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神世  作者: 甘風 流
一章 哀しみは世界を記述する
1/20

1 生と死

 生まれてからあの時まで、生きていて良かったと思った日などなかった。


 物心付く前に父が他界し、女手一つで育てられた。

 多忙な毎日を強いられた母は常に家におらず、生活は目まぐるしい日々の連続だった。

 一日を乗り越えるだけで精一杯で目先の事ばかりに囚われていた。遊園地に行きたい、誰かと遊びたい。 周りを見てそう思った事は何度もあったが、出てくる欲求はことごとく押し潰した。

 そんな努力も虚しいだけだった。

 一人で生活習慣を整えられる程、俺は優秀ではなかった。すぐに着ている物はみすぼらしくなり、清潔感はなくなっていく。栄養不足が目に見えるような体つきになった。

 こんな奴が中学のクラスに一人いたらどうなる。

 答えは単純。当然、虐めの対象になる。中学生には特殊、言い換えれば変というだけで虐める対象となる理由に足る。

 教室では窓際最後列が指定席となり、休み時間は寝るフリか読書で時間を潰すのが定跡だった。

 横のけばい女子から「前も同じページ読んでたよね?」と言われたので、勇気を振り絞って「面白いから」と笑顔で返すと、数秒後に「きもっ」のお決まり文句が返ってくる。

 その内話しかけられる時は決まって、からかわれているのだと錯覚するようになった。

 誰かが笑えば自分が笑われていると思う。ひそひそ話をされたら自分が話題だと感じる。

 返事をしたくない。耳を傾けたくない。次第に人と会話する事を忌避していった。


 要するに一人ぼっちだった。


 でも、彼女だけは違った。

 とある偶然で一人の少女と出会った。

 俺と同じ視点で物事を考え自分の意見をはっきりと言う。よく意見が食い違う事があったけど、その度にじっくりと議論して互いに昇華し合った。それまで殻の中に閉じこもっていた思いを初めて他人に共感してもらえた事は生きてきた中で最大の幸福だった。

 あの瞬間、大袈裟ではあるが、ようやく俺が生まれて来た意味を悟った気がした。

 すぐに打ち解けて、ちょっと恋愛風味になって、でもそれが周りの人間の逆鱗に触れた。

 

 彼女は不登校になってしまった。

 彼女は贔屓目に見ても容姿端麗で、周りの男子は告白の機を伺っていた。そこに俺のような奴が仲良くした事を快く思わない連中が邪魔をした。それに俺は屈してしまっただけだ。

 二人のラインには「もう会いたくない」という文字が最後の呟きとなっていた。

 

 ぼんやりと月日は流れた。


 高校受験間近という時に、担任から連絡があった。

 ───彼女が死んだという。死因は自殺。それ以上は判らない。

 もう何ヶ月も会っていなかったはずなのに、忘れていたと思っていたはずなのに、俺は瞳から溢れ出る涙を止める事が出来なかった。

 

 数時間、ようやく瞳が渇いた時、俺が取った行動は彼女の自殺の理由を突き止める事だった。それがせめてもの手向けと確信したからだった。

 

 お蔭で本命校にも落ちた。

 いい訳だろうか。だとしたら最低だ。

 受験が失敗して併願私立に行った俺は、未だに何かに駆られて、謎の理由を探し求めていた。


                     ―――ΠΠ―――


 高校一年の冬。

 一年の捜索結果の元、俺は大阪のネオン街──通称ミナミへと訪れていた。

 夜になっても派手な騒音と雑踏が乱れる大阪の街は、高校生一人には危険だ。

 ましてや生まれつき病弱で喧嘩の弱い俺など、下手に不良に絡まれたりすれば、命の危険さえあるだろう。

 それでも夜な夜なこうやって出歩くのは、ここで彼女の精神を殺した奴らがいるからだ。

 

 一年前俺は彼女の家元を訪ね、自殺の理由を訊ねた。

 初めはもう穏便にして欲しいと断られたが、何度も訪ねた結果ようやく核心を話してくれた。

 彼女は不良に性的行為で襲われたのだ。相手はかなりたちが悪く、写真も撮られ、彼女は絶対にその事を俺に知られたくなかったという。

 学校も不登校となり、住所も変えたが、精神を病んだ彼女は絶望のどん底に叩き落され、自らの命を絶った。

 

