20
あたりが水によって満たされる。透明の圧力が私の身体を包んだ。
激しい水流に、否応なく押し流される。
隣で白い布と黒い布が暴れていた。シロちゃんとクロちゃんだ……ふたりとも溺れてる!
シロちゃんはこの前の夏休みに海に行ったのが初めての遊泳体験だったんだ……こんな状況では溺れるのも無理はない。
クロちゃんはたぶん、鬼火が消えてパニックになったんだろう。
彼女たちのところまで泳いでいくと、腕と脚を掴まれた。
クロちゃんはともかく、シロちゃんは長い黒髪が水に広がってまるで幽霊みたいになっている。
そんなビジュアルで身体にすがってくるものだから、びっくりして息をゴボッと吐いてしまった。
助けに行ったつもりだから別にいいんだけど、腰とか肩とかもうちょっと泳ぎやすい所につかまってほしかった。
だけどそれを考慮するだけの余裕はふたりにはなさそう。
こうなったら……このまま水が流れる方向に泳いで、少しでも早く息ができるところに連れてかないと!
自由のきかない身体をなんとか動かして泳ぎ出すとみんなも集まってきて後押しをしてくれた。
途中に鉄格子がないことを祈りながら、私は懸命に泳いだ……というかハタから見たら水中でもがいてるだけに見えたかもしれない。
森のなかで炎に追いかけられたと思ったら、いまは遺跡のなかで水に流されている。
今回の冒険はかなりハードだ。だけど……ここまで来たんだ。こんなところで溺れ死んで終わりだなんて、絶対にイヤだ。
もうなりふり構っていられなかった。いつ終わるかわからない水の中というのはかなり焦らされる。
息が苦しくなってくる。いつも当たり前のようにやっている呼吸が制限されると、こんなに切ない気持ちになるなんて。なんだろう……身体の内からいろんなものが飛び出しちゃいそうで、いまにも張り裂けそうなカンジ。
こみあげてくるものを抑えながら、私はもがいた。
だんだん目が霞んできた。耳も聴こえなくなってくる。もうどこに進んでるのかもわからない。
頭の中が真っ白になりかけた瞬間、私はやわらかいものにめり込んだ。
といっても気持ちいいものではなく、なんだかぬるっとしている。な、なにコレ……泥?
あたりは透明度のない茶色い水で前後不覚に陥ったが、もがいているうちに足が届くくらいの深さだと気づいて立ち上がった。
「ぷっはぁーっ!!!」
新鮮な空気が肺を満たす。吸える……そして、吐ける!
私はぜいぜいと荒く息をして、ひざびさの空気を貪った。
ようやく落ち着いた私はあたりを見回した。いつのまにか野外におり、ダンジョンから流された果てに泥の沼にたどり着いたようだ。
沼には滝のように水が流れ込んでいる。
なんで沼に滝が……?
それにまわりはまだ昼っぽいけどやけに暗いなぁ……なんて思いながら空を仰いでぎょっとなった。
空を覆うほどの超巨大な人型の像が前かがみになって、口から水を吐き出していたのだ。
まるで気分が悪くて戻してるみたいなビジュアルで。
あれ? あの巨人像の顔、どこかで見たことがあるような……たしかダンジョンの入口にあった石像の顔にソックリだ。
「も、もしかして……」
私たちはあの口から出てきたんだろうか?
巨大な石の身体を目で追うと、足元に見覚えのある遺跡群があった。私たちが入った遺跡があったところには隕石が落ちたみたいな大穴があいていた。
「ま、まさか……」
私たちがダンジョンだと思っていた遺跡は、人型の巨大な石像で、地中に埋まってるのが這い出てきたんだろうか。
「う……うっそぉ!?」
にわかには信じられないけど……それしか考えられない。
遠目にはロックボアたちが蜘蛛の子を散らすように逃げていっているのが見えた。たぶんここで泥浴びをしていて、巨像が現れたからびっくりしたんだろう。
そりゃこんなのが現れたら逃げたくなるってもんだ。
しかしこの像、何メートルくらいあるんだろう。四つん這いになってるだけで大きな橋くらいの大きさがある。
いったい何で動いてるんだろう? 魔法以外には考えられないけど……。
なんてことを考えていたら、不意に足首を何者かに掴まれた。
私の身体にすがるように泥まみれの生き物が這いあがってきて、新手のモンスターかと思わず腰を抜かしそうになったがよく見たらイヴちゃんだった。
「げほっ、ごほっ、かはっ! ううっ……最悪っ」
私の胸に顔を埋めたまま、弱々しく呻くイヴちゃん。
酸っぱいものを食べて弱ってるときに水責めにあったせいか、相当堪えたようだ。
次々と泥人間が起き上がってくる。シルエットからユリーちゃんとミントちゃんだとわかった。ふたりともフラフラだ。
あっ!? そういえば……シロちゃんとクロちゃんは!?
