30
サーベルタイガー『虎王』の鋭利な歯が、いままさに私に襲いかかろうとしてる。
このまま貫かれてしまったら……復活を遂げることなく、私の人生は終わる。
死ぬのは怖い。怖いけど、震えることすらままならないほど身体は動かない。
だけど……だけど……何もせずにやられてたまるか!!
ママに教えてもらった秘密の呪文を唱えれば、動けるようになるはず。
それで残った力をぜんぶ使って……喉に剣を突き立ててやる!!
刺し違えてでもアイツを倒して……イヴちゃん、ミントちゃん、シロちゃん、クロちゃん……そしてユリーちゃんを守るんだっ!!
長い剣歯を筆頭とし、ノコギリのような歯が並んだ口が迫ってくる。私を丸ごと飲み込めそうなほどの大口。
覚悟を決めた私はすぅと息を吸い込む。呪文の出だしを唱えようとしたとき、
「そんなの食べたらお腹こわすわよっ!! 食べるならこのアタシにしなさいっ!!」
壁によりかかったままのイヴちゃんが叫んだ。虎王の動きがピタッと止まる。
そんなのって、ひどい……あ、いや、彼女の真意はそこじゃない。私の身代わりになろうと挑発してるんだ。
「たいそうな名前してるくせにゲテモノ喰いなのね。それともなあに? 反撃してこなさそうなのしか食べる度胸ないのかしら」
言葉が通じたのか、それとも挑発されているのがわかったのか、私から離れた虎王はゴアッと唸り、ターゲットをイヴちゃんに変更した。
ま、まずい……!! 自分が食べられるのはイヤだけど、イヴちゃんが食べられるのはもっとイヤだっ!!
なんとかして虎王の興味をこっちに戻さないと……!!
「や、やい! 虎王! イヴちゃんは甘いものばっかり食べてるからきっと甘いよ! 甘いのダメなほうだよね!? そうでもない? あっそう……」
虎王はチラリとこちらを一瞥したが、ターゲット変更までには至らなかった。
だ、ダメだ……怒らせたいのに言葉が出てこない。
私がまごまごしている間にも、イヴちゃんは息を吐くように罵りを発し続けている。
もう虎王のヘイトは完全に彼女に傾いてしまったようだ。
こと挑発に関してはイヴちゃんのほうが一日の……いや百日くらいの長がある。さすが普段からやってるだけはある。
いやいや、感心してる場合じゃなかった。
なにか他の手を考えなきゃ! と焦っていると、
「はぁーっ!!!」
突如、天に雄叫びが轟いた。
崖の淵から飛んだ何者かが空を飛び、谷底に舞り降り、華麗に三転着地をキメた。
「こらーっ!!」
その人物は立ち上がるなり怒声を飛ばす。
聞いたことのある女の子の声だった。
長身で、チェストガードにホットパンツ姿。露出の高いそのいでたちは引き締まった褐色の身体を美術品のように引き立たせていた。
「べ……ベルちゃんっ!?」
私は友達であるその人の名を叫んだ。
なんで彼女がこんなところに!?
虎王はベルちゃんの姿を見た瞬間、垂直に飛び上がった。そしてひさびさに主人に会った犬のように嬉しそうに駆けていく。
さっきまでの威厳がウソのような変貌っぷり。甘えたがりの猫みたいにゴロゴロくねくねしている。
喉を鳴らしながらすり寄ろうとしていたが、触れる直前にベルちゃんは身体を翻して回し蹴りを放った。
マッシュルームの断面みたいな猫鼻に、丸太でぶん殴るような強烈な蹴りが炸裂する。
ギャイン!! と犬っぽい悲鳴をあげる虎王。たまらずもんどりうって倒れた。
しかし虎王は反撃したりはせず、寝たまま無防備なお腹を晒している。
犬や猫がお腹を見せるのは「参った」の証だ。獣神の使いはベルちゃんに降参したんだ。
「こらっ! ラオン! あたしの友達になんてことするんだ!!」
しかし蹴った側はまだ許すつもりはないようで、猛然と叱りつけている。
族長さんは「虎王」って呼んでたけど……本当はラオンって名前なの?
