迷宮って明快
迷宮都市の街並みは、外壁近くの通りとこれから赴く迷宮付近とで少々趣が異なる。
外壁近くでは、簡単に言ってしまえば、バザーの様相を呈している。
対して迷宮付近では、軽食を扱っている屋台が軒を連ねているらしく、雑多な様相に飲まれている。要するに、人が多い。しかもむさ苦しい漢達。服装は、ツナギの様な動き易さ等の機能美を重視したと思われる。皆御揃いで誰が従事しているのか傍から見る限りでは判り易くもなっていた。
観察しながら、迷宮と思しき場所に到着すれば、何やら作業従事者たちが集まって、その一人が訓示めいた事柄を集った輩に唱和させているようであった。
「一つ、常に仲間と共に行動し身勝手な行動を慎む事!」
「「一つ、常に仲間と共に行動し身勝手な行動を慎む事!」」
「一つ、各班必ず小動物を携行し常に異変に気を付ける事!」
「「一つ、各班必ず小動物を携行し常に異変に気を付ける事!」」
「一つ、作業時間は仲間と確認し合って必ず厳守する!」
「「一つ、作業時間は仲間と確認し合って必ず厳守する!」」
「最後に、作業時間を超過しても給金は増えないからな!」
「「最後に、作業時間を超過しても給金は増えないからな!」」
「そんなぁ!世知辛いっすよ!」
「バーカ、おめぇみてぇな奴が居るから、言わされんだろうがよぉ!」
「ちげーねぇ!」
「「ハッハッハッハ!!」」
「では、今日は解散する!
明日は一班、三班、四班で作業に従事してもらう。
二班は休みだ!存分に英気を養ってくれ!」
……些か閉口してしまうような光景だった。
えーっと、つまり今のは、鉱山夫染みた遣り取りなわけだからして……迷宮ってのは??
俺が想像していた迷宮はモンスターが居て倒すと魔晶石が出現したり、宝が設置されてたり、罠が仕掛けてあったり。
もしかしなくても、想像していた迷宮とは異なるんじゃないですかねぇ……
俺は、己の認識が間違っていると半ば確信したので、今日の所は出直すことにした。それと、良い時間になったようだし。
……
…
孤児院の関連施設に戻り、入り口付近に居た女性に声を掛け、俺が滞在する部屋へと案内してもらう。
案内された部屋は、正に学校の教室のようで入り口は引き戸だった。机や椅子、教卓、黒板が無い代わりに、一段上がった寝床が備わっている。勿論部屋の大きさは、教室の半分程。
「此処をお使いください。
貴方以外には
周辺のフロアを使っていませんので、
気兼ねなくなさってくださいまし。
…夕食ですが、
今日だけは院長と共に召し上がって頂きます。
つきましては、早速で申し訳ありませんが、
準備が整い次第、私が案内しますので、
ご一緒願います。」
「…わかりました。
準備はもう整っているから、案内頼みます。」
そう言って、俺は案内役に付いて食堂へと足を進めた。
食堂は結構広い。五十平米はあるだろうか。机も三台あり、大人数がここで饗を共に出来そうである。
というか、そうなのだろう。既に先客が居た。そう、孤児院なのだから当然に、年齢層の幅が広い子供たちが礼儀正しく座って待っていた。無論、配膳作業や、乳幼児の面倒を見ている子も居る。
そういった子供達とは違う机に案内されて座っていると、院長である聖女ちゃんが入室し、子供達と同じ机に座った。
「皆さん、
今日も食べることが出来る喜びを
共に分かち合いましょう。
須らくは総ての御魂が伴に高次に至る道程の糧に生らん事を」
「「須らくは総ての御魂が伴に高次に至る道程の糧に生らん事を」」
「さて、召し上がりましょうか。」
ここでもまた、唱和が成された。唱和ブーム到来って奴だな。まぁ、そんなどうでもいい冗談は置いといて。
食膳の内容は、ペースト状の物が多い。その為、内容が分かりにくい。
食べてみての推測になってしまうが、多分大豆の様なおからっぽい感じの物が一品。ジャガイモの様なポテトサラダ的な物が一品。スクランブルエッグ的な物が一品。
飲み物は、見た目を好く言えば野菜ジュース。悪く言えば青汁。中身は勿論後者。正直よくこんなもの子供たちは飲めるなぁ、と感心して目をそちらに向ければ、何やら混ぜながら飲んでいるではないか。
ちょっとタンマ。あれって何?もしかして蜂蜜的なシロップですかねぇ?こっちのテーブルにはそんなもの置いてないぞ?おいおい、卑怯なんじゃないですかねぇ?いや勿論、子供にはちとツラい味ではありますよ?まぁね、大人の味っていうの?しょうがないよね、子供じゃぁさ。無理無理。ストレートでは絶対無理だよ。うんうん。君らはもう少し…もっと大きくならないと飲めないですから!!残念でした!!ざまぁミタラシ!!
