09
それから私たちは夕食まで自由行動とした。みんなは装備を置くと部屋からさっさと出て行ったので、私はひとり荷物を整理することにした。
ふとベッドの上を見ると、クロちゃんが猫のノミ取りをしていた。クロちゃんの髪の毛と同じ、グレーの猫だった。
「その猫、どうしたの?」
「廊下にいた」
クロちゃんはノミ取りをする手を休めずに答えた。どうやら、この家の飼い猫らしい。猫はノミ取りが余程気持ちいいのか、喉を鳴らしながらされるがままになっている。
猫のゴロゴロ音のみの室内。その静けさを破るように、外から賑やかな声が聞えてきた。
窓を覗いてみると、庭にいるミントちゃんとオベロンさんの姿が見えた。ミントちゃんのリアクションの大きい話し方は耳の遠いオベロンさんと相性がいいらしく、ふたりは楽しそうに話している。
「ねぇねぇ、おばあちゃん、これからどこいくの?」
「夕方の散歩だよ」
「わぁい! いくいくー!」
杖をついてのんびり歩くオベロンさんの周囲を、散歩に行くのが嬉しい犬みたいにグルグル回りながらついていくミントちゃん。なんだかものすごくほのぼのとした光景だった。
「あの老婆」
不意に、クロちゃんがつぶやいた。窓から視線を移して彼女のほうを見ると、
「魔法使い」
ノミとりをする背中から、同じトーンの言葉が続いた。
「あの老婆、って、オベロンさん?」
「杖から魔力を感じる。おそらくあれが触媒」
触媒というのは魔法を使うために必要な、魔力のこもった道具のことである。クロちゃんならいつも持っている両手杖、シロちゃんなら首から下げたタリスマン。私は……ママからもらった勇者のティアラ。
「そうなんだ……」
魔法栽培をしていると言っていたから、それならオベロンさんがその魔法を使うとしても特に不思議ではなかった。
いつのまにかクロちゃんがじっとこちらを見ていた。まるでこれから言うのが本題だと言いたげな顔をしている。……もしかして、さっきの話題は彼女なりの世間話のつもりだったんだろうか。
「……ごめんなさい……」
それは静かな室内でも聞き逃してしまいそうな、小さな声だった。聞き間違えかと思ったが、彼女はたしかに「ごめんなさい」と言った。
「ど、どうしたの急に」
予想だにしなかったひと言に、うろたえそうになる。
「ファイヤーボール」
「え?」
「ファイヤーボールを当ててしまった」
「ああ、なんだ、そのこと」
以前のゴブリン戦での件だというのがようやくわかった。責任を感じていたのは、シロちゃんだけではなかったのだ。
「それだったら、気にしなくてもいいのに」
「…………」
「だって、クロちゃんが当てたんじゃなくて、私が当たりにいったかもしれないんだし」
「…………」
「そうなんだったら、私がごめんなさいしなきゃだし」
「…………」
「ゴメンね、クロちゃん」
私はクロちゃんに近づいて、ぺこりと頭を下げた。
「これで、おあいこ、ね」
私が笑っても、クロちゃんは無表情で頷くばかりだったが、少し表情が和らいだようにも見えた。
私はすっかり忘れていたけど、たぶん彼女はずっと気にしていたんだと思う。……今更ながらに考えてみると、伝説の勇者一行が味方の攻撃に当たってたなんて話は聞いたことがない。息ピッタリの連携で窮地を脱出する話なら、いっぱい聞いたことがある。……私たちがもっと仲良くなれば、そんなこともできるようになるのだろうか。
考えこんでいるうちにクロちゃんのノミ取りは顔面マッサージに移行していた。荷物の整理はこのくらいにして、私は下の階に降りてみることにした。
階段を下りると、包丁で何かを刻むリズミカルな音が聞えてきた。台所を覗いてみると、エプロン姿のシロちゃんがいた。長い髪をアップでまとめており、包丁で手際よくキャベツを千切りにしている。
「チタニアさんは?」
背後から声をかけると、シロちゃんは手を止めてこっちを振り向いた。
「あっ、はい。チタニアさんでしたらお風呂を沸かしにいくと仰って、外に行かれました」
ローブに負けないくらい純白のフリルエプロンに身を包んだ彼女は、愛想よく教えてくれた。
一緒に手伝いをしようかと思ったが、昼間食べたお弁当の味を思い出し、ここは任せておいて大丈夫かな、と考え直した。
シロちゃんからの情報に従って外に出てみる。お風呂を沸かすんだったら、裏のほうかな……と思いつつ家の裏に行ってみると、カマドに向かうチタニアさんがいた。私は駆け寄って、
「お風呂なら、私がやります!」
任せて、と言わんばかりに胸をドンと叩いてみせた。
「おや、そうかい? 助かるよ。じゃあ私は洗濯物でも取り込んでこようかね」
チタニアさんは木筒とマッチをよこすと、庭のほうに歩いていった。その背中を見送ったあと、私は腕を組んでカマドに対峙した。まずは、睨みつけるようにして観察する。
カマドは家の壁をくり抜く形で設置されており、中には金属でできた浴槽の下部が露出しているのが見える。その下で火をたくと浴槽が熱せられ、お風呂が沸く、という仕組みだ。
……私がやります、と元気よく言ってみたものの、お風呂を沸かすのは初めてだったりする。まあ、お昼にやったお茶を沸かすのが巨大になったものだろう……と思う。
チタニアさんが残していった小枝の山をカマドに放りこんで、マッチで火をつけるとすぐに燃え広がり、薄い煙があがった。足元に転がっている薪を一本取ってカマドに投げ入れると、火は少し弱まった。
さて、ここからが問題だ。さらに大きな火にするために薪をくべつつ、空気を送りこまなくてはいけない。私はチタニアさんから受け取った木筒に口をあてて、火に向かってぷぅーっと吹きかけた。すると、火勢がやや強くなり、煙がもくもくとあがった。これを繰り返して、火がある程度の強さになったらまた薪を足す、というやり方でいけるはず……と、必死になって息を吹きかけみるものの、なかなか火勢は強くならない。
……もっともっと、強く吹きかけないとダメだ!
