07
私は私の殺害現場に立っていた。
目の前には、うっかり開けてしまったことにより死を招く結果となった扉がある。
モンスターはこっち側には入ってこれない。なぜなら扉に刻まれた呪印があるからだ。
アレは「モンスターよけ」のものだとロサーナさんから聞いた。
おばあちゃんの知恵袋はそれだけにとどまらず、私たちがいる領域は元々モンスターに襲われたときのために逃げ込むための場所……ええっと、なんだっけ?
あ、そうそう「パニックルーム」というんだよと教えてくれた。
ロサーナさんは非常食を食べて暮らしてたって言ってた。緊急避難の場所なら非常食もありそうだ。
おばあさんひとりがそれだけで20年も暮らせるなんて……かなりの量が蓄えられていたんだろう。
そこでふと、疑問が頭をよぎった。
ロサーナさんはなぜ、ここにいるんだろう?
彼女は20年前にここ「クリスタルパレス」に来たと言っていた。
戦争後廃墟になったこの塔に、いったい何の用があったんだろうか?
冒険者だとしたら、目的を果たしたらさっさと出ていってるだろうし……それともよほど居心地が良かったんだろうか。
もしかして非常食がすっごく美味しかったとか。非常食ってマズそうなイメージがあるけど、貴族の人たち用のソレは全然違うのかもしれない。
そうだとしたら食べてみたいな……1個くらい残ってないか今度探してみよう。
老婆の謎を自分なりに結論づけた私は、改めて扉と相対する。
飴色に光る重厚そうな木の扉。いままでは表面に刻まれた呪印が意味不明で気味悪かったけど、正体がわかると急にこの木扉が頼もしく見えてくる。
長きにわたって強力なモンスターたちを防いでくれていたなんて……あとで磨いてあげるくらいのことはしておこう。
「クリスタルパレス」から脱出するためには安全地帯から出て、モンスターひしめく塔内を探索する必要がある。
そこにはもちろん、私を食い殺した『悪食トロール』もいることだろう。
悪食トロール……剣というよりは巨大な包丁みたいなのと、槍というより巨大なフォークみたいなのを操るモンスター。
さっきは不意打ちをくらっちゃったけど、そうじゃなかったとしてもあの攻撃は脅威だ。
棚の戸を外して作った即席の盾はあるけど、あの攻撃の前には紙ほどの防御力も発揮しないだろう。
ちなみにさっきより装備はパワーアップしている。
ゴム紐を流用してアゴ紐にして、かぶった洗面器が外れないようにしたのだ。
とはいえこれも焼け石に水。ならば作戦としては……見つからないように進んでいくしかない。
いつもだったらコソコソするときはミントちゃんに先頭に立ってもらって偵察をお願いするんだけど……いまはひとりだから、ぜんぶ自分でやらなくちゃダメだ。
ひとり頷いた私は音を立てないように注意しながら扉に近づいた。
しゃがみこんで書斎から借りてきた手鏡をかざす。扉の鍵穴が見えるように鏡面の角度を調整する。
鍵穴から隣の部屋の様子を伺いたいんだけど、穴を覗いた瞬間に針とかが飛び出す罠がある可能性があるのでまずは鏡をつかって鍵穴になにか仕掛けられてないか調べるのだ。
これは探索術の授業で習ったこと。実習までやったのにすっかり忘れてた。
ちなみに実習では扉が複数あって、そのうちのいくつかに針が飛び出す罠が仕掛けられていた。
まさしく実戦さながらなんだけど、同じく実習に参加していたミントちゃんは授業をロクに聞いてなかったらしく、大きなお目々を見開いて無防備に鍵穴を覗き込んでいた。
しかも最悪なことに罠が発動して針が飛び出したんだけど、彼女はそれをひょいと首を傾けてかわしていた。
私にはそんな超人的動体視力はないので、授業で習ったことを頭の中で反芻しながら鏡ごしに鍵穴を調べた。
壁がガラス張りのおかげで室内がふんだんに明るくて助かる。普通の鍵穴であることがすぐに確認できた。
何の用心もせずさっさと開けた先程とはまるで別人のような用心っぷりだなぁ、なんて我ながら思ってしまった。
……「死ぬ」ってのは一時的なものだと考えていた。
命を失うほどの失敗しても少しのペナルティだけで安全な場所に戻れ、再スタートすることができる。
それはミルヴァ様の加護あってのものだけど、今までは当たり前だと思っていた。
でも……いろんな所を冒険して、それは間違いなんじゃないかと思いはじめている。
夏休みの冒険で漂流したときは飢え死にしかかった。餓死の場合はミルヴァ様の加護は得られないらしい。
この前の冒険でムイラ村の裁きの谷にあったのはミルヴァ様の加護を無効にする呪印がかけられていた。
そして今、クリスタルパレスに置かれている紫水晶は復活場所を強制的に変更する力があった。
バスティド島の一部を冒険しただけでもこれだけの例外に遭遇し、ミルヴァ様の加護も万能ではないということがわかった。
いままではミルヴァ様の力に頼りすぎていた。
ここでは自分だけが頼りだ。持てるすべての力を使って生きてここから脱出してやる。
冒険者の拠りどころは女神様じゃなくて、自分の技量と知恵、そして勇気……!