ふぅ。少し大人げない思考を繰り広げてしまったが、許して欲しい。それ程不味いのだ。無論味わっていないのでどういった味かは言えません。言いたくありません。鼻の感覚を麻痺させて飲み干しました。身体には善いんでしょう。これを飲んでいれば健やかに育ちますね。これを毎食なんて拷問ではないでしょうか?慣れるんですかね?……忘れましょう。
子供たちの食事風景は、和気藹々としているが、騒ぐまでには至っていない。本当に躾が行き届いているのが判る光景だ。
各々食べ終わったら食器を重ね、運び易いようにして、皆が食べ終わるのを待ってもいる。
「皆さん行儀正しく召し上がれましたね。
これで食事を終えましょう。
願えば侶に高次へと至らん事を」
「「願えば侶に高次元へと至らん事を」」
その唱和の後、忽ちに食堂から子供たちが撤収した。
残されたのは、俺と聖女ちゃんだけ。その聖女ちゃんは、俺のテーブルに来て、向かいに腰掛けて言った。
「ケントさん。
食事は如何でしたか?」
「食事の内容も申し分ないけど、
それ以上に子供たちの行儀の善さに吃驚したよ。」
「フフッ
そう言って頂ければ、あの子たちも喜びます。
…ところで、
ケントさんはこの街を探索なさったんですよね?」
「あぁ。
迷宮までちょっとね。
というかさ、
あの迷宮って何なの?
俺には…鉱山…のように感じたんだけど。」
「フフッ
あれはですね。
私達現地人にとっては、
鉱山から移行した事に依って迷宮のように感じてしまう程の内部構造を
肝に銘じる為。
余所の人にとっては、
鉱山資源以上の資源である魔晶石を採集されないように願望を込めた
妬みの入り混じった揶揄ですよ。」
成程な。馬車の中で雇われなければ入る事も叶わないと言っていた意味が漸く解った。
「鉱山跡なわけだけど、
まだ鉱脈としては生きてるのかな?
それと、広さを訊いても拙く無かったら
後学の為に教えてもらいたい。」
「…そうですねぇ。
鉱脈はご想像にお任せします。
広さは一概には言えませんが、
この都市と同じぐらいではないでしょうか?
と言ってもはっきりと把握している人は、
この都市でも殆ど居ないのではないでしょうか。」
「…ありがとう。
もう一度明日見学に行ってみる事にするよ。」
「あっ!
