表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リリーファンタジー  作者: 佐藤謙羊
ふたりの勇者
58/315

01 プロローグ

 バスティド島の王都、ミルヴァランスは最大の危機を迎えていた。


「申し上げます! 城のまわりに無数のダーク・ジャイアントたちが現れ、迫ってきております!!」


 玉座の間に転がり込んできた兵士は近衛兵たちに取り押さえられながらも、必死に叫んだ。


 その場にいた女王、大臣たちは一斉に兵士のほうを見る。

 一兵が断りもなく王の前に現れるなど本来は許されない行為であるが、報告の内容からそれどころではないことがわかる。


 玉座から立ち上がったのは、女王エミリア・パパラン・ミルヴァランス。


「ダーク・ジャイアント? 魔王軍の尖兵と呼ばれるモンスターたちが、なぜここに?」


「わかりません! 突如現れました! 本当に、いきなりだったんですっ!!」


 それだけ言うと、兵士は精魂尽きたようにがっくりとうなだれた。

 傍らに立っていた女大臣たちは女王の側に集まってきて、小声で囁きかける。


「隠密行動など不可能な大きさのダーク・ジャイアントが見張りに気付かれることなく奇襲してくるとは……おそらくは転送魔法かと思われます」


「きっと奴らの狙いはこの城の地下にある、闇の封印……!」


「そ、それが解かれてしまえば、世界は再び闇へと包まれてしまいます!」


「くっ……勇者たちが……勇者たちがいてくれれば……!」


 取り乱しはじめた大臣たちを手で制する女王。


「勇者たちは、魔王の居城に向かっています。その間……魔王を倒して戻ってくるまでは、我々で封印を死守せねば! 皆の者、迎撃準備を! 私も戦います!!」


 武具を身に着けた女王とその側近たちは城のまわりを一望できる見張り台へと向かった。先ほどの兵士もそこで勤務しており、緊急事態を知らせに来たのだ。


 塔の最上階からは、城のまわりを囲むおびただしい数の巨人たちが見下ろせた。

 淀んだ色の肌をもつダーク・ジャイアントたちはひしめきあいながら城の防衛線を次々と破壊しこちらに迫ってきている。


 この城の防御は堅牢なはずだった。いくら巨人とはいえ、数百人くらいであればなんとか撃退できたであろう。


 しかし……いま攻めてきているのは、数千、いや数万の巨人たちだ。

 先駆けのジャイアント数人は撃退できたものの、それ以上の数で押し寄せられ防御施設はあっさりと陥落した。


 大波に飲み込まれるようなスピードで、城は魔王群によって浸食されている。

 しかも巨人たちの後ろには、攻城兵器である弩弓がこれまた何千という数で城に向けて狙いを定めていた。


 圧倒的な数と、周到に用意された兵器たち。それは魔王の本気度の高さを伺わせた。

 この城を滅ぼすために魔王軍のほとんどを投入したのだろう。それも勇者の不在という、彼らにとっては絶好のタイミングで。


 唇を噛む女王。すぐさま決断しなければならなかったが、この圧倒的不利な状況を打開できる策は思いつかなかった。

 そのわずかな間に、城内へと続く最後の大扉が破られた。


 押し入ってきたジャイアントたちに兵士たちは絶句した。まるで津波が向かってくるかのような威圧感。

 唖然としている間に迫った巨人たちは、自分よりはるかに小さな者たちを大きな影で覆いつくした。


 軽いひと薙ぎで数十人もの兵士が吹き飛ばされる。こちらは最大級の攻撃である大砲の弾を命中させても一匹を倒すのでせいいっぱいだった。

 歴然とする戦力差と体格差。こんなモンスターに人間が勝てるわけがない。もはや戦いではなく一方的な蹂躙になりつつあった。


 遠方にある山の陰からワイバーンが現れる。せわしなく羽ばたく飛竜の上には醜い姿の老人と、禍々しい外見の全身鎧に身を包んだ魔人たちが乗っていた。

 空飛ぶ竜は塔の近くまで飛来したあとその場で浮遊をはじめる。巨人たちによって崩れていく城を眺めのよい特等席で見下ろしていた老人は大声で笑いだした。


「グァーッハッハッハッハ! グワーッハッハッハッハッハッハッ! 我が名は……『魔王』……!! すべてのモンスターを統べる者なり……!!」


 見張り台にいる女王に気付いた魔王。女王は「なぜ……魔王がこんな所に……!?」と驚いている。

 それに答えるかのごとく、魔王は天に向かって叫んだ。


「マヌケな勇者どもは今ごろ陽動部隊と遊んでおるところだわ! アレがオトリだと気付くころには、もうすべて終わり……!! 闇に包まれた世界になるのだ!! グワッハッハッハッハハッハッハッハッハーッ!!」


