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神世  作者: 甘風 流
一章 哀しみは世界を記述する
12/20

12 突っ張り

  顔にかかった血が頬を伝ってくるとき、ようやく自我に目覚めてハッとした。

 力が抜けて握っていた武器を落とし、まじまじと己が両手を眺めた。

 とても自分がしたとは思えない景色が広がっていた。

 べっとりと塗りつけられた血がやがて指先の方から擦れて渇いてゆき、ぱさぱさした粒の様になる。大地には横たわる一つの胴体。その首断面からはどくどくと血が溢れ出ている。

紅と黒を究極に塗り合わせた色の中に細い白が見えた時、その生々しさに目を閉じた。

 すると鼻をつく血臭が脳髄を逼迫し狂わせてゆくような感覚に囚われた。

 それが体への防衛機制を働かせ、嘔吐という形で表われた。

 しばらく伏せたままだったが、何とか顔を上げて少女の方を向うとした。

 怖がられたな、どうせ。幾度とない経験で分かり切っていた事だった。こんな形で助けても、当方は自分の身が助かった事への安堵と新たなる危険からの逃走で頭が一杯なはずだ。

 いやそれ以前に気絶しているだろう。これだけ血生臭い光景を見れば、先ほどの男のように精神錯乱状態に陥ったり、失神したとしても不思議ではない。現にやった張本人でさえ吐き気でうずくまっているのだから。

 諦めながら少女の方を見ると、なんと少女は目を見開いたままあるがままの状況を直視していた。口元を抑え、涙ぐみしながらも眼前の現実を真摯に受け止めようとしていた。

 俺は戸惑いを隠せずにいながらも、少女の勇気ある行動に心を打たれずにはいられなかった。

 少女は嗚咽を漏らしつつ、か細い声を絞り出した。

 「あ……あり、が……とう、ござい……ます」

 その瞬間、俺の心の奥底に一筋の光明が差した。

 数分前まで俺は自分の行動に何ら正義を見出す事が出来なかった。ましては男に脅されてからは、事故の記憶が侵される事に恐怖し、我を忘れて武器を振るった。

 そんな理性の欠片もない残虐な行為を少女が肯定してくれた事に、震えるほどの嬉しさを覚えた。

 俺の行動は誰か一人に感謝される事だったのだと。誰かが肯定してくれることで、俺の行動は少なくともこの子の中では正義の行いになったのだ。

 無垢な顔をした少女の感謝の想いは、俺に本物があるのだと認識させてくれた。

 感じる事ができた。

 血ではなく、今度は頬に熱い涙が伝った。

 

 

 「命令違反及び一般人への過剰な殺傷。即刻査問委員会に引き渡して牢獄アズガバン送りでもおかしくないわ。そうでなくとも騎士団で軍事裁判は必至よ」

 「好きにしな。俺はもう満足だ」

 あの感動の瞬間から時間にして30分ほどが経っていた。ループは一つ目の査察が終わり、次へ行こうとした時に俺がいない事に気付いた。その時、どこかで誰かが泣いている音がしたから、もしやと思って来たら、この有様だったというわけだった。

 ループがいくら知り合いだといっても、これだけの逸脱行為を見逃す筈がない。それに知り合いといっても仲の悪い方の知り合いに分類される。これで俺の新しいキャリアもお陀仏だ。このまま罪人として放浪人生を送るか、ぬくぬく牢屋生活かのどっちかだろう。

 唯一の救いは少女に感謝された事だった。

最後に本物を知る事ができたのだ。もう悔いはない。

 「反省の余地が見られないわね。どういう事をしたか解っているつもり?」

 「さっきから口調に上官らしさが抜けているぞ。懐古に誘われたか?」

 「どうでもいい事を……口を慎みなさい、終留研修生。とにかくこの事は騎士団に報告し、本来の任務同様の処罰を受けてもらう事に……」

 「あ、あの!」

 ループの言葉を遮ったのは、俺が助けた少女だった。

小学生ほどの背丈に雪色の長髪が地面に付きそうだった。華奢な体つきなのにその瞳には強い意志がある。

それを感じたのかループも口を閉じ、少女の方を向いた。

 「その人は私を助けてくれました。私が助けてっていったから、その人が助けてくれて……だからその人は悪くありません」

 「子供の戯言に耳を貸すつもりはないわ。あなた見た所、工場から脱走したようね。それが見つかって懲罰を受けている最中に、この研修生がそれをどう勘違いしたのか勝手に怒り狂ってこの始末でしょう? そんな狂乱のどこに情緒酌量の余地があると?」