その事で一つ提案があります。
ケントさんに姉と会って頂く為に
私は、先程姉と面会の約束をしに行ってきました。
上手く事が運び、
明後日に姉はこの院へ慰問に訪れます。
その際に、ケントさんと会ってもらう様に段取りを付けたので、
ケントさんはそのつもりでその日は朝から居て下さい。
…そこで、先程の提案の件ですが、
姉との面会が終わるまで、
仮面を常時付けていて頂きたいのです。」
聖女ちゃんは言いながらもアイマスクの様な、仮面を取り出した。鼻を覆って顔半分を隠すタイプで黒色の布製の仮面だ。口だけが出るので、食事時も付けて欲しい、という事だろう。
「ケントさん。
今日は、其処までの時間を出歩いていない様なので
問題ありませんが、
明日、出歩く際にはこの仮面を着用してください。
……素顔で有名になるより、
仮面姿で有名になった方が私の計画の宣伝にもなりますので
どうかご理解頂けると嬉しいのですが…」
「君との約束は君の姉と会う際に
仮面を付けることが条件だったけど、
俺は自分の素顔が如何に目立つかを承知してるつもりだから、
別に構わないよ。」
「有難うございます。
こういった提案はこれで最後にするつもりでいますので、
ケントさんの寛大な御心遣いに感謝します。」
「其処まで大仰にしなくていいけどね。」
そう言いながら、仮面を早速付けてみた。聖女ちゃんに感想を聴こうと彼女に面と向かおうとした刹那…
『ケンタロウ君!その仮面姿、素敵です!!』
何と、シスターシャが会話の途中で割り込んで話し掛けてきた。
物凄く珍しい、という次元を超えている。普段のシスターシャであれば、話の腰を折ってまで割り込んでくる真似はしないだろう。それが、余程重要でない限りは。
そう、彼女にとって俺が仮面を付けた姿は重要だったようだ。
「―――――――――?」
聖女ちゃんが何か言っている様だが、聞き取れない。ってか【新訳シスターシャブースト】さんが機能していらっしゃらないみたいだ。しかも【思考加速】まで発動していないとは。
俺は、若干呆れの混じった苦笑を浮かべてしまいながら――勿論シスターシャは可愛い。可愛いは正義だから何も問題ない――
「【思考加速】オン」
シスターシャは【思考加速】が発動した事や、俺が発動させた事にも気付かないらしい。
それ程のモノなのか??
戸惑いながらもやはり気になってしまう。
「…そんなに似合ってるかな?」
『勿論ですよ!
いつも素敵ですけど、
目元が隠れる事に依って
いつも以上に神秘的なんですよ!
嗚呼、ケンタロウ君……』
ヤバイ…シスターシャがトリップしてる。瞳は潤み頬は赤らみ、両手を胸の前に組んで俺の事を拝むように熱視線を向けてくる。その様は、少女めいており、憧れのアイドルが目の前に居るが如く。おそらくは、意中の人を目の前にしての行動ではないと思われる。多分…絶対。だよな?
そういった心境もあって、少し悪戯心が芽生えた為、歯を見せて軽くポーズなどを決めてみる。と言っても、ただ歯を見せながら微笑んだだけ。俺は歯並びだけは芸能人も裸足で逃げ出す位なのだよ。しかしよくよく考えれば、気が触れたとしか言い様の無い程の行動なのだが……
『ケンタロウ君……
格好好いです……』
あぁ……完全にシスターシャが何処かに行って仕舞われた。
おーい 戻ってきておくれー
ってか、本当に其処までのモノか??
自分で言うのも悲しいのだが、幟旗健太郎さんだぞ?
仮面で顔のキモさが幾分か抑えられたとしても流石にプラスには転じないだろう。とすれば、このシスターシャの反応というのはまさかの……
いやいやいや、ポジティブに総て考えるのは善ろしくない。彼女は俺の普段とのギャップで可笑しくなっただけだ。決して俺は俺の都合の良い様にとっては駄目だ。危険なのだ。もしこれで間違っていたとしたら、俺は立ち直れないどころか生きている意味を失ってしまう。存在自体を消えてしまいたくなる。
彼是と己を律しながら、シスターシャが帰ってくるのを待ち、俺から思考加速を解除する旨を提案するのだ。
「シスターシャ。
【思考加速】を解除するからね。」
『……』
「おーい、シスターシャさんや。
解除しますからねー
お願いしますよー」
『……!!
解りました♪』
「【思考加速】オフ
…どうかな、俺の仮面姿は?」
解除と同時に、シスターシャにも見せたポージングを決めながら聖女ちゃんに感想を求めた。
「…どうと言われましても。
えーっと…
カッコイイデスヨ。
……あっ!
先程はシスターシャ様と
お話しなさっていたのですね。
ナルホド、ナルホド。
…彼女は何と?」
……そこまで棒読みだと俺も現実と向き合わざるを得なくなるぞ。最後は、あからさまに話題転換を図りやがったし。その上彼女の脇に居るタマちゃんまでもが冷ややかな視線を俺にぶつけている。マジか……やっぱりシスターシャの感覚が可笑しかったんだ。シスターシャの眼が腐ってたんだ……って勿論ジョークですよ。俺がそんなこと思うわけないじゃないですか!シスターシャは聖女ちゃんより聖女なだけだったって事なんだろうさ!!