 魔王のしゃがれた笑い声が響きわたる。途中でそれを遮るかのように、どこからともなく声が響いた。


「イヴちゃん!!!」


 その呼びかけに応えたのは、城門にいたひとりの兵士だった。

 兵士にしては身分不相応な派手さの赤いローブを深くかぶっていたが、それを勢いよく投げ捨てる。


 そこには……真紅の鎧をまとった女騎士の姿があった。


「ああっ!? あ、あのお方はっ……!!


「ひ……『姫騎士』、イヴォンヌ・ラヴィエ様っ!?」


「本当だ! 姫騎士様だっ!!」


 金色に輝くツインテールの髪、烈火のように輝く赤い鎧。そして背中には……容姿に不釣合いなほど長大な剣。

 姫騎士と呼ばれた若き女戦士は迫ってくる巨人たちを前に、優雅に髪をかきあげていた。


「ああっ……姫騎士様! 逃げてくださいっ!!」


 まわりで見ていた兵士が叫ぶが、それでも女戦士はどこ吹く風。

 立ちはだかった巨人が振りかぶったところで、ようやく構えをとる。


 振り下ろされる拳を見て、誰もがもう手遅れだと思った次の瞬間、


「つりゃあああああああああああーーーーっ!!!!」


 姫騎士の口から地を揺らすような一喝が発せられた。

 その声は衝撃波となって、まるで爆風のごとく巨人たちを吹き飛ばす。


 周囲にいた兵士たちはたまらず全員しりもちをついてしまった。


「わあっ!?」


「な、なんということだ……」


「こ……声だけで、ジャイアントを退けた……!!」


 発声だけで巨人たちを城門の外まで追い返した姫騎士は、背中から大剣を引き抜く。

 それは女性にとっては持ち上げることすらひと苦労しそうな得物だったが、彼女は身体の一部のように軽々と扱っている。


 ウォーミングアップのごとく振り回したあと剣を掲げると、刀身が勢いよく燃え上がった。

 炎は刀身だけにとどまらず、まるでドラゴンの吐く炎のように伸びあがり、まるでこの剣が10倍ほど長くなったように見えた。


「いっくわよぉ!! みんな!!!」


 炎の大剣を、まるで錦の御旗のように振りかざしながら叫ぶ女騎士。

 そのひと声で臆していた兵士たちは勇気を与えられる。再び立ち上がり「おおーっ!!!」っと威勢をあげた。


「つづけーっ!!!」


 颯爽と駆け出す彼女の後には、すっかり士気を取り戻した兵士たちが続く。


 城門の外へと飛び出した女騎士は反撃を開始する。大剣をひと振りするたびに、彼女の何倍もの体躯をもつ巨人たちが次々と沈んでいく。

 立場逆転。さきほどまで人間たちを吹き飛ばしていたジャイアントたちが、今度は人間によって吹き飛ばされる立場になったのだ。


 ある巨人は宙に舞いあげられ地面にたたきつけられる、またある巨人は飛ばされて仲間にぶつかりドミノ倒しになる、逃げ場のない巨人は炎の剣によって消し炭に変えられた。


 今までは踏みつぶせば簡単に命を奪うことのできた人間であったが、彼女に関しては違った。

 存在を意識した瞬間、何もできずに一方的に狩られるしかないのだ。それほどまでに強く、またそれをやむなしと思えるほど気高かった。


「す、すごい! ひとりで巨人たちを圧倒している……!!」


「さすがは伝説の姫騎士だ!」


「このお方についていけば間違いない……! 絶対に勝てる!!」


 女騎士の進む先にいるジャイアントはすべてひと薙ぎで倒され、道ができていた。

 まさしく奇跡の瞬間。波のように押し寄せる巨人たちを次々と割り、人々を導く道をつくっていく。


 たったひとりで戦局を支配し、押し返していく姫騎士。それを見てシワだらけの顔をわずかにしかめさせた魔王は、


「なにをしている……援護せぬか……弩弓隊、あの女を狙うのだ……!」


 苛立った声とともに手をかざした。

 すると、ジャイアントたちの後方に控えていた弩弓が一斉に動き始める。


 ハチの巣のような発射台に装填された太槍を発射する木造のカラクリ装置。

 本来は攻城兵器であるはずのそれは一台であっても脅威なのだが、千を超える数がひとりの女騎士に狙いを定めた。


 発射されれば……まさしく逃げ場のない大量の槍が降り注ぐことになる。


「ま……まずい……!!」


「このままじゃ、我々も……ぜ、全滅だ……!! 全滅だぁっ……!!」


「な、なんとかしてくださいっ!! 姫騎士さまぁ!!」


