〈勇者〉のレベリング協力
テストが返却された後も伊吹の気が抜けることはなく、勉強を中心にした生活を送っていた。
他の趣味がまだ増えていないというのはあるが、自分のステータスが上がることに純粋な楽しさを覚えているというのもあった。
今も外の雨音は気にせず、一年生頃に習ったはずの数学の問題を解き直している。
集中できているのは、中間テストこそ納得のいく成績だったが、その後に受けた模試の自己採点が酷いもので、やはり一年生分の勉強が欠落していると再確認したところだから。
ようやく一単元分の復習が終わりそうだという頃、背後でベッドの上に置かれているスマホがメールの着信を知らせる。
「ん?」
鳴ったのは普段使いの方ではなく、平川から支給されている〈勇者〉用の方だ。
しかし、電話ではないことから緊急の用事ではないことは確かだった。
今解いている問題を終わらせ、一度スマホを開く。
差出人はやはり平川。
「あー」
その内容は特地隊の特訓に関するお願いだった。
来週末から来月末までの週末で空いている日取りがあれば協力してほしい、私的な用事を優先してくれて構わない、というものである。
「レベリング」
これまで何度か同じような連絡が入っている。
だから内容と見返りはきちんと覚えていて、己の存在がもたらす恩恵も知っている。
公式には協力を絶った今でも、断る理由は無い。
いつでも空いていますとの返信を送り、画面を切る。
少しずつクラスに馴染んできた自負もあるが、週末に予定が入るような心当たりは未だなかった。
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この国には秘密がある。
世界でこの国のみ確認されている、異常機構たるダンジョンに関する秘密が。
それは世界が日本の独占を許さないものである。
それは人という存在を変えてしまうものである。
それは人々の間に明確な格差を与えてしまうものである。
実態こそ明らかにはなっておらずとも実感が知らせる、レベルアップのことだ。
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「すまないな」
「いえ、全く。俺がいた方がいいでしょうから」
当日になって、伊吹は勇者の格好で都心にある特地隊の本部へと移動して平川と合流した。
この部屋は監視や盗み聞きが行えないように平川が配慮しており、伊吹もフルフェイスは外している。
部屋は伊吹と平川の密談用にしか使われておらず、部屋の片隅に伊吹の転移陣が刻んであって直接行き来できる。
「今日はどちらへ?」
「新潟だ。すでにあれは送ってある」
「了解です」
あれ、というのは伊吹が聖剣で転移陣を刻んだ特製マットだった。
特地隊の本部から地方の基地に動いて現地部隊と合流するとなった時、自前で刻んできた転移陣では不便なところもあるという理由で作成した。
不便というのは具体的に、伊吹が顔を出すことを厭ったため、基地に入構する際の本人証明が聖剣の真偽しか行えないということであった。
このマットを使えば聖剣の真偽は証明されたことになるし、セキュリティチェックも通り抜けることができるという優れものだと伊吹は思っている。
「向こうの準備ができ次第連絡が入る。それまで昼食でも食べておいてくれ」
「ありがとうございます!」
伊吹は基地に召集されると、大方ここで昼食や報酬の金銭を受け取っている。
場としては非公式なものであるが、出されるのは特地隊の経費からだ。
国家財政では国防費とも言う。
平川と特地隊トップの戸部はとてもよく伊吹を気にかけてくれていて、昼食の弁当は東京の有名店のものだったりしてとても美味しい。
報酬は最初こそ遠慮して断っていたが、平川の説得に根負けして受け取るようになった。
額は時と仕事によってまちまちだが、定期的な受け渡しの間に緊急招集が多かったり激しい戦闘があったりすると多くなる傾向にあって、具体的には一度で六桁に突入することも少なくない。
伊吹は恐れ多く感じているし、口座に入れられないお金の管理に困っているが、平川は桁を三つ増やしても足りないぐらいだと聖剣を持つ少年に伝えていた。
実際に去年は彼の存在によって、本来の隊が消費するはずだった資源は大きく抑えられており、彼との協力を公式に絶ってから三か月近くが経つが、今年の費用は去年の同期間と比べて既に大きく跳ね上がっている。
国が〈勇者〉の排除も見越した予算を策定していなければ大変なことになっていたところだった。
時刻が午後十二時五十五分を回る。
「連絡が来た。いってらっしゃい」
「はい。また」
予定通りの連絡が来て、平川は伊吹を送り出す。フルフェイスをかぶった〈勇者〉が目の前で光って消えた。
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〈勇者〉は事前の知らせ通りその場に転移してきた。
彼の移動能力を特地隊員は周知しているが、誰が何度見てもその光景は目を疑う。
特に、話に聞いていただけの新規隊員は職務中ゆえに声は出さずとも深く驚愕してしまって仕方がない。何もないところからタネも仕掛けもなく人が現れるのだから。
「礼!」
号令に、整列している隊員たちが敬礼した。
伊吹も見慣れてきたが、やはりいつ見てもほれぼれする練度だ。
だからと言って声を出すわけでもなく、フルフェイスのヘルメット越しに頷くだけであるが。
正体がバレるリスクは負わない。
「それでは行きましょう」
隊長が大きな声で号令をかけたのち、耳元でささやいてくれる。
ダンジョンに入るのも久しぶりだと思いながら、やはり頷いた。
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自動小銃がダンジョンの魔物に撃ち込まれていくのを漫然と眺める。
〈勇者〉の今日の仕事は、特地隊のレベルアップを安全なまま進行させることだ。
人型の最弱格であるゴブリンを相手に出る幕もない。
「うっ……」
「無理なやつはさっさと下がれ! 邪魔だ!」
