始まり
彼は漂っていた。何年なのか、数秒なのかは本人にもわからない。
ここには物質の類は無い様だ。魂だけ概念だけの世界と言うべきか。要するに此処では心の持ちようが全てという事だ。
互いに無関心であれば距離は無限大に広がり、逆に関心を持てば距離は近づく。
警戒心は近づく者を阻む壁になり、信頼は相手を招き入れる扉になる。
配慮は衝突を和らげるクッションになり、意固地さは相手を弾き返す殻になる。
そして、自分が己だと思えば己になり、自分が誰か分からなくなれば溶けて解けて混ざってしまう。
そうした混ざり合う魂というのは近くにいるわけで、つまり双方もしくは一方に関心を持っているか同じ何かに関心を持っているという事だ。例えば太陽に関心を持った魂は一か所に集まり、溶け合う事で個性が薄まり共通点が残り「太陽」の魂ができる。
確かにその「太陽」の魂の元は普通の魂たちだ。だが個性も境も失った以上、元であってそこにあるのは「太陽」の魂のみだ。普通の魂たちは死んだと言っていいだろう。
彼は初めのうちは死にたくないという一心で自分の事を考えようとしていた。しかし、修行をしていたわけでもない一般人には一つの事を考え続けるという事は難しい。
気が付けば彼はワシの飛行の記憶を思い出していた。我に返って周りを感じると鳥の魂が集まっている。かつてワシの写真を見た事を思い出していた内にワシそのものに関心を持ってしまった。既に自分が何かを忘れかけて混じり合った「猛禽」の魂に近づきすぎたせいで混ざってしまったようだ。こんなミスは久しぶりだ。
(俺は人だった)
そう思って人だった頃に集中するだけで、鳥の魂は遠のき人の魂が近づく。近づきすぎれば「人」の魂に混ざってしまう。夢中にならないように気を付ける。
(またやっちゃったな。今回は特にひどいや。こんな調子じゃいつまで持つか、いや、先延ばしにしてるだけでいつかは・・・)
何度目か忘れた諦観に浸りかけていた時、彼は近づいてくる魂を感じた。
(なんだろう?)
この世界では近づくといことは関心を持つという事だ。つまり偶然通りがかったという事は有り得ない。「人」に近づいてきたのかもしれないが、警戒心を持つ。すると接近を阻む壁が出来る。
しかし、その魂は壁を作る彼に気付くと今度は真っ直ぐ近づいてきた。壁に近づくと壁を意固地さの鎧と怒りの高温を纏って衝突して砕いた。さらに役目を終えた鎧と高温はすぐに消えた。感情を完全にコントロールしないとできない芸当だ。その魂はあっという間に距離を詰めて彼に触れた。
(まずい!混ざる!)
しかし、彼は混ざらなかった。どこからか鼻歌と何かを叩く音のリズムが聞こえてくる。
どうやらその魂はかなりはっきりと自分を認識しているようだ。
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その魂が考える時に使う言葉は分からない。しかし、魂で触れ合っているからか呼び掛けながら答えてくれるだろうかと思っているのが分かった。
(会話がしたいのかな?)
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彼の言葉も通じていないだろうが、意思や感情は伝わったのか。安心とやる気、その後すぐ緊張と焦りを感じた。
その魂は次々と意思を伝えてきた。要約すると「貴方は私に仕えよ。私は貴方を家臣として迎えよう。更に肉の体を与えよう。是か否か」といった内容か。この事を伝えるだけでも言葉が通じないせいで大分手間取ってしまった。時間と共にその魂の焦りも大きくなっている。
(体!?わかった。仕える!何でもする!)
彼は今となっては断片的だが人だった頃、まだ体があった頃思い出した。
(肉の体!体があれば安心して眠り、物を食べ、他にもしたい事は言い切れないが、どう扱われるにしても今よりも良くなる!)
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その魂に思い出が伝わったのか、「人の体では無いし、元の世界でも無い。それでも良く先の条件に同意するか?約束するか?」と伝えてきた。
(約束する!)
彼がそう伝えた瞬間、鎖が現れて二人を縛り付けた。この世界では誓いは実際に魂を縛るのだ。
鼻歌と何かを叩く音が一層強くなった。それらが聞こえてくる方へとその魂は移動を始め、鎖で繋がった彼を引っ張っていく。
やがて何か抵抗を感じ、それを潜り抜けると同時に意識を失った。