04
朝会ったときは勇者ルックだったけど、今は皆と同じブレザーを着ているユリーちゃん。
「さぁ、俺と勝負だリリー! 地獄の一丁目の始まりだぜ!!」
かわいらしい制服姿とは真逆の荒々しい言葉が飛び出す。
な……なんで幼なじみの子と地獄を見なきゃいけないの。
「アンタの知り合いなの? コイツ」
反対側に座っているイヴちゃんが割り込んできた。
「うん、幼なじみのユリーちゃん。ユリーちゃん、こっちはイヴちゃんだよ」
「あっ、さっきぶつかってきたおさげゴリラ! リリーを襲うんだったら俺が相手になるぞ!!」
「誰がおさげゴリラよっ!? それに襲ったりなんかしないわよ! アンタじゃあるまいし!!」
「なんだとぉ!?」
同時に掴みかかろうとするイヴちゃんとユリーちゃんに挟まれて、私はふたりから襲われてるみたいになる。
流れ弾のようなパンチがボコボコと顔に当たり、たまらずふたりを押し返した。
「もうっ、ふたりともケンカしないで!」
っていうか私を挟んで殴り合うのをやめてほしい。
シロちゃんが、ユリーさんのケガも治させていただけませんかと申し出てくれたので、お願いすることにした。……ひどい目にあわされたというのにシロちゃんのやさしさは底なしだね。
治療の途中イヴちゃんが「ソイツのは自業自得なんだからほっとけばいいのに」なんて言ったせいで掴みあいが再開しそうになったので「やめて!」とまた押し返すハメになった。
ふと気が付くと、まわりのクラスメイトの視線を集めていることに気付く。
先生から「もう授業始めていいか~?」と聞かれたので慌てて居住まいを正した。
一時間目の授業は「社会」。
冒険者の観点からみた政治経済などを学ぶ科目だ。
今日はバスティド島を取り巻く大陸との歴史と現在の関係について。
バスティド島は8つの大国に囲まれており、この島の冒険者はやがてその大国に旅立っていく。……ママみたいに。
私もいつかはママを追いかけて、この島から旅立っていくつもりだ。できれば……ゆかいな仲間たちと共に。その様子をチラリと横目で伺う。
先生の説明に聞き入るイヴちゃん。
しっかりとノートをとるシロちゃん。
その姿を真似してお絵かきをはじめるミントちゃん。
ひたすら虚空を見つめるクロちゃん。
ここまでは、いつもの授業風景。問題のユリーちゃんはというと……。
瞬きをするのも惜しむかのように目を見開き、前のめりになって授業を受けていた。
「この問題わかる者」
「はーいっ! はいはいはいはいっ!!」
先生からの問いかけに、挙手しながら勢いよく立ち上がるユリーちゃん。
明らかにひとりだけテンションの違う彼女は元気に答ると、なぜかこちらを見てニヤリと笑った。
ミントちゃんは呑気に「ユリーちゃん、元気だねぇ」と言った。
ユリーちゃんはずっとそんなカンジで二時間目と三時間目の授業も彼女の独壇場だった。……まわりが引いていただけかもしれないけど。
四時間目は生存術。野山とかで生活するための知識を学ぶ授業。
キャンプのやり方とかは別で教わるんだけど、それのさらに原始的なやつ。装備とかがなくなった時でも生き抜いていける技術を身に着けるのが目的だ。
キャンプの知識があるのでそれで十分かなと今までは思ってたんだけど、夏休みの課題のとき海で漂流して死にかけたことがあったので新たに選択するようにしたんだ。
今日は火起こしの練習。マッチや魔法などを使わずに火を焚く勉強だ。
体操服に着替えた生徒たちは校舎の裏にある林に集まり、まずは先生の説明を聞く。
手順としてはまず石で石を叩いて形を整え、石器を作る。
そして石器を使って木を伐採し、火を起こしやすい形状に加工する。ついでに木くずも作る。
木と木をこすりあわせて火を起こして、火種ができたら木くずを投入して、息を吹きかける。
それでうまくいえば燃え上がって、火起こし完了……らしい。
私の隣にいたユリーちゃんは先生の話を聞きながらチラチラとこちらの様子を伺っている。
先生が「じゃあみんなやってみて、火が起こせたら先生に知らせてね」と言った瞬間ユリーちゃんは身体を翻し、地面にダイブした。
腹ばい状態で滑り込みながら、広げた手であたりの石をかき集めている。
いったい何事かとびっくりしてしまったが、これも彼女なりの張り切り方なんだろうと納得する。
さて私も石を……と思ったけどあらかたユリーちゃんに持っていかれていて見当たらない。
しょうがないので少し離れたところにある石を拾おうと思ったら、割り込むように滑ってきた彼女に奪われてしまった。
授業開始のわずか数秒でユリーちゃんは土埃まみれになっていたが、山盛りに集まった石を前にご満悦の表情だ。
カラスじゃあるまいし石をそんなに集めてどうするつもりなんだろう……と思ったが、彼女は誰かが石を拾おうとするのを妨害したいだけのようだった。
