狩猟
狩人君が来たのは、それから五、六分程経った時だった。
それまでに、俺はゴブ子だけでもこの殺戮現場から連れ出そうともした。
ふと、己の現在の装いを想像して少し躊躇いを覚えたが、よくよく考えれば、この暗がりだ。
注意していれば、大丈夫だろうと思い、思い切ってゴブ子に声を掛けたが、当然のように怖がらせてしまったのだ。まぁ、恐らく目が暗さに慣れてあの蹂躙劇からしっかりと見られていたのだろうな。
手持無沙汰ではあるが、妙にフワフワとした心持ちであった為、現実感に乏しいまま、時間の過ぎるのを…狩人君が来るのを待った。
その際には、一応使えそうな物を探したが、全てナマクラだったり、ゴミばかりであった。動物の屍骸や糞尿もどうやら混じっているようだった。
…臭い クサイ 肥溜めの様な臭さ。溝浚いの後の様な、妙な達成感は確かにあるが、それ以上に心にこびりついて離れなくなった、どうしようもない生物臭さが…後味の悪さが俺の心を何処かへと遠ざけてしまっている。
「ケント。ゴブ子はいたか?
それに、オレを待つように言った筈だぞ…
っ!!…これは、酷いな。
アンタがやったのか?
!?
ゴブ子!!
大丈夫か!?」
「ゴブ子は…身体に害はない筈だ。
今は、俺の戦闘を間近で見たから、
放心しているが、大丈夫だろう。
…勝手な行動をとって済まない。」
俺が状況を説明している間にも、彼はゴブ子のもとに駆け寄って、彼女の状態を確認しているようだ。
「ケント。現場の状況を鑑みれば、
ケントのとった行動が最善だったのだろう。
ケントの行動を責める謂われなどない。
寧ろ礼を言わねばならぬほどだ。
…この度の事、誠に感謝する。」
「…まぁ、終わり良ければ総て良し、か。
それよりも、早くここから出よう。
…当然、ゴブ子は任せるぞ。」
彼にゴブ子を背負うよう言いながら洞窟の外へ歩き出した。そこで、少し疑問に思った事を尋ねる。
「あの広間に死体を放置して大丈夫か?」
「…あぁ。
その辺は、場所に依るな。
今回は洞窟だから、自然に任せるのだ。
いずれ、この洞窟は立ち入りが禁止されるだろう。
それに、こうしておけば、
他のゴブリンを寄せ付けない牽制の意味にもなる。
要は、見せしめのようなモノだな。」
「まぁ、何も問題が無いならそれでいいが」
話しているうちに外へと辿り着く。外の明かりにも直に順応でき、目が眩むようなことは無いが、依然として心持はフワフワと現実感が伴わない。
「ケント!
アンタ、酷い格好だぞ!?」
「ヒィッ!」
そう言われて、しまった、と思うが後の祭り。
「ちょっと、川に行ってくる。
先に戻っててくれ。」
「わかった。
流石にその恰好では村に入れることはできん。
オレは、村長の家に寄って事の次第を説明し
ゴブ子を送っていく。
ケントは、先にオレの家に行っててくれていいぞ。
村の見張りには言付けておくからな。
…ちゃんと戻ってきてくれよ?
お前に対して大きな借りが出来てしまったのだからな。」
「わかってるよ。
ちゃんと貸は取り立てる性分だからな。
じゃあ、また後で。」
俺は居た堪れなくなり、その場からそそくさと逃げる様に離脱した。
…どうしようもなくフワフワする。
このまま、冗談では無く浮かんで、空に上って行ってしまいそうな…
…どうしようもなく、足下がおぼつかない。
思考が…考えが…まとまらない。俺の思考力が…判断力が…頼りない。
本当にこれが最善だったのか?彼は最善だったと感謝していたが…それは本当か?
彼女は…俺が助けたであろうゴブ子は…どうだった?抜け殻みたいじゃなかったか?
わからない。判断が付かない。現実感が無い。フワフワする。耳鳴りが…
『ケンタロウ君!
もうすぐ川に出ますよ?
早く身なりを整えましょう?』
あぁ シスターシャ。そうだ。先ずは、身体にこびりついたモノを落として、心も落ち着かせよう。
川に腰まで浸かりながら、汚れを落とす。
ゴブリンの血の色は人と変わらない、赤色だった。しかも擦れば擦るだけ綺麗に汚れが落ちていく。無論、俺の手に…肌に直接付着した血も同様に。
これは〈Immortal〉の…不変のお蔭か?確かに血はこびりついていた筈だが、実際は表面だけだったわけだ。
そうと解れば、その後も順調に落としていく。
気持ち悪い汚れを 落とす 落とす 落とす 汚れ 汚れ 汚れ ヨゴレ ケガレ… 穢れ? 何が?
