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システムナビゲーションと一緒!  作者: ハヤニイサン
プロローグ
1/29

健太郎

「おーい、幟旗のぼりばた

 今日は、ノー残業デーだぞー」



 ふとその声を耳にして作業を中断し顔を上げる。

 目のピントが固まっている所為か、若干視界のボヤツキと、ここ二、三年ほど前に蛍光灯から変えられたばかりのLED証明の明かりに目を眩ませながら、声の主に何とか焦点を合わせ、口を開く。



「あー、今日水曜だっけか。

 平日は月曜と土曜ぐらいしか気にしてないから、忘れてたな。」


「おいおい、せっかくのノー残業デーなんだから覚えとこーぜ

 つーかさ、この後街コン行くんだけどお前もどうだ?

 お前の彼女いない歴イコール年齢ってのを返上するチャンスだぞ!?」


「街コン?合コンと何が違うんだよ。

 そういった集まりは第一印象が重要なんだから、

 俺が行ったところで袖にされるのがオチ……て

 そうか……俺がいればギャップでお前が良く見られるな。」


「い、いや、そんな魂胆はもってねーよ。

 そ、そうじゃなくてさ、お前、この後の予定なんかあんのか?

 あ、あるなら、他の奴ってか木村でも誘って行くからよ。」



 うーん、この吃り具合。図星なんだろうけど、微妙にこちらに気を使っているのが解るのがなぁ。

 だがしかし、俺の地雷を簡単に踏み抜いたからには、譲歩する義理はないな。



「悪い、この後外せない用事があってな。

 すまんが、その街コンは木村でもなんでも他の引き立て役(・・・・・)を誘ってくれ。」


「お、おう。

 さり気なく、皮肉ってんじゃねーとは思うし、

 さっきまで今日が何の日か覚えてねー奴のセリフとは思えんが、

 ここは素直に引き下がっとくわ。

 そんじゃ、お疲れ!」

 

「ああ、お疲れさん。」


「おーい!木村!

 お前今から空いてるよな!」


 ……

 …



 いい奴ではあるし、気安い奴でもあるんだよなぁ。

 だから断った罪悪感と、まだ見ぬ幸せをつかむチャンスを棒に振ってしまったかもしれない自己嫌悪でちょっと憂鬱になる。

 いやいや、過去の事例を鑑みれば、

 チャンスなんてもんは(・・・・・・・・・・)全くこれっぽちも存在さえしなかった(・・・・・・・・)ではないか!

 それと、別に今から用事が無いわけでは無い。

 まぁ、馴染みの中古ゲーム屋に行って、気に入ったブツがあれば後は趣味の時間(・・・・・)になるだけだがな。



 ……

 ……

 …




 未だ新春の残り香が香る、空風が吹き抜けるオフィスビル街を這う這うの体で風と共に俺は歩き去る。

 地下鉄に乗るために、肌に纏わりつくような人工的な何か嘘くささ(・・・・)を感じさせる温暖な地下へと降りる。

 その際に外と地下との対比が俺の現在の情況に酷似しており、気分はこれからの趣味の事に思いを馳せ高揚しているのに、何か漠然とした不安を俺にもたらした。


「はぁ」


 溜息をつくと幸せが逃げるというが、そもそも俺には逃げるほどの幸せなど存在しないはずである。

 といっても、こうやって今のところ平穏無事に人生を過ごしているのが、唯一の幸せになるのだろう。

 この幸せが逃げてしまっては堪らないと、思考を切り替え趣味以外の、益体もないことに思いを馳せる事にした。


 

 帰宅ラッシュの時間帯ではあるが、運よく比較的空いていた電車の中、俺は学生時代を思い出していた。

 いや、大層な思い出では無い。別に何の面白みもない通学時の電車の事だ。

 簡潔に言ってしまえば、定期券の話になる。

 学生の頃は、実家の最寄り駅から学校近くの駅間で通学定期を購入し通っていた。で、その頃はよく電車に揺られながら気になった駅があれば気の向くままに降りたりしていたのだ。

 気になった女性の後を付けるような、犯罪まがいのようなこともした記憶がある。だが安心して下さい、一応これでも自分の身は弁えているつもりなので、声も掛けなかったし致命的な情報も握ったこともない。勿論穿いてますよ。

 今では、そんなお気楽な事も人の後を付けるようなこともする暇、というより気持ちのゆとりが無くなったなーと、本当に益体もないことに思いを馳せていれば、目当ての駅に到着した。


