15
お昼ごはんを食べたあと、シロちゃんとティアちゃんにそれぞれ片膝づつ提供して膝枕をしてあげた。
休んでいるふたりを見ているうちに、ついウトウトしてしまった。
ハッと気づくとシロちゃんとティアちゃんの顔にぼたぼたとヨダレを垂らしてしまっていた。
慌てて謝ったが、ふたりはあんまり……というか、全然怒ってなかった。
足がしびれて悶絶する私を逆に気づかってくれて、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。
ビリビリする足を休ませていたら、ミントちゃんとベルちゃんが戻ってきて「スパーリングしよっ!」と誘われ、庭園の前にある練習場まで連れていかれた。
午後の日差しは一段落した強さで、気持ちのよい陽気だった。
風も爽やかで、私の頬をやさしく撫でてくれた。通りすぎるたびに甘い果実の香りを残し、芳香に誘われた蝶や小鳥たちがのんびりと舞っている。
さっきウトウトしたばかりだったけど、こんな状況じゃなければ再びまどろんでしまいそうだ。
そんなうららかな庭園で……私はメイド服のまま木剣と盾を構えている。
目の前には構えをとるベルちゃん。
私を睨んでいる……模擬パーティ戦闘のときに見せた、鋭い目つきで。
不意に、ベルちゃんが動いた。牽制のパンチを放ってきたので、私はそれを盾で受ける。
直後にローキック、それを一歩退いてかわす。
前回の模擬パーティ戦闘で受けたのと同じコンビネーション。
そのときは思いっきりスネをローキックで蹴られてしまったが、何度も同じ手はくわない。
「うん、いいカンジ。朝戦ったときよりガードが良くなってる」
ベルちゃんも認めてくれた。いい気になりかけた直後、
「なら……こうだっ!」
彼女は叫びながら一歩踏み込み、前蹴りを放った。
それをそのまま盾で受ける。
インパクトの瞬間は問題なかったが、ベルちゃんはそこからさらに脚に力を込めて私を押した。
「おとととっ!?」
足で突き飛ばされるような形になって、後ろによろめく。
なんとかバランスを保とうとしたが、ここぞとばかりに追撃のタックルが飛んでききて、地面に押し倒されてしまった。
天を仰ぎながら「しまった、これが狙いだったか……!」と気づいた頃にはもう遅かった。
馬乗りになったベルちゃんが、拳を振り上げているのが見えた。
風を切る轟音とともに、その拳が降ってくる。
「わあっ!?」
思わず目をつぶってしまった。
……が、痛くない。
恐る恐る瞼を開けてみると、眼前にグローブのどアップがあった。
あ、そうか……寸止めって話だったっけ。
ルールを思い出した直後、身体に乗っていたプレッシャーがなくなる。
「さぁ、もういっちょ!」
マウントポジションを解除したベルちゃんは、グローブをした拳をバスンと打ち鳴らした。
私は慌てて身体を起こし、剣と盾を再び構える。
「がんばれ~!」と声がしたので横目で見ると、飛び跳ねながら応援してくれるミントちゃん。ハラハラしながら見つめるシロちゃん、腕組みしながら眺めているティアちゃんの姿。
三者三様に私たちの戦いを見守っている。
ベルちゃんに「いくよっ!」と声をかけられて視線を戻す。
彼女のステップのリズムが、さっきよりテンポアップしている。
私は蹴りを警戒して、姿勢を低くした。
「そう、いいね。腰を落とせば押されても倒れにくくなる」
今度は褒められても油断しない。すり足でじりじりと間合いを詰めていると、
「次は……こうだっ!」
ベルちゃんはいきなり地面を蹴った。
ぶわっと舞い上がる土煙。その中から小石が飛び出してきて、私の顔に向かってきた。
顔を覆うように盾のガードをあげて、跳ね返す。
盾の下のスキマから、滑り込んでくるベルちゃんが見えた。
石で私の注意をそらしたあと、ガラあきになった足元めがけて地を這うようなスライディングを決めた彼女は、私の足をカニばさみにする。
またしても気付いたときには後の祭り。ベルちゃんが身体を捻ると、私は再び倒された。
「ぐえっ!!」
顔からモロに地面に突っ込む。
土の味と香りが口いっぱいに広がる。
ベルちゃんは後転しながら素早く起き上がり、追撃としてうつ伏せ状態の私に拳を振り下ろす。
「キャッ!?」というシロちゃんの悲鳴が聞こえ、私も痛いのを覚悟したが……当たる直前で寸止めされて、背中を軽くポンと叩かれた。
「さあっ、もういっちょだ!」