然う斯うして、身なりが整ったお蔭か、将又水の冷たさに…流れに身を置いたお蔭か、フワフワとした何処か現実を伴わない感覚も己と重なる様に、ある程度は人心地がついた。
だが、身体や服装の汚れを落とし平常心が戻ってきたところで、心にこびりついたモノは簡単には落ちてくれそうになかった。
……
…
「狩人―――のゴブリンか。
この村の―――――――
ありが―――
―――奴らの関係も
修復―――――――」
何か見張り番の男に声を掛けられたが、現実感が伴ったといっても、未だ俺の心はここに在らず。なので上手く聞き取れなかった。
……
…
狩人君の家の客間の寝床に腰かけながら、現在の心境を整理する。
己の内の奥底からまるで泡のように湧き出た、生き物を殺した罪悪感であろう気持ちの悪さは、今や、俺の心の内に澱のように沈殿している。
少し揺さぶってやれば、広がる様にまた気持ちが現実から離れるかもしれない。
その現実感の喪失を伴うフワフワとした気持ち悪さから逃れる為に、俺は思考を停止し始めていた。
このままではマズイ。いっそのこと【思考加速】を発動して、シスターシャと話していれば…慰めてもらえば良くなるかもしれない。
そう思ってシスターシャに提案しようとしたその時…
コン コン
「ケント、居るな?
帰ったばかりで済まないが、
少し頼みたい事がある。
居間に来てもらえるか?」
「あぁ わかった…」
儘ならないものだ。別に今から【思考加速】を発動させても構やしないが、狩人君の頼みたい事も気になる。彼の今の心境も気になる。
頼みを聞いてからでも遅くはない、と思い直し、居間へ移動し話を聞くことに…
「一体どうした?
何か問題でもあったか?」
「……こんなことを
まだ会って間もないアンタに頼むのは忍びないんだが…
オレの代わりに狩りをしてもらえないだろうか?」
「えらくまた唐突だな。
理由は言えないならいいが…
いや、そうか、ゴブ子か。
傍に居てやりたい…そう言う事だな?」
「…あぁ。
その通りだ。
それで…請け負ってもらえないか?
報酬はちゃんと出す。
期間はどれくらいになるか判らないが…
少なくとも七日間は欲しい…
……頼む!今度こそアイツの傍に居てやりたいんだ!
親が居ないことを言い訳にして
アイツの傍に居てやれなかったあの時とは違う!
あの時の過ちを繰り返したくない!
……ケント。
当てもない旅だと言っていたな?
オレはケントの事を信じる…
頼むから…後生だから聴いてもらえないだろうか!」
鬼気迫る勢いで…最終的には俺に懇願する形となってしまった彼だが、その瞳を見る限りにおいて、彼の真剣さ、真摯さ、過去の後悔を払拭せんとする、闘志の様な…生命の輝きの様なモノを感じた。
俺はその輝きに…希望を得んとする輝きに、今の俺の心持では抗える術もない。
「…そう興奮するな。
そう力まんでも請け負うよ。
丁度路銀も尽きてたところだ。
干天の慈雨ってやつだな。
だから、お前は心を落ち着かせて接してやれよ。」
「!!
有り難い!
では早速、オレはアイツの所へ行ってくる。
狩りの場所は、
この村に来た時に通った川から辿った道周辺がオレの管轄だ。
弓は予備のモノを使ってくれていい。
矢の方は、余り無茶をされると困るが、
今あるモノは全部使ってくれ。
オレは夜も戻らないと思うから、
夕飯はゴブ子の家に来てくれ。
場所は村長の家の近所だから、その辺で訊いてもらえば判るはずだ。
あと、この家は好きに使ってもらって構わない。
機を見て戻るつもりではあるが…」
「わかった、わかった。
そんな家の細かい事は今、どうでもいいだろ?
この家の留守番の件は了解した。
さっさと行って、甲斐甲斐しく世話でもしてろ!」
「恩に着る!
では、行ってくる。」
ふぅ。安請け合いしちまったかな。…ただ、アイツの気迫…瞳を見ちまったらなぁ
…今の俺でさえ奮い起ってくるモノがある。
『ケンタロウ君…
良かったのですか?