「ゴホン。
彼女は、素敵、とか似合ってると言ってくれたよ。
…まぁ、明後日までは常時付けておく事にして
今日の所は、部屋に戻る事にするよ。
じゃあ、おやすみ。」
「シスターシャ様がそのような事を……
生前の御気性からは想像が付きませんね……
…仮面の方はご不便をお掛けますが、
宜しくお願いします。
では、おやすみなさい。」
俺は心中、僅かに後ろ髪を引かれているのを感じながらも、逃げる様にその場を後にし、割り当てられている部屋へと逃げ果せた。
寝床――狩人君の家と別段変わらない――に腰かけながら、一息つく。
「ふぅ。」
『ケンタロウ君、お疲れ様です。
フフッ
やっぱり、その仮面姿は素敵ですよ♪』
「シスターシャ。
ありがとう。それに君もお疲れ様。
…そう言えばさ、
食事の時、子供達が居たけど
君は子供の事をどう思う?」
『可愛いですよね。
ただ、あんなに沢山いると
何かと大変そうでもありますけどね。』
「君ならそつ無くこなしそうだよ。」
『フフッ
そんなことありませんよ。
私は、あれほどの子供達の子守をなさっている
この院の方々を大変尊敬します。』
「そっか……」
其処で会話は途切れるが、やはりシスターシャとの沈黙は何をしなくても苦痛に感じ無い。
そうなってしまうと、今度は俺の嫌な虫が疼き始めてしまう。嫌な予想をしてしまう。嫌な…悍ましいまでの己が出てしまう。
……生前のシスターシャは、俺とは違う奴を愛して、剰えその愛した奴との間に子供まで――――
そう考えるだけで俺の内で煮え滾るマグマがドス黒く変色して行く。
それ以上にシスターシャの子供に対してまでも嫉妬してしまう己が居る情態。
シスターシャなら子供を授かったら必ず愛し尽くすに決まっているからな。
生前の連れ合いに嫉妬するなら兎も角としても、その子供にまであたるのは重症に過ぎる。
「ふぅぃしゅぅ」
息を噛み殺しながら…感情を押し殺しながら、血を吐く程の心持ちで溜息をつく。……自己嫌悪だ。
彼是、馬鹿みたいな思考の迷路に嵌っていると、救いの女神からお声を掛けられる。
『…………
ケンタロウ君。
そろそろ、睡眠誘導しますか?』
「うん、丁度俺もそう思ってた。
頼めるかな?」
『フフッ
ケンタロウ君、
仮面を付けたまま横になるのですか?』
言いながら、彼女は俺が付けている仮面に触ろうとして来た。
するとどうだろう。
……何と仮面が消えてしまったではないか!
「えっ!?
仮面は何処いったの?
…まさか、
君が【アイテムボックス】に収納したのかな?」
『……どうやら、そうみたいです。
出来ちゃいました♪』
出来ちゃいました…テヘッ♪ じゃない!可愛すぎる!!何その仕草!!何その悪戯が見つかってしまって誤魔化す為にウインクしながら微笑むとか!!死んでしまう!喜びが極まって…萌が極まって幸福死してしまう!!
