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「ならツインテさん、アナタもニオイを嗅がせるっスゥ~」
女研究者のねっとりした声に、肌が泡立つのを感じた。
もしコイツが悪人で、アタシが弱みを握られ脅されているのだとしたら……何の躊躇もなく手刀でメガネをたたき割っていただろう。
だがコイツはハタ迷惑なだけで悪人じゃないし、ましてやいまアタシが喉から手が出るほど欲しい情報を持っている。
ならば……あとはそのネタが本物かどうか、自信のほどを確かめるだけだ。
「ひとつ確認するけど、ローブについてるニオイがなんでクロのじゃないってわかったの? ……適当なこと言ってたら承知しないわよ」
語気と掴む手を強めて問う。
欲に満ちたゆるんだ表情が、氷水につけたように引き締まった。
「適当じゃないっスゥ! ガードドッグと競って勝ったこともある嗅覚を持ってるっスゥ! 本人のニオイか、後からついたニオイか、見分けるのは朝飯前っスゥ!」
ガードドック……守衛のサポートとして訓練された使役犬のことだ。
犬ならではの鋭い嗅覚を使って犯罪捜査などの手助けをする。
コイツ、ニオイについてはかなりのプライドがあるようだ。
変なヤツだけど賭けてみる価値はある……かもしれない。
「……いいわ」
アタシは、覚悟を決めた。
「ヒャーッ! ありがとうっスゥ!」
歓声とともに抱き着いてこようとしたので「ちょっと待ちなさい!」と押しとどめる。
おあずけをくらった犬のような顔をする女研究者を尻目に、アタシは紙切れ丸めて長い筒を作った。
それをみぞおちの所に当てる。
「さ、いいわよ。この筒の反対側から嗅ぎなさい。身体には一切触るんじゃないわよ」
「え……ええ~っ……なんで筒越しなんっスゥ」
「アタシの気が変わらないうちにさっさとしなさい! いいこと? このアタシを香聞できるなんてめったにないことなんだからね!」
しぶしぶ従うスー。筒に鼻を差し入れて、まずい飯を口に運ぶような表情で鼻を鳴らした。
失礼なリアクションにイラッとしたが次の瞬間には、
「おほっ……シャンティールに包まれた、ゴージャスな香り……」
恍惚な表情で身をよじっていた。
切り替わりの早さも驚きだが、それ以上に度肝を抜かれた。
コイツ……アタシ愛用の石鹸の銘柄を当てた……!!
シャンティールというのは王室御用達の高級石鹸ブランド。
とはいえ今は自分の小遣いで買ってるから最高級じゃなくて廉価版というか、安いやつだ。それでもひとつ千ゴールドはする。
なんにしても……ガードドッグ以上の嗅覚というのはウソじゃないかもしれない。
「はい、おしまい!」
なんだか自分のプライベートを覗かれているような気がして恥ずかしくなったアタシはさっさと紙筒を引っ込める。
「は、早いっスゥ~!?」
「約束は守ってもらうわよ、さぁ、教えなさいっ!」
問答無用とばかりに詰め寄る。
「ツインテさんはもともと石鹸みたいなニオイしてるから、シャンティールは別に使わなくてもいいんじゃないかと思うっスゥ」
「そんなこと聞いてんじゃないわよっ! リリーを乗せた馬車はどこに行っ
たか教えなさいっていってんの!」
「ああ……それなら御者がハスレイの村に行くって言ってるのを聞いたっスゥ」
スーは消沈しながら南西に伸びる大きめのあぜ道を指さした。ニオイの話以外となるとテンションが低くなるようだ。
ハスレイ……地図で見たことはあるけど実際に行ったことはない。
地図で見た感じ、まわりを山々に囲まれたかなり小さな村だ。
街道ではなくそっちのほうに行ったということはリリーはまだこの島にいる可能性が高い。
バスティドを連れ出されて他の大陸に運ばれるという最悪の事態にはなってなさそうだ。