ジャンプしたベルちゃんはラオンのお腹の上に乗り、トランポリンのように跳ねはじめた。
「まったく! ダメだよっ! こらっ! こらっ!」
容赦なくドスドスと腹部を踏みつけている。
服従ポーズのまま抵抗せず、されるがままになっているラオン。
かなりスパルタではあるが、完全に飼い主とペットの関係だ。
「そ、そのへんで許してあげて」
私が声をかけると、彼女は跳ねる勢いを利用してこちらに飛んできた。
「リリー、大丈夫だった?」
目の前に着地した後、手をさしのべて助け起こしてくれる。
もう身体は動くようになっていたが、腰が抜けて立てなかったのだ。
「……うん、ありがとう。でもベルちゃん、どうしてここに?」
「ムイラはあたしのふるさとなんだよ、お祭りがあるからちょっと里帰りしたんだ」
この冒険に出発する前日、お土産代を稼ぐために姫亭でアルバイトしていた彼女の姿を思い出した。
「さっき着いたばっかりなんだけど、村にどこかで見たことのあるような手配書が貼ってあったから気になってみんなに聞いてみたんだ。そしたら谷に連れてかれたって言うから慌てて飛んできたんだよ」
そうだったのか……あと少し遅れていたら最悪全滅、少なくとも私かイヴちゃんはあの世いきになっていたかもしれない。ほとんど奇跡みたいな偶然が重なって助かったというわけか。
上空からガラガラと音がする。昇降機に乗った族長さんが降りてくるのが見えた。思わず私は身を固くする。
「さて、次はあっちを懲らしめてやらなきゃ」
昇降機が降りてくる場所までツカツカ歩いていったベルちゃんは、仁王立ちで族長さんを迎えた。
「ああっ、おかえり! シトロンベルや! いつ帰ってきたんだい?」
ベルちゃんを前に激変したのは虎王だけではなかった、族長さんもさっきまでの怖い顔がウソのように抜けきったデレデレ顔になっている。
それに対してのベルちゃんの反応は非情だった。
「バカオヤジ!!」
……お、おやじ? ベルちゃんと族長さんって親子だったの?
「ば、バカだとっ? そ、それにオヤジじゃなくて、パパと呼ぶようにいつも言ってるじゃないか! せめて『パパのバカー!』と……」
「トーテムポールみたいな顔してなにがパパだ! そんなことよりあたしの友達になんてことするんだ!!」
「い、いや、この子たちが村の秘宝を持ち出して……悪い子たちじゃないのはわかってたんだけど、村人にしめしがつかないから……ちょっとだけ脅かすつもりだったんだ」
慌てて言い訳する族長さん。父としての威厳は微塵もなく情けなさ全開だ。
「ほ、ほら、触ってケガしないようにラオンの剣歯もカバーがついてるし」
伸びた剣歯を素手で掴んでぐにぐにと揉む族長さん。一見鋭い刀身のように見えたがよくできたゴムカバーのようで、触れても切れたりしないようだ。
必死に取り繕う親の姿を見ながら、失望を露わにした吐息を漏らす娘。
「……リリーたちをいつまでもこんな所に置いておけないから、村に連れて行く。大事なお客さんとしてもてなして? いい?」
「も、もちろん! コレが終わったらそうするつもりだったんだ!」
「行くよ! ラオン!」
呼ばれるなりすぐさま目の前でひれ伏して姿勢を低くするペットの虎。当然のようにその背中にまたがる女主人。
「みんなも乗って!」
虎上から私たちに手招きする。
即座に反応したのはミントちゃんだった。彼女は諸手をあげながらラオンの背中にダイブする。
「わぁーい! ふかふか~!」
まるでベッドの上にいるみたいにはしゃぎだした。
ミントちゃんが転がれるほどラオンの背中は大きい。たぶん私たちが全員乗っても余裕があるだろう。
だけど……さっきまで自分を殺しにきてた動物の背中に乗るのは……と躊躇してしまう。
そうしている間に、粛々とクロちゃんが背中に乗った。
「まったく、危うく本気を出すところだったわよ」