と、幸せばかりに身を委ねてはいけない。
「…もしかしたら、
俺が触れてる物なら
シスターシャを介して
出し入れが出来るのかもしれない。」
『あっ!なる程。』
「少し、実験してみよう。」
……
…
二、三試したらやはり俺の推測通りだった。
で、試していて気付いたのだが、【思考加速】中にこの仮面を付けていると色々と拙い事に。
一万倍だと耐えきれないだろう。では、どれ位であれば、耐えられるのだろうか。
俺は、音速以下であれば、大丈夫な気がしている。倍率で言えば、百倍までだと思われる。
百倍の根拠としては、俺の走る速さを分速二百米とすると、百倍で二万米。それを秒速に変換すると、ほぼ音速と同じ三百三十三米。机上の空論かもしれないが、指標にはなるだろう。
「シスターシャ。
この仮面は一万倍の加速に耐えられそうにない。
だから、君には臨機応変に対応してもらいたいんだ。
……また、君の負担が増える事になる―――」
『ケンタロウ君。
任せて下さい。
その素敵な仮面は私が責任をもって
管理しますからね。
一万倍の【思考加速】を発動する際には
【アイテムボックス】に収納して
解除する際にまた貴方に付ければいいだけですよね?』
「…うん、そうなるかな。
じゃあ、睡眠誘導を改めてお願いするね。」
『フフッ
また一つケンタロウ君の
お役に立てそうな事が見つかって
私は嬉しいですよ♪
…じゃあ、おやすみなさい♪』
「おやすみ」
俺は、内で燻っている大量の負の感情を持て余したまま眠りについた――――
……
…
『おはようございます。
ケンタロウ君。
今日も善い日にしましょうね。』
「おはよう、シスターシャ。
うん、君が居れば
絶対、好い一日になるに決まってるけどね。」
『フフッ
其れなら、
私も貴方が居れば
絶対、良い一日になるに決まってますよ。』
「ハハッ
君は俺の真似する事を覚えたね。」
『一緒でいいじゃないですか。
貴方とはずっと一緒に居るって言いましたからね。
フフフッ』
「あー
それを言われると敵わないな。
ハハハッ」
眠る事に依って多少の精神安定作用が働いたのか、幾分かは気分を持ち直した。
だから、こういった遣り取りをしても多幸感に包まれるだけだ。…だけ、と言っても俺にとっては、相変わらずに掛けがえのない遣り取りではあるのだが。
「ところでシスターシャ。
今日は、迷宮の最奥まで行ってみたいんだ。
迷宮が高次元と繋がってるとして、
奥に何かあると思うんだけど、
君はどう思う?」
『私も迷宮が
高次元と繋がってるとみて間違いないと思います。
ただ、私も奥に何があるかはわかりません。
…皆さんの目を盗んで潜入するんですよね?』
「うん、そうなるだろうね。
君には上手く【思考加速】を
使用してもらわなきゃいけなくなる。
大変だろうけど、頼りにしているよ?」
『むぅー
本当に大変そうですねぇー
仮面の管理もありますしー
何か激励の言葉が欲しいですねー』
彼女はそう語尾を伸ばしながら、上目遣いで俺の事を見ている。
……お、お、お、お俺は今死んだ――――
――――ッハ!思考の空白を挟んでしまった。もう言及の必要が無い程に俺はダメになってしまった。使い物にならなくなってしまう。
もう勘弁してください。耐久レースをやってるワケじゃないんだから。ドッグレースをやってるワケでもないのだから。如何して、こんなにも俺は彼女の愛らしさに苛まれているんだ!!
「…シスターシャ。
俺は頑張って、とだけしか言えないけど、
君を誰よりも応援しているよ。
勿論、俺しか君を知覚し得ないのは百も承知だ。
ただね。
俺はいつも君が頑張ってくれているのも知っているし、
頑張り過ぎているのも知っている。
仮に誰か他の奴が君の頑張りを知っていたとしても、
俺の万の気持ちには匹敵さえしないだろう。
たとい万に匹敵したとしても
俺は、億にも…兆にも…
果ては無限大の気持ちを君にエールとして送るだろう。
俺は君に頑張れとしか言えない。
けど、敢えて言わせてもらおう。
頑張って!シスターシャ!」
『……はい!!
ドンドンとヤル気が漲って来ましたよ!!
私に任せて下さい!!
よしっ!それでは今日も頑張っていきましょうね!
あっ!
仮面を付けてあげますね♪』
準備が整い、部屋から退出する。若干一名、張り切り過ぎている嫌いのある人が居るが、恐らく大丈夫であろう。もう少し経過すれば落ち着く筈だ。
食堂に立ち寄って朝食を御馳走になる。子供達はもう食事を済ませたらしく、食堂には俺一人。
献立は昨晩とあまり変わらなかった。ナンの様な物とスクランブルエッグの様な物、あとは……青汁の様なジュースだ。最後の品の所為で味わう事をせずに勢いよく食べ切った。
うーん 不味い…もう一杯!