 先頭にいた女騎士のまわりに集まってくる兵士たち。


 彼女ひとりであればあの程度の槍など何の問題にもならない。朝食前にいつもしている運動レベルでしかないだろう。

 だが……これだけ大勢いる兵士への流れ弾までは対応できない。


「クロちゃん!!!」


 その窮地に対し、天啓のように声が響いた。


 呼び声に反応したのは、姫騎士のあとに続いていた兵士のひとりだった。

 その兵士が被っていた黒いローブがするりと脱げ、足元に落ちた。


 下から現れたのは、似たような黒いローブだった。

 薄皮をひとつ剥いただけのような代わり映えのなさにまわりにいた兵士たちは拍子抜けする。


「ああーっ!! あ……あなた様はっ!?」


 だが、ローブに隠された顔を見た者たちが次々と驚きの声をあげる。 


「あ……『アークメイジ』の……クロコスミア・エンバーグロウ様だっ!!」


「アークメイジ……世界最強の魔法使いの称号……!!」


 黒い闇のようなローブを被った女魔導士。

 静かな佇まいが不気味さ感じさせ……まわりの兵士たちは一歩後ずさった。


 ローブの胸元から、青白い拳が出てくる。

 手のひらが開くのを合図とするように、彼女の背中から数えきれないほどの黒いオーラをまとった矢が浮かびあがった。


 それは次々と上空に向かって増殖していき、扇状に広がっていく。


「あ、あれは……マジックアロー!?」


「す、すごい矢の数だ……!」


「アレはどう見たって一万本はあるぞ……!?」


「バカな……王国魔法部隊が全員集まっても、数百本の矢を出すので精いっぱいなのに……!!」


 無数の矢弾を漆黒の翼のようにまとうその姿に、兵士たちは畏敬の念を抱く。

 しかし魔王は違った。不敵な笑みを浮かべたあと掌を振り下ろす。


「かまわん、撃て! もろとも撃ち殺せーっ!!」


 号令とともに弩弓は激しく振動し、けたたましい音をたて太槍が放たれる。

 まるで暗雲のごとく天を覆った槍の群れは姫騎士を、兵士たちを、そして魔導士めがけて豪雨のように降り注いだ。


 術師の性格を反映しているかのように、音もなく飛び出していくブラック・マジックアロー。


 落ちてくる黒き槍壁を、同じ色のオーラをまとった魔法の矢弾が迎え撃つ。

 お互いが衝突し、空中で色なき花火が炸裂した。


 どちらも黒かったのですぐには結果はわからなかった。目を見張る兵士たち。

 そこにパラパラと降り注いだのは……槍のものと思われる破片。


 すべてを粉砕し、完全勝利したのは魔導士の矢だった。

 しかもそれは衰える様子なく飛び、そのまま弩弓に着弾する。


 自らが放った数の倍返しでの反撃を受けた攻城兵器たちは、次々と爆散した。


「や、やった!!」


「攻撃を退けたばかりか……本体をも全滅させたぞ!!」


「た、助かった! 助かったぞぉ!」


 姫騎士に続く逆転劇に湧く兵士たち。しかしそれでも魔王は動じなかった。


「役立たずどもめ……! ならば魔法で皆殺しにしてくれるわ! 余の最強魔法……メテオフォールでな! これはアークメイジといえども防ぐことはできまいっ!!」


 メテオフォール。隕石を降らす魔法。

 威力、効果範囲ともに最強の部類に入る攻撃魔法。


 ついに自らの力を使うとは、いよいよ魔王も本気になったようだ。

 しかし隣にいた黒騎士たちは制止する。「メテオフォールでは下にいる仲間まで全滅させてしまう」と。


「かまわぬ!! 城ひとつ満足に落せぬ者など、我が魔王軍には不要だ!!」


 しかし怒鳴り声とともに進言を一蹴した魔王は目の前で握り拳をかため、呪文の詠唱をはじめた。

 彼には仲間という概念は存在しない。すべては自分の野望を達成するための駒でしかないのだ。


「ううっ……まさか味方を巻き込むのもいとわずに魔法を唱えてくるとは……!!」


「も、もはやこれまでなのか……?」


「お、おしまいだ! 王国はおしまいだぁ!!」


 最強の攻撃魔法の始動に、ただならぬ妖気があたりを包む。

 滅亡へのカウントダウンのような気配を感じ、恐れおののく兵士たち。


「シロちゃんっ!!」


 その雰囲気を吹き飛ばすように、颯爽とした声が響く。


「……はいっ!」


 折り目正しく返事したのは白いローブの人物。

 白い布をまとった女性は内股のまま上品に空に舞い上がる。その拍子にローブが風にのって飛ばされた。


