09 イヴ
アタシたちはクロから案内され、ラカノンの先にある山奥に来ていた。
ところどころ色づいた木々のなかに問題のマシバイの木はあった。
手の届きそうな範囲の実はあらかた取られており、ここに採取に来た人間の存在を感じさせる。
「争った足跡があるの」
抜けきった炭酸みたいな声で言ったのはノワセット。ティアのパーティメンバー。
ティアの息がかかった人間が同行するなんてアタシは反対したのだが、山での捜索をするならとクロが連れてきたのだ。
イヤだけどリリーを探すためにはしょうがない……でも少しでも変な素振りを見せたら叩きのめして、木に縛り付けてやるんだから。
そんなアタシの思いも知らず、ノワセットは無防備に這いつくばって草をかきわけ地面を調べている。
その争った足跡とやらがリリーのものだとしたら、アイツはここでさらわれた可能性が高い。
「で、その足跡はどうなってるの?」
「こっちなの」
ハタから見ると同じような地面にしか見えないが、足跡は残っているらしい。
四足のまま老犬のような緩慢さで進みはじめるノワセット。その後に続く。
落とし物を探しながら進んでいるようなものなのでかなり遅い。
飽きたミントはノワセットの背中に馬乗りになって遊びはじめた。
それでも黙々と進んでいるので、じれったさからくる文句もガマンした。
いまはコイツを信じるしかない。
日も暮れかかるころ、ヤブをかきわけかきわけ辿り着いたのは……ドラインの村だった。
ドラインの村……ラカノンから南西に進んだところの街道沿いにあり、人々の往来にあわせて発展した大きめの村だ。
ここから北西にある港「メリーデイズ」、西にある港「パティナッヘ」へ行く途中の中継点となっている。
いまのバスティド島は海運が発達しているので昔ほどの賑やかさはないらしいが、ふたつの港の通りがかりともなれば立ち寄る人は多い。
ノワセットによると足跡はこの村に向かっているという。
リリーはこの村のどこかに囚われてるんだろうか。それとも……ここに立ち寄ったあと、もっと遠くに連れていかれたんだろうか。
「よし、この村を調べるわよ」
連れだって村に入ろうとすると、遠くの往来で「あーっ!?」と叫びながら飛び跳ねる女が見えた。
こっちに向かって一直線に、ドドドドドと駆け寄ってきたソイツは、
「み、みみみ見つけたっスーゥ!!」
いきなりラグビーのタックルのようにアタシに抱きついてきた。脇腹に腕をまわされた瞬間、背筋に悪寒が走る。
「ヒッ!? なんなのコイツっ!? 離しなさい、このーーっ!!」
腰ベルトを掴んで、力まかせに上手投げ。
突進してきた勢いも利用して、遠くに投げ飛してやった。
数メートル吹っ飛んだ変質者は地面に叩きつけられ「ギャアッスゥ!?」と妙な悲鳴をあげた。
「あいたたた……い、痛いっスゥ~!」
「な……なんなのよアンタ!?」
のたうちまわる女を見下ろしながら怒鳴りつけると、
「も、申し遅れました……スー・スーと申しますっスゥ。た、助け……」
名乗りつつ引っ張って欲しそうに手を伸ばしてきた。だけどアタシはそれを無視する。
しばらくするとあきらめたのか、女は自ら立ち上がった。
なにかブツブツ言いながら背中の土をはたいている。よせばいいのにシロは「すみません、お怪我はありませんか?」と土を落とすのを手伝っている。
スー・スー……白衣に腰まで伸びた金髪、碧眼にマッチしたシャープな銀縁眼鏡……アタシたちよりずっと年上の大人の女といった風情だが、挙動はこれ以上ないくらい不審だ。
「改めて、スー・スーと申しまっスゥ。『女の子のニオイ研究家』をやってるっスゥ」
アタシに向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「女のニオイ? くっだらないこと研究してんのねぇ」
「くだらなくないっスゥ! 女の子にとって、ニオイはとっても大切なんっスゥ!! どんなに頭脳明晰で、容姿端麗で、明朗快活な女の子でもクサヤのニオイがしたら台無しっスゥ!! 逆に無知蒙昧、人三化七、陰鬱卑屈な女の子でもストロベリーの香りがすれば一発逆転が可能なんっスゥ!!」
会ったばかりだというのに抱き着かれたうえに共感できないこだわりを熱弁された。唾が飛んできそうな勢いだったのでアタシは顔をそむけてしまった。
研究内容は百歩譲っていいとして、このスーとかいう女……黙ってれば聡明な研究者みたいな見た目なのに、妙な語尾のせいで台無しになっている。
「スーちゃん、しゃべりかた、へん~」
おかしそうに指さして笑うミント。
「おっ、お気づきになったスゥ? これは自ら考案した語尾吸気法といって、会話の最後だけ鼻から息を吸いながら言う発音法っスゥ」
息を吸いながら発音する? そんなコトできんの? そう思ってマネしてみようかと思ったがあまりにバカバカし過ぎるので寸前で思いとどまった。
ミント、シロ、クロは吸いながらしゃべるのをマネをしだした。なぜか皆寄り目になっている。
しかしいずれもうまくいかず、むせたり裏声になっていた。
「これにより、会話の最中でもニオイを嗅ぐことができるっスゥ~ッ。ニオイ研究家にとって、ニオイは酸素も同じですからっスゥ~ッ」
語尾の吸い込みを強調したしゃべりを披露して、どうだといわんばかりの顔をしている。
……ダメだ。変なのは語尾だけじゃなかった。これ以上関わりあいにならないほうが良さそうだ。
「そう、わかったわ。さ、みんな行くわよ」