 まぁ、一応これも気になった駅に降りる事になるのかなぁ

 なんねーだろーなー だって目的地だもんなー

 しかも定期券の区域外で余分に運賃払ってるしなー



 とまたも塞ぎ込みそうになる気持ちを今度は趣味の事に向けるべく馴染みの中古ゲーム屋を目指す。

 馴染みの中古屋といっても複数の店があり、どれも老舗と言って偽りないが、ある程度のローテーションを組んでいる。そうしないと店頭の品揃えが代わり映えしないのでしょうがないのだ。


 とこんな言い訳染みた事をいうのも、今回行く店は駅から一番遠い場所にあり、この時間帯は人通りが多いのでまたもや気持ちが落ち込んでくるわけだ。

 別に人混みが嫌いというわけでは無い。ただ単純に中高校生カップルが多いのが問題なのだ。しかも制服姿だ!

 花の青春、それも制服同士でというのは一生を通して一度きりしかないので存分に楽しんでもらって構わないが、周囲、特に俺に見せつけるんじゃねーよ!

 そういった輩はゲームセンター付近に屯する傾向があるので、気持ち早歩きで、視界に入れないようにして、中古屋(サンクチュアリ)に逃げ込んだ。




 中古ゲーム屋に入って一息つく。すると中古屋独特の擦れた、古本屋ともまた違う、酸味がかった体臭の仄かな香りも混ざって臭ってくる。

 パブロフの犬が如く、この臭いを嗅げば瞬時に気持ちが趣味の事に切り替わり、先程までの暗澹としていた外界での出来事を置き去りにしてくれた。見事浄化されたのである!

 店内は無音に近いが、何かのゲームであろうプロモーションビデオを追い風(BGM)にして、俺は意気揚々と、ジャンル毎に並んでいる商品棚を各々拝見するために行動を開始しする。


 前はアクション系だったから今回は、RPG辺りかなー よし、一応一通り見て回ったら最後にRPGのある棚を見ることにしてっと。


 ……

 ……

 …



 まずい状況に陥ってしまった。

 俺が最後に見ようとしていた、RPGが割り振られている棚の前にカップルが居やがるのだ。

 普段ならまだ焦るような状況ではない。が、棚と棚の隙間から盗み見る限りにおいて、美男美女のカップルなのである。

 男の方は、髪色はアングロサクソン系西洋人っぽいのに黒髪でスポーツ刈り。芸術的なまでに顔の堀が深く、顔の各パーツが神がかったように配置されている。身長も言わずもがなである。

 そんな完璧を絵に描いた様なお相手も、男ほどではないが比する美を持っている、しかも、可愛い系の。最初に言っておくが、彼女は日本人だ。髪色は黒で肩までのセミロングのストレート。背の高さは上背のある男性の胸の辺りだが、比べている対象が対象なので低くはない。

 もっとも、男ほどの美を持たない理由が、男と比べると一回り程年齢が上だからなのだ。だからといって、その年齢を感じさせない愛らしさによって美を保っているといっても過言ではなかろう。

 

 だが、そんなこと(・・・・・)よりも俺を焦燥させるのは、二人とも、有象無象のなんちゃって美男美女カップルというわけでは無いからだ。これまでの人生を感じさせる言いようのない哀愁の様なモノを漂わせている。

 二人ともジーンズを基調としているので、そこまでこの中古屋自体にファッションがあってないことはないのだが、オーラが違うのだ。

 言ってしまうならば、全てにおいて近寄りがたい。

 いや、違うな。小声で会話しているので内容は全く聞き取れないが、やり取りの端々から、別段甘ったるいやり取りでないはずなのに、幸せ感満載の雰囲気もまた哀愁と同様に醸し出しているので、卑屈で器が矮小な俺なんかでは、近づこうにも近づけないのである。


 嗚呼!そんなに彼奴らに近づいてないにもかかわらず、外界にいる時と同じようにまた暗澹たる気持ちにもなってきてしまった。ここが中古ゲーム屋という俺の聖域であるにもかかわらずだ!