「あ……あ……あの……お方は……」


「……『翼の聖女』……シロミミ・ナグサ様だ!!」


「う、美しい……!!」


 艶やかな黒髪と純白のプリーストローブを身にまとう穢れなき乙女は、背中に生えた光輝く翼をはばたかせて……天高く飛翔する。

 暗き空に紅一点のごとく浮かんだ聖女は祈るように手を組む。すると……まるで太陽のごとく光を放ちあたりを明るく照らした。


「ああ……あたたかい……」


「なんという……神々しさ……!!」


「おお……女神様……!!」


 春の日差しのようなやさしい光に包まれた兵士たちは自然とひざまずき、聖女と同じポーズで祈りを捧げはじめた。

 それをあざ笑う、地獄の底からの嘲笑のようなしゃがれ声。


「グァーッハッハッハッハ!! それで精一杯か!! …………滅びよ!!!」


 魔王の最後の念とともに、呪文が発動した。

 この世の終わりのような轟音とともに空が震え、星のような光がギラギラと瞬く。


 最初は流れ星のような大きさだったそれはどんどん大きくなる。

 炎をまとった隕石。ひとつだけでも壊滅的な打撃をあたえる存在が、群れとなって落ちてきたのだ。


 耳をつんざく轟音とともに、彼らに、いや、王国に降り注ぐ流星群。

 先ほどの槍に比べて数倍の迫力で迫ってくる星の欠片たちだったが、兵士たちは祈るのに必死で静かだった。


「祈ってもムダだ! なぜなら我こそがこの世界の神なのだからなぁーっ!!」


 魔王は勝利宣言のように高らかに叫ぶ。

 己の最大級の魔法、それがあとほんの数秒で炸裂するのだ。もはや自信は揺るぎない。


 しかしその想いを拒絶するかのように、初弾の隕石は王国の遥か上空で砕け散った。

 降り注ぐ隕石は不思議な力によって阻まれ、次々と空中爆発する。


 巨大なドーム状のオーラが、王国全体を覆っていた。


「ハァーッハッハッハッハ……ハ……? なにっ!?」


 隕石と同じく笑いを遮られ、目を剥く魔王。

 信じられない光景だった。この攻撃に耐えられる魔法がこの世に存在するなんて。


「もう……どなたも……傷つけさせませんっ」


 聖女はきっぱりと宣言する。


 魔王の最強攻撃魔法に対し、彼女は自らの最高の防御魔法で対抗した。

 そして見事守りきったのだ。


 守護魔法は王国全体を暖かい光で包んでいる。それはすべての暴力を許さぬ強さも兼ね備えていた。

 そう、まるで……母親のように。


 ひとりの兵士がさらなる異変に気付く。


「……け、ケガが……なおっていく……?」


 巨人に負わされた傷が、みるみるうちに塞がっていく。


 それは彼だけではなかった。まわりにいる仲間の兵士たちも、城内にいる負傷者たちも、城下町にいる病人までもが感じていた。

 魔王軍の度重なる攻撃によるケガも、生死の境をさまよっていた者も、今まさに事切れようとしていた者も……すべてが健やかに回復する。


 手をひさしのようにかざして空を眺めていた姫騎士は、コキコキと首を鳴らした。


「さて、と……ちょうどいい休憩になったわね」


 弩弓と隕石、空中からの度重なる攻撃は彼女にとっては脅威ではなかった。むしろ地上戦が一時停止することを見越してひと休みしていたのだ。

 地面に刺した大剣を引き抜き、大きく息を吸い込む。


「みんなーっ!! 準備はいいわねっ!? もっと飛ばしてくわよーっ!!!」


 その号令に「おおーっ!!!」と応える兵士たち。

 姫騎士から再び放たれた奇声……いや、闘気術を合図に快進撃が再開した。


「この……調子に乗りおってぇ……!!」


 さらに勢いを増し黒から赤へ戦況を塗り替えていく王国軍を見下ろしながら、歯ぎしりをしてついに悔しさをにじませる魔王。


「……こうなったら最後の切り札、オーツラム・ドラゴンを呼び寄せてやる……!!」


 昂ぶる口調で、魔王軍の最終兵器の投入を決断した。


 オーツラム・ドラゴン……伝説の雌竜。

 すべての竜の頂点に立つという竜の女王で、その爪は大地を割り、炎を浴びた者は灰すらも残らないという。

 強さだけでなく、美しさも兼ね備えたその姿から神竜とも呼ばれていた。


 味方につければ、たとえこの世界のすべてが敵になっても殲滅できるほどの力をもつ存在を呼び出そうというのだ……!!