石を見つけた生徒がいたらそこまでヘッドスライディングしていき、威嚇しながら石を奪う……まるで縄張りを主張するサメみたいに。
まわりの女の子たちはポカンとしている。
まったく……実技のジャマして、みんなに迷惑かけて……こうなったらひと肌ぬぐしかないか。
私は高い岩に飛び乗って、林の奥のほうを見ながら叫ぶ。
「ああっ!? あんなところに良さげな石がいっぱい! 今すぐ取りにいかなきゃ!!」
脊髄反射のような勢いでヤブの中に滑っていくユリーちゃんを見送ったあと、彼女が集めた石山のなかからいくつか拝借。
余った石をほかのクラスメイトにも配ったあと、私はようやく作業を開始した。
まずは木を削るための刃物作り。平らな石を丸い石で叩いて整形し、いわゆる石器というやつを作る。
私の対面で包丁で千切りするくらいの早いリズムで石を叩くユリーちゃん。さっさと整形を終えると完成した石器を手に、まるで狩りにでも向かうかのような勢いで飛び出していった。
少し遅れて私も石器を完成させたので、次は火起こしの道具を作るために木を探すことにする。
林のなかに足を踏み入れながら、あたりを見回す。
先生はあんまり新しくなくて硬い木がいいって言ってた。
……木の実はよく知ってるんだけど、それがなってる木のほうには全然興味がないのでどれがいいんだかさっぱりだ。
水気の少なそうなのがいいんだろうから枯木のほうがいいのかなと思い落ちている木を拾い集めていると、切り倒したばかりのような木を引きずるユリーちゃんが得意げな顔で通りすぎていった。
丸ごと一本の木なんて、使わないくせに……それにあれはマシバイの木だった。
あれに生るドングリは身が柔らかくて渋みがなくておいしいのに……でもめったに実ができないから私はマシバイの実を見つけると嬉しくなる。
そんな貴重な実がなる木をどうせ遊び半分みたいな気分で切り倒すなんて……。
私はちょっとイライラしていたが、深呼吸して気持ちを落ち着ける。
まあいっか、と思いなおし地面にあぐらをかいて石器で木を削っているとユリーちゃんが向かっていった林の奥のほうから悲鳴が聞こえてきた。
何かあったのかと立ち上がり、声のする方向に向かう。イヤな予感を胸に抱きながら。
茂みをかきわけかきわけ出た先では、とんでもない光景が広がっていた。
「よっしゃー! 俺が一番だぁっ!!」
燃え盛る木々をバックに、天を仰ぎながら拳を突き上げるユリーちゃんがいた。そのまわりではクラスメイトや動物たちが必死の形相で逃げ惑っていた。
……まるで地獄みたいな光景だった。まさかこれがユリーちゃんの言ってた「地獄の一丁目」なんだろうか。
騒ぎを聞きつけた先生たちが集まってきて、魔法で消火をはじめた。
そんなことはおかまいなしに笑顔でこちらに駆け寄ってくるユリーちゃん。
それがトドメとなって、堪忍袋の緒が切れる音が私のなかで響いた。
「どうだリリー! これで俺の勝ち」
「いい加減にしてっ! ユリーちゃんっ!!」
彼女の言葉を遮るように怒鳴りつけると、さすがの彼女もビクッとなった。
「勝ち負けなんてどうでもいいことにこだわって、みんなに迷惑かけて!! どうしてそうなのっ!? そんなに勝負したければひとりでやってればいいのよ!! もうユリーちゃんのことなんか知らないっ!!!」
怒りに任せて叫んだあと、彼女に背を向け離れた。
背後からユリーちゃんの声が聞こえたけど無視して走り去る。
モヤモヤした気持ちを振り払うように、私は全力疾走をはじめる。
感情の赴くまま校庭を横断し校舎内を駆け抜け、倒れるまで走り続けた。
気が付くと……いつのまにか図書館の中で大の字に寝転んでいた。
イヤなことがあると、ついガムシャラに走ってしまう。
でもおかげで少しスッキリした。
まったく……ユリーちゃんめ。なんであんなに勝ち負けにこだわるんだろうなぁ……。
勝負といえば……ユリーちゃんと子供のころ一緒に読んだ絵本で、忘れられないのがある。
えーっと、なんてタイトルだったっけ……たしか「ふたりの勇者」だ。
ある国に剣と盾の勇者と、二刀流の勇者のふたりの勇者がいて、平和を守っていた。
そこに巨大な猛獣が現れて、民衆を襲いはじめる。
ふたりの勇者は協力して自分の何倍もの大きさのある猛獣を倒すんだけど、最後の一撃はふたり同時だったんだ。
民衆は勇者たちに感謝するんだけど……その中にいた子供の何気ない一言で、猛獣を倒したのはどっちなのか、って話になる。
その話がどんどん大きくなって……最後にふたりの勇者はどっちが強いのか、ってことになって1対1の決闘をはじめるんだよね。
対峙する剣と盾の勇者と、二刀の勇者、ふたりはしばらくにらみあったあと、先に動いたのは二刀の勇者だった。
雄叫びをあげながら接近する二刀の勇者、それを迎えうつ剣と盾の勇者!