 やはり、あのカップルは危険だ。

 早く去ってくれ!と棚越しに天災が過ぎるのを…彼奴らが店から出るのを、得も言われぬ寒気からくる震えを感じながら待ち続けた。


 ……

 …

 

 すると程なくして、なんと中古屋の店員が件のカップルに近寄り何か話し始めたではないか。



「大変遅くなりました。

 こちらの――はこの棚に納め――――――だきます。」


「いえ、こちらこそ長居し――――――た。

 ――――都合で、

 その―――――に収まるまで――――――――――なかったんです。」


「いえいえ、居座って―――――――――は何も問題―――せん。

 ―――れば、閉店まで―――――――――わない―――ですから。ハハッ」

 

「フフッ、そこま――――――

 では、―――出来たので、これでお暇――――――――――」


「はい、―――存じ上げなかった商品――――――――出来て

 ――――――ございました。

 また、――――――――――がございましたら、

 当店に――――――――――お願い――――ます。」


「では――――――――うございました。」


「またのご来店をお待ちしております。」


 ……

 …


 

 うーむ、ちょっと距離があったし、さっきまで追い風に利用していた店内のプロモーションビデオの音が何故か(・・・)耳障りに思え、途切れ途切れにしか聞こえなかった。


 棚?収まるまで?

 何かが態々棚に並ぶまで居座ってたっていう会話だったみたいだな……


 ざ・け・ん・じゃ・ねぇ!俺みたいな小市民がどれだけ肩身の狭い思いをしてお前らを避けなければいけなかったか、お前らに理解できるか!?出来ねーだろーなー!

 俺は別にイケメンタヒネともリア爆とも思わないよ?己の身の程は弁えてますし?

 正直、正直なぁ― 羨ましいと思ってなんか全然、これっぽっちもミジンコ、一ミクロン程もないんですからね!!

 俺だってなぁ 俺だって、あんな関係に憧れてるんだよ!笑いたければ笑え!夢ぐらい見させてくれてもいいじゃないっ!別にいいだろ?叶わない人の夢と書いて儚いんだからさぁ……

 大体、カップルでこんな場末の中古屋なんかくんじゃねぇよ!

 しかもなんだ?滅茶苦茶浮いてるっつーの!服装だけ合っててもぶっちゃけ存在感からして違うから!TPOが全部合ってんのにコンだけ浮くってのは、はっきりいって生物としての格が違うよ、ホントさぁー

 で?店の中に幸せオーラを垂れ流しやがって!これがまた羨ましいんだよ!コン畜生が!てめぇらの事は、一生忘れたくても忘れられなくなっちまっただろうが!


 ……ぶっちゃけますよ……ぶっちゃければいいんでしょう!?

 えぇ、えぇ、してましたとも。あの二人を見かけてから、二人の仲睦まじさに当てられて、隠れてニヤニヤしてましたとも!!誰かに見られれば通報され兼ねない気持ち悪さでしたが、それが何か?

 というかね、正に、これだ!と思えたね。そんじょそこらの嘘っぽい、嘘ン子カップルとは天と地、月と鼈以上の違いなのだ!見てて清々しいのなんのって、世の中ああいう気持ちのイイカップルだらけならまだ……いやそれは駄目だ俺が持たない。主に心が。



 ハァハァ……

 己の中の邪鬼を祓うために、息を殺しながらも深呼吸をし気分を浄化させる。


 俺の立ち位置はここだ、ここだけだ。あっち側にはない。あっち側に何かを期待しちゃあ駄目だ。あちらに俺が入るスペースはない、端から存在しないのだ……


 ……ふぅ ある意味では、彼らのおかげでカップルに対する、今まで堪りに溜まった俺の鬱憤鬱積を綺麗に発散できた、と良いように考えよう。

 まぁ何にせよ、漸く障害物が居なくなったのだ。気持ちを切り替えて宝探しを再開しようではないか!


 ……

 …

 


 ほぼ変わり映えのしない作品群を斜め読みするが如く一通り棚に目を通せば、ふと先程の店員と誰かさんたちの会話を思い出した。


 そういえば、店員がこの棚に納めたとか何とかって言ってたな……十中八九、棚に納めるとすればゲームしかありえない訳だし。しかも店員も知らない作品がどうとか……


 仄かな期待を胸に今度は、一本一本丁寧に確認していく。


 ……

 ……

 …


 【ジゴヘクールIII〜道程の決着〜】

 


 あった。


 IIIとなっているが、見る限りIもIIも見当たらない。

 俺はそこまで気にする方ではないし、思い掛けず長逗留をしてしまった事なので、これを購入することにし、清算を済ませるべくレジへ。



「嗚呼、やはりお目が高いですね!