慌てて探すと、水面から力なく伸びる手がふたつ。
私は泥に足をとられながらも駆け寄って、その手を引っ張り上げた。
ジャバーと音をたててふたつの泥山が現れた。シロちゃんとクロちゃんはローブを着ているせいか、たっぷりと泥をかぶったようだ。
背中をさすりながら呼びかけると、泥まみれの顔から口だけ開けて虫の息のような呼吸をはじめた。
生きてる! よ、よかったぁ……。
また心臓マッサージをする必要があるかと思っていたのでひと安心する。
揃った私たちは肩を組みあって、力をあわせて泥の外に這い出る。
安全圏で巨像の様子を眺めていたら、しばらくして排水は止まった。
水を吐くだけはいて泥沼の水かさを増やした巨大石像は、心なしかスッキリした様子に見えた。
あたりを揺らす地響きを轟かせながら、ふたたび土の中へと身体を沈めていく。
地表から顔だけ出すという定位置に戻ると、再びアーンと大口をあけた。入口をつくり、ダンジョンの体に戻ったようだ。それっきり動かなくなる。
「ハァ、まさかアイツの身体の中だったなんて思いもよらなかったわ、しかも吐き出されるなんて……」
最初に感想を漏らしたイヴちゃんはなんだか悔しそうだった。いくら石像の行動とはいえ汚物みたいな扱いを受けたのにプライドが傷ついたんだろう。
「でも、たのしかったねぇ!」
泥遊びを終えた子供のようなミントちゃんは満面の笑顔を振りまいていた。
「はい。それにみなさんご無事で、本当に良かったです……」
純白のローブを泥で重くしたシロちゃんはしみじみとつぶやいた。
「あの像って、魔法で動いてるの?」
私は我が家の知恵袋に気になっていたことを尋ねてみる。
「巨大な像を動かすためには現代魔法の場合、触媒炉が必要とされる。それが見当たらなかったため、古代魔法に属する神代魔法によるものと思われる」
今はクロちゃんというよりドロちゃんという呼び方がしっくりきそうな見た目だったが、回答はいつもの通り明快だった。
「神代魔法……じゃああの像は神様が動かしてるってこと?」
さらなる疑問に対して、ドロちゃんは首をゆっくり上下に動かした。
「へへ、神だろうか鼻紙だろうが気にすんなって、バッチリ生きて戻れたしお目当てのモノも手に入れたからいいじゃねぇか。俺にかかればざっとこんなもんよ!」
罰当たりなことを言いながら立てた人差し指の上で木の腕輪をクルクル回すユリーちゃん。
外見は泥でカモフラージュした原始人みたいだったが、これ以上ないくらいの得意気な表情で自らの功を誇っている。
引っかかった罠はぜんぶ彼女が動させてたような気もするけど……まぁ結果オーライだからいっか。
いろいろあったけど……なんとか目標達成だ。
依頼人のいる町はラマール遺跡のちょっと先にあるらしい。
届ければ任務完了となるが、その前にこの泥まみれの身体をなんとかしようということになった。
ケッターの線路沿いにある河まで向かい、水浴びをすることに決めた。
河は遺跡から南の位置にあり、東西に一直線に走っているらしくとにかく南に向かえばたどり着けるということで、ひたすら南に歩いたらすぐに河を見つけることができた。
着くなり砂漠でオアシスを見つけたみたいに一斉に飛び込んだ。
「うっひょぉー! 生き返るぜぇー!」
水の中を転げ回りながら器用に装備を外し、服を脱いでいくユリーちゃん。
人目もはばからず下着姿になって、お風呂に入ってるみたいに身体をこすりはじめた。
その半裸の姿はキズだらけでワイルドさに溢れていたが、私は彼女が女の子であることのゆるぎない証拠を確認できた。
いや、疑ってたわけじゃないんだけど……一応ね。
ちなみに大きさ的には……うん、私の勝ち。
「おいっ! なにジロジロ見てやがるんだよ! オマエらも脱げよっ!」
やっぱりみんなもユリーちゃんが本当に女の子かどうか気になっていたらしく、見すぎて怒られた。
「あの……そのお身体のキズは……?」
シロちゃんはユリーちゃんの身体じゅうについたキズが気になるらしく、気遣うような声で尋ねた。