両者の剣がぶつかり、火花散る激しいつばぜりあい!!
……ここは物語のなかでも最高に盛り上がるトコなんだけど、その時読んでいた絵本はなぜか先のページが破れてなかったんだよね。
だから、私はふたりの勇者のどちらが勝ったのかを知らない。
あ、それで思い出した。続きが気になりすぎた私とユリーちゃんは本がおいてありそうなところに片っ端から行ったんだった。この学院の図書館も調べた記憶がある。
そのときは無かったけど、だいぶたつから新たに蔵書に加わったりしてないかな。
今日は午後の授業もなくてヒマだから……探してみようかな。
淡い期待を持った私は立ち上がり、館内の絵本コーナーを調べてみた。
が、お目当ての絵本は見つからなかった。
……ガッカリしながら歩いていると、閲覧コーナーのテーブルで読書にふけるイヴちゃんが目に入った。
近づいて隣に腰掛けると、イヴちゃんは視線を本に落としたまま口を開いた。
「アイツがアンタの言ってた初恋の相手ってわけね」
「うん……まさか女の子だとは思わなかったけど」
「言葉遣いはアレだけど、見た目は女じゃない」
「うーん、昔は外見ももっと男の子っぽかったんだけどねぇ」
イヴちゃんは「どーだか」とからかうように言ったあと、
「アンタは観察力だけは人よりほんの少しだけあるクセに、他人の表情とか感情に対してはニブいとこがあるからアテにならないわね」
「えっ、そ、そうかなぁ?」
「別に褒めたわけじゃないわよ」
ため息まじりに呆れられた。
返答しても特に反応はなく、無言でページをめくるイヴちゃん。ふとその手が止まった。
「……いまでも好きなの?」
「うん。もちろん」
私は即答した。
ユリーちゃんに対して怒ってはいるけど、嫌いになったわけじゃない。
「そ、そう……」
ユリーちゃんに対して感じていた好意。
一緒にいたい、おしゃべりしていたい。身体に触れたい、笑顔を見たい。
アダ名で呼び合って、心の距離をもっと縮めたい……。
それと同じ感情を、イヴちゃんに会ったときにも抱いたような気がする。
ユリーちゃんとイヴちゃん。ふたりのことは再会するまでほとんど覚えてなかったけど、その気持ちだけはちゃんと覚えている自信がある。
イヴちゃんの横顔を見てこみあげてくる感情を再確認し、ひとり納得する。
「うんうん。やっぱり同じだ」
「なにがよ?」
「イヴちゃんのことが大好きだったんだなぁって」
「なっ、突然ナニ言いだすのよアンタ」
急に弾けたように立ち上がるイヴちゃん。顔が赤い……怒らせちゃったかな。
「ええっ、イヴちゃんは私のことキライなの?」
「知らないわよ、バカッ!!」
彼女は上空から私を怒鳴りつけたあと、背を向け図書館から出ていってしまった。
……なんで怒っちゃったんだろう?
ティアちゃん家の庭園で怒られたときみたいにたぶん何か理由があるんだろうけど……やっぱり私はイヴちゃんが指摘するように、人の感情を察するのが苦手なんだろうか。
ため息をつきながら窓のほうを向くと、校舎裏の花壇が目に入った。
イキイキと咲いている花々の側では、何やらやっているシロちゃんがいた。
彼女は「えい、えい」とかけ声をあげながら、空中を手さぐりしている。
なにしてるんだろう……パントマイムの練習かな?