伊吹自身の手で何度となくこの世界のモンスターや異世界の魔人を切り裂いているから慣れてしまっているが、人型の生き物が血しぶきを上げるのは多くにとって見るに堪えない光景であることは確かだ。
今日が初めて特地隊の現場入りとなった新人隊員たちが何人か離脱する。
……まあ、アツくなられても困るんだけど。
そういった人物が入らないよう精神鑑定はより厳しくされているが、目覚めることもある。
今のところ危険な兆候がありそうな人物も確認できていない。
そうなれば、聖剣を抜くことも辞さない。
もちろん断罪などに使うわけではないが。
「やめ!」
射撃音がピタリと止まる。
まだ息のあるゴブリンもいるが、特地隊の弾薬はやはり無限ではなく、コストマネージメントが必要だった。
そして、そのために彼は呼ばれている。
〈勇者〉が聖剣を抜き、その場から跳ねた。
正義を見せつけるかのような聖剣の輝きと、人が頭上を駆けるという、やはり到底現実として受け入れられない光景に隊員たちの視線は釘付けになる。
軽やかに地に立つと、二閃、三閃。
弾丸を撃ち込まれても立ち上がり続け、生命力の化身とも思わせたゴブリンたちが一瞬で暗赤色の光に様変わりし、散っていく。
そして、聖剣に切り裂かれたゴブリンの光はその刀身へと吸い込まれていった。
非現実的な光景がありえない解像度をもって眼前に現れたことに、特地隊員たちは息を呑んでいる。
「……魔石を回収したら一時休息だ」
〈勇者〉がヘルメット越しに視線を向けた隊長の号令で、静寂は解かれた。
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あくまでも伊吹と特地隊員の推測であるが、この世界に現れたモンスターを倒すことで人と装備された物はレベルアップするようになっている。
その根拠となるのが多くの場数をこなしてきた特地隊のエース隊員たちの存在で、今の彼らは様々な分野においてトップレベルになり得る才能を見せている。
苦手だったことが苦手でなくなったり、得意だったものが異常な成長を示したりと実感はさまざまであるが、一様に純粋な身体能力の伸びが見られた。
また、彼らが身に着ける装備も同様にレベルアップを果たしているらしく、使いこまれ方によって魔物への攻撃力が明らかに変動している。
現に、トップ隊員が愛用しているアサルトライフルならば、すでにゴブリンは一撃で仕留められるようになっていた。
「多分、レベルアップです。向こうと同じかは知りませんけど」
そんな状況を聞いた伊吹が平川と戸部に提言したのは、去年の夏前だった。
伊吹の行った異世界にもレベルアップのシステムが存在していた。
それは生殺与奪をきっかけにするのではなく、日常の些細なことでも経験値が貯まるようにシステムが組まれていたが、魔の陣営からは経験値の一部を奪うことができた。
聖剣はそのシステムの中で受け継がれてきたアーティファクトであり、敵陣営の経験値を高効率で聖剣の内に宿すという能力がある。
伊吹が初めて日本で魔物を切った時から、経験値と似た何かが聖剣へ流れ込んでいく感覚を得られていた。
聖剣はあちらの世界でほとんど強化され切っているから効果を実感しにくいが、同じ現象がこの世界の装備者と装備にも起こっているのだろうと伊吹は推測している。
現段階ではレベルアップで得られる恩恵を定量化することはできていないが、特地隊はこれを超重要機密事項として取り扱い、秘密裏に調査を進めていた。
また、一度でも特地隊に入隊したものはレベルアップの存在を知らされるが、口外することを絶対に禁じている。
人の欲望とは飽くなきものである。
いまだ解析され切っていないからこそ、見られることのない夢を見る者が出てきてしまう。
そうなってはダンジョンの開放を求められかねず、それには安全上の困難が多数ある。
一般人の買い揃えられる装備だけで確実に倒せるモンスターは居なかった。
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特地隊を対モンスター部隊としてさらに成長させるために、伊吹も協力は惜しまない。
日本を混沌に陥れたモンスターを駆逐し、再び秩序を取り戻すにはアイコンに頼らない自衛の力が必要になる。
「総員、一時撤退!」
だから、今日の部隊がいつもよりさらに奥に踏み込み、人型種でも上位に当たるオーガの群れと遭遇しても仕方がないと聖剣を抜く。
今は彼らの力が足りずとも、いつか戦えるようになるその時まで、陰から手助けするのも悪くないだろう。
「ふう……」
ただの人にとっては恐るべき強大な敵。
しかし、この国の救世主たる〈勇者〉であれば。
ロケットランチャーすら受け止めて見せた巨体を鎧袖一触に散らしていく〈勇者〉と、自らのあいだに隔たる道程の長さに、誰かは羨望し、誰かは歯噛みした。
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朝の教室で、バッグを机の上に置いたまま伊吹が座っていた。
「声、かけないの?」
「なんか……うん」
すこし離れたところの成瀬結依と坂口莉央の会話が伊吹の耳に届いた。
最近はよく話しかけてくれて、伊吹も内心嬉しかったのだが、今日は声がかからなかった。
そういう日もあるかと思っていたところだったが、どうやら違うらしい。
……あー。
伸びをして、脱力し、両手で顔を覆ってから少し揉んだ。
殺気立っている、と言うべきか。
高校生の日常の中ではあまりに異質な気配をさせていたのだと自覚する。
〈勇者〉として働くということは、敵対する何かを殺めていくということだ。
かつてその連続で心の谷に嵌ってしまったとき、頬を引っ叩き起こしてくれた友人とは既に違う空の下にいる。
経験を生かして自分で気を付けるしかないかと手を開き、大きなあくびをして見せた。
聖剣:Lv.102(なお聖剣装備者は聖剣のレベルによってのみステータスが変動する)
アサルトライフル:Lv.10
殺気を垂れ流しながら一年間学校に出たり出なかったりしていたやつがいるらしい。