拳のかわりに、彼女の熱血指導が炸裂する。
くっ……悔しい。体格差があるとはいえ、いくらなんでも一方的すぎる。
なんとかして一矢報いないと。
気合いを入れるため歯をくいしばると、口の中がじゃりじゃりした。
砂を噛む思いで砂を噛みしめながら、私は猛然と立ち上がる。
メイド服は土まみれだったけど、それどころじゃない。
袖で目のあたりを拭って、すぐに戦闘態勢に戻る。
防御ばっかりじゃなくて、こっちからも攻撃しなきゃ。でも……闇雲じゃダメだ。
ヘタに手を出すと模擬パーティ戦のときみたいに投げ飛ばされかねない。
なんとかして、ベルちゃんのニガテなところを見つけださないと。
私は彼女の身体を頭のてっぺんからつま先まで、舐めるように見渡した。
褐色の肌には玉のような汗が浮かび、引き締まった身体はリズミカルに揺れている。
そしてエモノを狙う鷹みたいな、鋭い眼光。私の動きに身体は反応しないが、視線はきちんと反応している。
なんだか……どこを狙っても簡単にあしらわれちゃいそうな気がしてきた。
ああ、ダメだダメだ。そうやってネガティブな考えに陥るのが私の悪いクセだ。
「体技で戦う者に共通する……あまり攻められ慣れてない部位……そこをとっかかりとして狙うんだ」
彼女は構えを維持したまま……ぼそぼそとつぶやいた。
いまのは明らかに、攻めあぐねる私に対してのアドバイスだ。
体技で戦う者に共通……? どこだろう……?
ええい、まずはどこでもいい。きっかけを掴むために打ち込んでみよう。
……ん? きっかけ?
そういえば、ベルちゃんのヒントも「とっかかり」とかなんとか言ってたな。
でも……そう考えるなら……おのずと的は絞られてくる。
よぉし、ならば! と意を決した私は木剣をぎゅっと握りしめたあと、
「えぇーいっ!」
かけ声とともに、とっかかりの一撃を放った。
……それから何戦か手合せをした。
ミントちゃんは応援に飽きたのか、ティアちゃんを誘ってホップスコッチを始めた。
途中でフランフランさんも加わって、すごく盛り上がっているようだった。
横目で見ていてちょっと羨ましくなったりもしたけど、ガマンして手合せをつづけた。
それはオヤツの時間くらいまで続いて……クタクタになった私は休憩とばかりに木陰にへたりこんでしまった。
「あいててて……いろいろ教えてくれてありがとうベルちゃん」
いくら寸止めとはいえ、何発かは当たったり倒されたりしたので身体はすっかりキズだらけだ。
「ううん、こっちもいい練習になったし、リリーが強くなってくれると嬉しいしね」
弾む息を整えながら、私の隣に座るベルちゃん。
ずっと心配そうに見ていたシロちゃんが駆け寄ってきた。「すぐに手当てをさせていただきます」と言いながら私の頬に手を伸ばす。
それを見ていたベルちゃんは、
「あ、そうだ! あたし、回復呪文ニガテなんだよね! キミ得意なんでしょ? 教えてよ!」
弾ける笑顔で詰め寄ってきた。
「えっ? は、はい……で、ですが……私がお教えするだなんて、そんな……」
驚いて引き気味になるシロちゃん。そんな大それたことはできないというニュアンスを漂わせている。
助けを求めるような顔でこっちを見たので、
「いいんじゃない? シロちゃんなら大丈夫だって、教えてあげなよ」
私の頬にあった彼女の手を握りしめて、勇気づけた。
シロちゃんは回復呪文にかけてはツヴィ女でもトップクラスの使い手だ。
そのうえ優しい性格だから、教えるのにも向いているだろう。
それに……引っ込み思案の彼女がこれを通じてベルちゃんともっと仲良くなってくれたらいいな、なんて思ったのだ。
「かっ、かしこまりました……ふっ、不束者ですが、どうか、どうかよろしくお願いいたします」
三つ指をついて頭を下げるシロちゃん。教える側なのに、かなりかしこまっている。
「じゃあ、早速なんだけど……」と前置きしたベルちゃんは、
「ミルヴァ……えーっと、なんだっけ?」
かなり初歩的っぽい質問を投げかけた。
「ミルヴァルメルシルソルド様ですか?」
長い名前をすらっと述べるシロちゃん。というか……僧侶系の人ならソラで言えて当然の女神様の名前だ。
回復呪文はそのミルヴァ様に祈ることによって力を借り、行使されるものなのだ。
「そう、そのミルヴァなんとか様に願いながら呪文を唱えればいいんだよね? でも、それがよくわかんなくってさぁ」
