05 リリー
「ここから脱出する? ……そうかい。ま、せいぜいがんばんなよ」
私の決意をさしたる感想もなく受け流したロサーナさんは、杖をついてクリスタルの壁のほうに向かいはじめた。本当に日向ぼっこをするつもりらしい。
彼女の椅子を壁際まで押してあげて、私は自分のことをすることにした。
わけのわからないまま閉じ込められて、大人しくしてるなんてまっぴらごめんだ。
それに多分、みんなも心配している。……してる、よね?
連れてこられる途中、モウロウとする意識のなかで目印がわりにマシバイの実を落としてきたから、外に出れさえすればそれを辿ってすんなり帰れるハズ。
実が鳥とかに食べられちゃう前に、早くここから出なきゃ。
まず、武器を探してみよう。
壁にかけてある装飾品のサーベルとか、礼装用の短剣とか、なんでもいい。
ロサーナさんいわくこの階は安全らしいから、いろいろ歩きまわってみることにした。
ここは壁が水晶でできているせいかどの室内も太陽の光であふれていて、明るくぽかぽか暖かい。
さすが『陽の塔』と呼ばれるだけはある。
しかしまぶしくも暑くもなくて、過ごしやすい春の日みたいなちょうどいい気温だ。
もしかしてこれも魔法設備とかいうやつのおかげなんだろうか。
部屋はいくつかあって、ケガを治した娯楽室、ロサーナさんと出会った食堂、ミルヴァ様の像があった聖堂、私が最初に目覚めたリビング、書斎、寝室、お風呂とトイレ……という構成になっている。
娯楽室の先は吹き抜けの階段広場で、手すりからは下の階が見下ろせた。
下はモンスターがうじゃうじゃとか言ってたけど、階段広場にはその気配はない。
今いる階をそのままコピーしたような空間が、不気味な静けさとともに広がっている。
降りるのは装備が整ってからにしようと思い、先の部屋に行ってみようとしたが階段広場の奥にある扉は崩れた残骸で塞がれていた。
かつて壁や天井だったであろう破片の山の隙間からは虹のような光がもれていて、隣はどんな部屋なのかとっても気になった。
ツルハシでもあれば邪魔なガレキをどかせるのに……。しょうがない、こっちも後回しだ。
颯爽と踵をかえすと、スカートの裾がしゅるりと足にまとわりついた。
いつもはショートパンツだし、制服のときに穿くスカートでも短いやつだから裾が絡むことなんてなくて……なんだか変な感覚だ。というか歩きにくい。
ガニ股歩行で部屋に戻った私は手あたり次第に家探しした。高名な勇者ともなると人んちの家財を破壊したりタンスから金品を奪っても罪に問われないらしい。
さすがにそこまでやるつもりはないけど、脱出するためならちょっと借りちゃってもいいよね。
小一時間粘ってみたものの、武器は見つからなかった。
しょうがないのですこし妥協して「武器になりそうなもの」を探してみた。
階段広場のガレキの山には鉄の棒が刺さっていたのでそれを引っ張り出した。ほどよい長さだったので、そのまま武器にすることにした。
古くなって取れかかった棚の戸板をはがす。ちょうどいい位置に取っ手があったので、盾のかわりにした。
お風呂場にブリキの洗面器があったので、カブトのかわりに頭にかぶった。
娯楽室にある刺繍箱の中からハサミと針とゴム紐を頂戴した。
使い道はいまのところないけど、なんとなく使えそうな気がしたからだ。
あとはこの服装だ。
こっそり慎重に行動したいのにキラキラヒラヒラしててやたらと目を引く。
シルクっぽいので肌触りはいいけど動くたびにキュッキュと衣ずれの音がするし、何よりスカート丈が長くて歩きづらい。
もうちょっと地味で動きやすい服はないものかなとドレッサールームを探してみたけど似たようなドレスがいっぱいあるだけだった。
しょうがないので、ドレスの裾をハサミで切ってヒザ上丈まで短くする。
風通しがよくなってさらにスースーするようになったけど、だいぶ動きやすくなった。
「よぉしっ、準備万端っ!」
最後に袖まくりをしてやる気を奮いたたせる。
「じゃあ、いってくるね!」
壁際で日光浴をしながらウトウトしているロサーナさんに声をかける。
彼女は一瞬、押し込み強盗を見るような目でギョッとしたあと、吹き出した。
「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!! なんだいそのカッコウ!! チャンバラ遊びでもするつもりかい!? ひゃーっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」
もうっ、こっちは命のかかった大仕事をやろうとしてるってのにそんなに爆笑しなくても。
これ以上笑われると気持ちが萎えそうだったので、やる気があるうちに出かけよう。
椅子から転げ落ちてまで腹を抱えるロサーナさんをほっといて、探索へと出発した。
階段広場にある降り口は幅がかなり広く、角度もゆるやかだった。
さすがお金持ちが使う階段だけあってゆったりしている。
鉄の棒と即席の木盾をしっかりと構えた私は一歩一歩、用心しながら段差をおりていく。
石でできた階段は軋むことなく、またじゅうたんが敷かれているおかげで足音もしなかった。
わずかな衣擦れの音をたてるのみで、ひとつ下の階層へと到着する。
下の階は上から見下ろした印象どおり、そっくりそのまま同じだった。
ただ違ったのは更に下に降りる階段が存在しなかったこと。
下り階段があるはずの場所は床でふさがっていた。
あと、上の階はふたつある扉のうち、ひとつは崩れて通れなかったけど……こっちはやや崩れかけではあるものの通れそうな雰囲気だ。
さて、どっちの扉に入ろうか?
