30
目がさめると……たぶん、次の日の朝になっていた。
気絶する前と大きく違っていたのは……島のまわりが一面、海だということだった。
最初は何が起こっているのかわからなかったが、いつのまにか小島がバスティド島から離れているんじゃないかという結論になり、急いでみんなを叩き起こした。
全員で小島のまわりをぐるぐる回って確認してみたが、まわりは全方位、水平線だった。
あわてるみんなの中でも、ひとり冷静なクロちゃんが、
「……島亀」
いつもの口調でつぶやいた。
「しまがめ?」
「島ほどの大きさの亀のことを指す」
「え? なにそれ……この小島って、でっかい亀だったの?」
黙って頷くクロちゃん。
「えーっ、うっそお! それほんとぉ?」
「……海中を確認すると、頭、前足、後足、尾があった」
その一言に、クロちゃん以外は一斉に散った。島沿いに海面を覗き込むと……たしかにそれらしきものが出っ張って、ゆっくりと動いていた。
「カメさーん、とまってー!」
どんどんとその場でジャンプするミントちゃん。
「ちょっとアンタ! どこに連れてく気よ!」
大剣をドスドスと地面に刺すイヴちゃん。
「その程度では、島亀はキズつかない」
暴れるふたりに向かって、クロちゃんは淡々と言ってのけた。
「それに……島亀は死ぬと、海のなかに沈む」
「ってことは……」
「コイツが死んだら、海に放りだされるってこと?」
またしても黙って頷くクロちゃん。
「カメさんうそ! うそだよー! とまっちゃダメー!」
「ちょっとアンタ! 死んだら許さないわよ!」
今度は亀の身を案じだすミントちゃんとイヴちゃん。
地面に向かって叫ぶ二人を尻目に、
「あの……カメさんは、なぜ移動されているのでしょうか?」
シロちゃんがおずおずと聞いた。
「島亀は、百年に一度の頻度で引っ越しする」
「え……じゃあ私たちとゴブリンが戦った日が、グーゼン百年目だったってこと?」
「おそらく、そう」
「お引っ越し先は、どちらなのでしょうか……?」
「行き先は、不明」
「不明、か……」
ひとりごちていると、風にあおられたハナカイドウの花びらがヒラヒラと舞っていた。それを目で追っていると……ふと嫌な考えが頭をよぎった。
ハナカイドウって、東の大陸の花だけど……もしかしてこの島亀、もともと東の大陸からバスティド島に引っ越してきたんじゃないだろうか。
それがもし当たっているとしたら……引っ越しはものすごい長い距離を移動することになる。本人はそれでいいとしても……漂流同然に上に乗っている私たちはたまったもんじゃない。
杞憂であってほしいその考えは、お腹の鳴る音によって中断させられた。私だけじゃなく、みんなのお腹から合唱するようにぐーぐー音が鳴っている。よく考えたら、一昨日の夜から何も口にしていない。
「……とりあえず、ハナカイドウの実を食べようか」
私の提案に、みんなは静かに頷いた。
手分けして実を収穫しようということになったのだが……それはすぐに無理だとわかった。実はすべてもぎ取られたような跡があり、一個も残っていなかった。
考えるまでもなく……あのゴブリンが全部食べてしまったのだろう。
「あんのゴブリン……もう一回ぶった斬ってやりたいわ!」
「ひとつくらいのこしといてくれればいいのにぃ」
「ゴブリンさんも、お腹が空いていらっしゃったのですね……」
「……けち」
各々は恨み節をぶちまけた。
その憎きゴブリンがいたところを見ると、倒したときに落としたゴールドが散らばっていた。
拾い集めると……ぜんぶで五ゴールド硬貨が五枚……合計、二十五ゴールド。
私の掌のゴールドを覗き込んでいたイヴちゃんは、
「しけてるわねぇ~」
気が抜けたように言った。
ゴブリンを倒したときにもらえるゴールドとしては妥当な線だが、払った犠牲があまりにも大きすぎる。
でも、まぁ……モンスター初討伐の、記念すべき戦利品。せっかくなのでひとり一枚づつ分配した。
そうだ、戦利品で思い出した。
「ねえミントちゃん、ゴブリンから盗った袋の中って、何が入ってた?」
「あ……わすれてた」
そう言いながらミントちゃんは腰袋を取り出して、逆にして振った。みんなの視線が集中したところで、マッチ箱がぽとっと落ちてきた。……中身は、それだけだった。
ミントちゃんの掌のマッチ箱を覗きこんでいたイヴちゃんは、