この地に留まってしまっても…
ケンタロウ君はこの地を離れた方が…』
「ありがとう、シスターシャ。
俺の今の気持ちを慮ってくれて。
けど、狩人君とゴブ子の事が気になったままじゃ
この地を離れたくても離れられないよ。
…俺は大丈夫。
だって、君がいつでも傍に居てくれるんだから。
それで泣き言を言ってたら、あの二人に対して立つ瀬がないよ。」
「ケンタロウ君…
ケンタロウ君には私が付いていますから。
何かあったら、何でも言ってくださいね。」
そうだ。今の俺の情況で【思考加速】を使っても堂々巡りになるだけだろう。
シスターシャに頼り切っては駄目だ。ともすれば精神的な依存症に陥ってしまう。それは俺の望むところでは無い。
確かに彼女と相思相愛になる事が目的ではあるが、それは対等な関係性である事が大前提なのだ。
情けは人の為ならず。他人を出しにして己を慰めるのも方法論としては間違って無い筈だ。
当分の間は、気分転換を兼ねて狩りに勤しむとしよう。
……
……
…
そう思っていた時期が俺にもありました。
って 全然狩れねぇじゃねぇか!!
弓を使うから【思考加速】も最大で使えないし。たとい二倍で使ったとしても、弓なんて撃った経験が無いから、掠りもしない。況して上手く飛びやしないと来たもんだ。
うん、弓は止めだ。鉈も一応持ってきたから、それで狩ろう。
そう、これは食べる為の殺生。明日へ繋げる為の狩り。人間誰しもが背負う業の一つ。
だけど俺にとっては…
……
…
気配を…音を消しながら、鹿のような獲物の背後に回る。ちゃんと風下に回っている。首筋を狙う瞬間、時の流れが引き伸ばされるのを感じる。そのまま命を刈ろうとした刹那…ゴブリンを虐殺した光景がフラッシュバックする。
如何に後背を突いた形だったとはいえ、躊躇った瞬間を見極められて、逃げ去られてしまう。残された俺の胸中は、逃げられてホッとしている始末…無様だ。
『ケンタロウ君。
惜しかったですけど…
もしかして、躊躇ったんじゃないんですか?』
「…シスターシャ。
君は何でもお見通しだね。
そうだよ、
ちょっと身体が固まっちゃったかな…ハハッ」
『ケンタロウ君。
この殺生は、生きる為の…糧を得る為の行為です。
しょうがない…と言い切ってしまうのは違いますけど、
絶対的な自然の摂理の一環です。
勿論、他の要素で栄養の代替も出来ます。
蛋白質であれば、大豆の様な土の恵みを受けた食物でも摂取できます。
だから、ケンタロウ君がどうしても無理というなら…』
「シスターシャ。
ありがとう。
…多分、俺は自分が〈Immortal〉だから
食べなくても大丈夫だから…
って殺さなくてもいい理由を探していたのかもしれないな。」
『ケンタロウ君…
私の我儘を聞いてください。
私はケンタロウ君に、人間性を失って欲しくありません。
だから、食事をする事を勧めました。
けど、それに因ってケンタロウ君が殺生に気を揉む様な事になるなら…
今の優しいケンタロウ君が居なくなってしまうのなら…
私は、そうなっても欲しくないんです。
…本当に我儘ですよね?
何方も嫌だなんて…』
嗚呼。俺は何を悩んでいるんだ?こんなの俺の方が我儘だ。これまでの俺の人生を振り返ってみれば簡単な事じゃないか。肉も魚も…生きていたモノを食べて過ごして来たじゃないか。美味い不味いと言って血肉に変えて来たじゃないか。
それなのに今更何を怖気づく必要がある?
これまで、認識してこなかっただけだ。パック詰めされたり、切り身だったり…煮たり焼いたり加工されて俺の前に出て来ていただけであって、今までも俺は自然の摂理を享受しているじゃないか。これから先出来ないという理屈はただの屁理屈でしかない。
そうであるなら、俺の考える事は、決まっている。
慈しむ事。感謝する事。敬意を払う事。
これ等の事を忘れなければ、俺は狩りをすることが出来るはずだ。
「シスターシャ。
ゴメン。俺が不甲斐ないばかりに
君に変な迷いを背負わせてしまった。
これは俺が負うべき業なんだよね。
俺は今まで生き物の肉を食べてきた。
そんな俺が今更綺麗事なんてちゃんちゃら可笑しいんだ。」
『ケンタロウ君。
何か勘違いしていませんか?
ケンタロウ君だけには負わせませんよ。
私が【思考加速】をしていたのには気付かなかったのですか?
私にもケンタロウ君の荷物を半分背負わせてくださいね?』
……そういえば、首筋を狙った瞬間、事前に打ち合わせてないにも拘らず【思考加速】二倍が発動してたっけ…
シスターシャには敵わないな。
「シスターシャ…
本当に有難う。
君にも背負わせ…手伝ってもらう事になるけど、
構わないかな?いや、
手伝ってもらうから、宜しくね?」
『はい!