私は裏口から図書館を出て、シロちゃんの所に行ってみた。
「なにしてるの? シロちゃん」
近づいて声をかけると彼女は「あっ、リリーさん」と言いながら居住まいを正した。
「はい、ベルさんから『しょうだ』というのを教えていただいたので、練習しておりました」
「しょうだ?」
「はい。モンスターさんに襲われたときにこれを出せば、遠くに突き飛ばすことができるそうです」
「ふぅん」
「『せいけんづき』? というのも教えいただいたのですが、こちらのほうが私にはあっているんじゃないかとおっしゃっていただきましたので、こうして練習しておりました」
「そうなんだ」
シロちゃんの「しょうだ」のアクセントが妙だったので最初は何のことかわからなかったが、正拳突きのくだりまで聞いてそれが格闘技であることがようやくわかった。『掌打』か。
「はい。モーニングスターは全く使えませんでしたけど、これなら練習できそうです」
嬉しそうに照れ笑いするシロちゃん。
同じ僧侶科のベルちゃんは回復呪文が苦手だということで、シロちゃんから教わってるみたいだ。
逆にシロちゃんは戦闘が苦手なので、おかえしにベルちゃんが教えてあげてるんだろう。
一般的に僧侶というのは状況に応じて武器を使った戦闘も行う。武器としてよく使われるのはトゲつきの鉄球をクサリと繋いだ柄で振り回す『モーニングスター』である。
シロちゃんはこれの扱いが大の苦手のようで、モーニングスターを扱う授業でハタから見ているとしょっちゅう自分に鉄球をくらわせている姿がおなじみとなっていた。
彼女がやってるのは撫でるみたいなやさしい掌底で全然威力はなさそうだけど……そうやって自分の苦手なことを克服するために努力するのはいいことなんじゃないかと思う。
それに、素手の攻撃なら少なくとも自分を傷つけることはないだろうし。
「……あの、リリーさん」
急に思いつめたような表情になるシロちゃん。
「なに?」
「……む、むむむ」
顔をみるみる赤く染めながら、突如唸りだす。まるで沸騰するヤカンみたいに。
「ど、どうしたのシロちゃん?」
「むむむむむむむむむっ……胸の大きい女性のことを、どっ、どう思われますか?」
「胸? どうって……あ、ユリーちゃんに引っ張られたことを気にしてるんだね?」
シロちゃんはびっくりして目をまんまるにする。なぜわかったのかという驚きを見せたあと、「……はい」と蚊の鳴くような声で私の問いに答えた。
「そっ、その、私は……むっ、胸が人より大き……あ、い、いえ、えっと……飛び出ている……のかもしれない……みたいでして……その、あの……」
話の途中だったが何が言いたいのかは大体わかった。
「ユリーちゃんから胸を引っ張られたのは、シロちゃん自身の胸が大きいせいだと思ったんだね?」
「は、はいっ。すみません……皆様に見られているというのも気のせいかもしれませんし……何より自意識過剰だと思うのですが……」
謝ることではないと思うけど……現に私はお風呂の時とかよくチラ見してるし。
「いいんじゃないかなぁ?」
「えっ?」
「私がもしシロちゃんだったら胸張っちゃうな。みんなに自慢したくて」
「じ、自慢?」
「だってシロちゃんの胸のこと、みんな羨ましいと思ってるよ。私がそうだし」
「うっ……うら……羨ましい……ですか?」
青天の霹靂のような表情をするシロちゃん。まるで長年使っていた玄関の足ふきマットが実は空飛ぶじゅうたんでした、と聞かされたような顔だ。
「うん。ユリーちゃんも羨ましくてシロちゃんの胸を引っ張ったんだと思うよ」
「そっ、そうなのですか……?」
まだ信じられないといったカンジで大きな瞳をぱちくりさせるシロちゃん。私は大げさに頷いてみせた。
うーむ。彼女は世間知らずなところがあるけど、自分のボディがどれだけ魅惑的なのか知らなかったのか。
お風呂とかではいつも恥ずかしがるからてっきり気付いてるのかと思ったけど……ただ単純に身体を触られたり肌を見せたりするのに慣れてないだけなのかな。
「ユリーちゃんはシロちゃんに意地悪したかったわけじゃなくて、仲良くなりたかったんだよ。ちょっと過激なスキンシップだったかもしれないけど……嫌いにならないであげてね」
「そ、そんな、嫌いになるだなんて……とんでもありません」
ありえないといった表情で顔をプルプル左右に振るシロちゃん。
……私はときどき彼女のことが翼のない天使なんじゃないかと思うことがあるが、今がまさにそうだった。
そう、そうなのだ。彼女は非常に人見知りをするタイプだが、どんなことがあっても他人を嫌うことがない。
シロちゃんのやさしさが身に沁みて、思わずほっこりとしてしまう。