「ほんっとにしけてるわぇね~」
やや怒り気味に言った。
でも、火があるのは何かと助かる。早速そのへんの枯れ草を集めてマッチで点火してみた。
足元で燃える炎を見ていると……多少の気は紛れたものの、草が焼ける匂いでさらに空腹を刺激されてしまったのでハナカイドウの実以外でなにか食べるものはないか、探すことにした。
木のウロとかを覗きこんでいると、
「せきばん、あったよぉ~!」
小さな石のプレートを手にしたミントちゃんが駆けてきた。
「えっ! どこにあったの?」
「あなほったらあった」
回文のような答えが返ってきた。
受け取った石版を見ると……『パーティ課題達成の石版』と、そのものズバリ書かれていた。
「ナイス! ミントちゃん!」
彼女の頭をナデナデしていると、こっちに歩いてくるイヴちゃん、シロちゃん、クロちゃんが目に入った。……三人とも、手に同じような石版を持っている。
「……」
ナデナデを中断した私は、なんとなくその場を掘ってみると……石版がでてきた。
「…………」
手近な場所を掘り返しまくってみると、ゴロゴロと石版が出土した。
「……なにこれ」
集めた大量の石版を見下ろす。
イヴちゃんは何か思いついたように手をポンと打つと、
「あー、わかった。パーティ課題って私たち専用のじゃなくて、共通の形式があるんじゃない?」
たまに見せる鋭いヒラメキを発揮した。
なるほど……考えてみれば、私たちのためだけに個別の課題を準備するなんて手間がかかりすぎる。タラッタの入り江に石碑をたてておいて、この島にあらかじめ大量の石版を埋めておけば……あとは定期的に石版を補充するだけで、毎年使い回しのできる課題ができあがる。
ってことは……卒業生のなかには私たちと同じ課題をやった人がいるかもしれない。
ただ……この島が生きているってことは、この課題を考えた人も知らなかったようだ。そりゃ百年に一度しか動かないんだったら、無理もないか。
……それから石版はいっぱい見つかったけど、食べれそうなものは何も見つからなかった。
あきらめた私たちは島の中央で背中あわせに座りながら、海のほうを監視して船が通りかかったら助けを求めよう……ということになった。
でも……結局その日は船の影すら見ることはなかった。
漂流して、二日目。
「ねえ」
「んー?」
「死ぬと、聖堂で復活できるじゃない?」
「うん」
「でも自殺の場合、復活しないって授業で習ったけど、本当かな?」
「さぁ、ねぇ」
「あの……ミルヴァルメルシルソルド様は自らの命を絶つ行為がお嫌いだそうですので……復活はさせていただけないと聖堂主様より伺ったことがあります」
「そっか……」
「そりゃ、自分の意思で死んだよーなヤツを復活させてもしょーがないでしょうしねぇ」
「じゃあ、飢え死にした場合って、どうなるのかな……?」
「飢え死に、ですか?」
「うん。それって自殺と他殺、どっちになるんだろう?」
「……すみません、私は、存じ上げておりません……」
漂流して、三日目。
「うみのみずって、のんじゃだめ?」
「うん……飲むと余計に喉がかわいちゃうよ」
「うにゅぅ~」
「花、たべちゃだめ?」
「あ、その花は有毒だからダメ。おなかいたくなっちゃうよ」
「うにゅぅ~」
「この草も、食べちゃだめ?」
「ダメじゃないけど、すごくマズいと思うよ」
「……にが~い」
「でしょ?」
「……うにゅぅ~」
漂流して、四日目。
「ねえ」
「…………」
「ためしに、死んでみようか?」
「…………」
「もしかしたら、復活できるかも」
「…………」
「ああ……」
「…………」
「船のごうちそう、もっと食べておけばよかったなぁ……」
「…………」
「ああ……」
「…………」
「船、通らないかなぁ……」
「…………」
「戻りたいなぁ……」
「…………」
漂流して……たぶん、五日目。昼も、夜も、おぼろげだった。身体を起こす気力もなく、寝たきりだった。みんなも、そんな感じだった。ミントちゃんが、シロちゃんの腕を噛んでいた。幻覚が見えているようで、シロちゃんの腕を食べ物と勘違いしているようだった。なんとか引きはがすと、「……大丈夫れす、ミントしゃんが紛れるなら……」と言うシロちゃんの腕は歯型がいっぱいついていた。火を焚いていたはずなのに、いつのまにか消えていた。私の目の前にはマッチ箱が転がっていて、中のマッチがぶちまけられていたけど……もう点ける気はしなかった。