 強姦というのは日本でも実際に存在している。駅などの明るい所で相手を見繕い、暗い路地に一人で行った所を数人で寄って集って襲う。数人の男に囲まれ首元にナイフでも当てられれば、一人の女性ではもう何も抵抗できない。ただ自分の欲求を満たす為だけに一人の少女の未来を奪う人間がいる事が許せなかった。

 彼女を襲った連中はこの大阪の街でも危険視されているヤクザと繋がりを持っているらしく、それ故に自分らのテリトリーからは離れないと踏んで、俺はいつもここで張っているのだ。

 無論、見つけたからといって殴り飛ばすわけではない。

 警察を呼んで捕まえてもらう。それで彼らが他界した彼女に心から懺悔してくれれば、それでいい。

 この時俺は未だにそんな甘い考えに浸っていた。


 午前0時。夜の街は今が最盛期と言わんばかりの賑わいだったが、駅の方は地下にある為かどこか静かにも思える。

 快速でも停車したのか、大勢の人間が改札を通っていく…………、

 「――――――――っ!!」

 雷に打たれたかのごとく、即座に鞄からある一枚の写真を取り出した。

 一年かけてネットや聞き込みで手に入れた犯人と思われる人間の顔写真だ。

 写りは荒いが、どことなく服装も似ていて骨格もそれに近い。

 ごくりとつばを飲み込んだ。

 今までは似ていると思える奴すら見つけられなかったのだ。少しでも可能性があるならば、付ける価値はあるだろう。

 数秒の逡巡の後、俺は最低限の距離を保ちながら、その男をつける事にした。


 どんどんと人気のない所に進んでいき、ようやく男が立ち止まったのは路地裏だった。

 異なるしゃべり声がする事から明らかに一人ではない。

 辺りは真っ暗で相手の人数を視認できないが、その分こちらが見つかる確率も低くなる。

 耳を澄ませると、気色の悪い、舌をなめずるような声が聴こえてきた。

 「前襲った女はよかったなァ。またもう一度したいわ」

 「や、無理っしょ。そいつあの中学生でしょ? だいぶ前に自殺したって聞きましたよ」

 「マジで!? いつ、どこで?」

 「えーっと半年以上前らしいっす。マンションの屋上から落ちたって。ネットにもあがってましたよ」

 「はぁ? マジねえわ! なに勝手に死んでるンだよ。写真ばらまく楽しみがなくなっちまったじゃねぇか!」

 聞き耳を立てながら、俺は内心の動揺を隠しきれずにいた。

 コイツら、何を言っているんだ?

 襲った? ばらまく?

 「んじゃこの写真も用なしだな。つか、それよりよぉ、さっき駅でマジ誘ってる子いてよ――――」

 言いながら男二人は俺がいる場所と逆の方へと路地裏から出て行く。

 俺は息を殺しながら男達が先ほどまでいた所にいくと、そこには数枚の写真が無造作に捨てられてあった。暗闇に慣れてきた眼でそれらを拾うと、

 「あ…………」

 その写真を見た時、俺は言葉を失った。

 なじみある少女の羞恥の姿がそこにはあった。

 この一枚にどれだけ彼女の怨嗟が滲んでいる事か、この一枚の呪いにどれだけ彼女が苦しんだか。

 急に憤りと悲しさを同時に覚え、しかし俺にはようやく確信犯を見つけられたという満足感もあった。

 「今度こそ」

 天国にいる彼女への宣言のごとく呟き、再度男達を追う事を決意した。

 

 この時警察なり身内を呼べば、この事件は万事解決したであろう。

 だが俺の脳内は先の感情に埋め尽くされていた。

 

