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それは、一瞬の出来事だった。
標的を変えたグリフォンは、たった一回の羽ばたきで私を急襲、巨大な爪で突進してきたんだ。
……ゴシャッ!!
隕石が降ってきたような衝撃に襲われ、私はふっ飛ばされた。
構えていた盾はウエハースみたいに粉々になり、お腹はザックリとえぐれる。
崖に落ちたときは勘違いだったけど……今度は本当……本当にやられちゃったんだ……!
私は、穴の開いたワインの樽が、棚から転げ落ちるように……真っ赤な液体を撒き散らしながら、宙を舞っていた。
「リリ……ぐうっ!?」
まだ私は地面に着いてもいないのに、次の瞬間にはイヴちゃんがふっ飛ばされていた。
まるで、私のマネをするみたいに……。
一瞬、本当に一瞬……!
クロちゃんの詠唱は出だしのところで、シロちゃんは息を呑むヒマもなく、グリフォンの爪に貫かれていた。
私たち四人は、鳥かごのなかのトランプタワーみたいにあっさりと、戦闘不能にさせられちゃったんだ……!
あ……甘かった……!
ミントちゃんがツヴィートークから衛兵さんを呼んでくるまでの、時間稼ぎくらいならできると思っていたのに……!
残る頼みの綱は、ミントちゃんだけ。
私は地面に伏したまま、街に向かって駆けていく彼女の背中を……祈るような気持ちで見つめていた。
グリフォンはその背中にあっという間に追いつき、ネズミを狙う鷹のように急降下する。
しかしミントちゃんは後頭部に目でも付いているのか、寸前で爪攻撃をかわしていた。
いいぞ……! ミントちゃん……! そのまま逃げ切って……!
しかし、グリンフォンは彼女のすばしっこさに対し、大きく翼を開いてはためかせた。
「きゃんっ!?」
突風を起こされ、空に舞い上げられるミントちゃん。
無防備になった身体が、爪によって空中キャッチされ……トマトのように握り潰される。
「み……ミントちゃぁぁぁぁぁんっ!?」
しかし……悲しんでいる場合じゃなかった。
私が叫んだせいで、グリフォンは私がまだ生きていることを悟ったのか……大空で急旋回したんだ。
に……逃げなきゃ……!
でも……か……身体が……動かない……!
「……リリーっ!」
腰から沸き立った声に、視線を落とすと……そこには私の血でひたひたになっている聖剣のクルミちゃんがいた。
「このままやられちゃうなんて、嫌だっ……嫌だよっ! あと一歩……あと一歩でゴールなんだよっ!? リリーたちががんばって、ボクを運んでくれたのに……! それをあんなヤツにおじゃんにされるなんて、絶対に嫌だよぉっ……!」
「そ……それは私もおんなじだけど、もう……どうしようもないんだ……」
「いいやっ、まだ手はあるっ!」
「えっ」
クルミちゃんの柄に埋め込まれた、目玉のような宝石がキラリンと輝いた。
「ボクを……ボクを抜くんだ! ボクを抜いて……アイツをやっつけて!」
「い……いいの? ボクを抜いていいのは女神様だけだ、ってあんなに言ってたのに……」
私が言い返すと、クルミちゃんは「うっ」と言葉に詰まる。
わずかに逡巡したあと、振り払うようにブルブルと柄頭を振った。
「い……いいっ! かまわないっ! ボクの記念すべき最初のひと太刀は……リリー……勇者リリーにあげるっ! さあっ……早く! あのニワトリ野郎を、ボクとリリーの力で……真っ二つにしてやろうっ!」
気がつくと、精霊のクルミちゃんが私を助け起こそうと寄り添っていた。
精霊のクルミちゃんの肩をかりて、私は立ち上がる。
顔をあげると、大空の覇者のように見下ろしているグリフォンがいた。
手負いの獲物……いつでも殺せる相手を前にしているかのように、鷹揚に翼をはためかせている。
なんとか立っている私とは大違い。
こっちはお腹からとめどなくあふれる血で、噴水の像みたいになっているのに……。
それに……腕に力が入らない。
クルミちゃんを抜刀しようにも……これじゃ……できそうもない……。
だけど……だけど、あきらめてなるもんか……!
クルミちゃんがやっと、やっと私に心を開いてくれたんだ……!
いっしょに戦いたい、って言ってくれたんだ……!
だから……私は……! 私はクルミちゃんと一緒に……死んでもアイツを倒すっ……!!
私の覚悟を待っていたかのように、グリフォンはいよいよ急降下を始める。
「キエエエエエエエエーーーーーーーーーーッ!」
雷鳴のような絶叫が、ビリビリと空気を震わせた。
普段だったら、それだけで縮こまっちゃうようなプレシャーが迫ってくる。
だけど今は、臆さない……!
海神の三又槍のような爪が、空を切り裂く。
私の身体は、今度こそ貫かれてしまうかもしれない。それだけならまだしも、ミンチになっちゃうかもしれない。
だけど今は、逃げないっ……!
メチャクチャ震えちゃってるけど、逃げてたまるかっ……!
だって私には……仲間がいる……!
私のことを信じてくれた、仲間がいるから……!
私は震えが止まらない唇から、声を振り絞る。
「スィーラ・サティル・リブレ……!」
これは……私がママから教わった、とっておきの『勇者の呪文』……!
これさえあれば……やれるっ……! 私はまだ、やれるんだ……!
……バシイィィンッ!
脳天が痺れるような感覚が起こり、背筋を駆け抜け全身に広がった。
そして……地の底から湧き上がってくるような勇気が、私を奮い立たせる。
震えるばかりだった腕が、指が、動く……!
あふれる力で、ガッと力強く掴んだのは……私の友達の聖剣……クルミちゃんの柄……!
「よぉしっ! やっちゃえ! リリーっ! ボクらにかかれば……あんな雑魚、一撃だあっ!」
私は聖剣のクルミちゃんに頷き返す。
私を支えてくれている精霊のクルミちゃんが、そっと手を添えてきた。
精霊の女王様みたいなクルミちゃんと見つめ合い、頷き合う。
「ギェェェェェェェェェェェェェェェェェェーーーーーーーーーーッ!!」
激しい向かい風とともに、迫ってくるグリフォン。
クチバシを開き、ギョロリと目を見開き、身の毛もよだつような怖い顔が、もう目前……!
でも……どんなに威嚇されても……お前なんか、怖くない……!
クルミちゃんの言うとおり、お前はただの雑魚だっ……!
いくよっ、クルミちゃん……!
「「くらええええええええええええええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」」
私とクルミちゃんは、勇気のハーモニーを奏でながら抜刀する。
鞘から抜けた瞬間、まばゆい光があふれた。
目も開けていられないほどだったけど、一気に振り抜く。
羽根のように軽い剣は、不死鳥のように力強く羽ばたき、飛び立った。
天まで斬り裂くほど、長く長く伸びた光の筋が……精霊王の扇のような軌跡を、青空のキャンパスに残していく。
「……ギエッ……?」
いつのまにかグリフォンは、私を通り過ぎていた。
正中線を堺に、左右に別れた身体を、ニワトリようにせわしなく動かしている。
しばらくして、自分がまっぷたつにされたことにようやく気づいたのか、
「ギェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!?!?!?」
黒い霧となって爆散した。
モンスターを倒すと、黒い霧になって煙みたいに立ち上るんだけど……強いモンスターだと、こんなに派手に散っていくのか……!
爆風に立っていられなくなり、私はヒザをついてしまう。
もう立ち上がるだけの力は残っておらず、そのまま地面に突っ伏すように倒れてしまった。