……もうほとんど目が見えない。いまが何日なのか、何時なのか、わからない。ずっと耳鳴りがしていて、気持ち悪い。特に喉のあたりが。我慢できなくなってバリバリ掻きむしっていると、手にぬるっとした感触があって、ますます気持ち悪くなった。藁でできた人形が私の顔に近づいてきて、バンバン叩いた。……彼だけは、ずっと元気だ。払いのける気力もなかったので、叩かれるままになっていた。ひとしきり私を叩いた藁でできた人形は、マッチ棒を手に悩むように立ちつくしていた。藁が悩んでいるように見えるなんて、どうかしてる……と我ながら思ってしまった。
あたりは色がなかった。音もなかった。匂いもなかった。味もなかった。というか、何もなかった。あれほどあった苦しさも、ぜんぜんなくなっていた。ずっと身体が宙に浮いているような感じだった。どっちが上で、どっちが下で、どっちが空で、どっちが地面なのか、わからない。私もいよいよか、と思ったところで、だれかの手が触れた。それを握ると、少しだけ、色が、音が、匂いがもどってきた。それと同時に、苦しさも戻ってきた。嫌な気持ちになったけど、なぜだが嫌じゃなかった。私はふたつの手で、誰かと誰かの手を握った。もっともっと苦しくなった。手を離せば苦しさから解放されると思ったけど、離さなかった。手をたぐりよせて、身体を抱きしめた。もっともっともっと苦しくなった。けど私はひとりじゃなかった。この最期のときでも、ひとりじゃなかった。みんなとこのままひとつなりたいと思って……強く強く抱きしめた。
みんなを抱きしめたところで、
「……スィーラ……サティル……リブレ……」
私はつぶやいた。ママと私だけの、秘密の呪文を。
この呪文は誰にも秘密で、人のいるところで唱えちゃだめ、って言われていた。
たぶん、まわりにはみんながいる。
私はママとの約束を破ってしまった。
誰かが「あった……かい」とつぶやいていた。
……不意に、身体がゆさぶられた。うっすらとした視界の向こうには、どこかで見たような人が私を覗きこんでいて、
「おい! しっかりしろ! 大丈夫か!」
遠くで、そんな音が鳴っていた。
しばらくして、口に潤いが与えられた。それに必死になって吸いついた。瞼をあけると、
「おっ、気がついたか!」
どっかで見たような人……いや、商館長さんだ。商館長さんが、私の顔を覗きこんでいた。
「ほら、重湯だ、飲めるか?」
スプーンで口に入れてくれたそれを、ゆっくりと飲み干すと、身体に温かいものがしみわたっていった。
「みん…な…は?」
うわごとのように言と、
「ああ、心配すんな、ほら」
促された先を見ると、イヴちゃん、ミントちゃん、シロちゃん、クロちゃんがいた。私と同じようにベッドに横たわり、私と同じように衰弱しきっているようだった。
「あんな小島にぶっ倒れてたから、びっくりしちまったよ……いったい、なにがあったんだ?」
重湯を私に飲ませながら、商館長さんは言った。
私が何か言おうとすると、
「あ……やっぱいい、いい、今はしゃべんなくて、元気になったら聞かせてくれ」
労わるような口調で押しとどめられた。
「この船はツヴィートークに向かってるところだから、安心しな」
重湯を飲んで、少しづつ思考力が戻ってきた。どうやら私たちは商館長さんたちの乗った船に救出されたらしい。
これは……夢じゃないよね? 戻れる……生きて、戻れるんだ……。なにかがぷっつり切れたような感じがして、涙がぼろぼろこぼれてきた。
私の涙を見た商館長さんは、
「……大変だったんだな。元気になったら、獲ったイカたっぷり食わせてやっからよ。今はとにかく休むんだな」
それだけ言って部屋を出ていった。
止まらなかった。ずっと止まらなかった。もはや涙と呼べるほど希少なものではなく、しょっぱい水だった。それを眼球が溺れるんじゃないかと思うくらいに溢れさせ、顔をぐしょぐしょにした。人目もはばからず嗚咽をもらし、号泣した。私だけじゃなかった。イヴちゃんも、ミントちゃんも、シロちゃんも……わんわん泣いていた。クロちゃんまでも、泣いていた。
しばらくみんなで、子供のように泣きじゃくった。
……こうして、私たちのパーティ課題……十日間にもおよぶ大冒険は終りを告げた。