 想像しているのか興奮気味に身体をまさぐる魔王。しかしその顔が、だんだん曇っていく。


「……むうっ? 笛が……竜を呼ぶ笛が……ない?」


 肌身離さず袖の下に入れているはずのモノがどこにもないのだ。


「フエってこれ~?」


 後ろから無邪気な声がする。


 魔王の背後から緑のローブを被った小さな女の子がひょっこりと顔を出した。

 その手には凝った装飾の施された金色の呼子笛があり、まるでお手玉で遊ぶように弾ませている。


「あっ!? よ、よせっ!! っていうか返せっ!!」


 魔王は飛びかかったが、少女はベテラン闘牛士のような余裕でひらりとかわす。

 勢いあまった魔王はべしゃりと床に倒れた。


「おじいちゃん、だいじょうぶ~?」


 しゃがんでのぞき込む少女。

 這いつくばったままの魔王は「も、者ども、捕まえろーっ!!」と叫んだ。


 側近である魔人たちが動いた。重そうな全身鎧を身にまとっているが、それが感じさせない迅速さで駆け出す。

 少女は背中を向けて走りだしたがそれほど広くない飛竜の背中の上では逃げ場も少なく、あっという間に追い詰められていた。


 周りを囲まれ、背後に足場はない。

 それでも少女は動じる様子もなく「へへー」と魔人たちに笑いかけると、緑のローブを空にむかって脱ぎ捨てた。


「あっ!? あの子は『マスター・シーフ』のミントちゃん!?」


「いつのまに……あんなトコロにっ!?」


「み、ミントちゃーんっ!!」


 地上から様子を見ていた兵士たちはざわめいた。


 緑のハンタードレスと着ぐるみみたいな大きな篭手。まるでおとぎ話から飛び出してきたような外見の小柄な少女。

 束ねられたブウランの髪は、まるで猫のしっぽみたいにクネクネ動いている。


 兵士たちは皆一様に「ミントちゃん」と呼んでおり、少女の親しみやすと知名度の高さを伺わせた。

 その人気者相手に、巨大な大鎌を手にした魔人たちが一斉に襲いかかる。


 鎌の刀身は返り血を塗り重ねたようにどす黒く、柄は人々の苦悶の表情が埋め込まれている。

 多くの命を奪ってきたことを伺わせる、見るだけで寿命が縮みそうな形状の武器であった。


 普通の人間であれば瞬きの間に首と上半身と下半身が分かれるほどの速さで振られた三連撃を、少女は薄皮一枚の距離でかわす。

 前方180度から次々と打ち込まれる音速の斬撃も、少女はすべてミリ単位でかわした。


 百人隊をひとりで全滅させたこともあるという最強の魔人たちの太刀筋にも、焦りが見えはじめる。

 絶対的有利な状況、こちらは複数、相手に逃げ場はなく、しかも幼い子供……なのに、ただの一撃を決めるどころかカスリ当たりすらできないのだ。


 いくら打ち込んでも、まるで幻影を相手にしているかのように手ごたえがない。


「ミントちゃんになんてことするんだーっ!! やめろーっ!!」


「がんばれー! ミントちゃーんっ!!」


「フレー! フレー! ミントちゃーんっ!!」


 自分たちの状況はさておき声援を送る兵士たち。


 かよわい少女がワイバーンの上でギリギリの大立ち回りを繰り広げている……下からはそう見えていた。

 しかし当の本人はまるでダンスを踊るかのように軽やかな動きで魔人たちを翻弄していた。


「へへ~ん、こっちこっち~!」


 ペロリと舌を出して挑発する。


 子供相手にまるで子供扱いされ、熱くなった魔人はつい前に踏み込む大振りの攻撃をしてしまった。それを避けられると、勢い余ってワイバーンから落ちそうになる。

 慌ててバランスを取ろうとするが背後に回り込まれた少女に、


「ちょん!」


 というかけ声とともに軽く背中を小突かれ、それが決定打となって足を踏み外し落ちていく。

 そうやって少女は指一本だけで魔王軍の最強兵士たちを次々と落としていった。


 魔人だかりを減らしていくと……隙間から魔王がチラリと見えた。

 なにやら少女に向かって呪文を詠唱している。


「わわっ、じゃあね~っ!!」