イライラした私はつい、筒に口を当てたまま息を大きく吸い込んでしまった。
「………!」
筒からまともに煙を吸い込んでしまう。
「げふっ! げふっ! ごほっ! ごほっ!」
喉が焼けるような痛みと苦しさに襲われ、ひとりカマドの前でもがき苦しんでいると、
「……アンタ、何やってんの?」
通りがかったイヴちゃんが不審そうに声をかけてきた。
「あ……、ごほっ、ちょうど、けふっ、いいとこに、ぐふっ、イヴちゃん、えへん、ちょっとコレ、やってみて、えふん」
咳き込みながらイヴちゃんに木筒を渡してみた。
「……なにコレ? この筒で火を吹けばいいの?」
黙って頷くと、彼女はいぶかしげな表情で筒を受け取った。気の乗らない表情のまま、ふぅ~と息を吹き込むと、火は燃え盛った。
「やっぱり、私より肺活量があるね」
思ったことをそのまま口にする。おだてたつもりはなかったが、イヴちゃんは機嫌をよくしたようだった。彼女は欲張りなリスみたいに頬を膨らませると、一気に吐き出した。火はカマドから噴出せんばかりに激しくたぎる。
「おお、すごいすごい! さすがは闘気術の使い手!」
今度はおだてるつもりで大げさに感心してみせると、さらに得意気な顔になった。まだまだよ、といわんばかりのウインクを返してきたかと思うと、渾身の力を込めて一気に息を吸い込んだ。筒を口に当てたまま。
次の瞬間、もんどりうって倒れたかと思うと、
「グエエエエエエエ!」
怪鳥のような叫びをあげ、喉を押さえてのたうちまわった。
猛毒でも飲んだかのようなその反応に、私はパニックになり、
「イヴちゃん!」
転がる彼女をとにかく抑えつけた。私の腕の中で、捕まった魚みたいに身体をビクンビクン跳ねさせながら咳き込んでいる。
「大丈夫?」
背中をさすりながら聞いてみるが、当然返事は返ってこなかった。
「……やっぱり最初はそうなるよね」
しみじみ言うと、腕をガッ、とつかまれた。
「わかって、ゲホッ! たんなら、ガホッ! 言いな、ゴフン! さいよっ、ゲフッ!」
彼女は口から途切れ途切れに煙を吐きだしながら、私に途切れ途切れの怒りをぶつけた。
……それからイヴちゃんが回復するのを待って、私たちは協力してお風呂を沸かすことにした。
私が息を吹き込んで、イヴちゃんが薪を投げ込む。息のあったコンビネーション……はすぐに終わりを告げた。
「薪がもうないわよ」
肩をすくめるイヴちゃん。
「じゃあ……割って作ってくれない?」
裏庭の隅に積んである、いずれ薪になるであろう短い丸太の山を指さした。
「なんでアタシが! ……ええい、わかったわよ!」
拒否したものの私の返答を待たずに承諾すると、丸太の山にずかずかと歩いていき、ひとつ薪割り台にセットした。
台においてあったナタを手にとり、鼻息荒く振り下ろす。
「ふんっ!」
まっぷたつになる丸太を期待したが、ナタは乾いた音をたててめりこんだ。
「もうっ!」
不機嫌さを隠そうともせず、丸太を足で押さえてナタを抜こうとする。
「んん~!」
地中深く埋まったカブを抜くような感じで、両手でナタを引っ張るとすぐに抜け、しりもちをついてしまった。
「いたた……」
お尻をさすりながら起きあがる。私は太ももをつねって笑いを堪えていた。立ちあがったところで目が合ったので、あわてて顔をそらした。
「ああん、もう! ちょっと待ってなさい!」
ナタを放り投げてどこかへ走って行ったかと思うと、しばらくして愛用の大剣を背負って戻ってきた。どうやら部屋まで取りに戻っていたらしい。
大剣を背負うようにして構えたイヴちゃんは、
「いくわよ!」
威勢よく言って、丸太めがけてそれを振りおろす。空を切る轟音のあと、パカンと気持ちのよい音をたてて丸太は真っ二つになった。
転がる木片……大剣を振り切ったままうつむくイヴちゃん。
「さぁ、どんどんいくわよ!」
再び顔をあげた彼女は、憑き物がとれたような顔をしていた。
機嫌を取り戻したイヴちゃんは軽快な音を響かせて薪を量産、適当にそれらを拾ってカマドに放りこむ私。ほっとくと積まれている丸太全部薪にしそうな勢いだったので適当なところで止めて、今度は吹き役を交代してから火起こしを続けた。
……いつまでやってればいいんだろう、と思ったのは村にかがり火が灯りはじめたころだった。お風呂場の窓からチタニアさんの顔が出てきた。
「沸いたみたいだね、ご苦労さん。……おや、ふたりともススだらけじゃないか」
夢中で気づかなかった。イヴちゃんの顔を見るとだいぶ汚れていたが、たぶん私も同じようになっているのだろう。
「あがって顔あらっておいで、もう夕食だよ」
そのひと言で思い出したかのように、煤けたふたりのお腹がぐーぐー鳴りだした。