 その商品は、先程棚に並べたばかりだったんですよ。

 しかもその商品は、品番が無く、ほぼ無名の作品っぽいんですね。

 本当は、そんな出どころ不明の怪しげな品を並べるのは良くないんですけど、

 どうしても、ってさっきのお客さんが煩くて。

 自分も、ヤダナーなんて思ったりしたんですがねぇ?

 ほら、解るでしょ?

 美男美女のカップルに凄まれたら……ねぇ?

 普通なら、リア充爆発しろってなモンですけど、一応商売ですし……

 そーゆーワケで、今日の閉店までは置いといて、

 それで買い手が付かなければ、自分が責任をもって引き取る段取りをつけたんですよ。

 と、そこへ常連の貴方が速攻で持ってくるでわありませんか!

 いやー!やっぱり貴方は自分が見込んだ通りのお方だったと思ったわけです!

 そこで相談なんですが、そのゲーム、後日不要となった際には当方にお譲り頂くことはできませんか?

 いやいや、勿論代金はきちんと払います。

 恐縮ですが、これまで貴方様が購入した作品を拝見したところ、

 マイナーな作品ばかり購入しておられますな。

 その点、自分も同好の士でしてな。そういった作品には目が無いのが困ったものでして……

 おや?お譲り頂ける?

 いやー 物は試しにと言ってみるものですな。

 それより、当方ネットにコミュニティを――」


「あのー 済みませんが

 私もこの後早速作品を楽しみたいのでこの辺で帰りたいなぁ、なんて

 明日も朝早いですし……」


「……おおー それに気付かないとは、自分も熱くなり過ぎ申したな。

 ウェッヲン、こちらこそ済みませんでした。

 では、またのご来店をお待ちしております。」



 な、長い……


 流れるようなセールストークかと思いきや、途中から雲行きが怪しくなった。

 最後の方は砕けた感じになったのだが、勿論知り合いというわけでは無い。

 ここからは俺の推測だ。店員は、俺が常連というのもあろうが、俺に対して同族意識(・・・・)を感じたのだろう。

 まぁ、俺より幾分か顔がマシ(・・・・)な時点で、俺はあいつに同族意識など露程に感じないがな。俺は傷のなめ合いがしたくないのもあるが、それ以上に慣れ合いたくないのだ。

 しかも、あいつの思っている趣味と俺の趣味は多分というか、絶対に違う、という理由もある。


 まぁ、さっきのは、常連客でもある俺に話しかける切っ掛けが出来た事で、これまでに言いたかった事が溢れ出たが為の惨事であった。

 と、そう忖度できてしまうので、割かし同族嫌悪なのかもしれないな……うん、そうしておこう。


「はぁ」


 ……

 …




 外に出ると、もう空は真っ暗になっていた。街道は煌々と明かりが照っており、人の賑わいはまだ尽きそうにない。

 大寒を過ぎたばかりの夜空は、澄み渡っており雲も無い様だが、下界の雑多な明かりの所為で星が全くと言っていいほど見当たらない。

 俺は何とか星の瞬きを見つけようと目線を上に向けるが、徒労に終わるだろうと早々に見切りをつける。制服姿が少なくなり、比較的歩きやすくなった道を往路と同じ順路で辿り、地下鉄に乗る。



 結構な帰宅ラッシュである。

 俺は、冤罪被害に遭わない様に、こういったラッシュ時は鞄を股に挟んで、絵面が正しくお手上げの状態で遣り過ごす。

 正直、滅茶苦茶怖い。冤罪被害に遭いそうになった事案など数知れないのだ。その時に乗り切れたのは、事前の備えもあるが、それを証明して下さる善意で心優しきし第三者の存在だ。

 自分一人ではどう仕様の無い事など、この世の常。日常生活において俺の心や行動が決定的なまでに荒むことのない理由としては、こういった、心根が優しい人間に助けてもらえた経験に因るのだ。

 俺も、冤罪被害に限らず、冤罪でない被害においても被害者を助けたいものだが……それをやっちゃうと今度は俺に疑惑の矛先が向いてしまうので、助けようにも出来ないのも世の常である。