まだスゥスゥやっている皆を引っ張ろうとしたが、その手をガシッと掴まれてしまった。
「ちょ、ちょっと待つっスゥ! 話はまだ終わってないっスゥ!」
「なによ一体!?」
振りほどこうとしたが、すかさず両手でホールドしてくる。
「バスティド島生まれの冒険者の女の子はすごくいいニオイがするんっスゥ。ひとりにひとつ、持って生まれたニオイというのがあって、しかもそれは汗をかいたりしてもなくならなくって……つまりいついかなる時でもいいニオイがするんっスゥ」
祈るような手つきと目つきで訴えかけられた。
「その謎を究明できれば……ニオイで悩める乙女を撲滅できるんっスゥ!」
そんな謎よりも「バスティド島生まれ」という言葉が気にかかった。
「……アンタって大陸の人間? どっから来たのよ」
「サンクナワティっスゥ。バスティド島にある冒険者の女学院を巡って女生徒さんたちの生態研究をするつもりっスゥ」
「サンクナワティ? ここと反対方向の大陸じゃないの。なんでこんなトコにいるのよ?」
サンクナワティ。バスティド島から南東にいった先にある大陸。亜熱帯の地域が多いところだ。
この島へは同じ名前のサンクナワティ港が最寄りの入口となる。
ツヴィートークは島の北西にあるので、サンクナワティ港からはこの島を縦横断するくらいの長旅をしないとたどり着けない。
わざわざこんな遠くまで来て何をしてるんだろうか。
「ちょっと道に迷ってしまったっスゥ……おかげでまだ女学院をひとつもまわれてないっスゥ」
がっくりと肩を落とすスー。
「ちょっと」レベルの迷子ではない気がするが……女学院を回るということはいずれツヴィ女にもやってくるということだ。
……このまま一生道に迷っててくれと心の中で祈る。
「お嬢さんたちのような若い女の子の冒険者に巡り合ったのはこの島に来て初めてっスゥ!」
砂漠の中のオアシスを見つけたように目を輝かせるスー。
アタシたちくらいの冒険者実習生というのはこの島では珍しくない。ツヴィ女のような冒険者育成のための女学院が10以上存在しているからだ。
サンクナワティから来たのであれば、よほど酷い道の迷い方をしない限りは道中で出会える確率は高いはずなのだが……。
だがそれには突っ込まず、黙って続きを聞く……、
「そこでお願いなんっスゥが、お嬢さん方のニオイを嗅がせてほしいっスゥ!」
つもりだったが、反射的にゲンコツを降らせていた。
「フギャッスゥ!?」
「嫌よ! このド変態!!」
「ひ、ひどいっスゥ!? 研究のためなんっスゥ~! お礼はなんなりさせてもらうっスゥ~!」
「いいよ~」
泣きついてくる変態女に対して手を挙げたのはミントだった。
「わぁ! ありがとうっスゥ!」
止める間もなくミントめがけて滑り込み、抱き着くスー。
緑のジャンパースカートの胸に顔を埋めて吸気しだした。
「はっふぅ……やっぱり間違ってなかったスゥ……バスティドの女の子はいいニオイがするっスゥ……このポニテさんは干した布団の……ふかふかのニオイがするっスゥ~」
顔をあげた自称研究者はアカデミックさとは程遠い惚けた顔をしていた。
バスティドの女性が独特の体臭を持つことは聞いたことがある。
それが当たり前だと思ってたけど、外の人間の反応を見てそれがだいぶ珍しいことなんだと思わされた。
「ふはぁ~……初夏の早朝、涼しい森の中を歩いているような……みずみずしいニオイがするっスゥ~」
いつの間にかノワセットの胸に顔を埋めている。
「……なんで胸に顔を当ててんのよ?」
「バスティドの女の子のいいニオイは特にみぞおちのあたりからするといわれてるっスゥ」
うさんくさそうなことを言いながら、次はシロにいきなり抱き着いた。
「あっ……きゃ!? あっ、あのあのあの……わ、私のニオイなんて……!!」
「くっはぁ~! 黒髪さん、プチママンの花のようなやさしい香りがするっスゥ~!! ああん、ママーっ!!」
豊満な胸に顔を突っ込んでぐりぐりやりだした。
シロが泡を吹いていたので首根っこを掴んで引き剥がした。
「アンタホントに女? 本当はオッサンかなにかじゃないでしょうね?」
「あまりにいいニオイだったのでちょっと興奮しただけっスゥ、スゥスゥ」
特に反省の色もなく、今度はクロに張り付いている。
「……あれ? おかっぱさん、ニオイがないっスゥ? この島の生まれではないっスゥ?」
棒のように立ったまま顔だけ左右に動かすクロ。
「そうなんっスゥ? ……それにしても全くニオイがしないっスゥ。ふむぅ……ということは、持って生まれたニオイが『無臭』の女の子もいるということっスゥ」
ウサギのようにせわしなく鼻をヒクヒクさせるスー。クロが無抵抗なのをいいことにあちこち身体を嗅ぎまわっている。
「でも、ローブには他の女の子のニオイがあるっスゥ」
「リリーのニオイ」
クロが囁いた。
暗闇とかでよくリリーにしがみついてるから、それでニオイがついたんだろうか。
「このニオイ……つい最近かいだことがあるような気がするっスゥ。……たしか数日前にやって来た馬車から同じニオイがしてたっスゥ」
アタシの頭が、瞬間的に沸騰した。
「その馬車はどっちに行ったのよっ!?」
ほとんど無意識のうちに、女の白衣の胸倉を掴んでいた。
詰め寄ってから、しまったと我に返る。
「……教えてほしいっスゥ?」
ケガして歩けない小鹿を見つけたハイエナのような声色で答えるスー。
反射で輝くメガネで瞳は見えないが、きっといやらしい目をしているに違いなかった。