勿論ですよ!
そうと決まれば、一体でもいいので狩って帰りましょう!』
……
…
それから、あっけない程に生き物を狩ることが出来た。
そりゃまぁ、俺の能力値をキチンと発揮すれば、多少の技術不足も何のその。
先程は、気配を消して狩る直前まで行ってたワケだから、この結果は寧ろ妥当と言えるのではなかろうか。
「シスターシャ。
そういえば【アイテムボックス】の亜空間ってどういう所なの?
酸素とか圧力とかってのはどうなってるのかな?」
『亜空間には酸素がありません。
しかし、一気圧相当の圧力がかかっていますので、
空間の状態としては、酸素が無い状態と同じと考えて下さい。
あと、時間経過もしていますから、経年劣化は避けられません。』
「ふぅーん。
酸素が無いから、酸化する事が無いんだね。
経年劣化するといってもかなり長持ちしそう。
そうすると、生きている動物は入れちゃダメなわけだ。
…もしかして、生きたまま収納って出来るのかな?」
『…できますけど、放っておくと酸欠で死んでしまいますよ?』
「…い、いやー
訊いてみただけだよ。」
と雰囲気も和やかになったので、今日の分を上納する事に…
「おい!狩人君トコのゴブリン!
血抜きがしてないじゃないか!
解体はこっちでやるが、
今度からは血も抜いといてくれよ!
血は狩った付近の木の根っこ辺りに流しておいてくれればいいからな!
まぁ、何でもいいけどな。」
よくねぇよ!
ただ、血抜きねぇ……
やり方なんて、頸動脈辺りを切って心臓をポンプ代わりにして抜くとか何とかしか知らんぞ?
今回は首を落として直に【アイテムボックス】に収納したからなぁ。
今度は血抜きを意識して何か工夫をしないと…そもそも、全て首を叩き切っていたら鉈が忽ちに駄目になるだろうし、鈍器で殴ってからナイフで……
……ゴブリン…か
そんな事をツラツラと考えつつ、一日目の狩りを終えた。
……
…
日はまだ出ているが、もうすぐ…あと一時間程で夕暮れ時になろう。逢魔が時は未だ過ぎていない。
村長宅の近くと聞いていたので、容易にゴブ子の家を見つけ、夕飯を御馳走になる。因みに、ゴブ子も両親が居なかった。
その際、彼女の様子をそれとなく聞いてみるが、余り芳しくないらしい。
どうも、喪心状態に陥っている様子で、狩人君が話しても反応はするが、返事が無いらしい。
俺はこういったカウンセリングに詳しくないので、何もアドバイスが出来ない。
だが、彼の真摯な思いが伝わる事を願って、まずは言葉を交わさずに唯、傍に居るだけでいいんじゃないか、と言うような事を言っておいた。
……
…
夕飯を御馳走になった後、今日朝食を抜かしたことを詫びられる。そして、明日の朝食も此方に来るよう言われ、それに了解の意を示した俺は邪魔にならないようにお暇する。
外に出れば、ハッとする血のような赤色に染まっていた。
そう、今この時が…逢魔が時。一般的にはもっと薄暗くてもいいはずだが、器用値の高い俺にとってはただ赤いだけ…
尤も、俺の場合は調節できるけど、その調節さえも億劫になっている。いや、無性にこの色を見なければならない衝動に駆られるのだ。
狩人君の家に帰り、寝床に付く。シスターシャとは【思考加速】のお蔭で何時でも話せるし、〈Immortal〉のお蔭で生理現象も無いので、余り時間というモノを気にしなくなって来たのかもしれない。
「シスターシャ。
今日もお願いするね?」
『はい、今日一日お疲れさまでした。
では、睡眠を誘導しますね。』
……
…
ハァ ハァ ハァ ……
ガギ、ガギグゥ ギギ、ガギガギ? ガガ、ガギガギ? ガグゥギ…ギギグゥ…
ハハッ ブシュゥ… ハハッ ブシュゥ… ハハハッ ブシュゥ… はなびはたのしいな―――――
違う…オレは…笑ってない…楽しんでいたとしても…笑ってない…笑ってないんだ…
……
…
『おはようございます。
ケンタロウ君…
あの…』
「おはよう。シスターシャ。
…俺は大丈夫だから。
今日も狩りをして糧を得なきゃね。」
今日もまた、日が暮れる直前まで――逢魔が時を迎える直前まで――狩りをする事になる。
黄昏時を迎えるにはどうすればいいのやら