 と、その時、か弱い叫び声と共に人が倒される音がした。

 俺は慌てて付近の物陰に身を潜めて様子を伺う。

 「おい、黙らねえとマジで殺すぞ」

 夜のミナミとはいえ殺すという単語はあまりに物騒すぎる。

 俺は息を殺し、状況を鑑みた。

 一人の女性が先ほどの男二人に囲まれている。男の一人がしゃがみながら手に持っているのは百均で売っている様な小型ナイフ。

 だが今の女性にはそれが途轍もなく恐ろしい凶器に見えているのだ

 「好きな男でも想像しとけよ」

 もはや事態は明らかだった。

 あの男たちは女性を襲おうとしているのだ。ただ自分達の欲求を満たす為だけに。

 「だれか! 助けて」

 女性の命からがらの助け声が響いた。

 反対に性欲を満たそうとする男達の汚い吐息がひどく耳障りだった。いつ自分の正義感が働いてもおかしくなかった。

 だが、しかし。ここで出ていく事ができるほど、俺という人間は強くはなかった。

 まず真っ先に脚ががたがたと震えた。次いで身が凍った。

 もう動けない。単に怖かった。

 懐に銃でもあれば出て行けたなんて言い訳し始めていた。

 無防備に出ていけば間違いなく病院送りだ。下手をうてば死ぬかもしれない。

 相手はそれぐらいの事はやってのける悪党共だ。

 こちらが無理をする必要なんて全くない。

 冷静な判断と言い訳しながら、俺はポケットから携帯を取り出した。

 光が漏れないように110番通報をしようとした刹那、女性の叫び声があがった。

 「た、助けて! 誰か! ────いや! いやぁ!!」

 「ちっ、黙れ!! 死にてぇのかっ! タク、口をガムテで塞げ」

 俺はその瞬間自らの愚かさを悟った。

 たとえここで警察を呼んでもすぐに来るわけじゃない。

 携帯の位置情報で場所を割り出すにしても、最寄りの交番からここまでかなり時間がかかる。

 つまり到着する頃には全ては終わっている。男たちはどこかに消え去り、女性は精神をズタボロにされ拭う事の出来ない哀しみを背負う事になる。

 結局同じ事か。警察が来ても事件がおおやけになってしまうだけで、犯人は捕まりなどしない。損をするのは女性の側だけだ。

 いや仮に警察が来て犯人が捕まったとしても、それで女性の衝撃が和らぐわけではない。

 襲われた事で精神疾患に陥り、極限まで憂鬱状態となり、なれの果ては彼女の様に…………。

 気付けば俺は今襲われている女性に自殺した彼女を重ね写していた。

 そうなってしまえば尚更見過ごす事などできなくなってしまっていた。

 ならばどうする? 先ほども言った通り、飛び出すわけにはいかない。

 とすれば残された選択肢は俺の中では一つだけだった。

 「へへ、マジでいい女だなァ。そろそろいくか」

 「おいおい、一人占めすんなって。ちゃんと残しといてくれよぉ?」

 

 「お巡りさん。早く! 早くこっちです!!」

 

 俺は相手に見つかるのもお構いなしに大声で叫んでやった。

 良策とはいいがたいまでも、無策でもない。

 犯罪心理学の観点からすれば、警察のワードだけで犯罪者は逃げ出すはず────、

 

 「…………っ!?」

 

 だが、拙い知識で編み出した策は失敗に終わった。

 完全に俺の目測と反し、立ったままの男の方が猛然と俺に詰め寄って来る。

 そのまま為す術もなく口元を抑えられて俺は押し倒された。

 「……んぐっ!!」

 腰が折れたかと思う程の痛みが走る。既に意識が朦朧とした。

 薄れる意識を薙ぎ払うように俺は口元を覆われた手のひらを思いっきり噛んだ。

 「テぇなっ!! チッ、ぶち殺すぞガキ!!」

 反撃虚しく頭を盛大に地面に叩きつけられる。

 グンっ、と鈍い音がして俺は頭から血が垂れている事に感付いた。

 正確には血と言うよりも糊のようなべったりとした何か。手でそれを擦るだけで恐怖が湧き出た。 

 「んだよぉ、テメエ見てたのかァ? 警察呼んでんのか? アア、はっきり言えや!」 

 俺には言葉が出なかった。体が震えて仕方がなかった。

 逃走なのか反撃なのかも判らぬ動作で手元を動かすと、先ほど拾った彼女の写真が数枚零れ落ちた。

 しまったと内心叫ぶがもう遅い。

 「ん……、おい、これさっきのじゃねえか!? つけてたのか!?」

 「…………し、知りません。解りません。……許してください」

 「正直にいえや!! ぶち殺すぞ!」

 すると後ろで女性を襲っていたもう一人が、ゆっくりとした動作でこちらに来た。

 「あ~、んだよ台無しじゃねえか。なんだソイツ? 彼氏ってやつか?」

 心の中が透かされたような気分だった。既に気付かれて悪いどうこうのレベルを越えた状況ではあるが、俺は咄嗟にそれに応対する事ができなかった。

 俺は今どれほど滑稽な顔を浮かべていたのか。それを見た相手は吐くように笑いを出した。

 「くはっ! まじで彼氏なん? そりゃ悪かったなぁ、襲った時は彼氏とかいないって言ってたから、好き放題させてもらったのよ。あ、だから俺達別に悪くねえだろ? 彼氏いるとか知らなかったんだからよぉ」