 「そ、それは……」

 まずいな。

このままだと、あの少女にまで迷惑が及んでしまう。俺が騎士団クビになる事ぐらいどうってことはないが、あの子が脱走した点を責められるのは非常にまずい。

 何とか話をはぐらかして、あの子の脱走については有耶無耶にしなければならない。そして願わくば、あの子がそのままこの工場から逃げ出せたらなお良い。

 口八丁でループを誤魔化せるとは思わないが怯む訳にはいかない。

 「そもそも騎士団員が一般人にここまで危害を加えれば、それだけで免職は確定。彼は研修だから解雇だけでは責任が取れません。あなたも脱走を企てた件については……」

 「ループ……上官殿。今更俺のした事を弁解する気は毛頭ない。それをした時の感情がどうであれ結果は結果だ。真摯に受け止めよう」

 「だったら、」

 「だが、お前はそれでよくないだろ?」

 「……どういう意味?」

 ループには戸惑いの顔が見えた。想定外の言論が来た、そんな顔だった。

 人は予想外の事が起こるとつい本音を言ってしまう事が多い。『宿題やりましたか?』と聞くよりも『宿題やっていませんよね?』と聞く方がやっていない事実を引き出しやすいものだ。そして本音を漏らした人間ほど脆いものである。

ならば付け入る隙はある。ループが自分の地位にこだわるのであればこだわるほど、俺の狙いはクリティカルに炸裂する。

 攻めるしかない。──口元に笑みを浮かべ、意識を覚醒させる。

 「研修生の仮任務、しかも初めてだ。当然失敗は付き物。上層部もそこら辺は織り込み済みだろうが、ここまで大事になればそうもいくまい。研修生への懲罰は勿論、さらに付き添いの上官への監督責任も問われる事になるだろう。査察といって俺を放置させた責任はループ上官殿にもあるという事だ」

 言い終えると少しだけ時間に空白が生まれた。ループは表情にこそ見せないが、すぐに反論しない所を見ると、内心穏やかではないというのが容易に判る。

 それでもしばしの逡巡だけでループはすぐにこちらの本質を見抜いた。

「つまり、私と取引をしたいと?」

 ここで幾ばくか無意味な反論でもしてくれれば言質も取れたものだが、そうはさせてくれないらしい。こう話を単純化されるのは、こちらとしては厄介だ。

「……話が早くて助かる。お互い内密にすれば今回の事は露見しない、違うか?」

 「脅しているつもり?」

 まさにその通りであるが……、

「いやいや、そんなつもりは。ただ上官殿の進退に関わる話ですから、心配で胸が痛くなったというのが本音です。それにあの少女の所々の傷、あれは鞭で打たれたものですが、騎士団はそのような残忍な行いをする企業を放っていたわけでしょう? 査察が手遅れであるという感も否めませんし……」

 「うざったらしい口調でいけしゃあしゃあと……」

 「だが大切なのは仕事内容ではなく書類上の記録だ。仕事を私情よりも優先するループ上官殿ですから、その辺りは上手く調整してくれるんじゃないんですか?」

 「調整するにしても、逃げた男が報告すればそれで終わりよ。この男だって3か月もすれば目覚めるだろうし」

 この言い方から判った。ループとて今回の件について出来る限り穏便に済ませたがっている。でなければこのように隠蔽時のデメリットを挙げたりはしない。これはしたいのだけれどもできない、と言っているようなものだ。

こういう時は相手に自信という果実を施せばいい。

「逃げた男の方はこの事件をすぐにでも忘れたいという心情でしょう。この男の方も3か月もすればこの記憶ももはや曖昧。元騎士団の研修生と聞きましたから、目覚めた時点でなにを叫んだとしても逆恨みをしているとでも設定すればいい」

 「不確定要素が多いわね。薄氷の上を渡るようなもの。ばれる前提で進めるなら最初からばらした方が都合がいいわ」

 ここら辺が手打ちかね。己の矜持に準ずるループが自ら進んで隠蔽工作なんてする訳がない。はなからそんなものは微塵も期待していない。重要なのはループの意識を罰を加える方向ではなく減らす方向にシフトさせる事なのだ。

 「よし、ならお前の親しい上官に一度相談してみればいい。その人に一度報告して指示を仰ぐんだ」

 「私に命令するつもり?」

 「あくまで提言だね」

 上官からの指示ならば、ループの気にする責任というものが取っ払える。当然報告となるのだから、今のループの心情が状況説明に関係してくれるのは言うまでもない。

 「……確かに一度この状況を聞く価値はあります。すこしここで待っていなさい」

 ともう一つ個人的な理由がある。

 ここで上官に相談。女性の上官というものも有り得るが、俺は相談相手が男だと思っている。女性で上官というのは珍しいし、いたとしても以前のハヅキのように大抵は『自分に自信を持っているタイプ』だ。ループはそういう人達はウマが合わない。というか自信を持っている女性同士は大概ウマが合わない。間違っても相談などという弱味を見せるような事は絶対にしないと考えてよい。