 少女は別れの挨拶とともに、飛竜から慌てて飛び降りる。

 直後、魔王の手から放たれた破壊光線が魔人たちを吹き飛ばし、長い長い筋を空に描いた。


「ああっ!? み、ミントちゃんが落ちたっ!?」


「み……ミントちゃあーんっ!!」


 仰天する兵士たち。

 攻撃魔法を回避したのだが、下からは落ちたように見えたのだ。


 空中を泳ぎながら、少女は宙を舞っていた緑のローブを掴む。先ほど自分で投げ捨てたやつだ。

 布の端を掴んで広げると、風を受けて膨らんだ。ローブを利用して即席の落下傘を作り上げる。


 急いで救助に飛んできた翼の聖女めがけて、少女は勢いよくダイブした。


「わぁーい!」


 ローブを再び投げ捨て、嬉々として聖女の胸に抱きつく。


「ああっ!? ……きゃっ!?」


 息を呑みながらも、飛び込んできた少女をしっかりと抱きとめる聖女。


 ふたりは勢いあまってその場でぐるんぐるんと回りだす。

 それはまるで女神と天使が遊んでいるように見えた。


 なんだか微笑ましい光景に、ホッとする兵士たち。

 安心した皆の心に……新たな希望が湧いてくる。


「勇者さま一行が4人も戻られた……! と、いうことは……!」


「勇者さまも……おられるのでは……!?」


「そうだ! きっと勇者様もおられるに違いないっ!!」


 口々に勇者の存在をはやしたてる。


 魔王の攻撃があるたびに勇者パーティのメンバーが次々と現れ窮地を救ってくれた。

 そのリーダーである勇者がここにいると考えても無理はない。


 「とってきたよ~!」と少女が投げた笛が、空を舞った。

 それをキャッチしたのは……兵士のなかにいた青いローブを被った女だった。


「ありがとっ」


 女は立てた二本指をピッと動かして礼を送ったあと、ローブを脱ぎすてた。


「ああーっ!! や……やっぱり!! 勇者さまだっ!! 勇者さまだぁーっ!!」


「勇者……リリーム・ルベルム様だっ!!」


「ああ、勇者リリームさま……我らの希望の星……!!」


 まわりにいる兵士たちが、口々に勇者の名前を呼ぶ。


 そう……私の名前を。


「ああっ!? なぜ貴様がここにいるっ!?」


 ワイバーン上から見ていた魔王が割って入ってきた。私は空を見上げながら答える。


「陽動作戦にひっかかったフリをしただけだよ。私たちのニセモノとそっちのニセモノがいまごろ戦ってるんじゃないかな」


 いつまでも姿を見せなかった魔王をおびき寄せるためにとった、大いなる賭け。

 敵の狙いは王城の地下にある闇の封印。魔王はその守りを手薄にしたくてニセの情報を流して陽動してきたんだ。


 お城にいる手練れを5人ほど選んで勇者パーティに変装してもらって、兵士たちの大半を引き連れてニセ魔王がいるという場所に行ってもらった。

 それで……お城には勇者が不在なうえに兵士たちもほとんどいないという状況を作り上げた。


 私たちはこっそり兵士に混ざって、魔王が現れるのを待ったんだ。

 最初はダーク・ジャイアントだけだったからちょっと不安になったけど、イヴちゃんにかき回してもらったら魔王は姿を現した。


 あとはみんなの活躍によって攻撃を退けまくって、魔王がムキになっている間に『竜を呼ぶ笛』をミントちゃんに盗んでもらったのだ。

 ……まだ終わりじゃないんだけど、これが私の考えた作戦。


 その続きをするべく、私は笛を構えて大きく深呼吸した。


「よ、よせーっ!!!!」


 飛び降りんばかりに前のめりになって制止しようとする魔王。無視して吐き出す息とともに笛を吹く。


 笛は音がしなかった。かわりに大空が、大地が、共鳴するような音をたてた。

 私の真上にある暗雲が渦を巻き、竜巻のように風を起こした。


 強い風圧が発生し、兵士たちは吹き飛ばされて目の前に大きな空地ができる。

 渦を巻いた暗雲が降りてきて、地面を穿った。土煙を巻き上げながらガリガリと大地に穴をあけていく。