と、変な冗談はさておき食器を洗面台に運び、迷宮へと足を運ぶことにした。
……
…
何やかんやで迷宮前。此処へ来るまでに擦れ違う人々から二度見をされたのは、言うまでもない。自分の感覚として感じる分において、この街では素顔の時よりも数が多いのではないかな。
迷宮前には、丁度昨日見た唱和が成されている最中で、潜入するには持って来いの状況だった。
なので早速、人目に付かない路地に入り【思考加速】一万倍を発動しそのまま、入り口に飛び込んだ。
迷宮の通路は鉱山跡の名残であろう、通路の補強として木が組まれてあった。高さは俺の頭二つ分高く、幅は人が五人並べる程。奥に行けばどうなるかわからないが。
しかも匂いは野郎の臭い…饐えた臭いが充満している。これは入り口付近だけだと思いたいが、そうはいかないであろう。その上、妙に粉っぽいというか埃っぽい。息がし辛い筈だが、其処は俺。何も問題はない。
なので、饐えた臭いに若干郷愁めいた気持を抱きつつ、俺は此の先へ進もうか。
「シスターシャ。
仮面を付けた時の【思考加速】の上限を
百倍にしておこう。細かい倍率の設定は君に任せる。
後、定期的に魔素探査も使って行こうか。」
言いながらも、俺は〈SE〉を放出する。
『解りました。
……今魔素探査を発動しました。
周辺には入り口付近を除いて
人と思われる反応はありません。』
「了解。
最初は慎重に探索しながら、
マッピングを進めよう。」
『はい。
…何か胸が騒めきますね。
街道の休憩場所の時を思い出します♪』
「あの休憩場所の時と比べるのなら、
そりゃあ今やってる事は、
完全に黒だからね。
コソコソと隠れて悪い事をやってたら、
良心が痛むのは当然だよ。」
『フフフッ
確かにいけない事ですけど…
ケンタロウ君と一緒だと思うと、
いけない事の方が
何故かドキドキしてしまうんですよね。』
また、この子はそんな事を臆面もなく…気持ち好くスッパリと言い切る。
一々、この子の言動に惑わされている己が阿呆みたいじゃないか。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。
もう行き着く所まで行ってしまえばいい。無論、燻り続けている感情はある。だが、この幸せを噛み締めないのは勿体無い。
俺が、長年…延いては人生を通して追い求めていたものなんだ。
それなのに、俺の蟠りを理由にして遠ざけてしまうのは、絶対に違う。燻りは燻りとして惨めったらしく一人で考え込めばいい。
だがしかし、この尊いシスターシャとの遣り取りの最中だけは、全身全霊を以って俺の総てを通じ、多幸多福の瞬間を楽しむべきだ。これは義務に近い。何故なら、過去の己を振り返れば、余所見などする暇等到底許されないから。
だからこそ、彼女の言葉には、真面目な話から冗談めいた話まで総てにおいて全力で応えたい。
「シスターシャ…
申し訳ないけど、
俺の方が君よりドキドキしているんだ。
悪いね、君の小動物の様なドキドキ具合では、
俺の大型動物並みのドキドキ感には勝てないのさ。」
『あーー!
言いましたね?
寧ろ、小動物さんの方が心臓の拍動の間隔は短いんですよ?
だから、小動物の私の方がドキドキしてますよーだ。』
「……ハハッ
これは一本取られたな。
俺の負けだよ。シスターシャ。」
『フフフッ
でも、同じぐらいドキドキしてると嬉しいですね♪
だから一緒に探検を楽しみましょう?
ケンタロウ君♪』
彼女の笑顔は温もりを感じる。
最初に出会った頃も笑顔が眩しかったし俺の暗い心を照らす木洩れ日の様でもあった。
だが、最近の笑顔は温かくも柔らかな陽射しだ。陽溜りの様に柔らかく俺の心を包み込み穏やかな心持ちにさせる。たとい俺の心の最奥が黒く煮え滾っていたとしても。
ともすれば、夢心地に誘う催眠作用を齎す程の陽射し。
だからやっぱりフワフワと心が浮き立って楽しい。幸福過ぎる。
この夢心地が…この時間が何時までも何時までも続いて欲しい。
そう心から願わずにはいられなかった。