 激しい頭痛と憎悪が同時に膨らみ、俺は耐えがたいある種の衝動に駆られた。ここで言わなくては一生後悔する事になると理由付けて、俺は怒りの言葉を発した。

 「そういう問題じゃない、だろ」

 「あ? んだよ…………あ、まさか片思いってやつかっ!? 好きな女の子を襲ったやつは僕がゆるちまちぇ~ん、って? うわー、まじキモイなお前! なあタク」

 「あーあ、そういう事かよ。一方通行のストーカーがここまで発展って、まじ引くわ。そりゃ彼女も自殺するっつうの!」

 コイツら……!

 「ていうかさ、もしかしてコイツ、自殺の原因俺等と思ってんのかな」

 「ハァ!? 人のせいかよ、サイテーじゃん! どうせお前がしつこく付きまとったから、彼女も嫌になったんじゃねえの? 顔見りゃ分かるわ、マジでストーカー顔っしょ」

 ……なん、だと?

 「ようは自分のせいで自殺したんだろ? なに因縁つけてんだか……、あ、それよりも彼女がどんな味だったか訊きに来たのか? って流石にこりゃないか。ヒャッハッハッハ!!」

 

 「───地獄に落ちろ、屑がぁっ!!」

 

 遂に越えてはならない一線を越えてしまった。

 判ったからだ。人間には救えない奴がいる。話し合った所で和解など不可能。

 この思考回路が俺をこの発言へと狂わせた。

 一瞬、場が静寂に満ちる。

 「は? ナニ調子乗ってんだよ。アアっ!」

 俺の横腹に怒りを含んだ蹴りが炸裂した。確実に何かが折れる音がして、俺は地面に倒れた。その頭を靴底が踏む。

 「おい、ナめてんじゃねーぞ。折角見逃してやろーと思ってたのに、調子のりやがって」

 「乗ってんのはお前らだろうが!! 人間の命をなんだと思ってる! お前らみたいな社会のゴミ共のせいで、一人の未来が奪われた!! 許されるわけがない!!」

 持ちうる全ての語彙を使っても目の前の男たちを罵倒する言葉など見つからなかった。

 もはや感情の赴くまま、ひたすらに叫んだ。

 「腐ってるんだよお前ら!! お前らみたいな人間こそ死ね! ……死ね、……死ね、死んで償え! 地獄に落ちろ!!」

 男達二人は怒りが最高点に達し、言葉と態を為していない声と一緒に暴力がとんでくる。

 「ザケテンジャネェゾ!! テメエこそシネや!!」「ナメンナヨォ、コラ!!」

 体中に痛みが走り続ける中、俺は横目で女性の方を見たが、もうそこには誰もおらず初めから何もなかったかのように静まり返っていた。

 ……良かった。

 ただ逃げられただけかもしれなかったが、なぜか心の底からそう思えた。もしかすると、もう自分の方は助からないという確信を得ているから、人の安否に気が向くのだろうか。

 元々、体格が貧弱で喘息患いの身体にさらにこのような打撃が加えられては持つまい。

 口に血の鉄味が広がる。初めて口から吐血したが、こういう感じだったのか。

 鼻で息を吸うとその血が戻ってくるような臭いが立ち込めて、吐き気がする。

 骨がきっと折れている。多分、胸辺りの骨が肺に刺さっているんだろう。先ほどから呼吸がひどく苦しい。

 視界も段々と暗くなっていく。もうどちらに殴られ蹴られているのかさえ分別が付かない。

 遠のいていく体の五感はまるで他人事のようだった。

 自分──終留おわる うまれという人間は今死ぬのだ。そう悟った。


感想が欲しいです。

「おもんねえ」「読みずらい」などでも結構です。

とにかく何か読者からの反応が欲しいです。

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