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〇第六回

 立場は逆転した。ハートのクイーンの宣言通り、俺達は弄ばれることになった。人間トランプとして生きることを、俺達は余儀なくされた。

 ランダムに選ばれた五十三人。日替わりの生贄。スペードとクラブを男子が、ハートとダイヤを女子が、ジョーカーを教師が担う。

 それぞれの額にはトランプの刻印、おもちゃの証明、操り人形の印。

 怯えた目つき。生気を欠いた顔つき。悲しみと怒りの表情が、そこかしこに見え隠れする。中には従順にしている者もいたが、その瞳は死んだ魚のそれだった。

 人間ババ抜きがあった。

 ババ扱いされた妙齢の女性教師は怒りに駆られ、ハートのクイーンにつめ寄った。しかし、四方を固めるキングの壁は厚い。その手は何も掴めず、次の瞬間には地面に伏すことになった。明日は我が身だ。俺達の中に、やはり笑う者は一人としていなかった。

 人間トランプタワーがあった。

「風が吹いたら崩れよ!」

 リアリティーとは何かを高慢に説くハートのクイーンの命令に従い、俺達は全身傷だらけになり、至るところに痣をつくり、体育祭よろしく、ピラミッドを組んでは崩し、組んでは崩しを続けた。救いがあるとすれば、これが男子限定のお遊びだったことだ。校庭に舞う砂埃の向こう、身体を小さくして居並ぶ女子達を目にし、俺は安堵のため息をついた。

 人間トランプ占いがあった。

 全校生徒が集められた体育館のステージに、一組の男女が上げられた。仲睦まじいことで知られる公認のカップル。抵抗は得策ではないと悟ってか、二人は言われるがまま、占い師役のハートのクイーンの前に引きずり出された。

「ふむ……」

 同じく壇上にいる五十三人に、ハートのクイーンは目を走らせる。

「そなた等の相性は最悪である。今すぐ別れるがよいぞ」

 その結果に二人は憤り、それでもハートのクイーンは些かも動じない。

「妾は正しい。女よ、心して聞け。その男、実はな……」

 それはとても占いと呼べる代物ではなかった。だが、占い師の祖母を持つ御倉井さんは、ひどく悲しい顔をしていた。

 彼女を見て、俺は思う。

 ……辛い、と。


 騒動が始まって早くも一ヶ月が経った。

 ハートのクイーンの気まぐれはそのままに、それでも授業は淡々と行われている。但し、誰も黒板の方など向いてはいない。皆一様に俯き、異様に静かな教室内には、教師の上擦った声と頼りない板書の音だけが申し訳程度に舞うばかりだ。

 学校全体が、新たな秩序の基に死んでいる。自分のいるここを、廃墟のように感じる。

 雰囲気は最悪だ。そしてその最悪が、いずれは普通になる。

 御倉井さんも悩み続けている。

 俺はもう長く、あの柔らかな笑顔を見ていない。正直、俺が重要視しているのはそれだけだった。他の人間がどうなろうと知ったことではない。

「それでは、今日はここまで……日直の人、号令を……」

 いつの間にか二限目が終わる。背中を丸めて教室を出ていく教師を見送った後、俺は誰にも声をかけず一人席を立つ。気分転換が必要だった。ここにいても息がつまるだけだ。

 あって当然の、休み時間特有の賑やかさは廊下にもない。気分転換すらままならないのかと肩を落とし、首を振り、とりあえず便所へと足を向ける。

 その時……

「おい……」

 ロッカーの下で蠢く二つの小さな影を、俺は反射的に掴み上げた。

「久し振りだな、ダイヤのクイーン。元気が過ぎるようで何よりだ。これが噂の彼か?」

「こ、こんにちは……」

 隙を見ての逃亡でも企んでいるのか、それとも決まりが悪いのを誤魔化そうとしているのか、スペードのエースは左手の中でぐずぐずと身体をひねり、俺と正対するのを頑なに拒んでいる。なんとも胆の小さい奴だ。失笑すら湧かない。

