〈勇者〉は活動を休止する
この国には〈勇者〉がいる。
一年前、突如として現れたモンスターが町を襲う中継を、国民の多くは呆然と眺めていた。
その中継先に、〈勇者〉は駆けつけた。
車との衝突に耐えるタフネスを持つ千に上ろうかという大群の異形たちを一人で圧倒し、無双ゲームが如く切り裂いていった姿は鮮烈だった。
誰もがその存在を(さらに一部は町に被害を齎したモンスターすらも)虚構だと思っていた。
ファンタジーの産物たる異形と、想像を絶する動きをするヒトガタを受け入れることができなかったのである。
彼の挙動は鮮烈に過ぎたのだ。
……フルフェイスのヘルメットに全身黒のセットアップを着た推定不審者が魔物を薙ぎ払っていったのを認めたくなかっただけかもしれないが。
だが、その後もモンスターは日本各地に現れ続けるとなると、やはり風向きは変わる。
さらに、その被害を最小限に食い止めていったのがその不審者だったならば、尚更。
そうして一年が経った。
今や〈勇者〉の存在は世間に広く認められ、一つの巨大なコンテンツとなっていた。
彼が現れるとSNSのトレンドは関連ワードに埋まり、夕方のニュースで戦闘映像が流れ、派手な戦闘に際しては翌朝の朝刊で一面を飾る。
SNSやネット掲示板、動画サイトではいつだって彼の正体を探ろうと様々情報が飛び交っている。
もちろん〈勇者〉は全てを救えているわけではない。
ダンジョンの出現が引き起こすモンスター災害は各地で頻発しており、犠牲者も決して少なくない。
〈勇者〉が間に合わないことも、現れないことも時にはあり、どうして自分たちの時だけは助けてくれなかったのかと批判する声も多い。
それでも今日まで、〈勇者〉は確かに国を守ってきた。
モンスターの正体が明かされていき、日本に生まれる〈ダンジョン〉が増加していくうちにも。
それが今日までの話だった。
〈勇者〉は現れたのと同じぐらい突然、消息を断った。
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「もしもし、進藤です」
ある春の朝、学校に向かおうと最寄り駅まで歩いていた一人の男子高校生に着信があった。
通知を切らず常にスマホをポケットに入れている彼は、素早い動作で電話を取る。
彼の名前は進藤伊吹。
電話先の彼と彼の上官、それから自分の家族ぐらいにしか知られていないが、〈勇者〉の中の人である。
「ああ、平川さん。準備はできます」
『ああいや、違うんだ』
伊吹はいつもの応援要請かと思い、気を引き締めていた。
こちらのスマホが鳴る時は大概が応援要請だ。
今からの学校などほっぽり出して向かわねばならない。
そう決めて、彼は〈勇者〉として活動してきた。
しかし、電話先の男──平川の要件は違ったらしい。
『今から、昨日の会議での正式な決定を伝える』
「はあ……」
会議があったことすら知らなかった伊吹は何を言い出すのかと、困惑を含んだ相槌を打つ。
こんな内容は初めてであった。
いつもは一度こちらに来てくれから始まり、勇者の力でそちらへ直行し、そこからブリーフィングをして現場に向かう。
そんな流れが定着していた。
さて、そんないつもとは違う流れから次に繰り出されたのは、伊吹が想像もしていないような言葉だった。
『驚かないで聞いて欲しい。我々は、〈勇者〉との協力を絶つことを決めた』
「………………は?」
理解するのにしばしの時間を要した。
驚かずにはいられなかった。
決して少なくはない貢献をしてきたというのに、自分を要らないと言うのだろうか。
そうとしか聞こえなかった。
「どういうこと、でしょうか……」
『困惑するのも無理もないが、すまない、命令なんだ。進藤くん』
「命令?」
平川の立場は相当に偉い。
ある組織のナンバーツーだ。
その彼に命令できる人物に心当たりはあるが、理由に心当たりは無い。
組織のトップは、自分をいたく気にかけてくれる優しい中年の男であった。
以前回らない寿司を奢ってくれたことがある。
「戸部総監の命令、ってことですか?」
『いや、違う』
当然の帰着として伊吹は、候補に上がった組織のトップである彼、正しい肩書きは「陸上自衛隊特別地域方面隊総監」の名を出してみたが、それはナンバーツーである幕僚長の平川によって否定された。
『防衛大臣、ないしは内閣だ』
「……はあ」
伊吹はニュースで見た顔を思い出してみるが、ボヤける。
〈勇者〉として一年国防とも言える活動をしてきたが、会ったことは無い。
あちらには平川と戸部しか面識のある者がいないのである。
面倒を避けるためであり、自身と周囲を守るためであった。
「会議について聞いても大丈夫ですか? それと、理由と」
『ああ。それが昨晩急に呼び出されたのだが──』
平川の口から会議のあらましが述べられていく。