やっぱり興味をひかれるのは崩れてたほうの扉だよね。
私は忍び足でひび割れた壁の扉に近づく。
今までの部屋にあったのと同じ、彫刻の施された木扉。
しかし模様が他と違っていて、なにやら文字っぽいものが刻まれている。
文字は読めないが、私はこれと同じようなのを見たことがある。
とある村の、罪人を裁く谷で。
もしかしたらこの扉にはなんらかの呪印が施されているのかもしない。
私が知ってる呪印は「ミルヴァ様の力が届かなくなる」ってやつだったけど……。ソレと同じのじゃないよね?
同じヤツだったらせっかく覚えた回復呪文は使えないうえに、死んでも復活できなくなる。
……あれ、待てよ。
よく考えたら、死んで復活できればここからカンタンに脱出できるじゃないか。
私たちツヴィ女の生徒は冒険とかで命を落としたとき、ツヴィートークにある聖堂で生き返る。
復活の際にたまにペナルティを受けることはあるけど、五体満足でまた冒険に出ることができるんだ。
なーんだ、それなら当たって砕けろで突撃してみるのもアリかもしれない。
死ぬのは死ぬほど痛いけど、ここから脱出するためだったら1回くらいならガマンできなくもない。
だけど……この呪印のせいで、もしかしたら死んでも復活できない可能性がある。
そうなったら、死ぬほど痛いとかここから脱出するとか以前の問題になってしまう。
う~ん、どうしようか?
私は扉の前で腕組みして、アレコレ考えてみる。
この扉を開くことにより訪れる危険と、扉の先を見てみたい欲求とを天秤にかけてみたが……あっさりと好奇心のほうに傾いた。
よし、決めた! 例え復活できないとしても、中も見ずに引き返すのは嫌なのでチラッとだけ覗いてみよう。
ちょっとだけ見てみてヤバそうだったらすぐ閉めちゃえばいいよね。バタン! って
湧きあがってくる好奇心に対して心の中で言い訳しながら、取っ手を持つ。
少しだけ引いたつもりだったが、一気に半分くらい開いた。
それは瞬きするほどの一瞬だった。
私のおなかに、大きなフォークみたいなのが深々と突き刺さっていた。
それが三又槍であることに気づいたとき、私は宙を舞っていた。
天井に届きそうなほどの高い位置から、開いた扉から突き出た槍に私の身体が貫かれているのを、まるで人ごとのように眺めていた。
がらん、がらんと音をたてて、洗面器が床を転がっていた。
私の身体には首がなくって、断面からは噴水のように血が吹き出ていた。
扉の端には、肉切り包丁みたいな無骨さの大剣がめりこんでいた。
ひどく冷静な気分でその惨状を眺めているうちに、理解した。
私が扉を開けた瞬間、奥の部屋に待ち構えていたモンスターが槍で突きさしてきて、続けざまに大剣で首をはねたんだ。
……目にも止まらぬ連続攻撃だった。
こんなすごい早業を繰り出してくるモンスターって、一体どんなヤツなんだろうか。
扉の奥が見える高さまで落ちてきた、首だけになった私。
せめて敵の姿を拝んでやろうと目を凝らすが、飛んできたピンク色の物体によって邪魔された。
やわらかくてヌメヌメしてて、生温かいそれは、私の頭に巻きついた。
うわっぷ、何だコレ。手を使って払いのけようとしたが、首だけなのでできなかった。
勢いよく引っ張られた私は、暗くて狭くてじめじめした洞窟みたいなところに入れられた。
ここは……何?
顔をしかめたくなるような生臭いニオイに、ねばねばした液体が糸を引いている。
入口のところには、黄ばみ汚れにまみれた白い石のようなものが均等に並んでいる。
不意に入口が大きく開き、あたりが明るくなった。
洞窟の口の向こうには半開きの扉が見えて、その扉の前には首のない私の身体がなおも立ち尽くしていた。自ら流す大量の血で、身体をどす赤く染めながら。
……私はようやく気付いた。
私を絡めとったのはモンスターの長い舌で、いま私はソイツの口の中にいるということに。
しかし時すでに遅く、白い石かと思われた物体が私の頭を挟みこんでいた。これは石なんかじゃない、歯だ。
万力で締め付けられるような痛みが襲った。頭だけになった私を、噛み砕こうとしている。
痛い痛い痛い!! 頭が割れるように痛い。っていうか、ビギビキ音がして、頭蓋骨にヒビが入っているのがわかる。
骨が軋むたびに頭の中を掘り起こされてるみたいな大音響が響まくる。耳を押さえたいほどの騒音。
吐き気がするような激しい頭痛。えづいても、口からは空気すらも押し出されなかった。
苦しい。まるで陸にあげられた魚みたいだ。口をぱくぱくしても、吸うことも、吐くこともできない。
ばきばき、がきがき、ぼきぼきと骨が悲鳴をあげる、視界が赤く染まり、押しつぶされていく。
まるでクルミのように頭蓋骨をつつむ包皮が裂け、はじけ飛ぶ。
真っ赤な視界が真っ暗に変わる。ついに何も見えなくなった。
それでも容赦なく強靭なアゴは私を押しつぶし、硬質の歯は私をすり潰す。
噛む力がさらに加わったとき……ぐちゃっという音とともに、私の意識は消えた。