「運が良かったなトラ公。邪魔が入らなかったらいまごろお前、カーペットになってたぜ」
捨て台詞を言いながら乗り込むベルちゃんとユリーちゃん。
残されたのは私とシロちゃん。こうしててもしょうがないので、私は覚悟を決める。
「じゃあ……乗ろっか? シロちゃん」
おずおずしている彼女の手を引いて促す。
「本当に乗せていただいてもよろしいのでしょうか? 重くはないのですか?」
すでに5人の女の子が乗っているラオンを心配そうに見つめるシロちゃん。
らしい気遣いだ。彼女と友達になった当初のことだけど、馬のことを心配して馬車に乗ることも躊躇していた時期があった。
今では普通に乗るようになったけど、乗るときと降りたあとは馬に向かって丁寧にお礼を言っている。
「大丈夫大丈夫、ねっ、ラオン?」
ベルちゃんが呼びかけると、肯定するようにゴアーと鳴いた。
サーベルタイガーの正面に回り込んでお礼を述べたシロちゃんは、控えめに横乗りする。
「かなり激しく動くから、この毛のところをグッと持って」
ベルちゃんは長い毛並を乱暴に掴みながら説明する。
「えっ? そんなことをして、痛くはないのですか?」
「大丈夫大丈夫、ねっ、ラオン?」
またゴアーと鳴いた。
最後に私がベルちゃんの隣に乗り込む。彼女は搭乗メンバーを確認した後、
「じゃあ、先に村に戻ってるね。パパ!」
立てた指を振って族長さんに挨拶した。パパと呼ばれたのが余程嬉しかったのか、その顔がぱっと顔を明るくなった。
「ゴーッ! ラオン!!」
ベルちゃんの勇ましいかけ声でサーベルタイガーは立ち上がり、その勢いのまま壁めがけて高く飛翔する。
「わあっ!?」
水平だった背中がいきなり斜めに傾き、私たちは必死になってしがみついた。
跳躍した前足を壁につけたラオンはそのまま駆け上がり、あっという間に谷底から飛び出る。
勢いもそのままに、荒野を突っ走るラオン。馬とかに比べるとずっと速い……だいぶ揺れるけど、だんだん慣れてきた。
乾いた風を受け、気持ち良さそうにしているベルちゃん。故郷の風を噛みしめているようだった。その横顔に声をかける。
「ベルちゃん、助けてくれてありがとう」
「あはは、礼なんていいよ。あ……そうだ、リリーにお願いがあったんだ」
「なに?」
族長さんとラオンに殺意はなかったとしても、ベルちゃんは命の恩人だ。できることならなんでも聞いてあげたい。
「気が向いたらでいいからさ、ティアに話しかけてあげてほしいんだ」
「え?」
まったく予想しなかったお願いだった。
ティアちゃんは同じツヴィ女に通うお嬢様。誕生日に村ひとつプレゼントされるほどのお金持ちだ。
以前、私は七色蜜という貴重な蜜を探してティアちゃんの村にお世話になったことがあった。
そういえば……あの一件でティアちゃんとも友達になったんだけど、あれ以来学院で話すこともなかった。
もちろん近くを通りすがったりしたら話しかけるつもりだったけど、その機会もなかったんだよね。
何度か遠目で見かけて近寄ろうとしたんだけど、すぐにいなくなっちゃってうまくいかなかったんだ。
「あの子ああ見えてすっごいシャイなんだよ。好きな子のコトとなるとなおさらね」
後ろにいるイヴちゃんがフンと鼻を鳴らすのが聞こえた。
……シャイ? あのティアちゃんが?
いつも優雅で気品があって、学院でも成績優秀で、パーティでも村でもリーダーシップを発揮している彼女が?
全然そういうイメージがなかったけど、同じパーティメンバーのベルちゃんがそう言うなら……実はそういうところがあるのかもしれない。
「わかった。話しかけてみる」
「ありがとう。……あっ、着くよ! ようこそ、あたしの故郷へ!」
村の中に入ったラオンは減速し、クレーターの階段を駆け下りる。
中央広場に着くと、村のみんなが出迎えてくれた。