 俺は顔を歪める。こんな時でも、お前達は一緒にいる。辛酸を舐めに舐める俺達を差し置いて。

 恩を売ったつもりはない。俺は同じく恋路を辿る者として、ダイヤのクイーンに共感を覚えただけだ。だから仇で返されたとも思わない。ただ、「おめでとう」とは言えない。「よかったな」の、たった一言が出ない。それを少し、寂しく思った。

「あの、ご主人とは……上手くいってますか?」

 ダイヤのクイーンの気づかいが今は痛い。

「さて、どうだろうな。それより本題に入ろう。今のこの状況、どう説明するつもりだ」

「あぅ……」

 なるほど、やりたくてやっているわけではない、といったところか。多少は気も楽になる。

「……そういう風に、出来てるんです」

「カーから聞いている。ジョーカーを除く五十一枚にとって、ハートのクイーンの命令は絶対だと。まあ、仕方ないとしておこう」

 だが一つだけ、俺にはどうしても訊いておきたいことがあった。

「実は最近、妙な噂を耳にした」

 一週間ほど前から、嫌にねっとりとした視線を感じる機会が多くなった。自意識過剰かとも考えたが、御倉井さんもまたそうだと言う。となれば、思い過ごしではない。そこで俺は、偶然にも目が合ったクラスメイトに問い質した。何か言いたいことがあるのかと。

「甚だ心外だが、どうやら俺と御倉井さんはお前達トランプと通じ合っていると、そう思われているらしい」

 御倉井さんが主人である事実を、ハートのクイーンは公言していない。俺にしても、ジョーとの出会いからの一連の流れを、御倉井さん以外には話していない。ならば、俺達の立場は多くの被害者と同じ。その筈だが、しかし、少なくない人間がそうは考えていない。

 このろくでもない噂の出所は一体何処なのか。

「知っていることがあるなら教えてほしい」

「それならジョーが。あちこちで触れ回ってましたよ……仲間なんだって」

「……何だと?」

 左手を見やれば、スペードのエースが小刻みに震えながら何度も頷いていた。

「ほう、そうか……」

「あの……史郎さん?」

 ダイヤのクイーンが顔色を失うと同時にそいつが現れたのは、まさしく天の配剤と言うより他にない。

「ねえねえ、何やってるの?」

 今や隠れる気もないジョーが、足取りも軽く俺の肩に乗る。

「まったく、こんなところで内緒話なんかしちゃってさ。いやらしいんだ」

「いいタイミングで来たな。堪忍袋の緒が丁度切れたところだ。祈る時間がほしいか?」

「えっと、祈るって……どういうこと?」

 ダイヤのクイーンとスペードのエース、二枚の束縛を解く。最早お前達に用はない。好きなところへ行くといい。とても穏やかな、澄んだ心持ち。自分でも不思議なほどに。

 空いた両手でジョーを捕獲し、俺は言う。

「これからお前を灰にしようと思う。異論はあるか?」

「……ちょっと待って。ちょっと待って、史郎。展開がさ、急過ぎて……おいら、ついていけないよ」

 掌に汗。俺は穏やかだ。澄んでいる。真冬の早朝、ガラス越しに太陽の光を浴びながら仰ぎ見る青空のように。

「これからお前を灰にする。異論は認めない」

「ねえ、聞いて……あんたさ、そんなことしたらさ、ご主人が悲しむよ? それに、おいらがいなくなったら……あれだよ、ババ抜きが出来ないよ?」

「御倉井さんの為にも、お前はいない方がいい。それと、ババ抜きに関しても心配はいらない。カーがいる」

 ジョーは喚き散らしながら相方の道連れを仄めかし、俺は無言で焼却炉を目指す。三限目の開始を告げるチャイムが鳴ったが、この足を止めることは出来ない。

「おいら達、仲間じゃないかっ!」

 そろそろ決着をつけなければならない。俺は一人廃墟を行った。


続く……

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