 余談だけど、そういった、俺を助けてくれた善意の第三者さんとは、男も女も…特に女性とは一切、その後の付き合いというのはありませんよ。

 解決して俺の顔を見た瞬間に、気の毒そーな、居た堪れなさを隠そうともしない顔で、足早に去っていくのがオチなので。

 別に悲しくはない。本当だ。前述の通りに感謝してもしきれないほどなのだ。うん……




 さて、そんなこんなで自宅の最寄り駅についた。当たり前だが目的地は自宅だ。帰って早く趣味に没頭したい。

 が、その前に俺は、腹拵え、つまり夕食を摂るために、いつもお世話になっている定食屋へ寄る。

 因みに俺は、朝食以外全部外で済ませている。昼はオフィス近くの店を廻っている。今日は牛丼を食べたので、今夜はサバ味噌定食を頼むつもりだ。

 勿論、休みの日も外食なのだが、朝食だけはキチンと時間通りに摂る性分なので、独り身だとよく言われるブランチにはならず、昼食と夕食を兼ねたディナーとして今から寄る定食屋で食べている。



 そんなことより、サバ味噌だ。サバちゃんが俺を待っている。


 気持ちを高ぶらせながら、定食屋の暖簾を掻き分け、引き戸を開け中へと入る。すると何時もの様に、別段誰かが温かく迎えるように声を掛けてくれる訳もなく……



「いらっしゃいませ!」



 と、このように温かく迎えてくれるのだ、ってうん?


 この定食屋は老夫婦が営んでいる、ごく普通のノスタルジックな大衆食堂なわけだが、その二人からこのように声を掛けられる事など絶対(・・)ない。忙しい時間帯は特にそうだ。

 つまり、老夫婦以外の店員の存在が必須となるが、忙しい時間帯には、アルバイト店員を雇っているのでそう珍事という程ではない。

 まぁ、そのアルバイト店員にしても、入れ替わりのサイクルが激しいので知った顔は余りなかったりするのだが。


 定食屋のバイトなので、高校生や大学生辺りが多い感じになる。だから、こういった元気好く入店の挨拶をする子も中には居るのだ。


 今回はどういった子かなぁ

 と二三席空いていたカウンターの一席に座りながらチラリと慎重に(・・・)横目で窺えば、何とコレマタ可愛い感じの女の子ではないか。

 元気印の似合う溌剌とした笑顔。肩まであるであろう黒髪を結い上げ、運動部帰りなのだろうか、赤紫色の俗にいう芋ジャージを着た上にエプロンを身に着けている。

 ジャージの袖を肘までたくしあげており、少し白くなり始めた褐色の健康的な肌と輝かんばかりの顔を、お日様の様に周囲の目に晒している。

 俺が入って来た時から、他の客の接待をしていたので、まだ俺の顔は確認していない(・・・・・・・)はずだ。


 

 俺は、挨拶以上の声を掛けられる前に、カウンター席に常設されている、葉書サイズのメニューを一瞥しながら、手早く老夫婦にサバ味噌定食を注文する。

 セルフで水は注げるので、常連客の矜持を見せるべく、顔を晒さない様に(・・・・・・・・)慎重にコップに水を入れておいた。

 一連の行為で、彼女の仕事を取ってしまった、という罪悪感を俺の胸中に若干抱かせつつ、やはり彼女に顔を向けない様に努めた。

 ここまでしておけば、カウンター席だし、角度的に俺の顔を見ることもないだろう。それに、料理は御上さんがカウンターに乗せてくれるしな。



 元気印の彼女本人も、俺の一連の行動は常連客としてなら格別可笑しな行動ではない為、そこまで注意を払っていないことが幸いした。

 俺は一息ついて、サバ味噌定食が来るまで思考の海に沈むことに……


 

 ……あぁ、今回は、中古屋に居た障害物カップルの所為でかなり精神的に疲れた気がするなー

 その他の出来事は別に普段から日常の範囲内だからそうでもないけど、あのカップルはなー ホント参るぜー

 あーあー あーゆーカップルは偶に居るから、別に構やしないんだが、稀に見ちゃうと、俺の学生時代やった黒歴史を思い出しちゃうんだよねーで、先例に漏れず思い出してしまったわけですな……


 〈タルパ〉という、彼女いない歴イコール年齢の人や自分だけの式神、使い魔的な存在を欲する人からすれば、それこそ、垂涎の方法がある。

 堅く言えば、自身の思い描く幻影を視覚化させる、チベット密教の秘奥義。低俗に使うなら、理想の彼女、獣を人工霊体として生成すること。

 正に俺は低俗な事に使おうとしたのだが、これの難しい所は、作る過程において、想像力が必要になる事だ。

 その想像力というのも、一応、秘奥義と呼ばれるに相応しい程、生半なモノでは駄目なのだ。某有名漫画でも主要キャラの一人が鎖を具現化する為に、気が触れそうになるほど鎖を四六時中触り続けなくてはならなかった様に。