こうなったら足取りが消え失せる前にハスレイの村に乗り込んで、一気にリリーのシッポを掴んでやる。
「よし、みんな! ハスレイの村に行くわよ!!」
「おーっ!!」
誰よりも大きい声で呼応したのは、例の女研究者だった。
「……アンタはもういいわよ、あっち行ってなさい」
シッシと手で追い払うが、含み笑顔のまま動こうとしない。
「村までは歩いていくと三日はかかるっスゥ」
「そんなにかかんの?」
行ったことないから知らなかった。
「だから……あれを見るっスゥ!」
スーの示した先には厩舎があって、そこには馬とは異なるシルエットの動物がいた。
「あれは……ラビニー!?」
「ふっふ、よく知ってるっスゥ、そう、あれは世界最速の動物、兎馬ラビニーの馬車! サンクナワティから船で持ってきたっスゥ!」
兎馬ラビニー……サンクナワティ全土に広く分布する動物だ。
馬とウサギをかけあわせたような外見をしており、力強い後脚の蹴りで飛ぶように移動する。
その速さは馬の数倍もあり、サンクナワティでは一般的な騎乗動物とされている。
ラビニーが引っ張る馬車は普通の馬車とは違う。一般的な馬車だとジャンプの衝撃に耐えられず車輪が外れてしまうのだ。
なので車輪のかわりに空気が入った丸いボールのようなタイヤがついている。
「ラビニーなら村まで数時間! しかもモンスターよけの香水がふりかけてあるから、安全に着けるっスゥ!」
スーは反り返らんばかりに胸を張り、速くて安全をアピールしている。
「よければ送ってってあげなくもなくもないっスゥ? そしてハスレイは小さな村で宿はないから、今日はこの村で一泊して行くっスゥ?」
6人で一泊できるだけの持ち合わせがあったかサイフの中身を思い出そうとすると、
「おっと、心配ご無用。滞在費も持ってあげるっスゥ」
上体を反らしたままのスーは、こちらがカツカツなのを見透かしているような生あたたかい眼差しを向けてきた。
至れり尽くせりな申し出だが、その心遣いがかえってシャクにさわる。裏にある意図も見え見えだ。
「……だからニオイを嗅ぐために一緒に過ごさせろっていうわけね」
「そっスゥ! 入浴や睡眠でニオイがどう変化するのか嗅がせてほしいっスゥ!」
何かを想像しているのか、腹をすかせた肉食獣のように瞳をギラつかせている。
「絶っ対イヤ」
アタシはその提案を一蹴した。
出会ったばかりでこの調子なのに、これ以上いっしょにいたら何をされるかわかったもんじゃない。
音もなく近づいてきたクロが、独り言のようにつぶやきはじめた。
「拒否した場合、ハスレイの村に行く手段は馬車を借りるか徒歩のどちらか。徒歩で三日、馬車で二日。いずれにしても到着までに最低二回のキャンプが必要になる。承諾した場合、今日はこの村で宿に泊まることになるが、明日の朝からラビニーで出発すれば昼にはハスレイに到着できる」
それはただの分析ではなく、後者を選ぶべきだという意向が感じられた。
損得だけでいえば提案をのんだほうがいいのはわかっている。
だが、アイツと一晩過ごすことをアタシの本能が拒絶している。
だが、だが……いまは状況が状況だ。
アタシが意地をはってリリー救出を遅らせても……いいわけが……ない。
ぐぅっ……しょうが……ない……か。
こめかみが痙攣するのがわかる。歯をくいしばり握りこぶしを作りながら、アタシは決断した。
「いいわ……アンタにアタシたちを送らせてあげる」
飛び上がって喜ぶスーの眼前に、先ほど作った紙筒を突き付ける。
「た・だ・し、必ずコレごしに嗅ぐこと! いいわね?」
「え、ええ~っ……うぅ、わかったっスゥ……」
不満そうにしながらもこちらの条件をのんだ女の子のニオイ研究家。
さっそくミントの頭に筒を当てて、つむじのニオイを嗅ぎだした。