まったく、このやさしさの薄皮あたりくらいでもユリーちゃんにあればよかったのに。
「まてまてまてー!!」
その思いに待ったをかけるかのように黄色い声が響いた。
見ると、土煙をあげる勢いでミントちゃんがこちらに走ってくるのが見えた。
彼女はリスを追いかけているようだった。
彼女の瞬足であと一歩で捕まえられそうだったが、タッチの差でリスは跳躍する。
ムササビのように飛翔したリスは、そのままシロちゃんの豊かな胸に飛び込んだ。
「きゃっ!?」
双丘に毛玉をめりこませながら、悲鳴をあげるシロちゃん。
後を追うように飛んだミントちゃんは、なぜか私の胸に飛び込んできた。
「うわぁ」
飛びつかれてよろめいてしまい、倒れそうになったがなんとか踏みとどまる。
木に止まるセミみたいにしがみついて離れないミントちゃんは私の胸に顔を埋めながら「はぁ~ひとやすみひとやすみ……」と温かいお風呂に浸かったときのような声を漏らした。
リスに飛びつかれたシロちゃんのほうはくすぐったそうに身をよじらせている。
「あっあっあっあっ、あのっ、こっ……こちらに移動していただけませんか?」
手のひらを差し出して懇願するシロちゃん。
リスは胸をよじのぼり、導かれるままシロちゃんの手の上に移動する。
「ね、ねえミントちゃん……いったい何があったの?」
ニオイつけするみたいに私の胸に頬ずりしている彼女に尋ねると、我にかえってビシッとリスを指さした。
「ミントのどんぐり、とったの!」
小さな子供が母親に言いつけるように言ったあと、リスに向かって「メッ、メッ!」と叱るミントちゃん。
毛むくじゃらの小さな泥棒の手には緑と茶色の縞模様のどんぐりがある。ノワちゃんから貰ったという『魔法のどんぐり』だ。
私たちのピンチを救ってくれたこともある高性能なヤツなのでミントちゃんは必死に取り戻そうとしているんだろう。
だがリスは返してなるものかと言わんばかりにしっかりと抱えている。
「ど、どうしましょう……?」
助けを求める様子で私を見るシロちゃん。
手のひらの上にいるんだからサッと捕まえてしまえばいいんだろうけど……シロちゃんにそれを期待するのは難しそうだ。
考えた挙句、私は腰のポーチからマシバイの実を取り出した。
オヤツに食べようと思って持ち歩いていたやつなんだけど、実を見た瞬間ユリーちゃんの顔が浮かんでちょっとイヤな気持ちになってしまう。
「……これと交換ってのはどうかな?」
実をつまんで、リスの鼻先に近づける。ひくひくニオイを嗅がれたあと、ひったくられた。
……魔法のどんぐりのほうを返してくれる様子はない。
「それじゃダメ? うぅん……もう1個でどう?」
追加のマシバイを差し出すと、またしてもかっさらわれた。
3つ持つのはさすがに手に余るのかすかさずどんぐりを口の中に入れ、右の頬を膨らませた。
……まだダメか。
「ええい、じゃあもう1個!」
今度は左の頬が膨らんだ。
……なんて欲張りなリスだ。
マシバイの実は探すの大変なのになぁ……でもここで取引を中止しても渡した実は返してくれなさそうだ。
よぉし、こうなったら……。
私は次から次へ連続で木の実を差し出す。
出されるままに受け取るリスの手はあっという間にどんぐりでいっぱいになった。
まるでお金持ちのお嬢様の買い物の荷物持ちの執事みたいになったリスは、ついに魔法のどんぐりをぽとりと落とした。
私は速やかにそれを取る。
「じゃあ交渉成立ね!」
人さし指と親指でつまんだストライプのどんぐりを見せると、リスは眉間にシワを寄せたがそれ以上の抗議はなかった。
ミントちゃんにどんぐりを返すと、彼女はようやく私から降りた。
そのままシロちゃんに近づき、手の上にいるリスの頭を撫でる。
「かえしてくれたリスさん、いいこいいこ」
手のひらに包まれて、気持ち良さそうに目を閉じるリス。
「シロちゃんもいいこいいこ」
ミントちゃんは背伸びをしてシロちゃんの頭も撫でた。
「うふふ、ありがとうございます」
手が届きやすいように屈んだシロちゃんは、もみじみたいな手でなでなでされて嬉しそうだった。
いいないいな。順番的に考えて次は私だよねと思いながらしゃがみこんでみる。
しかしいくら待ってもミントちゃんの手がこちらに来ることはなかった。
「……ミントちゃん、私には?」
頭をちかづけて催促する。
オヤツを8個も進呈したんだから髪がわしゃわしゃになるまで撫でてほしい。
だけどミントちゃんはぷいっとそっぽを向いてしまった。
「いいこいいこしてあげないリリーちゃんにはいいこいいこしてあげない」
「え? な、なに?」
とっさには理解できず、聞き返してしまう。
「いいこいいこしてあげないからいいこいいこしてあげない」
い……一体なにを言ってるんだろう?
