検証 I can move!
空間が歪み、時間が歪む
そして……彼は彼の地に降り立つ
そう、この瞬間こそ
すべての始まりにしてすべての終着点
***
不意に何もかもが歪むような、気持ちの悪い感覚がなくなった。
まあ、何となく現在の状況は理解できるけどね。
お決まりの展開であるならどこかに移動したのだろう。
そう思いながら、閉じていた瞼を開け、周囲を確認すべく己の五感に集中すれば、やはり先程まで居た俺の部屋とは掛け離れた場所にへたり込んでいるようだ。
目には、木々の緑と微かな木漏れ日を見せ、
鼻には、若干の湿り気を孕んだ麝香を嗅ぐわせ、
耳には、木々の騒めきにも似た風が囁き、
身体全体を、温暖で程良い湿気を含んだ春一番めいた風が柔らかくも強く撫で上げる。
他方で、外から入ってくる情報の総てが自然の暖かさだと、感慨に耽っている己の心中。
俺はこの時点で、これが夢でも幻でもなく、飽くまで現実の出来事だとして受け入れ始めた。
その事実に比例するように、口内は、若干の渇きを覚え、粘つき始めている……気がする。
別にこの情況に焦りを抱いているわけでは無い。
寧ろこういう展開は予想していたし、想定の範囲内である。
いっそポピュラーともいえる展開だ。
しかし、焦燥感では無く想定内であるからこそ、これから検証すべきことも想定内である確率が高くなり、比例して歓喜が心の内から沸き起こっている。
そうなのだ。
俺は、先程〈チートコード〉を駆使して高めた能力値を早く検証したくて仕様がないのだ。
では、早速検証に移ろうと、軽くなった腰を上げたが、リュックがどこにも見当たらないことに気付く。
転移する直前は何もかもが歪んでしまう感覚が強く、記憶が曖昧になっているので、リュックを手に持っていたのかどうか定かではない。確か肩に背負ってはいなかったが……
と腕に嵌っている時計を確認しながらも、特に憂うことなく――刹那、何か急速に迫ってくる気配が強くなった。
具体的に述べるなら、遠くの方から草花を掻き分ける音が近づいてくる。
さてどうするか、と思う間もなくその気配は目視できる範囲内に迫っていた。
「ギギグゥ」
「【思考加速】」
と迫りくる対象を脅威と認識するや否や
俺は反射的に【思考加減速】のワードを口にしていた。
……ガサガサッ
「ギギガグゥ!」
ヤ、ヤバイ!!発動してないっ!
えーとっ……そうか!!
「【思考加速】オン!!」
そして、目の前の脅威だった対象を改めて確認する。
一見周囲の風景に溶け込んで判別しづらかったのだが、
まぁ、なんだ、これまたポピュラーなモンスターだ。
背は俺の鳩尾辺りなので130cm程、肌は深緑の保護色、服装は下だけ襤褸で隠し、頭は……うん、禿散らかしている。
顔は、ぶっちゃけ鏡を見ているぐらいに、親近感を覚える顔をしていらっしゃる。
体勢的には、草臥れた抜き身のナイフを頭上で構えた状態で止まっているようである。
俗にいう【ゴブリン】と呼ばれる愛すべき?雑魚モンスターであろう。
それ以上に、俺を縮めて、肌の色を変え、頭皮の進行を早め、アクセントとしてみすぼらしくすれば、あら不思議!俺である。
うーん、何か俺の将来、つっても80歳前後で身長が縮んだら、兄弟と偽っても何ら違和感を抱かせない気がするな。
てかさぁ、やっぱこれは俺の深層心理なんじゃないか、と疑いたくもなる状況だ……はぁ
閑話休題
確定ではないが、ゴブリンと仮定して検証を進めよう。
で、その問題のゴブリン君?ちゃん?なのだが、全く動く気配が無い。
現実には存在しない生き物な所為か、蝋人形館に置いてあっても不自然に思わないだろう。
しかし、現実ならではの、苦労を偲ばせる皺の質感と欠食を思わせる腹の下の膨らみ、ナイフを振り上げたまま静止した躍動感は、俺にここが現実なのだと主張しているかのようだ。
つまり、この状況は、
取り敢えず【思考加速】実験は成功しているという事だ。
しかも、時間が一万倍近く引き伸ばされてもいるみたいだ。
喫緊の脅威が無くなったので、今度は自分自身の検証に移る。
といっても、俺は【思考加速】を発動してから、ほぼ身動きをしていない。
というか、約一万倍の【思考加速】の中、出来るかどうかもわからないが……
そう、一万倍の【思考加速】中に普通に動ければどうなるかを考えてみれば、自ずと結果を想像できるだろう。
万が一にも動けてしまった場合、空気に因る摩擦熱でそれはもう大変なことになるのだ。
と色々考えていてもどうしようもない。これまでの出来事は全て想定内で、しかも良い結果続きであったわけだ。
その上で、こうして普通に思考できている点を考慮すれば、ここは崖に飛び込む勢いで、意を決して動いてみようではないか。
そう、手をこうして……
ピクピクッ
おーーー!!動く、普通に動くぞ!!