モンクとは思えないほど不信心者っぽいことを言うベルちゃん。
そんな彼女に対してもシロちゃんは驚いたり、怒ったり、苦笑したりはしなかった。
……というか、緊張しているみたいだ。
「はっ……はい、基本はそうなのですが……私はいつも、そのお方のことを想像しております」
「そのお方って……回復呪文をかける相手のこと?」
「はい、お元気にされていた頃のお姿を想像して、そうなっていただきたいとお祈りしながら呪文を詠唱しております」
優しい彼女のことだ、きっとうわべだけじゃなく、心の底から元気になってほしいと願っているんだろう。
ベルちゃんはナルホドと頷きつつ、ポケットから魔法触媒であるタリスマンを取り出す。
「……じゃあ、リリーのことを想えばいいんだね?」
そう言いながらタリスマンを持っている方の手を私の頬に当てる。……いつの間にか私が教材になっているようだ。
「はい」
頷くシロちゃん。
ベルちゃんは目を閉じて、何やらブツブツ言いだした。たぶん呪文を唱えてるんだろう。
なんだか効果が出ないなぁ、シロちゃんの呪文ならもう効果が出てる頃なのに……なんて思いながら黙って呪文にかけられていた。
少しして……異変が起こった。
「むぐっ……んふっ……」
身体をまさぐられるような感覚があって、思わず変な声が出てしまう。
「ど、どうされましたか?」
すぐに気遣ってくれるシロちゃん。
「い、いや……なんだか……くすぐったい……んふっ、むふふふふ」
なんだか羽根の先っちょでコチョコチョやられてるような感触が、全身を襲う。
絞り出すような笑い声をあげ、身体をもじもじさせていると、
「あ、あの……すみません。もしかして、リリーさんが笑顔になられているお姿を想像されていますか?」
見かねたシロちゃんがベルちゃんに尋ねた。
呪文を唱えるのに夢中なベルちゃんは頷くだけだった。
「あの、えっと、その……あまり笑顔を想像されますと、くすぐりの呪文になってしまいますので……」
シロちゃんがやんわり注意を促すと、ベルちゃんは再び頷いた。
だいぶ集中しているようで、私が笑っていることに気付いていないようだった。
「いひひひひ、くすっ、くすぐりの呪文なんて、そっ、そんなの、あるんだ」
少しでも気を紛らわせるために身体をよじりながらシロちゃんに聞くと、
「はい。元気なお姿といえば笑顔なんですけど……笑顔の割合が大きいと、祈りを聞き届けてくださるミルヴァルメルシルソルド様が誤解をされてしまうようでして、治癒の呪文ではなく、くすぐりの呪文になってしまうそうです」
シロちゃんはちょっと戸惑いながらも、わかりやすく説明してくれた。
原理はわかったけど、私のケガは一向に治る気配がない。だけどくすぐりはどんどんパワーアップしていくように感じた。
……こ、このままじゃ、ベルちゃんに呪殺されちゃう!
「あはははっ! おっ、お願いベルちゃん、あひひひっ! もうやめへぇ、けっ、ケガが治る前に、ふへへっ、わっ、笑い死んじゃうぅ!」
たまらず私はベルちゃんにしがみつき、笑いながら哀願した。
そこまでやってようやく窮状が伝わったのか、彼女は呪文の詠唱をやめてくれた。
「はぁ、はぁ、はぁ……ああ、苦しかったぁ」
そして私は九死に一生を得た。
「だ、大丈夫ですか?」
シロちゃんが背中をさすってくれたおかげで、だいぶ楽になる。
「おかしいなぁ、なんでだろ?」
納得いってない様子のベルちゃんは、手のひらのタリスマンを眺めている。
「ね、ねぇ、ベルちゃん……いったいどんな姿を想像したの?」
肩で息をしながら尋ねてみると、
「リリーが笑いながら坂道を転げ落ちてる姿だけど」
やけにきっぱりとした答えが帰ってきた。
そんな姿を想像してたんじゃ……くすぐりの呪文にもなるってもんだ。
「……私、生まれてこのかたそこまで爆笑したことないよ」
坂道を転がってもなお笑い続けるなんてどんな精神状態なんだろう。
「んー、そっかぁ、あたしの故郷ではそういうお祭りがあるんだけど、知らない?」
「知らない」
即答した。そんな奇祭、聞いたこともない。
「あたしにとって笑顔といえばそれなんだよね。お祭りが終わったあとは村のみんなが笑顔になるんだ。でも知らないのかぁ……残念」
がっくりと肩を落としてうなだれるベルちゃん。でもそれも束の間、
「そうだ! それじゃ、今度連れてってあげる!」
お手本のような笑顔とともに一瞬で復活した。