「リリーさんがいいこいいこしないから、ミントさんもしてあげない、とおっしゃってるんだと思います」
ミントちゃんの意思疎通の補助でも定評のあるシロちゃんからの言葉でようやく意味が理解できた。
「あ、なんだ、そういうこと」
早速ミントちゃんの頭を撫でてあげると、その顔が「ふにゃ~」という声とともにほころんだ。だけど途中でハッとなって「……って、ミントにじゃないよ!」と突っ込まれた。
「え、じゃあ誰にいいこいいこすればいいの?」
シロちゃんに? それともそのリスに?
「え~っと、誰だっけ?」
ミントちゃんは首をかしげながらあたりをキョロキョロ見回しはじめた。
「あ、あのこ!」
指さす方向を見ると……校庭のすみっこにいるユリーちゃんが目に入る。
彼女は私の名前を叫びながら木をボコボコと殴っていた。
木は打撃による揺さぶりによって葉が落ちており、一足早く冬枯れを迎えている。
「え……えーっと……ユリーちゃん? なんで?」
いまユリーちゃんが私にどんな感情を抱いているのか実にわかりやすい状況だったが、そんな彼女をなぜ私が撫でてあげなきゃいけないんだろう。
「いいこいいこしてほしそうだったよ~」
「……そうなの?」
「うんっ!」
屈託ない返事を受けて、思わず茫然となってしまった。
私はユリーちゃんと長いつきあいだと思ってたけど、そんな風に感じたことは一度もなかったからだ。
先ほどイヴちゃんから言われた「他人の表情とか感情に対してはニブい」という言葉が今になって胸にグサリと突き刺さる。
……イヴちゃんの言うとおり、私は人の気持ちに疎い人間なんだろうか。
ブルブルと顔を左右に振って、私は駆け出した。走らずにはおれなかった。
敵対心むき出しのライバル関係だなんて思ったりもしたけど……もしかしてユリーちゃんがあんなに挑戦的なのは、がんばった成果を私に見せたかったのかもしれない。
「ユリーちゃーんっ!!」
駆け寄りつつ背後から声をかけると、ユリーちゃんの肩がびくっとなった。
「なっ、なんだよっ」
振り向く彼女はファイティングポーズをとっている。
「いざ勝負勝負! どっちが先に寮に帰れるか競争だよっ!」
私もポーズを真似しつつ、なるべく挑戦的に叫んだ。
「お……おおっ!」
警戒心アリアリだったユリーちゃんの瞳が、久しぶりの散歩に出かける犬みたいに輝きを増した。
「じゃ、よーいドン!!」
「ああっ!? 待てよっ!!」
私がさっそく校門に向かって走り出すと、すぐにユリーちゃんが追いかけてくる。
……決めた。
こうなったら、ユリーちゃんの気が済むまで勝負しよう。もちろん全力で。
で、ユリーちゃんが勝ったらいっぱい「すごいね」って言ってあげよう。もちろん本気で。
私とユリーちゃんは、先を争うようにして並木道を駆けた。
抜きつ抜かれつのデッドヒート。
隣にユリーちゃんがいて、なにかをふたりで全力でやる。
そうだ……別に珍しいことじゃない。子供のころ、毎日のようにやってたじゃないか。
……ちなみに一番最初に寮に到着して勝利を手にしたのは、私たちのあとから追いかけてきたミントちゃんだった。