「ん? これか? いろんなヤツと戦ってついた、いわば勇者の証ってヤツだ!」
「もしお差支えなければそのキズ、治療させていただけませんか?」
「お前の魔法でか? ハハ、できるもんならやってみな」
シロちゃんの懇願に、どこかバカにしたような口調で返すユリーちゃん。たぶんできっこないと思ってる。
「ありがとうございます」と頭を下げたシロちゃんはユリーちゃんの側で跪くと、祈りを捧げはじめた。
褐色の裸体につけられたキズがほわほわと淡く発光する。蛍のようなその光が消えるのにあわせてキズも消失する。
あれほどあった勇者の証はあっというまに消え失せ、かわりにキレイな肌のユリーちゃんに生まれ変わった。
最初は「なにかタネがあるんだろう」という半笑い顔で身体をまさぐっていた彼女だったがだんだん笑顔が消えて、
「うおおっ!? お前、いったい何モンだよ!?」
口をあんぐりさせて驚いていた。それで口の中の異変を感じとったのか、舌を動かして頬を膨らませたあと「すっげぇー! 口内炎も治ってんぞ!?」とアゴが外れんばかりに驚愕した。
「はい、一緒に治させていただきました」
ツヴィ女トップクラスの癒し手のシロちゃんはお茶目に微笑む
「ツヴィ女の連中がやけにキレイな肌してやがるから、どーせお嬢様みてぇな甘っちょろい授業ばっかりなんだろうと思ってたが、今やっとわかったぜ……コイツが治してたってわけか……」
「バカね、ひとりで全校生徒を治せるわけないでしょ。ツヴィ女はアンタのとこと違ってバカしかいないわけじゃないんだから」
身も蓋もないツッコミをするイヴちゃんに怒ったユリーちゃんがいどみかかる。
それをきっかけとして盛大な「脱がしっこ」が始まって、私たちは装備を外しあい、服を脱がせあった。
ユリーちゃんから押し倒され馬乗りになられたシロちゃん。止めようとしたが「い、いいえっ、だ、大丈夫れす……か、覚悟はできております……ぜ、是非、皆さまと同じようにしてくださいっ」と彼女なりに精一杯な凛とした表情で言われたので、流れに任せてみた。
ユリーちゃんはだいぶ乱暴に脱がしていたので不安になったがやがてスリップ姿になったあたりでシロちゃんは羞恥のあまり目を回しはじめたので止めにはいる。
下着姿になった私たちはお互いに水をかけあって、泥を洗い流す。
水遊びをしている最中、ふと河岸を見るとシロちゃんがみんなの服を洗おうとしていた。
腰ベルトのポーチから何やら小瓶を取り出している。
「なにそれ?」
「アライミを粉にしたものです」
瓶をつまんで見せてくれるシロちゃん。中には茶色い粉末が入っていた。
アライミ……木の実のことか。中の実はわりと美味しいんだけど、カラが硬すぎて割るのが大変だからあんまり食べないんだよね。
「これでお洗濯ができるんです」
彼女はそう言って粉末を私のシャツにふりかけ、やさしく手洗いをする。
すると、真っ白い泡がたちはじめた。
おおっ、本当に洗剤みたいに泡が出てる……なるほど、木の実にはこういう使い方もあるんだ。
……木の実というと食べる用途しか思いつかない自分がちょっと恥ずかしくなる。
愛する子供の服を洗濯するお母さんのような……幸せそうな表情のシロちゃん。
「なんだか楽しそうだね」
「はいっ、みなさんのお召し物を洗わせていただくのが夢だったんです」
青いシャツをすすぎながら、テンション高めの答えを返してきた。
学院の寮の洗濯場でシロちゃんと会うときまって「お洗濯でしたら私にさせていただけませんか?」とお願いされる。悪いから断っていつも自分でやってたんだけど、まさか夢だったなんて思いもしなかった。
洗い終わった服や装備は木の枝にひっかけて乾かした。
このあたりは気温が高いうえにカラッとした陽気で乾燥させるにはもってこいで、さらに下で火を焚いたので乾くのはすぐだった。
装備はおろしたてみたいにキレイになった上に、ふかふかになった。
清潔な装備を身に着けた私たちは気持ちも新たに、颯爽と依頼人が待つ街へと出発した。