 ぽっかりと空いた大きな穴の底から金色の光が放たれたかと思うと、黄金に輝く竜が飛び出してきた。

 嵐を操るように高く飛び上がったそれは空中で身体を翻し、広げた翼をゆっくりとはばたかせながら……目の前にズシンと着地した。


 それは、ジャイアントよりずっと大きく山のようだった。

 しかし、ジャイアントよりずっと美しく金塊のようだった。


 動くたびに輝く金色の身体はまるで美術品のようで、見るもの全てを魅了するような美しさだった。

 しかし鱗は曇りひとつなく、何者も傷つけられない存在であることがわかる。


 しかし眼には生気が感じられず、まるで真鍮のような瞳でこちらを見ていた。


 私は笛を足元に落とした。わずかに躊躇したものの、思い切ってブーツで踏みつける。

 軋む音のあと、さらに足に力を込めると衝撃音とともに笛は砕け散った。


 同時に、竜の瞳に光が戻った。

 がんじがらめに身体を縛っていた拘束が破壊されたかのように、オーツラム・ドラゴンがビクンとのけぞった。


 目の前にいる私に気が付くと、まるでいままでの鬱憤を晴らすかのように吼えかかってきた。

 爆音のような咆哮。灼熱の吐息が私の肌をじりじりと焦がす。


 しかし……私は怯まなかった。


「お願い、オーツラム・ドラゴン! 私たちに力を貸して! 悪を滅ぼすためにはあなたの力が必要なの!!」


 悪を……魔王を滅ぼすためには金色の竜の力……すなわち彼女の力が必要なのだ。


 これは、もうひとつの賭け。

 ここでオーツラム・ドラゴンが敵にまわればせっかく逆転したこの状況が覆り、世界は滅んでしまうかもしれない。


 私の訴えに対し、首をあげた竜は高い位置から私を見下ろした。


「なぜ、笛を破壊した……? その笛を使えば、余を操ることができたはず」


 その問いに対しては考えるまでもなかった。足元で粉々になっている笛を一瞥したあと、


「私はこんなモノには頼らない……力や恐怖で言うことを聞かせたんじゃ魔王と同じだから。私は魔王じゃなくて人間。だから……自分の言葉で、自分の心を信じて仲間になってもらいたかったんだ」


 私はイヴちゃんを、クロちゃんを、シロちゃんを、ミントちゃんを見る。そして兵士のひとたちを見回す。


「今ここにいる多くの人たちも……そうやって仲間になってもらったから」


 みんなを見たのと同じ瞳で、オーツラム・ドラゴンを見つめる。


「……これが、勇者というものか」


 全てを見透かすような金色の眼が私を捉えた。


「そなたを……我が主として認めよう。さぁ……余の背中に乗るがいい」


 金色の竜は、頭を垂れて姿勢を低くした。

 伝説の竜が心を開いた瞬間……王国すべての人間たちが歓声をあげ、大地を揺らした。


「リリー!! こっちは掃除おわったわよー!! 心おきなくやっちゃいなさい!!」


 ダーク・ジャイアントを全滅させたイヴちゃんが、炎をまとった大剣を応援旗のようにブンブンと振った。


「がんばって~!! リリーちゃーんっ!!」


 シロちゃんに抱っこされたまま、両手両足をバタバタさせるミントちゃん。


「お願いいたします……リリーさんっ」


 祈るような眼差しのシロちゃん。


「…………」


 マジックアローで「イケイケゴーゴーリリー」と空中に文字を作るクロちゃん。


 ……みんなの気持ちを受けて、私は黄金の竜の背中に飛び乗った。

 翼を広げた金竜は、鷹揚に飛びたつ。


「に……逃げろ……! 逃げるんだっ!! ……お! おいっ!? なぜ動かないっ!?!?」


 地団駄を踏むように飛竜の背中を蹴る魔王。が、羽ばたくのみで、動かない。

 それどころか、女王に跪くように高度を落としはじめた。


 迫ってくる女王竜に、狼狽しながら後ずさる魔王。

 私は剣を抜き、竜の背中を走って助走をつけた。


 下方に魔王を捉えながら私は大きく踏み込み、大ジャンプ。

 飛ぶ直前シロちゃんが「あっ、あぶないです!」と叫んだのが聞こえたが、いまの私は止められない……!!