こやつ、普通に動いておるわ!!
こうやってグー、チョキ、パー
グー、チョキ、パー
グーチョキパーで何作ろ―、何作ろ―……
こいつは感動ものである。
俺は一万倍の【思考加速】空間の中において普通に動くことが出来たのである。
目の前にいるゴブリン君ちゃんが一流のパントマイマーでない限り、という注釈が付くのだが。
続いて、歩行実験。
一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる……
うん?少し動きづらいかな?
ケンケンパ、ケンケンパ、ケンパケンパ、ケンケンパ……
ダァッシュダァッシュ、ダシュー、キックエンド……
と、これまた普通に出来るな。
…いや、足元を確認したらえらいことに気付いた。
お、お、俺のマイスイートハニーカーが光を放ち始めているではないですか!!
しかも、光の拡散する隙間からスニーカーをよく見ると、先程部屋で履いた時確認した時よりかなり草臥れているようにも見える。
嫌な予感を覚えながら、スニーカーを脱げば、靴下は何ともない。
記憶を思い起こすなら、【初期装備】というのは、あの警告メッセージが表示されたタイミングでは無く、各パラメータの項目を入力し終わった時に身に着けていた物が対象だったようだ。
取り敢えず、俺のマイスニーカーは時間の流れが元に戻れば、燃えだすだろうし、辺りに延焼すると不味いので、片方をゴブリン君ちゃんの持っているナイフに刺し、他方に反対の手を突っ込ませておく。
こうしておけば、他の検証をし終わった際にも忘れる恐れもないし、せめて最後の供養として容貌に親近感を覚えたゴブリン君ちゃんへ送ることもできるしね。
取り敢えずの確認として腕時計を見てみれば、先程時間を調べた時点と比べ別段、変化を起こしていない。
これで【初期装備】も【思考加速】も決定的だろう。
ふぅ、予想外のハプニングに見舞われたが、この加速空間で通常通りの行動が出来る意味は非常に大きい。
まず、思考加速中においても平時と同じような思考が出来、頭のだるさや頭痛といった不調も感じられない。
このことが意味するのは、脳の【筋力値】が一万倍の加速に適応している事と、膨大な【耐久値】に因って、増大した【筋力値】の負荷に身体が耐える程になっているという事だ。
しかも、砂を巻き上げたり、地面にクレーターを作らずに歩行する事が出来るのは【器用値】の高さ故だろう。
何よりも、一連の動きで生じる摩擦熱に対しては、〈妹〉……元い〈Immortal〉になった【耐久値】と【初期装備】のおかげだ。
つまり〈チートコード〉で入力した【筋力値】【器用値】【耐久値(Immortal)】【初期装備(Immortal)】は検証できたことになる。
後の【魔力値】【抵抗値】【無限アイテムボックス】【システムナビゲーション】は要検証だが、これらの項目も有効になっている確率は高くなった。
フッフッフッ、アッハッハッハーーー!!
心の中で笑いが止まらないわ!
こうも予想通りの結果とは!
……ふぅ、まだ検証しなければならないことはあるが、体感的にはまだ10分程度しか経っていない。
とすれば、現実にはまだ1秒いや、0.5秒いやいや、0.1秒程も経っていないのだ。
一応ゴブリン君ちゃんの様子を窺えば、先程と全く変わっていなかった。
うん、焦ることはないが真面目に検証をこのまま進めていこう。




