたが、彼は時間にきっちりしているタイプらしい。
谷口と園田、莉央と結依がそれぞれの席に戻り、永井が伊吹の左斜めの席で荷物を整理し始めたところでようやく、一息をつく。
……目立った、な。
横側からの視線をいまだに感じつつ、さらには先ほどまでにもこちらを気にしていた坊主頭の男子が今一度振り返って伊吹の様子を確認したのに気付かないふりをする。
彼らが誰に恋慕しているかは知らないけれど、あれだけ囲まれていればやっかまれるのも当然ではあるかと諦めながら、チャイムの音を聞いた。
その日からは、伊吹の日常の顔ぶれに「ながたにえん」を自称する三人組がよく現れることになる。
永井、谷口、園田の三人だからながたにえんらしい。
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これが一般の男子高校生であれば日常に彩りが増したことを素直に喜ぶだけで良かったかもしれないが、伊吹の場合はやや頭を悩ませる事態となっていた。
女子が苦手という理由からではない。
いや、休み時間や昼食のたびに話を振られたりして驚いていたりすることもあるが、それも暇を持て余している伊吹にはいい刺激でもあった。
問題は伊吹自身が男子との関わりを一切持っていないことに起因していた。
分かりやすい嫉妬の視線がストレートにぶつけられることが増えてしまったのだ。
こういった人間関係は相互や他者を介した意思表示で解決ができることを伊吹は知っていたが、わざわざ向こうが絡んでこない以上はこちらからも喧嘩を売りに行くわけにもいかず、甘んじてぶつけられるがままの状態が続いている。
その影響がたった今、梅雨も明けた炎天下のグラウンドの上にも。
「わあ、航希やばあ!」
「おー! 決まった!!」
「さっすがサッカー部」
「井崎ナイスー!」
自分と同じ色のビブスを着た水野航希が素人を弄ぶ軽快なドリブルでゴールに迫り、GKをヒールパスで躱していくのを伊吹は見ていた。
「大人気ねーなあ」
いつの間にか自分の近くまで来ていたゴールキーパーの稲葉潤哉の声を聞きながら、伊吹は早く時間が過ぎないかだけを考えていた。
ゴールを決めた野球部の井崎修太がわざとらしくクラス応援団の方にパフォーマンスに向かったことで時計は少し進んだだろう。
「……」
近くの伊吹が反応するだろうというつもりで声を出していた潤哉は拍子抜けしつつ、それでも大した気には止めずに修太たちの方へ祝福に向かっていく。
小さく拍手をしてチームの雰囲気に伊吹は無視をするつもりなど毛頭なく、あれは稲葉の独り言だと思っていて、自分が話しかけられているとは思っていなかっただけだった。
千早もいる応援団に称えられ一通りの満足を得た修太は、チームを鼓舞する大きな声を出しながら、その視界にいけ好かない男を捉えていた。
気にしてなるものかと念じてはいるが、そう念じた時点で気にしているのは高校生らしいところだろうか。
さて伊吹の通う高校は今、一学期を締めくくる行事であるクラスマッチの最中であった。
球技種目でクラス対抗にトーナメントを行うという、分かりやすい運動行事である。
伊吹には一昨日までバドミントンとサッカーを選べる権利があったが、いつも通り自分を主張するまでもないと考えていたら昨日になってサッカーの枠が余ったから、渋ることもなく名前を書いている。
他のメンバーは野球部やバスケ部の球技系の運動部で埋まっていた。
そんな中で伊吹は遜色なくプレーしているのだった。
中学までサッカー部であることは航希や潤哉づてにそれとなくクラスにも知られていて、期待はされていないが足も引っ張らないだろうぐらいの認識を得ている。
そんなこんなで相手から奪って足元にあるボールを稲葉に渡そうとするが、相手がそれを狙っていた。
「進藤!」
声のした方に咄嗟にパスを切り替える。
相手が複数人集まっている奥であったが、今はクラスのエースたる水野航希の姿が見えたからだ。
……あー
咄嗟だからこそ、聖剣に最適化された動きが出てしまった。
ボールを要求した航希すら驚くほど完璧な軌道で彼の足元に収まったボールは、コートの外の女子たちの大歓声を浴びながら、ゴールネットを揺らすに至る。
……気を付けなきゃな。
「ナイスアシスト、流石じゃん」
「あー、水野がすごいじゃん。まぐれだし」
「いやいや、完璧カンペキ」
得点の入ったところへ祝福に向かった潤哉が今度ははっきりと声をかけて、伊吹も確かに応じた。手まで合わせてくるので、それも無視できなかった。
潤哉と話こそしているが特に輪の中に向かうつもりのない伊吹を見て航希は拍手だけを送って、またゲームが再開される。
その後はサッカー部の絶対的主力である航希と潤哉の大人気ない活躍の結果、見事にクラスは優勝を果たしていた。
「はーい、撮ったよ」
「サンキュー、莉央」
「またクラスグル送るねー」
大会後に記念撮影が行われ、伊吹も端の方で映る。
写真に写るという行為自体は久しぶりだったが、それとなく格好つけた表情を作るのは苦手ではなかった。
無愛想な勇者だった伊吹に色々とアドバイスしてくれた友人のおかげだろう。
「あ、進藤君、メッセ」
「あー、うん、えっと」
「グループにも追加するから、QR、見せて」
「あ、はい」
「あとで結依にも教えていい?」
「良いけど……」
「オッケーね」
莉央がさくさくと操作を進めていくと実に中学以来となるともだち追加が行われ、グループへも招待される。
伊吹は勢いに押されながらちょっとした感慨を得て、クラスマッチを終えたのだった。