そう。私は心を入れ替えたのだ……!!
強い決意を宿した瞳で、鍵穴から漏れる一筋の光を求めた……はずだった。
か細い穴を通して飛びこんできたのは窓にカーテンをした昼間の部屋のような、不自然に薄暗い部屋だった。
目を細めて中の様子を伺うと、かなり広い部屋だというのがわかった。
しかも床に大きな穴が開いている。大穴の中央には太いクサリが伸びていて、周囲には落下防止の手すりがある。
……何だろうアレ?
もしかしたら巨大な昇降機でも通るんだろうか。
そうだとすると、動かすことができれば一気に下まで行けるかもしれない。
思わず扉を開けて飛び込みたい気持ちになったが、ぐっとこらえる。
しばらく息を殺して観察してみたが、悪食トロールの気配はない。
行ける……かな?
モンスターの姿を見かけても、急いでここに逃げ込めば大丈夫なハズ。
ドアノブに手をかけるとひんやりして気持ちよかった。
手のひらが汗をかいているのに気づいて、だいぶ緊張していることも自覚する。
覚悟を決めてドアをゆっくりと開くと、鍵穴から見たのと同じ鬱屈とした薄暗い空間が広がった。生暖かく、生臭い風が流れこんでくる。
顔をしかめながらクリスタルの壁がある方に視線をやると、一面に赤黒い粘液みたいなのがへばりついているのが見えた。
アレのせいで陽光が遮られて部屋が暗くなっちゃってるのか……どんよりと漂う腐敗臭の元でもあるようだ。
内側のクリスタルじゃない壁は所々壊れているし、床の絨毯もボロボロ。
安全地帯とは一転、かなり荒んだカンジだ。
忍び足で部屋中央にぽっかり空いている大穴に近づいてみる。
大理石の手すりごしに下を覗き込む。
下層にも同じような穴がずーっと続いていた。吸い込まれそうなほど深い深い穴。
そして真ん中には鎖が通っていて、穴と同じように延々と伸びている。ひとつの輪っかが私の頭くらいある大きい鎖だ。
アレにしがみついて下まで滑りおりれないかなぁと思ったが、距離がかなり離れていて走ってジャンプしても全然届きそうにない。
上のほうはどうだろうかと見上げてみる。残骸の隙間から覗いたのと同じ、虹色の光が蝋燭のように揺らめていていた。
あのキレイな光が何なのかとっても気になる。
もしかしたらすごい秘宝とかだったりして。あ……いやいや、目的は脱出することだった。
「好奇心は冒険者を殺す」だ。モンスターだけで手一杯なのに自分の心にまで命を狙われちゃたまらない。
ストイックにここから出ることだけを追求するんだ。
さて、上のことは忘れて今いる部屋の探索を……と思って視線を水平に戻すと、反対側にいる何者かと目が合った。
小山のような大きさで、歩くよりも転がったほうが速そうな丸っこい身体。ぶよぶよで脂ぎった鉛色の肌。
手にはブロード・ソードなんか目じゃないほど幅広の刀身の剣と、牛でもひと突きで刺し殺せそうな三又の槍。
どちらの武器にもかつて私の血であったであろうものがこびりついている。
その私の姿を認めたソイツは、舌を出してニタ~と笑った。