既に伊吹は登校の足を止めていた。
通学路にしている住宅街の生活道路で、よそ様の家の壁にもたれている。
会話の内容は聞こえないようにしておかねばと注意は払っておく。
『──というわけだ』
「なるほど……」
一通りの説明を聞き終えた。
要約すれば、簡単だった。
国はどうやら今以上の〈特地隊〉の知名度と好感度が欲しいらしい。
それも、〈勇者〉以上の。
〈特地隊〉というのは平川の所属する「陸上自衛隊特別地域方面隊」の略称であり、この一年で新設されたモンスター災害引いては〈ダンジョン〉対策のための隊である。
便宜上方面隊の位置付けをされているが、職務は極めて特殊であり、〈ダンジョン〉出現の性質上全国に隊員が散らばっている。
そんな特地隊はとある理由から志望者が後を絶たない人気部隊であるが、世間からの評判はあまりよろしくない。
決して悪い訳では無いのだが、インパクトに欠けるのである。
対モンスターに関して、最大の人気を誇る存在があるためだ。
有り体に言ってしまおう。
特地隊の世間からの印象は〈勇者〉のおまけである。
彼が来るまで押しとどめる、彼が来ないなら被害を最小限にする、来たなら来たで支援する。
エースではなく、サポートする役割だと。
国は国家の用意した部隊が自分たちに御することのできない正体不明の個人を引き立てるような役回りになっていることに納得がいかないらしい。
伊吹は彼らがそう思うのも理解できた。
しかし、反論したくもなる。
〈勇者〉はエースの働きを続けてきている。
自分の貢献を認めろと主張することもないが、そもそもの不安がある。
自分が抜けてしまって大丈夫なのだろうか、と。
『まあ本音は汚いとは思うのだが……我々としても、そうあるべきだと思ってる』
「え……?」
だから、続く平川の言葉は意外だった。
『我々特地隊は君に大いに助けられてきた。それは事実であり、君がいなければ崩壊していた戦いが、君がいなければ助からなかった命が、数えるには難しいぐらいにある。……しかし、だ』
いつも低くていい声だと思う平川の口から、強く信念を帯びた言葉が吐き出された。
『国家を守るのは、我々の責務だ。それをいつまでも……ただ力を持っているからと力を貸してくれる学生に、子どもに、甘えたままではいけない。本来、その仕事は我々で果たすべきものなんだ』
伊吹は電話口から伝わる言葉の熱に圧倒されていた。
〈勇者〉であるが、まだ生きている年月は短い。
実際過ごした時間は戸籍での年より少しばかり長いが、それでもなお子どもである。
伊吹は、なんとか言葉を返す。
「……大丈夫、なんでしょうか」
『ああ、きっと……君が居る時より、ずっと苦労するかもしれないが、それでも、大丈夫だ』
今度は自信に溢れる言葉、とはいかなかった。
しかし、しっかりと地に足をつけ、未来を見た言葉だった。
「そう、ですか……」
『それにだ』
平川の声が柔らかいものになる。
どこか安堵を含んでいるような、笑っているかのような優しい声だ。
『私にも君と年が近い娘がいるのだが、娘はもっと、いつも笑っている。君はどうだ。普段の生活や学校を楽しめているか?』
「うっ……」
図星だった。
〈勇者〉活動に心血を注いでいた伊吹は学校生活なんてものをほとんど無視してこの一年を過ごしてきた。
度重なる遅刻、早退、欠席でこの春は二年生への進級も怪しかったところだ。
結構な進学校に入学したものの、勉強なんてもちろんしていなかったし、部活で仲間作り云々の前に日常的に会話をする友人もいない。
『そんなことだろうと思っていたよ。子を持つ親として、心配していた。……君のご両親が認めていることは知っているが、やはりな』
「はい……」
やはり平川の声は優しかった。
伊吹のことを考えてくれているのが伝わる。
部下からの信頼が厚い理由がよく分かった。
『まあ、そういうわけだ。これから〈勇者〉としての活動は無くなると思ってくれ』
「…………はい」
電話が切れそうだった。
伊吹は最後に伝えておくべきことだけ述べた。
「もし、また、何かあったら。いつでも」
『ああ。その時はそうだな、頼りにさせてもらう。それから……』
それに対して平川は一つ付け足した。
言われてみればそうだ、と伊吹でも分かることで、心のつっかえが少しだけ取れた気がした。
『それじゃあ』
電話が切れる。
ツーツーツーという電子音。
これで、〈勇者〉の活動は暫く無いということだ。
「ふぅ…………」
これまでの一年間、いや、伊吹にとっては四年に渡った戦いの日々が一旦ここで止まるわけだ。
空を仰ぐ。
霞むことなく、よく晴れていた。
どことなく空を遠くに感じながら、駅に向かって歩きだした。
既に学校に間に合う電車は出発していた。
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