男の急な相談相手、すなわち頼れる人、それすなわちループの想い人ではなかろうか。こういうのは典型だがそれだけに実例も豊富だ。ほとんど間違いはないとみている。

ループの想い人は彼女からみて格下という予想は除外してよい。彼女は自分より優秀でないものにはまるで興味がないからだ。

 ループは話し声が聞こえない程度で俺から離れてすっと手を耳に当てる。一見風の音でも聞いているんですかと思うが、あれがテレパシーというやつらしい。貴重なジュエルの一つで遠距離の人と電話代わりに連絡を取り合える。

古代の呪術師の中にはテレパシーに準ずるようなものを扱える者がいて、それらのジュエルを融合して作ったものとジャンガー大佐が言っていた。

「そ、それは!」

 「…………っ!?」

 先ほどまで平然とテレパッていたループが突然声を上げた。明らかに顔に動揺が浮かび、汗が滴り落ちている。テレパりながらテンパってる。はい、どうでもいい。

 その光景をじっくりと見つめていると、助けた件の少女が俺の方にやって来た。

 「あの、すみません……」

 近くで見るとより綺麗な髪だった。春の雪解け水が作り出した川のように流麗な髪質と丸く大きな瞳を持ったあどけない表情がとても似合っていた。

素直に可愛いな、と思う。

 「大丈夫だって。それに俺の方こそ君には感謝している」

 「えっ。どういう事ですか?」

 「個人的感情かな。昔からの因縁が吹っ切れた時のような爽快感? よく分かんなくなったけど、とりあえず君が自分を責める必要はない。このままあのお姉ちゃんの会話が終わったら適当なタイミングでフェードアウトしてくれればいい」

 「ふぇーど……、たいみんぐ?」

 おっと、おっと。

 「あーごめん、ごめん。その君はいくつだったかな?」

 「年齢……覚えて、ないです」

 「……? いつ天国に来たの? 名前は?」

 「……覚えて……ないんです」

 なんという事でしょう。

 実際に記憶喪失した少女に巡り合うなんて、こんな日が来るとは!

 いやそうではなく、これは非常にまずい事になった。記憶を失っていてこんな工場で働くという事は、つまり保護者がおらず行く宛がなく彷徨っていたという事だ。

 となればこの工場から逃げた所でこの子の行く場所はない。せめて彼方の地へと向かって生まれ変わる事ができれば未来も明るいが、最近の情勢ではそれも難しい。

 「……何か、覚えてないの? なんでもいいから」

 「……むり、です。何も……覚えてなくて……」

 どうすればいいのかと悩んでいると、「了解しました」と呟く声が聞こえて、ループがこちらに戻って来た。

 「……その子、記憶喪失みたいね?」

 「……治せるのか?」

 「その子の目、どことなく正面を捉えていないでしょう? ジュエルの反作用ね。自分の身にそぐわない数のジュエルを身に付ければ精神が崩壊して稀にそういうのができる。記憶を失うのは全然良い方ね」

 無感情な言い方に少し腹が立っていた自分に少し意外感を思った。どうして少女に同情しているんだ。この子を助ける為じゃなくて俺の自己満足で動いたと何度も言っているではないか。

 意識を無理やりねじ伏せ、俺はループに言った。

 「そうか。……それで、よい意見はもらったのか?」

 「……終留研修生、言葉遣いを直しなさい。それ以上は不敬罪で罰する事になります」

 「申し訳ない限りです。それでどのような御意見を賜ったのでしょうか?」

 「…………。上官からの命令を代弁します。その少女はあなたが引き取り、新しい引き取り手が現れるまで保護しなさい。それで今回の件は『不安分子に襲われた少女の救出、及び少女の保護』として騎士団に報告します。その他の点についてはこちらで調整を行い、後日その結果を渡します。なお、少女の身柄を保護する為の施設がない場合は特別に今回同行した騎士団員の住居を貸し与える事を許可します。──以上」

 同行した騎士団員なんて一人しかいない。

 はてさて、目の前にいる女性は内心一体どのような気でいるのか、計り知れるものではなかった。その顔には既に思った以上の動揺が貼り付いていたように見えた。


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