 そう、誰にも……っ!!!


「魔王よ……!!!! おまえが作り出したすべての苦しみ、悲しみを……いま、ここで終わらせるっ!!!!!」


 私の叫びに呼応するように、空が金色に輝いた。それは雷の束となって、私の剣に降り注ぐ。


「そ、それはっ……!? 勇者のみが使えるという伝説の技……『フライング雷鳴カブト割り』っ!?!?!?」


 稲光に照らされ、魔王は腰を抜かした。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーっ!!!!!!!」


 雄叫びをあげながら、私はさらに飛翔する……!!


 が……見えない天井に、思いっきり激突した。

 ゴォンという鐘を打ったような鈍い音とともに、目に火花が走る。


「あ……あいったぁ~っ!?!?!?!?」


 一瞬何が起こったのかわからなかった。


「ああっ……!! す、すみませんっ!!」


 シロちゃんの悲痛な叫び声が聞こえる。


 わ、わかった……シロちゃんが作り出したオーラの天井に頭をぶつけてしまったんだ。

 飛ぶ直前、彼女が「あぶない」と叫んだ意味をようやく理解しながら…………私は墜落した。


 迫ってくる地面。

 だけど私は……慌てなかった。


 なぜなら地面に激突するまでにまた何か奇跡が起きると信じていたから。

 だって私は……勇者だもん。


 聞こえるのは風を切る音と仲間たちの悲鳴、そして魔王の笑い声。

 ……そろそろ何か……何か起きてくれてもいいんじゃないの?


 どんどん近づいてくる地面。ぶつかるまであと数メートル。

 もっ……もしかして……ホントにヤバい?


「うわあああああああああああああああああああああーっ!!!!!!!!!」


 地球とキスした瞬間、あたりは真っ暗になった。

 そして……私は……覚醒した……!!


 ……。


 …………。


 ………………いや、覚醒っていうと格好よく聞こえるけど、要は目が覚めたってことだ。



「い……いったぁ~!!」


 私は顔面に思いっきりカカト落としをくらって飛び起きた。勢いあまってベットから落ちる。

 せっかくいい夢を見てたのに台無しだ。こんな手荒な起こし方をするのはイヴちゃんしかいない。


「ひ、ひどいよイヴちゃん! 起こすんだったらもう少しやさしく……!」


 鼻をさすりつつ上体を起こして抗議する。

 じょじょに鮮明になっていく視界。見慣れた私の部屋の真ん中に……見知らぬ男の子が立っていた。


「……だ、誰?」


 びっくりして一気に目が覚めた。


 ショートカットの髪、褐色の肌、革の胸当てに藍色のシャツ、カーキのショートパンツという出で立ち。……よく見たら土足のままだ。

 人の部屋だというのにまるで主のごとく仁王立ちしており、侵入者を捕まえたみたいな目で私を見下ろしていた。


 そしてなぜか両脇にそれぞれシロちゃんとクロちゃんを抱えている。

 シロちゃんはうつむいたままぐったりしており、クロちゃんは黙ったまま抱えられている……が叩き起こされた猫みたいに不機嫌そうな顔で私を見ていた。


「人に尋ねるときは、自分から名乗るのが礼儀ってもんだろうが!」


 いきなり怒鳴られた。

 人の部屋に無断で入ってきておいて、寝てるところにカカト落としをするのはそれ以前の問題だと思うんだけど。


 こっちも怒るべきかそれとも名乗るべきか迷っているとしびれを切らしたのか、


「俺はダブルブレードのユリーだ!!」


 いきなり通り名みたいなのを叫ばれた。

 しかしそんなことよりも、聞き覚えのある名前に私はハッとなる。


「もしかして……ユリーちゃん?」


 忘れもしないその名前。

 私の初恋? の子の名前だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
★クリックして、この小説を応援していただけると助かります!
小説家になろう 勝手にランキング
ツギクルバナー cont_access.php?citi_cont_id=680037364&s script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