 俺は、この段階で挫折した。というのもあるが、

 創るべき存在が何処まで行っても己の内から、延いては脳から出た(・・・・・)願望でしかない、と思ってしまった瞬間に、醒めてしまったのだ。


 挫折したとはいえ、かなり凝って容姿を創ったものだ……髪は茶色でセミロング、頭にアホ毛と呼ばれる撥ねた気があって、胸は小さくもないが大きくもなく、とか性格に関しては、普段はツンデレだけど偶に甘えた態度を……


 まぁ、黒歴史も黒歴史、思い出したくない過去の事象…ホンッットウに傍迷惑なカップルが居たものだ!


 ……

 …


 アレコレ自業自得な過去の出来事に溺れそうになり、自分自身に憤死しそうになりかけたその時、鯖が俺を救い上げてくれた。

 そう、サバ味噌定食が目の前に置かれたのだ!



 気持ちを食す事に切り替え、目の前の献立を確認する。

 定食なのでご飯に味噌汁、漬物が付いている。メインは当たり前だが、鯖だ。鯖は、腹から尻尾の部位が二切れ盛られている。味噌は赤味噌がベースなのだろう、サバ味噌色としか表現しようがない色の洪水で皿から今にも溢れそうだ。それがまた食欲をそそられる。ちょっと、生臭いというか魚臭さはあるが、目を瞑ろう。

 

 確認はこの程度で、いざ実食と行きますか!!


 ……うーん!やはり真鯖は美味いな!旬ではないが、脂の乗り具合も丁度良い。煮加減もまた口に入れた瞬間にほろほろと蕩ける様だ。若干のパサつきも覚えるが、まぁ、許容の範囲だ。

 俺が、自炊していたころは、真鯖と胡麻鯖を間違えて購入してしまい、えらい目にあった事があるが、そのパサつき感と比べれば、それはもう比ぶべくもない。


 ……

 ……

 …



 一通り食べ終えて、注いであった水を飲み干し、腹を熟しながら食後の余韻で一人ニヤついていると、



「お冷、注いでおきますねー」



 と声がしたので、ニヤけた顔のまま(・・・・・・・・)、反射的に振り返ってしまった。


 刹那、しまった! と思う間もなく、彼女の太陽の様な笑顔が陰り、天岩戸に隠れるが如くそっけない態度で、



「お客様、済みませんけど、これから店が混み始めるから、

 食べ終わったのなら、席を空けてもらえませんか?」



 ……やはりである。

 こういう展開になるから気を付けていたというのに……



「あぁ、はい。

 じゃあ、会計お願いします。」



 せめて、会計までは気付かせてあげたくなかったのになぁ


 ……

 …



 あぁあ、彼女……もう岩から出ない、じゃなかった。近いうちに定食屋を辞めちゃうかもなぁ……って冗談。被害妄想が過ぎるな。過ぎるよね?

 看板娘になりそうな逸材だっただけに、ああ云う態度を他のお客さんの前で取らせたくはなかったのだが……

 後悔先に立たず。といってもこの場合は、事前には手抜かりが無かったわけだから、最後に手、というか顔を抜かったって感じかな……


「はぁ」


 定食屋を出てしばらく歩いた後、一応(・・)振り返って定食屋の入り口を窺ってみても、暖簾が揺れたりはしていなかった。




 夜の空気は徐々に冷たさを増し、気温を雪を降らせるまでに落とせしめる。

 定食屋から自宅までは余り距離があるわけでは無いが、家路を急ぐ人が多い事もあり、人波はポツポツとそれでも途切れることを知らない。

 街灯もそれに合わせたかのように、ポツポツと間隔を開けて街路を照らしている。

 

 そういえば、今朝の天気予報で三十年に一度の寒波が南下するとか言ってたっけ。


 雪の降りそうな雲が、未だ星の見えない寒空に張り出すように、俺は今の気持ちに蓋をする。

 その際に、ブルリと一度だけ震えたのは自分の惨めさに因るモノか、将又帰宅後の趣味の時間に対する歓喜の武者震いか。


 ふいに、俺は、親父狩りにあっては洒落にならない、と嫌な記憶が想起される。


 俺は、用心のためと、これからの時間を趣味に使うべく、人波に合わせるように、家路を急いだ。

 

 ……

 ……

 ……

 …






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